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天陽大乱  作者: 一夢庵豊玉
第三章 逃亡
11/69

3

 正直意外だった。

てっきり弟の覚からの知らせだと思っていたのだ。

伍衛もどうすればいいのか解らないといった表情でこちらを見ている。

「とりあえず話を聞いてみよう」

張儀は門の近くまで行き、伍衛に少しだけ開けさせた。

「張儀殿、急ぎの知らせのため無作法をお許しください」

わずかに空いた門の隙間からするりと男が入ってきてそう言った。

荀孝殿とはまるで違う鋭い目つきの男だった。

「お人払いを頼みたいのですが、それも無理そうですな」

男は辺りを見渡してそう言った。

何しろ屋敷の庭は張儀の部隊で溢れているのだ。

「屋敷内の空いている部屋でよければ」

「ではそちらで」

張儀と伍衛は男を奥へと案内した。

祖信は兵達と一緒に待つと言っていた。

「この時間に部隊を屋敷内に集めているという事は、荀孝様の懸念が的中された様です」

男は案内された部屋に入るとすぐに切り出した。

「懸念と申されますと」

「今夜ある罪人を捕縛するため、部隊が動くという情報が入ったのです」

「罪人とは」

「皇太子殿下の暗殺」

「なんと」

張儀はあえて知らぬふりをして答えた。

張儀の表情を見て、男は短い溜息をついた。

「荀孝様がおっしゃるには、罪人の名は張儀。今夜部隊を屋敷に集め、夜陰に紛れて皇太子殿下の暗殺を企てていると」

言葉に詰まった。

「もしかすると、張儀殿は誰かからこの情報をきいているのではないですか」

確かに聞いてはいるが、張儀自身が罪人という所が解らなかった。

「これは罠です。おそらく何者かが張儀殿を罪人とするために計ったのではないかと思われます」

張儀はわけが解らなかった。

皇太子殿下をお守りするために部隊を集めていたはずなのに、何故自分が暗殺の下手人として捕縛されなければいけないのか。

「すると暗殺計画というのは」

「おそらくそんな計画はありません。張儀殿を捕縛するためのでっち上げでしょう」

「何故私を捕縛したがるのです」

「そこまでは荀孝様もわかりません。しかし、なにかしらの理由はあるのでしょう」

「私はどうすれば」

「ここからが本題です」

男は姿勢を正した。

「これから三刻後、天都の東門を開けておきます。そこからお逃げください」

「逃げるだと。私は何も罪を犯してはいないのだぞ」

「いえ、許可も得ずに夜中に部隊を集めております。それだけで詮議の対象となります」

確かに。

「後は獄に繋がれてゆっくりと弱らされるでしょう。やってもいない事を自白させられるほどに」

「罪状は皇太子殿下暗殺未遂か」

「はい。おそらく今回の事、その為に張儀殿に部隊を集めさせたのでしょう。知らぬ者から見れば、謀反の疑いをかけられてもおかしくはありません」

「逃げるのは良いとして、どこへ行けと申される」

「荀孝様は昨日の時点で東陽へ文を送っています。まずは羅流将軍を頼られるのがよいかと思います」

伍衛は怒りで顔が真っ赤だった。

何か言う気にもなれないという顔をしていた。

「張儀殿、此度はおそらく巧妙に計られたのです。まずはご自身の身を心配されて下さい。生きていればいずれ、皇太子殿下が皇帝の座に就き、何とかしてくださいます」

張儀は悔しくて目の前が歪んだ。

涙で男の表情がぼやけて見える。

「主荀孝様からの伝言は以上です。そして皇太子殿下からの伝言が一言」

「皇太子殿下は何と」

「生きよ、死んではならぬと」

その一言で、張儀はすべてをのみ込んだ。

怒りや疑問、口惜しさ。

今は自分の感情等どうでもよくなっていた。

「承知いたしました。皇太子殿下と荀孝殿によろしく」

門まで送ると言うと男は丁寧に断り、屋敷の裏側へ回った。

身軽な動きで塀へ飛び上がると、軽く張儀達へ一礼して飛び降りた。

「あの身のこなし、只者ではありませんな」

「ああ、しかし問題はこれからだぞ」

張儀はかなり悩んでいた。

このまま天都を出ると、おそらくお尋ね者としての日々が待っているのだ。

今までのような毎日はもう戻ってこないだろう。

「口惜しゅうございますな」

まるで張儀の心を見透かすように、伍衛が言った。

「ああ、だが今はしょうがなかろう。まずは目先の事を考えよう」

それ以外に張儀は何も言えなかった。

張儀自身、自分を落ち着かせるだけで精いっぱいなのだ。

「皆の所へ戻ろう。そして生きるために知恵を巡らそう」

「はっ」

伍衛を従え、張儀は皆の元へと戻っていった。

夜の闇は、更に深くなっている。


 皆、誰も何も言えなかった。

ただ、先ほどまで人一倍落ち着きのなかった祖信が一番落ち着いていた。

「やはり、そういう事でしたか」

大きく息を吐きながら、祖信がそう呟く。

「昨日おいでになった覚様の話を聞いた時から、変な気はしていたのです」

「そうなのか祖信」

「ええ、あそこまで情報が出ているにもかかわらず、我等に話を持ってくることがまずおかしかった。今日まで丸一日時間があるならば、宮中の護衛等いくらでも強固にできたはずです。なのに我々へ話を持ってきた」

