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天陽大乱  作者: 一夢庵豊玉
第一章 全ての始まり
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                        第一章                     


                         


 しだいに近づく桟橋に、気持ちが高揚していくのがわかった。

彼、草間 右近は長い船旅の末、天陽国の西の外れの小さな漁村にようやく到着するところだった。


 右近は天陽国から遥か西方、黄国の武人である。海を隔てた両国では、国と国の交流はわずかにあるが、個人での行き来は制限されていた。黄国から天陽国へ行くには国からの正式な通行証が必要だった。国の役人以外では一部の商人にしか発行はされない。しかし、黄国は数年前に革命が起こり、大戦乱の後に新政府軍の勝利によって幕を閉じた。

右近は旧政府軍に雇われた武人部隊の一隊を任される隊長だった。

最初は都の警護を任され、部下を従えて都の治安を護る為、西へ東へと練り歩いていた。数年後反乱分子がしだいに勢力を増し、国を真っ二つに分けての大戦争へと進んでいった。右近のいた武人部隊も、旧政府軍に正式に召抱えられ、新政府軍との熾烈な戦闘を繰り返した。しかし、旧政府軍は敗退し、その後も転戦を続けたものの戦は終わりを迎えた。黄国では数万人という武人が職を失ったらしい。

もはや武人がその腕一本で戦にて功名をたてる時代は終わったのだった。右近は旧政府軍時代のつてを最大限に活用し、天陽国への密航をしたのだ。

天陽国にはまだまだ戦人の出番があるのだという噂を聞きつけ、最後のひと花を、それも徒花を咲かせにはるばる海を越えたのだった。


 まるで漁師の釣り船用の様な粗末な桟橋に降り立ち、右近は軽く背中を伸ばした。

同じく密航した人の中には、船酔いで死にそうな目に合った者や病で本当に死んでしまった者も少なくなかった。死んだらそれまで、布でぐるぐる巻きにされて波が渦巻く海に放り投げられる。船上での死者はそうして弔うのが礼儀だと、船長が慣れた手つきで作業をしながら教えてくれたものだ。

右近は最初こそ船酔いしたものの、三日目には気持ち悪さも薄れ、むしろ潮風を心地よく感じる程だった。困った事といえば、長い航海中の無聊と食い物の不味さくらいのものだった。どちらも我慢などいくらでも出来る。

「ここは我等の故国とは違うのだ。よく気をつけなさい」

船長は平然とした表情で、右近に言った。さして心配している風ではない。

「お気づかいありがたく。しかし、俺はむしろ楽しみでしかたがない」

やや遠くにある漁師の家からちらちらと覗いている人達が見える。普段は静かな漁村なのだろう。そこに急に異国の密航船が着いたのだから、心配になるのも無理はない。もしかすると海賊に間違われるかもしれない等と、冗談交じりに船長が言っていたが、あながち冗談でも無かったのかもしれない。

右近はとりあえず荷物をまとめ、足早にその場を離れることにした。

荷物と言ってもたいした物は持ってきてはいなかった。全財産の砂金粒が入った小袋を一つと、換えの褌。黄国で得意にしていた長槍は旅の邪魔になるので置いてきてしまっていて、得物は腰にぶら下げた黄国独自の太刀のみ。たしか天陽国では国名を付けて黄刀と呼ばれているはずだ。美術品として天陽国への輸出品で結構な高値がつくと密航前に港にいた商人が言っていた。


右近は当てもあるはずもなく、なんとなく東に向けて歩いた。天陽国は国の中央に都があると聞いた事があったからだ。右近が着いたのは西の外れだから、東に向かっていくといずれ都に付けるかもしれない。食い物は川の魚や山で兎でも獲ればなんとかなるだろう。途中の村や町でも砂金があれば何か買えるかもしれない。後は言葉の問題があるが、それについて右近はそれほど気にしていなかった。同じ人間同士、なんとでもなると楽観的に考えていた。

漁師の家らしき小屋がぽつりぽつりと並んでいた。窓からは子供が覗き、それを後ろにいる母親らしき女性がたしなめている。時折家の戸が少しだけ開いている家もあるが、右近が前を通るとぴしゃりと閉めてしまった。大人がのぞき見でもしていたのだろう。


小さな漁村を通り過ぎた後は、広い平原を歩いていた。幸い細い道があり、東の方向に伸びている。しばらくは雨も降りそうにないし、のどかな旅が楽しめそうだと、右近はのんきに考えていた。



そのまま二日、右近は東へ向かい歩いていた。野宿するのに不便するほど寒くも無く、満腹ではないにしろ食い物にもそれほど困らなかった。いつしか平原は終わりを迎え、小高い山道を右近は歩いていた。右手にはちょっとした崖、左手は竹林。まるで子供の頃に故郷の寺で見せてもらった水墨画の風景のようだった。旅路は思った以上にのどかで、それでいて黄国と一風違う天陽国の風景が右近を楽しませたが、右近はわずかな気配を竹林の方から感じた。

