T原子力発電の化学実験会見
薔薇猫は、マイクロフォーン(英:Microphone)を握つた。
『ぷつぷつ』とした穴々の暗が、集音部位のフィルターを模様づけている。緊張は、猫手を走つている血脈が感じられるほどであつた。
演台からはおびただしい数のマイクロフォーンが突出しており、それらの根元ばかりを見ていた。というより、見ざるをえなかつた。カメラのフラッシュが、すべてを明らかにせむと瞬いて、成功や、失敗、苦悩、嫌み、その他もろもろの幻影もふくめた、不可視の感情を写そうとしている。
『ことば』を与えることによつて、その『ことば』に沈められるように、だから意志の力で、『ことば』を与えなかつた。『逃げたい』という弱音に、『逃げたい』という『ことば』を付してしまうこと、ここでそれは禁忌の内観であつた。
「落ちついて、今に集中するの。大丈夫、わたしならできるわ」と猫胸のうちで三回唱えて、ゆつくりと前方を仰いだ。
大学の講義室のように、演台を中点として、円弧状に座席がもうけられている。最後尾には、メディア・ヒューマノイドが一本線のように整列しており、カメラを連写させていた。
喧しいフラッシュの眩惑のなかでも、麒麟の目、竜の目、兎の目、猫の目、犬の目、猿の目、さまざまな種の目が、こちらを見据えていた。まるで急かすような凝視は、楔のように『発表』を拘束した。小瓶のなかの爆竹のようであつた。
背中をそつと触れてくれた兎手が、薔薇猫の内心に滞つていた『ことば』を押しだしてくれた。
「まずは、こちらの映像をごらんいただきましょう。U原子力発電の動画です。」
というと、禿鷲にめくばせた。
禿鷲がムーン・ウォッチに表示されたリプレイ・ボタンに触れると、舞台背後のシネマ・スクリーンに、U原子炉と、その内部映像がひらかれた。
U原子炉の対をなす発射筒から、U分子が撃たれた。
シネマ・スクリーン右端の内部映像のウィンドウに、U分子が爆発した。赤色のα線、青色のβ線、黄色のγ線が放射したが、しかしつぎの瞬間には、超低温冷却され凝縮。固形化したそれぞれの廃棄放射塊は、地中処理場につながる巨大合金管のなかを落下してゆく。
シネマ・スクリーンに停止表示があらわれた。
「映像でごらんいただいたように、従来のエネルギー・システムつまり、U原子力発電では、U原子衝突のさいに、α波やβ波そしてγ波が放射しておりました。これはわれわれの身体を通過して、生体分子構造を破壊する『危険な放射線』です。ですから冷却保存しているのですが…」
禿鷲はムーン・ウォッチの画面にふれると、ふたたびシネマ・スクリーンに、放射線の凝固映像がながれる。薔薇猫は、左手のレーザー・ポインターで、シネマ・スクリーンを指示した。
「原子衝突の瞬間、このように放射線をはなちますが、これを処理するさいに、冷却凝固化します。そして、そのまま地中深くへと落ちてゆくのです。しかし、地中処理場に問題があります。」
薔薇猫は、眠つていた大猿を凝視しているようにみえた。
この仕草を勘違いしたマングースが、となりで貌伏せて熟睡する大猿の頭を、ぽんぽん叩いた。
しかし薔薇猫は、最前列で眠つていたことを、暗に責めていたわけでなく、薔薇猫が熟慮するときは、魂が抜けたように固まるひとつの癖があつた。
霞む視界のなかで、薔薇猫の瞠目が、金色濃くしてゆくのをみとめた。大猿はおののいた。
薔薇猫は、赤い口紅を塗つた、くちびるをひらいた。
「地中処理場には、アルバイト・ヒューマノイドが、地上のU原子力発電所から落ちてくる放射性凝固物を、処理しております。」
MSG・メンバーの背後のシネマ・スクリーンには、放射線最終処分場の映像が投映された。
巨大工場内には、暗闇のためか機械音が鳴りひびいているわりには、アルバイト・ヒューマノイドがみえなかつた。その代わりに、グリーン・ライトの照明装備が、暗闇のなかで、煌々とひかりの尾びれを描いている。