「確かに考えてみると妙だな」

「そもそも首謀者が解らないのに次々と情報が入るのがおかしい。今それを言っても始まりません。我々は既に嵌められたのですから」

覚が持ってきた話を鵜呑みにしたのが間違いだったのだろうか。

久しく会っていなかった弟からの情報だという事で、張儀は判断力を鈍らせていたのかもしれないと思っていた。

「祖信、その話は後でゆっくりと聞こう。今は我々がどう脱出するかだ」

伍衛が祖信の肩に手を置きながら言った。

「荀孝殿が東の東陽門を開けてくれている。そこまで部隊を進めて、天都を出てからは散り散りに東陽を目指そうと思うが」

「確かに。ひとかたまりで動くよりはそちらの方が生き残れる者も多そうですな」

「皆、天都を出た後は我等に付き合う必要はない。たとえ我等に一切の罪がなくとも、おそらく罪人として追われる身になるだろう。故郷に帰りたい者は帰っても構わん」

皆うつむいていた。

呆然としている者もいる。

「いいか、私から言えることは皆死なないでほしいという事だ。命を無駄にせず、日々を生き抜いてほしい」

伍衛と祖信は張儀の後ろに控えて部隊を見守っていた。

皆それぞれ考える時が必要だろう。

しかし、今その時が一番不足していた。

「これより東陽門へ移動する。音を点てずに急ぐのだ」

祖信がそう言い、門を開いた。

張儀を先頭に、部隊が出ていく。

前に羅流将軍の援軍として出発した時とは大違いだった。

あの時は多少の不安と大いなる希望、そして大手柄を上げてやろうという野望に心が満ち満ちていた。

今はただただ不安でしかない。

女子であれば泣き出したい所だった。

街は静まり返っていた。

皆暖かな寝床で夢の一つも見ているだろう。

どうしてこうなってしまったのか。

何故自分が天都から逃げ出さねばいけないのか。

張儀は情けない気持ちで一杯だった。

伍衛や祖信の顔すら見れない。

目の前に東陽門が見えてきている。

ここまでは順調だった。

まるで無人の野を行くがごとく、張儀達は東陽門を潜り抜けた。

「若、後少しですな」

「ああ」

伍衛の掛けてくる声すら、張儀の心に突き刺さる。

何故もう少し慎重に考えることが出来なかったのかと攻められている様に感じられた。

外門まではまだ距離がある。

遠くに暗くそびえ立つ城壁が見える。

「若」

急に祖信が叫んで、張儀は考え事からふいに目が覚めた。

兵士たちの足音、鎧の金属音。

行く手を阻むように、左右の路地から兵士達が湧いて出てくる。

「謀反人張儀だな」

静かな街中に大声が響き渡っている。

一人だけ騎乗の兵士が叫んでいた。

「皇太子殿下暗殺を画策した罪にて、捕縛する」

ゆっくりと馬を進めてきて、そう叫んでいた。

謀反人。

一体誰の事だ。

私はただ皇太子殿下に忠義を尽くし、お仕えしていこうと心に誓っているのだ。

この場に謀反人などいるはずがないではないか。

張儀はぼんやりとした目で騎乗の兵士を見ていた。

確か冷貴とかいう上級将校だった。

兵士になったのは張儀よりやや早く、部隊の動かし方が上手いと軍略の師範が褒めていたのを思い出した。

張儀の正面にはぱらぱらと二百名程が出てきていた。

捕物にしては人数が少ない。

「私は謀反人ではない。捕縛されるようないわれ等微塵もない」

言っても無駄な事だとは分かってはいたが、言わずにはいられなかった。

「全軍突撃。突き破れ」

前の戦でも出なかった様な大声を出していた。

言った自分が一番驚いていたが、それよりも早く身体が動いていた。

張儀は先頭で全力で駆けていた。

後ろからやや遅れて伍衛と祖信が駆けてきているのが分かる。

そして部隊もそれに続いているのが足音で分かった。

一筋の閃光。

そう、放たれた矢の様に、前方に立ち塞がる兵士たちに突っ込んでいく。