近くの村人が山菜でも採っているのか、もしくは動物なら今晩も夕食には困らなそうだ。それとも・・・。

右近がそんな事を考えていると、少し離れた竹林の中から一人二人と男が出てきた。服装はやや薄汚れていて、目はぎらついている。

ゆっくりとした動きで、五人が右近の前に現れた。一人の男が少し前に出てきてうすら笑いを浮かべながら、何かを言っている。

右近は言葉がわからない事を身振り手振りで伝えると、前に出てきた男が後ろの四人に対し何かを伝えている。五人で一斉に笑い始め、それぞれが手に持った武器を構えつつ、右近に近寄ってきた。

「野党か、山賊か」

右近はうすら笑いを浮かべた男の横面を凄まじい勢いで殴りつけた。

「このまま立ち去ればよし、残れば首が胴から離れるぞ」

言葉は通じないまでも、口調である程度は伝わったようで、後ろの二人は少し気後れしていた。しかし殴られた男が目を血走らせながら睨みつけている。これは何人か斬らないと逃げてくれそうもない。後ろの二人はその場を動かず、殴られた男を含め三人が、じりじりと間合いを詰めてくる。

何かを叫びながら斬りかかってきた男を、右近は抜き打ちに切り捨てた。首が右手の崖を転がり落ちていったのが視界にわずかに入った。今度は二人同時に斬りかかってきたが、体さばきでかわしつつ袈裟斬りで一人、もう一人は胴を払った。手ごたえで二人は絶命しているのがわかる。

さきほど怖じ気づきかけた二人は転びそうになりながら竹林の奥へと逃げて行った。身のこなしや身につけている衣服、武器の持ち方からみて明らかに戦いなれた者たちではなく、おそらく食うに困った農民か何かだったのだろう。倒れている死体の衣服で自身の黄刀を拭い、右近はゆっくりと鞘に納めてその場を後にした。


 やや速足で歩きながら、右近は先ほどの事を思い返しつつこの国の事を考えていた。厳しい年貢や飢饉で飢えに苦しみ、農民が野党になる事自体は黄国でも珍しくない。むしろ天陽国も同じような状況だという事の方が気になった。世が乱れ始めている兆候である。世が乱れれば当然戦が起こる。右近が自らの腕でのし上がっていく世の中が近づいてきているという事だった。

竹林はやがて林になり、右手の崖も大分なだらかになってきた頃、林の木の梢に雀がとまっているのが見えた。

右近はゆっくりとした動作で足元にあった小石を拾い上げ、凄まじい勢いで雀の方へ飛礫を放った。一発、二発。三発目は当たらず、梢にとまった雀は羽ばたいていった。地面には最初の二発をくらった雀が二羽落ちている。すばやく首を脱臼させて懐にしまいこんだ。今夜の食事は確保したので、右近はまた東へと歩を進め始めた。暗くなるまであと少し、今夜も野宿だがそれほど不便をしている感じもしなかった。

山の中腹に小さな村が見える。うまくいけば屋根のある寝床にありつけそうだと思い、右近は無意識に小走りになりながら村へと近づいて行った。


村へ入ると何か妙な空気を右近は感じた。活気が無いどころではなく、葬式の様な雰囲気が村全体を包んでいるのだ。妙に思いながらも、右近は村の中央まで歩いて行くと、広場の様になっている場所で、村人が集まっている。

すすり泣く女の声、叫び声をあげている者もいる。いったい何があったのか。近付いていくと集団の真ん中に二人の男がいた。明らかに見覚えがある、先ほど襲ってきた内の逃げた二人だった。

二人の内の一人が、こちらに気づいて指をさしながら何かを喚いている。仲間を殺したのはこの男だ、とでも言っているのだろう。女が二人、子供が五人、一斉に右近を睨みつけてきた。おそらく死んだ男たちの身内なのだろう。

「おいおい、襲われたのはこっちだぜ。恨むのは筋違いってもんだろ」

女が一人飛びかかろうとして、周りの村人に止められている。他の女や子供たちが小石を投げ付け始めた。それを合図にしたように、他の村人も次々と小石を投げてきている。戦場で経験した矢の雨に比べればどうという事もないが、無駄に痛い思いをするのはごめんだった。今夜の屋根つきの寝床はあきらめた方がよさそうだった。

遠巻きにしながら村を駆け抜け、右近は再び山道に出た。つけられて寝込みを襲われるのは面倒なので、すぐさま駆け足で山道を急いだ。

山はやがて山頂に達し、すぐになだらかな下りになっていった。後ろからの気配は無い。とりあえず足を緩め、またゆっくりとした歩調に戻した。


あたりが薄暗くなった頃、右近は小さな焚火を起こし、黄刀の鞘から笄を抜いて火であぶり始めた。やや赤くなった笄を雀の肛門から突き刺し、しばらくたってから引き抜くと、一緒に雀の内臓もきれいにくっついてきた。もう一羽も同じく内臓を引っ張り出し、羽をむしった。残った羽毛は火にかざして一緒に焼いてしまえば気にならなくなる。火からやや離し、じっくりと焼いていく。大食漢の右近ではあるが、旅の最中の空腹には慣れていた。食い物が確保できるだけでも十分だ。これで塩でもあれば酒の肴に調度よくなるのだが、まぁ今は仕方がない。次の村か街にでも着いたら、旅道具を多少購おうと考えていた。