「これは工場のモニタリング・ムービーですが…暗すぎますね。可視化してみましょう。」
薔薇猫は、白兎にめくばせた。白兎は、「睫毛が、美しい。」と感嘆しながら、ムーンウォッチに触れた。すると、シネマ・スクリーン上にアルバイト・ヒューマノイドの輪郭が、緑色に浮彫られた。
「α波が凝固されるとルビー、β波が凝固されるとサファイア、γ波が凝固されるとトパーズに宝石化されて、今、映像どおり、アルバイト・ヒューマノイドが、それらを倉庫に収めております。しかし、この宝石は、しだいに蒸気化さらに細分化して、倉庫の壁を透過してゆきます。そうなりますと幻想大陸へ浮上してゆきます。放射線最終処分場から地上への到達時間は、百年かかります。U原子力発電がはじまつて四十年が過ぎてますから、六十年後の未来には、わたしたちの子孫が危機にさらされているでしょう。」
ざわざわと会見場はざわついた。ペリカンは隣席に坐していた白鳥に耳打ちし、とあるパンダは、紫陽花の扇子で涼みながら、黙考しているようだつた。
「しかし!」
と薔薇猫が強調すると、『月光市民』の耳目をあつめた。
「われわれMSGは、あらたな元素鉱物をみつけだしました。そして、この鉱物こそ、われわれの未来を照らす希望の種となるでしょう。こちらをごらんくださいませ。」
真紅のピンヒールを穿いた薔薇猫は、踵をかえして、シネマ・スクリーンをあおぎみた。
「T元素鉱物。われわれはこの鉱物を月面でみつけだしました。」
演台の十歩背後で、パソコンを打ちこんでいた禿鷲が「われわれじゃなく、薔薇猫が、だけど」と心のうちで訂正すると、ちょうどその時、説明しようとひるがえつた薔薇猫と、目が合つた。禿鷲のネックレスに組みこまれたイデアライザーから、サイバー・ラインが走り、それはそのまま薔薇猫のイアリングへたどりついた。
「聞こえたわよ」と無声返答が、禿鷲の脳内でこだまする。
「月面上をドライブしている時でした。きっかけはプライベートですが、月面基地での職務を終えた…あれは、太陽がすぽりと地球に隠れていた頃」
「七月七日」禿鷲の電送が、薔薇猫の脳内でこだまする。
シネマ・スクリーン上が切替る。
そこには、暗闇の宇宙のなかで、星々がちりばめられ、銀河は『とろり』と流れている。苛烈な灼熱光は、地球の背景に嵌つた太陽由来だつた。画面前景にみえる白骨の桜木から、雪白の花弁がひらひらと寂しく舞散つて、すぐそばに在る『涙の湖』、その水面に触れて、波紋がひろがる。
「そうそう、七月七日でしたね。宇宙はその本来の暗闇へと化して、ドライブするには適した頃合いでした。まぁ、同僚を誘うのも億劫だつたので、たつた一匹で出かけましたが…みなさんはご存知でしょう、『涙の湖』です。もちろん実際に、その浜辺を踏んだことある『月光市民』は、MSG・メンバーだけでしょう。職務の重圧のなかで、MSGしか味わえない至高の息抜きのひとつかもしれません。それくらい『涙の湖』は美しいのです。海中には宇宙鯨がゆうゆうと泳いでますし、水面には桜の花びらが舞触れて波紋します。この絶景をみて、わたしは心癒される。いつも辛いことがあると、ここに来ておりました。しんなりと項垂れて湖面を見惚れていると、だれかが猫背を『ポンポン』と叩くのですね。『だれかなぁ』とおもいながらふりかえると、白兎が居まして。ねぇ?」
禿鷲とノン・ヴォイス・コミュニケーションしていた白兎は、薔薇猫の横顔から、耳の奥にほのかに染まる赤と、くるりとまるまる睫毛と、にこり笑う『薄い紅』の唇をみた。白兎が、恥ずかしそうに笑い応じた。
「それで、桜木の根元が、白光していて不思議だから、検べてほしい、それはともかく、どうやつて追つてきたの?つて尋ねたら、月面車の荷物室に忍び、追いかけてきた、ですつて。それでまぁ、白兎さんの言われるままに確認してみると、ほんとうに根元が白銀にきらめいておりました。それで、白石の結晶が突きでていましたから」
