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ムーン・インターネット  作者: ちな ていた
13/15

サイバー・プログラマー統制室にて

 入力画面の右端には、『777年 4月8日、ムーンホスピタル、地下三階』と表示されていた。

 暗号入力欄は、三桁の空欄と、一桁の空欄と、一桁の空欄が、列をなしていた。

 狛犬は、そこに『777』『7』『7』という数字を埋めると、一瞬、画面が暗くなつた。

 暗い画面上は、鏡のように猫姿を映らせた。俯いて貌を猫手で覆つている。

 無理もない。地下一階と地下二階で遭遇したサイバー・プログラマーの銃殺死体が、カプセルの水槽を血滲ませていたからだ。死臭は、サイバー・プログラマー・ルームに充ちみちていた。カプセルの硝子蓋は銃弾によつて散壊し、硝子破片はカプセル内水の透明に紛れこんで煌めいていた。部屋の四面壁に嵌めこまれたLEDディスプレイも、銃撃によつて、画面の破片が散らばつていた。

 薔薇猫は、おびただしい死体と死臭に、脳内感覚を占められて苦しかつた。その諸々のイメージが、粘つこく喉元に黴生えているようで、苦しかつた。

 ここ地下三階の鉄扉先からは、一切、音は聞こえない。

 入力画面上には、『richtig!(独:正解!)』という文字が示されて、徐々に、鉄扉がひらきはじめる。

 薔薇猫は、父親が『殺戮する後姿』をおぞましく予見した。この扉の向こうさき、いまだ銃声は猫耳に届いていないけれど、嵐のまえの静けさ、悲劇の刹那に、軀は慄いていた。

 しかし猫目は、魔的に魅了せられ、ルーム・ドアの間隙をのぞきみた。

 オープン・ドアの警告音は騒々しい。

 最下層のサイバー・プログラマー・ルームは、おおよそ月面基地の転換室とおなじ間取であり、相違点といえば、四面壁には水槽が嵌めこまれておらず、部屋床は碁盤目状のようにサイバー・プログラマー・カプセルが整列せしめられていることだつた。

 白き老体の筋肉は、いまだ微妙なる衰弱を、浮彫られている自らの筋肉に隠していた。月下闇夜の森に、動きまわる栗鼠たちを、狩りとろうとするような残虐な眼光は、炯炯としている。

 拳銃を構えていた白虎と合視した。

 薔薇猫は戦慄した。

 予感は現実と一致することによつて、不測の悲劇以上の残虐が、薔薇猫の瞳に閃光した。葡萄酒のような血液が、白虎の口元を滴りおちているように見えたのは、薔薇猫の幻覚だった。

 白虎は、銃口をとある一体のサイバー・プログラマーから逸らして、かれの涙は頬に一縷を描いた。

「嗚呼!なんと悲しきことかな。もはや私の罪は、月光市民という大きな共同体の光に照らされて、揺るぎなき悪の華として咲いてしまつた。」

「お父様!このような蛮行はもうお止めてくださいませ。お父様の罪が、より重くなつてしまいますわ。」

 ふたたび銃口はサイバー・プログラマーに向けられた。

 サイバー・プログラマーの口腔は、栄養管に接続されて、かれらの肛門は排泄管に接着し、下水道へ流れているようだつた。もはや精気溢れる自立した生命にはみえない。サイバー・プログラマーは、限りなく機械であるような神経細胞に化していた。インターネットの一部品であることを強く認識せしめられた。

 拳銃上部をスライドさせると、『カチャリ』という弾丸の装填音が鳴つた。それは、極寒の糸杉の樹皮がぱらぱらと剥がれ落ちる音に、似ていた。それは、娘の薔薇猫と父親の白虎を、つねに暖かく結びつなげてきた思い出が、『パラパラ』と剥がれてゆく音にも、似ていた。

「お父様は狂つております。栄誉ある、前に座る者(英:president)として、プレジデントとしての職業的自覚を著しく欠いております。」

「ローズよ。わたしとて、このような運命を望んでなどいなかつた。わたしは、おおくの老年者が願うのと同じくして、娘であるそなたの傍で、死んでゆくことを夢見ていた。しかし、われら初代・MSGの大罪が、白日の下に曝されている今、もうわたしの願いは叶わない。」

 悲哀は、海岸へと波寄せる潮力によつて穿たれた洞穴のように、どこまでも冷たく恐ろしかつた。

「われわれは抱えていた大罪を、墓場まで持つてゆくことを約束した。その約束は破られた!破られたのだ!この約束が暴かれることによつて、どれほどの損害が月光市民におよぶのか、想像できるか!?」

 銃身はつよく握られた。緊張が走る。

「ムーン・インターネット・システム、すなわち頭脳としての『サイバー・プログラマー』と、肉体としての『ヒューマノイド』が、機能しなくなる。これはつまり、月光市民の共同体的死を意味している。それだけはなんとしても避けなければならない。われわれは、自らの生命を守るために行動しなければならなくなつた。政治家はだれよりも先駆けて、この問題を解決しなければならなかつた。現行において、グロースシュタットは、サイバー・エクスタシー欠乏の禁断症状により、狂乱の渦中にある。モダン・ビルディングは悉く破壊せしめられ、現在約一万匹の月光市民の死亡が確認されている。全市民の九分の一は、死亡したことになる。大惨事だよ。」