 二羽の雀を平らげると、そのまま右近はごろんと横になり、夜空を見上げていた。

夜空は黄国も天陽国も変わらず、美しい星空が広がっている。黄国での戦に敗れた後、国を出て職にありつこうとする武人は少なくない様だった。自分もその一人ではあるが、右近は自分だけは違うと思っていた。

まず、夢のでかさが違う。食い扶持だけを求めるのであれば、わざわざ異国まで出ていく必要は無いのだ。俺には大志がある。この国で知らぬ者はいない程に名をあげてやる。異国人であるが関係あるか。修羅場なら人の何倍も潜ってきているのだ。異国人である自分が、大国天陽の歴史に名を刻むほどの人物になる。男に生まれてこれほど痛快な事があるだろうか。草場から聞こえる虫の声、かすかにそよぐ心地良い風。そんな事を考えているうちに、右近は寝てしまった。

季節は夏の終わり。旅をするには調度良い気候になりつつあった。



 一月もすると、右近の言葉の問題も少しずつ解決していった。まったく通じないと思っていた言葉だが、筆談なら通じる事がわかった。筆談で通じると、今度は一言二言と言葉を覚えられるようになってきた。まだまだ自由に話す事は出来ないが、それでも簡単な意思疎通ができ始めただけでも上出来だった。

さして急ぐ旅でもないのをいいことに、右近はゆっくりと東へ向かっていた。綺麗な沢があれば魚を獲りながら三日を過ごし、村の外れに誰も住んでいない空き家を見つけるとそこで四日過ごすといった具合だった。

途中の小さな町で簡単な旅道具一式と塩や少量の酒、天陽国の衣類、少し歳をとっていたが馬も一頭手に入れた。


立ち寄った村はどこも貧しく、それでも人々は懸命に日々を生き抜いていた。話を聞くとこの国の政治はなかなかにひどいらしい。規定より年貢を多めに取って懐にいれたり、賄賂次第でどんな悪党でも見逃す役人が多く、正直者は馬鹿を見る世の中だそうだ。そんな世の中だから野党や山賊が多く出没し、村が襲われた所も少なくないらしい。

さらに、山賊どもと結託し、奪った金品を分けてもらって見返りに罪を見逃す役人までいるというのだから、世が乱れるのも当たり前の話だった。

どこの村や町にも国や役人への怨嗟の声が少なからずあった。多少は想像していたが、右近の予想は大きく外れてしまっていた。黄国で話に聞かされていた天陽国はそれこそ大国で、文化や歴史、何から何まで黄国の先を行く国だと思っていた。書く文字から衣服、料理、武具、建築様式や宗教と天陽国から黄国に渡ってきたものは多かった。遥か昔は黄国の皇帝と天陽国の皇帝の間で親書のやり取りが頻繁に行われ、各分野の教養人を黄国へ招聘して教えを請うたりもしたらしい。

全てがまるで理想郷のように語られていた天陽国だったが、その実黄国と同じように当たり前の現実が広がっていたのだ。

役人は私腹を肥やし、民は苦しみ喘ぎながらも自らの生活のために終わりのない苦しみの中でもがいている。

だが右近は、一つ疑問に思っている事があった。東へ東へと向かうほど、役人への不平不満が減ってきていた。どこも大変なのは変わらないが、それでも少しずつではあるが、村人の暮らしが豊かになりつつあるのだ。役人の横暴は変わらずあるのだが、ある程度それを取り締まる役人もいるらしい。それなりの大きさの街には少ないが治安を守る為の衛兵も駐屯しているらしく、ここまでの旅の間二度ほど怪しまれて質問を受けた事がある。

どこの出身か、なんのために旅をしていて、目的地はどこか等と聞いてきた。旅埃に塗れた風体で、腰には異国の太刀をぶら下げているのだから怪しまれるのも当然と言えば当然だった。一応黄国から見聞を広めにやってきていて、首都である天都への旅の途中だと伝え、あとの細かい質問には言葉がほとんど分からないふりをしてやり過ごした。あながち全てが嘘でもなく、衛兵も多少疑問を残しつつも納得したように早く行けと身振り手振りを交えながら右近を追い払ったのだった。多少面倒なところもあったのだろう。

前の村で買った天陽国の地図を見てみると、この国は中央に皇帝が住む天都があり、その東西南北にそれぞれ東陽、西陽、北陽、南陽という大きな都市が囲んでいた。さらに外側には天陽国の僻地ともいえる辺境が広がっている。地図通りなら、もう数日も進めば西陽の街に着く。そこからさらに十日ほどで天都につくはずだった。

この国での旅で、若干の失望を感じつつも右近は西陽への到着が楽しみだった。何しろこの国で初めて見る事になる大きな街なのだ。あまり期待しすぎるのはまずかったが、それでも何かしらの期待をしてしまう。

右近の旅道具一式を背に乗せた馬をひきながら、右近の旅路はさらに東へと向かって行く。

黄国では中々お目にかかれない地平線が眼前に広がっていた。大きい、この国はただひたすらに大きい。

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