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ムーン・インターネット  作者: ちな ていた
12/15

ムーン・ホスピタルにて

 

 硝子板で六面造られたエレベーターから、絵画的黒煙が、モダン・ビルディングの毀された窓々から、昇つている。

 ストロベリー・ジャムのような粘りつく憤怒は、歩道の敷石に沁みこんでいるようだつた。

 こうして眺望できる経済特区の破壊様相を、硝子板を隔てている為か、巷流行の暴力映画のように透視できる。

 硝子板上に、エレベーターの凸型ボタンは、薄つすら写つている。地下三階から地上二十階の凸型ボタンは、空白で、しかし二十階の凸型ボタンだけが、点灯している。

「こんなことを言うと、猫眉をひそめるかもしれませんが、美しいですね。」

 パラシュートは、着地した砂浜に捨てさつて、このムーン・ホスピタルまで、狂乱のヒューマノイドから守つてくれた狛犬は、喫煙しながら言つた。

 道中にて襲つてきたヒューマノイドの凶器は、狛犬の頬を擦過して、傷口は、すでに一線の血液が凝固していた。

「美しいって、この眺めのこと?」

 ながい睫毛は、コスメティック・ツールを使うまでもなく、『くるくる』と丸まつて愛くるしい。一玉の露が、いまにも滴りおちそうなほどである。

 無邪気にほほえむ狛犬は、子犬のような童心をあらわして頷いた。

 薔薇猫は思返していた。ここに至るまでの道程を。

 …防波堤の階段をのぼりきつた二匹は、グロースシュタットの回型歩道にでた。

 行政的実行体制の頭脳であるサイバー・プログラマーたちの判断のため、一週間ぶりに帰郷したグロースシュタットは、不気味に変わりはなかつた。

 『20:00』というサイバー・スクリプトは、ムーン・クロック・タワーから投映されていた。時刻は、ムーンホスピタルへと急きたてているようだつた。

 中心地に位置するムーン・ホスピタルは、禿鷲の警告どおり、ヒューマノイドたちが暴れているのだろう。

 二匹は、中心地に収斂する大道路に沿つて、目的地へと向かつたのではなかつた。かれらは裏路地、それこそ『ギトギト』の油が、異臭漂わせる中華料理店の裏路地や、二台のクルマが『ギリギリ』行交える住宅路だつたり、衆目からまぬがれた日陰通路を忍びとおつた。

 さすがに中心地となると、西洋風住宅群や、ビルディングの建築陰に潜むことはできず、仕方なしに、大道路に晒されなければならない。

 それは不意だつた。

 イデアライザーのGPS・マップに従つて、先頭引導しているのは狛犬である。

 禁断症状によるヒューマノイドの叫声は、猫耳を、猫背を寒々しく吹雪かせるように、前進することを躊躇わせる。

 かれらの姿は見えず、むしろ、それが恐ろしかつた!

 高層モダン・ビルディングスの間道を、縫うようにして忍びゆくと、狛犬が大道路にひらく街角を窺つた。

 その時!狛犬は、歩道の白塗ガード・レールに背中倒された!

 襲撃者のシルエットは、夜中の帳にまぎれこんで、なお忌々しく曖昧で、薔薇猫は駆けた。

 しかし心配は無用だつた。

 襲撃者が凶器のようなものを片手に、狛犬のシルエットとひとつになつた、が、なぜか襲撃者のほうが、アスファルトにぐつたり倒れた。

 おもむろに立上がつた狛犬の影は、薔薇猫が近づくと、色彩を帯びた。

 炎の赤や、ビルディングの発光塗料が、日本人風ヒューマノイドの顔に、照つていた。

 富士額から描くなめらかな曲線の鼻梁は、自然法則の整然をおもわせるようにシンメトリカルである。顎はシャープで怠惰な脂肪は、肥えていなかつた。

 おびただしい血量が、側溝に流下するさまをみて、腹部を返討ちに刺されたヒューマノイドの美しさを、口惜しくおもつた…

「軍士だからかしら?あなたは、残虐者ね。」

 狛犬は灰色吸殻を、携帯灰皿の容器に捨てしまいこんで、襟元を正した。

 brutal と称されたことに一向にもくれず、二十階凸型ボタンの橙色点灯を凝視している。ただ薔薇猫ほうも返答を期待しておらず、だから気に留めていない。

 透明な開閉扉がひらいた。

 俯瞰で見下ろしたときに、口型に建築されたムーン・ホスピタルは、その吹抜けを流下する滝がある。

 すべての患者を癒してきたであろう水流は、口型に沿つて高低に嵌めこまれたガラス・フェンスター上で、縞々に水模様づけていた。

 院長室はすぐ其処だつた。

 エレベーターから降りて、院長室の扉まで忍びよると、呻きごえが漏れきこえた。

 狛犬が突入すると、白虎大統領はおらず、黒革長椅子に臥している黒羊院長が、貌だけをあらわしていた。

「大丈夫ですか!?」

 と狛犬は顔面蒼白になり、さらに臥していた院長の全身をみたとき、顔血はさらに乾涸びた。

 銃弾は黒羊院長の腹部を貫いているらしく、血流は応接テーブルの下にまで至つている。

「もう命火は吹き消されるだろう。視界が揺らいで、これはもう助からない。」

「大統領はどこへ?」

「地下階に降つた。サイバー・プログラマーたちを説得するためだろう。」

 グロースシュタット全域で狂乱するヒューマノイドには、現在、サイバー・エクスタシーが分配されていない。この場合、快楽の泉に『どっぷり』と浸つていたヒューマノイドたちの体軀は、サイバー・エクスタシー欠乏によつて、極度の緊張状態にある。それもこれも『地球人拉致』という事実にもとづいているならば、ムーン・インターネット・システムはそれだけで非正統体制であり、打破されるべきであると判断された。ゆえにサイバー・エクスタシー機能が停止した。