「これぐらいの大きさの」と言いながら、猫胸の前で両乳房の大きさを、両手で括弧づけていた。
「白石を持ちかえりました。あとは化学分子構造の分析は、専門家である白兎さんに任せましたね。それについては、直接説明してもらいましょう。」
舞台のなめらかな大理石を歩く音は、澄んでいた。
演台前にうながされた白兎の瞼は、緊張のせいか、頻りにまたたく。
「えっと、白兎です。発見された白石は、T元素によつて分子結晶しておりました。T元素が何かといいますと、これはU元素との比較によつて、理解し易くなるかもしれません。従来のU元素は、蜘蛛型の構造でした。一方、T元素は蛇型の構造で、それがその、だから何なんだと申しますと、U元素よりT元素のほうが、分子的不安定なのです。それにU元素とT元素は、構造という点だけでなく、自然分子構成速度と自然分子崩壊速度が近似している点、またその構成と崩壊のさいのエネルギー放出様相も似ておりました。ただし、このふたつの元素の相違点もありました。T元素は、自然分子『崩壊』また『構成』そのどちらの場合でも、放射線を出さない、ということであります。」
眩く焚きつくカメラ・フラッシュのなかでも、瞼の重そうな大猿や、欠伸をしたチンパンジーの充血眼を眺めわたせた。が、白兎の「放射性を出さない」という発言が、耳目をあつめた。
「月面基地の実験室で、わたしはこの可能性を検証しました。その結果、T元素同士の衝突では、『放射線の無放出』が推定されました。それのみならず、U元素と同量エネルギーを産出しておりました。以上が、T元素性質にかんする説明です。」
とマイクロフォーン群立から一歩退いて一礼し、禿鷲の傍へもどつた。
薔薇猫の傍をとおりすぎるとき、かの女は、兎耳を撫でた。白兎の頬は、赤らんだ。
ふたたび演台前にたつ薔薇猫。
「この実験結果をふまえて、さらにわれわれは、この化学実験棟にて、一万回の確認実験をしました。」
薔薇猫が、とある方向を指さす。すると扇状に坐していた月光市民たちの視線は、壁の一面に嵌めこまれた巨大硝子窓の奥にある、大型の原子衝突実験機械に向けられた。
「そこで、われわれMSGは、一万回の実験をおこない、その結果がこれです。」
シネマ・スクリーンに、グラフが表示される。タイトルは『T分子衝突時における放射線産出量』と名付けられ、X軸には試験回数、Y軸には放射線産出量と定義されていた。
第一回目から第一万回目までの試験回数をとおして、Y軸は『0』の値を、まつたく変動することなく、要するに直線だった。
「おお!」と感嘆がひそめいて、薔薇猫の口角はあがる。
「わたしたちの子どもは、より安全で自由な国のなかで暮らすことになるでしょう。月光市民があこがれる理想を現実化するためのサイエンス・ツールも、これから開発され普及されるでしょう。たとえばそれは、交通事故によつて、足をやむなく断切手術した青年が、健常者以上の義足を装着する、そんな未来かもしれません。なにはともあれ、U元素の放射線危機から免れうるかもしれません。いや、大丈夫でしょう。T鉱物の蓄積量、約二百年の間に、三代目のMSGが、地上に辿りつくであろうU放射線を対処してくれるはずです。ひとまず、二百年間の『月光市民』の未来的生存は、約束されたようです。これは、我々にとつて、祝福の日ではありませんか?」
枝葉のそよぎのごとき拍手。しだいに小々波のような騒ぎとなつた。
カメラの連写音は拍手にまぎれて、禿鷲はシルク・ハンカチーフで、黄色嘴を『きゅるきゅる』と拭いた。白兎はくちびるを窄めて、ふくよかな頬は微笑んでいた。
無常の一刻一刻を、永遠へと記録せむフラッシュのなかで、プロジェクター・ライトを放つアシスト・バック・ルームから、ヘッド・フォーンを被るハイエナが、頻りにムーン・ウォッチを指さしていた。