暗いながらも、驚いている冷貴の表情が見えた。

焦ったように剣を抜いているが、こちらの方が早く間合いを詰める。

闇夜に火花が散った。

張儀の振るった槍の穂先を、冷貴が剣で受け止めていた。

張儀は構わず駆け抜けた。

今は相手にしている猶予は無い。

一刻も早く外門を抜けなければならないのだ。

「張儀、この謀反人が」

後から冷貴の叫び声が聞こえていた。

頭に血が上るのを必死にこらえながら馬を駆けさせた。

「若、抜けました」

張儀達は外門を潜り抜けた。

後の部下が気になったが、振り返る余裕もなかった。

馬に抱き付くように、張儀は東へ駆け続けた。

「皆散れ、生き延びよ」

張儀は必死に叫んでいた。

頬が熱かった。

無意識のうちに、張儀は泣いていた。

自分の情けなさに涙が止まらなかった。

足音が後から追いかけてくる。

それが部下のものなのか、追っ手のものなのかすら分からなかった。

ただ必死に、馬にしがみついて東へと駆けていたのだ。

後からの足音が次第に減ってきているのが分かった。

更に駆けると、聞こえるのは馬の蹄の音だけになってしまっていた。

ようやく張儀は振り返った。

既に日の出を迎えていたらしく、辺りは薄らと明るかった。

騎乗の伍衛と祖信がいるだけだった。

部下の姿は誰一人として見えない。

「他の者はどうした。上手く散って逃げられたのか」

伍衛や祖信も肩で息をしていた。

馬は白く、荒い息を吐いている。

「外門を出た後、皆それぞれに散っていきました」

祖信が苦しそうに声を絞り出していた。

「相手も急に突撃をかけられたので、こちらに大した反撃も出来ないようでしたが」

伍衛は辺りを見回している。

「無事を祈る事しか出来ん。歯痒くはあるが、今我等に出来ることは東陽へ急ぐことだけだ」

伍衛は馬から降りた。

「ここまで駆けさせると一度降りた方がよいでしょうな。轡をとって共に歩きましょう。でなければ馬が潰れてしまいます」

確かに馬も限界に近かった。

名馬とは呼べないまでも、昔からよく走る良い馬だった。

こんな所で潰したくはない。

「祖信、すまなかった。奥方には合わす顔もない」

張儀は馬を降りながら祖信に詫びた。

自分や伍衛とは違い、祖信には家族がいるのだ。

妻や子供も今回の事でただではすまないであろう。

「いやいや、軍人をやっていればこれしきの事はよくあります。昨日の夜の内に城外へ逃がしてありますゆえ、ご心配には及びません」

空元気だろうか。

祖信はそれほど気にしている風でもなかった。

ある程度予測もしていたのかもしれない。

「若、参りましょう。ここも安全ではありません。いつ追っ手が来るかもわからんのですから」

祖信は轡をとって、元気に先に歩き始めた。

「若、祖信は若に手本を見せてくれているのです。総大将たる者、いつも部下の前ではあのように明るくふるまわねばならん時も多いのです」

総大将。

今はその言葉すら虚しかった。

父の部隊を継ぎ、いずれ大手柄を上げて将軍になってやろうと夢見た事も、今となってはただ虚しさが残るのみである。

たった三人の罪人。

我々に残された名は最早それのみとなっていた。

「いずれ、風向きも変わりましょう」

そう言って伍衛も歩き始めた。

そうだ。

気にしてもしょうがないではないか。

たとえこの身が砕け散る程に無罪を叫んだところで、おそらく信じてはもらいえないだろう。

ならば今出来る事は惨めでも生き抜き時期を待つ事だけである。

風は正面から吹いていた。

早朝、やや寒くもある。

これがいずれ暖かな追い風に変わることもあるかもしれない。

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