 説得とは、すなわち黒羊がアップ・ロードした地球人拉致事実を否定論証することだろう。聴きながら狛犬は、そう推察した。

「…こうも醜くなり果てては、神の御目にも卑しいものとして映つているにちがいない。斯くなるうえは、拳銃を貸してくれないだろうか?いずれにしろ事件が収束したとしても、わたしの実刑判決は避けられない。醜く老いさらばえゆくなか、わたしの望むことは、みずからの意志で、絶命すること。罪過を自裁すること。」

 老後の苦渋、それは肉体の不如意、精神性を信じない若輩者の侮蔑、記憶の曖昧がもたらす生活の不便から、賢者としての誇りだけが恃みだつた。

 しかしもう黒羊は生きることに飽きていた。そしてすでに天に身罷つた親近者の死は、自然がみちびく天国階段の奥義だつた。

 十字架墓地にて、ダルメシアン神父が語られた『ことば』をおもいだした。

 「すべては創造主の眼下において為されたこと。すべての痛みは、『全性の唯一』へと還元せしめられる。どうかここに眠る『一なる善』が、やすらかに楽園へ導かれんことを。」

 ダルメシアン神父の瞳は、憐れみ深く、祈る両手の結びは、天高く届きそうなほど誠心にあふれていた。

 黒羊は、夭折した白猫を羨んだ。神様に愛された天才が、その自然の変種であるために、運命の棘に命奪われてしまつたことを!白猫の夭折こそ、天才であることの証印だつた!

 「美しく死にたい」という不可能の望みは、噴水面にきらめく太陽光のように、たえず黒羊の羨望を手放すことはなかつた。

「さあ、拳銃を寄こしてくれ」

 一語一語が、確として感ぜられた。それだけに発話労力が、酸痛の沼へ黒羊を沈めむとする。

 羊鼻からの流血で、その塩味が濃くなる。死神の足音は、近寄りを確信せしめた。

「もしも君が、わが意思を尊ぶならば、どうか腰部着用のガン・サスペンダーから、一丁の拳銃をゆずつてほしい。」

 自殺幇助罪を、恐れているのではなかつた。ただ狛犬には、黒羊の死の動機が、分からなかつた。

 けれども、悲壮感は止血をこころみる羊手に漂い、もう『生の苦痛』から解放されたがつていた。

 狛犬は、拳銃のグリップを、力弱くしなだれる羊手に握らせた。

「ちょっと!何してるのよ!」

 割込んだ薔薇猫は、眉間に皺よせて、憐れみを帯びた狛犬の目をみた。

 沈黙。

「もう許してくれないか?」

 『ぽつり』とつぶやいた背後の黒羊は、拳銃を握りしめていた。断固として『拒絶』を示していた。

「もうこれ以上、わたしは生きる喜びを味わうことはない。君をみていると、本当よく似ているとおもう。君の母に。その声も、知性も。恋心がこんな老年に至つても、いまだ記憶の幻のなか揺れている。苦い恋の味は、奥歯にこびりついている。もはや甘美へと味付けされた思い出。わたしはその思い出を『見ている』。そう『見ている』のだ。決して『見られている』のではなく、わたしは『見ている』にすぎない。君の母親、白猫…わたしは、その学問的想像をふかく理解し、そして語る声をふかく愛した。彼女はつねに話し手であったし、わたしはつねに聴き手であった。そしてわたし自身も、わたしが彼女の最良の理解者であることを、自負してきた。」

 涙は、ほろほろと目尻からこぼれて、語りの末にむかうにつれて、声は悲しみに濁りゆく。

 言葉は虚しく、苦痛は誰一匹にも波打つことなどなかつた。

「かの女を愛していた。憎み殺してしまいたかつた程に。しかし私には体力がなかつたし、殺す勇気もなかつた。ただ凡庸な栄光に照らされた知性しかない。どれほど夢想したとて、朽ちてゆく未来しかないのならば、自らの意思で、この生命を美しく終わらせたい。」

 こうした泣訴を無下にできない。だから狛犬もまた『見る』ことしかできなかつた。

「地下何階に、サイバー・プログラマー・ルームが設けられているのですか?」

 淡々と訊く狛犬は、あきらかに場違いのようであつた。しかしそれが黒羊の心を慰めた。

「地下のすべての階層が、サイバー・プログラマー・ルームだ。暗証番号を伝える。『777・7・7』だ。」

 こくり頷く狛犬の瞳に、たしかに記憶にとどめた強い意志を、黒羊はみとめた。

「了解しました。」

 そう狛犬は告げると、猫手を牽引して、ムーン・ホスピタル最上階の院長室を退いた。

 「離してよ!」「見殺す気!?」などの叫声は、現代建築風の廊下に、硝子の破砕音のように響いている。

 「ちょっと!」という薔薇猫の警告を、一切応ずることなく、エレベーターに乗つた。

 地下一階の凸型ボタンを押すと、点灯した。

「男としての最後の誇りを奪つてはいけない。君の優しさは、『優しさ』ではないよ。」

 そう言うと、エレベーター・ドアは機械的に閉じた。その瞬間、一発の銃声が、二匹の耳をつんざいた。

 昇降機は、まるで何も聞こえなかつたかのように、地下一階へと降りていく。


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