「サイバー・プログラマーを殺すことに、どんな意味があるのですか!?かれらに何の罪もなく、殺されるべきではなかつた。地下一階また地下二階におけるサイバー・プログラマーの殺害者、それはあなたですね?」

 白虎の貌が、引き攣つた。月面防衛財団のトップにかつて君臨していた白虎は、現防衛長官である狛犬に詰問されたことが、腹立たしかつた。

「黒羊の主張も理解できないわけではない。ムーン・インターネットの根本原則、すなわちコミュニケーションの根本原則を、哲学的反省するならば、われわれはつねにコミュニケーション参加者の『自由』と『平等』を第一義的であるとみなさなければならない。ゆえに、地球人との合理的討議が、為されるべきであつた。そういうことだろう。しかし、地球人と合理的に討議したとて、かれらはわれらの科学技術を羨むにちがいない。われわれは地球人の労働力を欲し、そして地球人はわれわれの豊かな生活を欲するだろう。討議するまでもなく、合意点は見通される。すなわち、地球人がヒューマノイド化し、われわれに仕えること。」

「しかし、実際に、たがいに合意点を締結したわけではなかつたのでしょう?初代・MSGは、かれら地球人を強制的に、月内部世界へと連れこんで、ほぼ奴隷として酷使しているにすぎない。ヒューマノイドは、完全なる労働機械でなく、もとは地球人なのでしょ?」

 白虎の軽蔑の目は、金色に輝いていて、狛犬はその冷たさを押しのけて言終えた。

「君たちは政治家でないから理想を語れるのだ。理想を語るという、きわめて主観的快楽を味わおうているにすぎない。きみたちは厳密には、従属者にすぎない。真にわれら月光市民共同体の憂国者は、最悪の事態を避けれる準備をせねばならない。すなわち近隣の惑星のなかにおいて随一の武装である。しかしこう言うたとしても、君たちは私の心を斟酌してくれることなどありはしまい。わたしが如何に苦しんで、この決断をせねばならなかつたのか、感じることなどできますまい。一身に背負つたこの世の苦しみというものは、青臭い踏み潰すべき感情にちがいないが、それでもわたしは断として明言する!わたしのみが『前に座る者』としての職業的苦渋を舐めてきたのだ。いいか!よく聞け!君たちは研究することが一つの任務だろう、一つの義務だろう。しかしそれと同じ正当性で、大統領であるわたしもまた、この星を!この衛星を!この月を!守らねばならない。何者から我々を防衛するのか!それは未確認生命体からである!その危機感を、現前たる生々しい感覚のうちにて、体感するものだけが、この星の防衛手段を思案し現実化できるのだ!ところでそれは誰が可能とするのか?わたしだ!わたし以外いない!」

 いまにも銃撃音が響きわたりそうなほどに、白虎は激昂した。犬肌また猫肌に、粟が立つた。

 言返す『ことば』はなにひとつとして思浮かばず、頭は真白で、ただ血眼の白虎しか直観できなかつた。

「だが、あの莫迦な黒羊が、われわれの計画をすべて台無しにした。われわれの『地球人拉致』という論理的汚点を、ムーン・インターネット上にアップ・ロードした。案の定、サイバー・プログラマーたちは、この事件を不当判断して、すべてのヒューマノイドの支配原理である、サイバー・エクスタシー分配機能を停止。この結果が、グロースシュタットの惨状だ!誰一匹として利益にあずかる者はなく、誰一匹としてこの事態を予測できなかつた。しかし!この惨事を収めなければなるまい。ではどうするのか?ムーン・インターネットの頭脳であるサイバー・プログラマーたちの殺害以外にほかない。行政機構の命令席に坐するサイバー・プログラマーを消去して、この事件が下火に弱まり、沈になつた後、すべての月光市民との討議で、アップ・ロードされた『地球人拉致』の容疑を論駁する。」

 狛犬は銃口を白虎大統領にむけると、同時に、白虎もまた狛犬に銃口をむけた。緊張は、血飛沫の予兆を、結晶化した。

「君が邪魔をするのならば、君さえも殺してしまおう!」

 『カチャン』と撃鉄が鳴りひびいた。

 そう、ただ鳴りひびいただけであつた。

 銃の弾倉は、もうすでに空っぽだつた。

 悲劇の回避を、薔薇猫が認識するまでに数秒たつた。しかし安心しているのも、つかの間に、

「逮捕します!」

 と告げると、狛犬は消音器が装着された小銃を撃つた。薔薇猫の心臓は凍りついた。

 白虎の頭には、一本針のような金属がきらめいた。そのまま、『バタン』と部屋床に倒れふした。

 無血の父親をふしぎにおもい、薔薇猫は目をこらした。近寄り、白虎の顔をみると、やすらかに無表情であった。寝ているようである。

 小さな注射針を、白虎の額から抜いた狛犬は、「麻酔弾だよ」と微笑んで、猫手にのせた。

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