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ムーン・インターネット  作者: ちな ていた
15/15

グロースシュタットの裁判所にて

 原告席に坐しているは、二代目・MSG・メンバーすなわち薔薇猫と禿鷲と白兎であつた。

 現行のムーン・インターネット・システムを存続させるために、二代目・MSGが初代・MSGメンバーを弾劾してゆくことが求められていた。

 検察席の猟犬の背中越しに、父親が出廷してくるであろう木製扉がみえる。

 『見えるのよ』、ほんとは『見てはいけない』の!わたしは『見ることができない席』に坐りたかつた!そう薔薇猫は、無言で絶叫していた。

 薔薇猫の手元には、初代・MSGにかかわる予審の判決主文が記された公的文書があつた。それは以下のようである。

 「主文、被告者を無期懲役に処する」という内容であつた。これは『多数の地球人を、かれらの同意なくして、われら月光市民の利益のため、使役せしめたことは、コミュニケーション参加者の平等と自由をいちじるしく損ねた不当行為である』という根拠にもとづいた判決であつた。

 最高裁判所の傍聴席には、初代・MSGの重大犯罪に対する、ジャーナリスティックな詮索的興味にみちた来場者ばかりであつた。

 いうまでもなく、罵詈雑言は甚だしい。

 やれ「白猫の天才的知性は、すべてこの地球人の奴隷的使役を夢想して、支配者的快楽のうちにて育まれた卑しい天性にちがいない」だの、やれ「白虎の政治的指針が、つねに外惑星に向けられているのは、侵略者の強慾を示している」といつた、陰謀論を弁舌することのエクスタシーが放埓している。

 例に洩れず、その一匹である大猿も、鄙俗に談笑していた。

 最高裁判所長官が、入室した。情炎の右眼と、冷静の左眼は、感性と理性の対照概念を象徴している。虹色の両翼は、金や銀をも煌めかせて、魅力的だ。

 鳳凰。家柄はすこぶる品格高く、齢は白虎とひとしい。この裁判を臨むにあたつて、周到に準備してきたのだろう。鳳凰の眼下に、睡眠不足とも神経症の鬱とも、そのどちらをも因となす、薄い墨汁のごとき隈が、浮染められていた。

 神経過敏な性格であることは、法曹界で有名であるらしい。

 事件概要報告書に誤字をみつけたときはいつも、焙煎茶が注がれた陶器を、テーブルに打置いて、

「社会的現象をまつたく中立的立場から判断する者は、事件内容や主文また罪状を、正しく認識そして審判しなければならない。であるにもかかわらず、貴殿は意を欠いたような誤謬をなすのかね?貴殿の職業とはなにか?大工か?天気予報士か?はたまた官僚かね?」

 と静謐な皮肉をぼやくらしい。

 この揶揄のあと、「正統な表現をしなさい」という便箋が添えられて、旧字体の訂正字が施された修正書類が送られてきたらしい。補佐官は、鳳凰の細やかな神経の樹根に触れ、感激し、これを流布したようである。

 審判席に坐つた鳳凰は、円丘の天井にひびきわたるように宣言した。

「これより、『地球人拉致事件』にかかる最高裁判を開廷する。被告者は、証言台前に立ちなさい。」

 弁護席の背後に設えられた開閉扉から、監察官に連れられて、白虎が入場してくる。

 細長い縄は、豪鬼な手首にくくりつけられて、囚人服のうえからでも隆々たる筋肉の輪郭がちらつく。原告席にすわる薔薇猫は、面会時に、逮捕されてもなお、脂肪の少ない白虎の肉体をみるにつけて、独房のなかで寂しく鍛錬する父親の姿を察した。

 証言台前に立たされて、薔薇猫は或ることに気づいた。

 法衣を纏つた鳳凰と、その裁判席のさらに背後には壁があり、その壁に、月を模したステンド・ガラスが嵌めこまれている。荘厳なステンド・ガラスのさらに彼方に、七夕神話の登場人物である『乙姫』の涙で溜まつたとされる湖、『涙の湖』が借景されていた。薔薇猫が坐する原告席からは、視線を此方へ近づけて来るしたがつて、ほぼ遠景の一点である『涙の湖』から『月を模つたステンド・ガラス』、そこから『高台に設えられた審判席』、そこから『証言台前にたつ白虎』が、ほぼ一直線につらぬいていた。