顔面蒼白に双眸をみひらいて、何かを伝えむとする様子であつた。
薔薇猫が、まさにムーン・ウォッチを見ようと、左手首を動かした。
その瞬間!激動とともに爆発音が轟いた。
耳の鼓膜で『キーン』という電子音がきこえた。
世界は翻り、天井は床となり、床は天井となつた。
…
イエロー・ネクタイが垂れさがつていた。裏地の白玉模様は、奥行くほどに鋭角楕円になり、ネクタイの結目はゆるい。
右手を差しだしていた禿鷲の緑眼は、厳しいかつた。
「襲撃だ。時間がない。見てくれ。」
差伸べられた鷲の手は、爪々で峻厳としている。天井は天井となり、床は床となる。
禿鷲がムーン・ウォッチに触れると、薔薇猫の網膜状にウィンドウが現前せしめられ、T原子衝突実験室がみえた。壁一面の巨大硝子窓の、とある一カ所が爆破されている。
三機のアタック・ヘリコプター(英:attack helicopter)の防弾硝子窓から覗きみえるのは、マシンガン、ロケット・ランチャー、だつた。
ミリタリー・ヒューマノイドが次々と出動しており、先攻部隊は、すでに目的地へ駆けているようだ。
化学実験棟廊下は『カツカツ』と硬質な足音がひびいて、かれらはT鉱物保管庫のセキリュティー・ドアに前立した。
「T鉱物を盗むつもりよ!」
「ああ、ロック・ナンバーを十秒ごとに変更させた。おそらく突破できない。」
安心と不安の混濁が、禿鷲の両眼に映えている。
一体のミリタリー・ヒューマノイドが、セキリュティー・ドアのタッチ・パネルに手翳すと、暗号解除番号の要求をされたらしい。
ロック・ナンバーとトライ・ナンバーが見比べられるようになつた。
『ロック・ナンバー:11921600』。
『トライ・ナンバー:10811733』。
四桁目と八桁目の数字が一致した。セキュリュティー・ドアの液晶画面には『Error』と表示された。
禿鷲は息をのむ。
十秒が経つた、ロック・ナンバーが変更された。
ミリタリー・ヒューマノイドは、ふたたび試みた。
『ロック・ナンバー:19910410』。
『トライ・ナンバー:18910320』。
こんどは一桁目、四桁目、五桁目、八桁目の数字が一致した。
「うそだろ」と禿鷲は漏らした。
十秒が経つた。ふたたびロック・ナンバーが変更する。
もう一度、解除番号が打ちこまれる。
『ロック・ナンバー:19451105』。
『トライ・ナンバー:19451105』。
すべての桁目が一致した。『Clear』と表示されたセキュリュティー・ドアがひらく。
五体のミリタリー・ヒューマノイドが、セキュリュティー・ドア前で、セキリュティ・ヒューマノイドたちを掃討していた。弾頭はミリタリー・ヒューマノイドに被弾せず、セキリュティー・ヒューマノイドは、レール・ガンによつて、電撃された。胸板に『ポッカリ』と穴空いたヒューマノイドたち。ペンキ缶が破裂したように、おびただしい血は廊下に飛散していた。
T鉱物保管庫のなかは、-30℃の氷世界だつた。
氷霧にまぎれて、白石が『きらりきらり』と輝いている。それを侵入した一体のヒューマノイドが奪い、黒色大袋のなかへ入れた。
先攻部隊はそのままT鉱物保管庫から離脱した。
爆破した巨大硝子窓の一箇所の穴を通過して、ぞろぞろとアタック・ヘリコプターに搭乗した。
かれらは逃亡してしまつた。
「神よ、われらを見捨てたもうな」と祝詞を呟くダルメシアン神父。かれの聖職服にしがみつく大猿。
実験棟廊下で、金属の足音が群れひびいて来ると、怯える来賓者は、鉄扉を『ジッ』とみつめた。
勢ありあまつて鉄扉がひらくと、多数のヒューマノイドが会場に流入した。
白虎大統領も同伴しており、すぐさま、薔薇猫のもとへと駆けよつた。
「大丈夫か!?」
顔面蒼白の白虎に、薔薇猫はこたえる。
「だといいけど」