 薔薇猫は、沸きおこる神秘の予感をさげすんだ。

 「被告者は…」と、裁判官の鳳凰は、誓約の言をもとめた。

「被告者は、誠実性、正当性、真実性にもとづいて証言することを、ここに誓いなさい。」

 白虎はこくりと小さく頷いて、

「はい、此処に誓います」

 と同意した。

 検察席から立ちあがつた猟犬が口述する。

「初代・MSG・メンバーであつた被告者は、西暦七百四十年 七月七日に、地球人をヒューマノイド化するトランスフォルム・ラインをむすんだ。これはつまりどういうことか?ヒューマノイド素体としての地球人を薬物昏睡せしめて、地球から拉致する。そして覚醒し、混乱する地球人を、転換室と呼ばれる処で洗脳し、月光市民の奴隷意識を強化したところで、グロースシュタットに派遣する。この一連の恒常的なトランスフォルム・ラインが敷かれた日、それが西暦七百四十年 七月七日。これを契機に、われわれ月光市民の仕事は合理化され、肉体労働にかかわる仕事はすべてヒューマノイドたちが担うことになつた。こうした恩恵がある一方で、しかし、われわれの生活は、初代・MSGによる地球人の『拉致』『洗脳』『奴隷化』という三つの大罪のうえに建設された楽園である。まずはこの三つの犯罪行為について認めますか?」

 証言台前の白虎は、こくり頷くと、

「たしかに地球人を『拉致』『洗脳』『奴隷化』した、と解釈されうるかもしれません。これに類する行為が、合意なくして為されたことが、不当であることも認知しておりました。しかし聴く耳をもつものは聴いてください。地球人の生活水準は、おそるべき劣悪であります。一人当たりの食糧は十分とはいえず、しかも権力階級の上層部は、あらゆる価値を独占し、はなはだ平等に欠いております。このような地球の歴史的状況において、われわれは権力階級の下層部にあたる人間を、グロースシュタットで協働せしめようとしただけです。そうすれば、かれらはより豊かな生活ができますし、これのみならず、われわれにも利益の生まれるところです。つまり、『人間』そしてわれら『月光市民』いずれにおいても、損害をこうむるところなく、むしろ、どちらも『利益』を享受するのであります。」

 眉間に皺よせて猛々しい猟犬は、長机を強打して立ちあがつた。

「しかし、あなたがたは、人間をグロースシュタットに招待したのではない!拉致したのだ!それはつまり、かれらの意志を確かめることなく、不当に自由を拘束したにすぎない!」

 猟犬の詰問は、ほとんど脅迫であつたので、裁判所堂内が嫌悪へと結晶した。

 瞼を閉じて、傾聴しているようであつたが、騒ついた雰囲気を鎮めるために、鳳凰は、木槌で一打した。

 不思議と清澄な木の音は、波荒れた慄きを、めいめいの整えられた感情の木箱へ入れもどした。

「厳密な正当性は、そこまでして求められるのだろうか?われら初代・MSGは、なるほどたしかに地球人の同意なくして、かれらを連れ去つたのかもしれない。しかし、われらに従事する生活のほうが、地球で暮らしてゆく生活よりも、安楽であるにちがいない。考えてもみよ。ひとたび下層階級に属する人間たちが、つまり農奴と呼ばれるところの人々が、未確認生命体であるところの我々と、合理的討議を試みるとおもいますか?知識人ならいざ知らず、『ことば』の教養なきかれらは、われわれと討議するには時間が掛かりすぎます。そうこうしているうちに、中央都市から噂を嗅ぎつけて遣つて来た役人が、われわれをみつけて、『外界の侵入者』として戦うことなるかもしれない。否!事実、支配的人間は、われらと奴隷的人間との討議の場に、つまり某村の井戸に罷りつきました。かれらとの戦闘は避けたかつたので、その場からただちに身を退いて、様子をうかがいました。樹林の枯葉は、粗末な十字架墓地を埋もれさせて、わたしと妻は、ささくれだつ枝葉の間からのぞいたのであります。知的で善的で美的な、すなわち全的な権威的象徴!その下の、教会騎士の群団のうち一兵士が、悪魔とも天使とも噂されてた我々と会話した農奴を、激しく叩いた!相手方の素性を明かせ!としきりに責めたてたのです!その農奴は、わたしたちを天界の息吹と称したことによつて、魔女であると異端視され、磔刑に処された。」

 と一息つくと、白虎は顳顬に拇指をあてた。思考の澱をながしているのだろう。

「このような出来事をまえにして、次のような論理的帰結は容易であります。奴隷からしてみれば、地球的生活よりもグロースシュタット的生活のほうが安楽。これはまちがいないのです。奴隷的人間と月光市民とのあいだでは、絶対に、移住の合意点に至るのです。しかしながら、支配者が、この締結を断切せむとすることは予見できるから、われわれはこれを避けようとして、いわば『連れていつた』にすぎない。『合意による移住』または『連行』、いずれの場合においても、ヒューマノイド化した地球人の『幸福』は約束されている。わざわざ支配者の邪魔を招くことはしない」

 猟犬の眼は、白内障のような美しい濁をたたえていた。かれはしずかに口開いた。

「ほお、すると、つまり純粋に、月光市民の益ばかりを追求したのでなく、奴隷的人間の益をも、同時に求めたということだな?であるにしても、事実、白虎や白猫ならびに黒羊は、奴隷的人間を拉致したことには変わりない。いいかげん、そこを認めたらどうですか?」

 弁護席に坐していた弁護士の乳牛が、挙手すると、「乳牛の発言を許可します」と言つて、鳳凰はかの女を指名した。

「検察官は、脅迫的尋問によつて、不当に罪を背負わせようとしております。検察官の尋問却下を求めます。」

「弁護士の主張を認めます」

 猟犬は、聞こえたか聞こえなかつたか程の小さな舌打ちをした。

「検察官は、白虎被告の犯罪行為について、三つ言及しました。すなわち地球人の『拉致』『洗脳』『使役』。しかし先ほどの白虎からの答弁から窺えるように、初代・MSGは、月光市民のみならず地球人の貧民の益にも基づいて、行為したわけであります。したがつて、初代・MSG・メンバーは、地球人を『拉致』『洗脳』『使役』したのではなく、『救助』『説得』『共生』したのです。ゆえに初代・MSGは、なんら犯罪行為したという事実はありません。犯罪行為を妥当要求するのは、主観的判断にもとづいております。」

 猟犬が、まるで『正義』という二文字が浮かびそうな瞳で、発言許可をもとめる左手を挙げた。

 裁判官はこれを許した。

「月光市民ならびに地球人、どちらにも益があるというのは、被告者こそ独断にもとづいていると言わざるをえない。なぜなら、あなたがたは事実『合意を志した討議』していない。ゆえに『地球人』の『意』を確認していない。つまり『双方の利益になるにちがいない』という合意なき独断のもとに、斯かる行為をなした。これはもはや『救助』『説得』『共生』などでなく、『拉致』『洗脳』『使役』である。それこそ白猫の『コミュニケーション根本原則』に反した違法行為である。」

 検察官の反駁は、決定的だつた。裁判所堂内にいる傍聴者が、白虎の敗訴を、確固とした。そして白虎自身も、この会堂の雰囲気のひとつだつた。

 白虎の有罪判決は、もはや強く予感される。白虎はとくにそれが悲しいことだとは思わなかつた。

 かれは、どうしてだか分からないが、白猫の貌をおもいだした。

 …かの女の貌は、無邪気なやさしさに充ちていた。

 ムーン・インターネットのセオリー・プログラムを完成させ、多忙による神経衰弱で、白猫は倒れてしまつた。

 かの女は、臨終の折、このように告げた。

「わたしの完成させたプログラムは、ただそれだけでは全く有効的ではありません。わたしのプログラムはただ理論的機能であるだけで、そこに実践的機能を付け加えなければならないからです。どうか黒羊の『イデアライザー製造計画』に協力してくださいませんか?資金と政治的権力を注ぎこめば、かならずや達成されます。わたしは、もうこのような躰になつてしまつて、死んでしまうのかもしれません。さいごまで、ムーン・インターネット・システムの完成をみれないのは、無念でしかたありませんが、けれども、あなたの瞳から、燦然たる未来をみています。それは、誰一匹として『生まれたことを後悔』せず、誰一匹とて『圧倒的不安に麻痺している者がいない』、そんな輝かしい未来。ありがとう。あなたと共に、生命最高の目的を掲げて努力してきたことは、ほんとに幸せだつた。息が絶えたとしても、わたしはあなたの記憶の中で語りかけるわ。わたしは、あなたの吐息そのものになるの。この愛を永遠に。さよなら、そしてまたね。」

 苦痛を一切表すことなく、白猫は天国へと旅立つた。ただ、心拍測定機の『ツー』という電子音だけが響くだけだつた…

 俯いていた白虎は、仰ぎみた。審判台のその背後、月を模つたステンド・グラスの、『涙の湖』から射光している太陽が、強烈に輝きはじめた。

 裁判所堂内に光が満ちてゆく。

 傍聴者や弁護士や検察官さらには裁判官が認識するよりも前に、ステンド・グラスから漉されてくる太陽の光は、すべてを溶かしこもうとしていつた。

 真と偽、善と悪、美と醜が、その本質においては『一なる存在』であるように、あらゆる存在の輪郭はたつた一点に収斂されようとする。

 その世界の崩壊ともいうべき救済と危機のなかで、白虎は確かに聴いたのだつた。

「すべては、永遠の一瞬に止められる。時間と空間は、この一瞬に止められる。意志と欲望は、この一瞬に止められる。義務と許可は、この一瞬に止められる。必然と可能は、この一瞬に止められる。愛している、ただそれだけ。」

 わたしは、確かにそれを聴いた。でも『誰』がそれを言つたのかは、分からない。『かの女』かもしれないし『かれ』かもしれない。はたまた『あなた』かもしれない。しかし実のところは『わたし』だつたのかもしれない。それすらも分からない。

 葉桜は水玉とともに、きらめき舞つた。しかし、次の瞬間には!

 あとはただ、漆黒の闇のごとき燦然たる光が、在るだけだつた…


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