語られることのなかつた月の御伽噺。
薔薇猫はさきほどまで、たしかに遊戯室にいた。
ビリヤード・テーブルや緋色のカーテン、それを淡く照らすガラス・シャンデリア。西洋風遊戯室にみちたポピュラー・ミュージック。半島上にそびえたつ薔薇猫の自宅。その孤島を囲んで波打つ海水の匂い。葡萄酒の酸味。猫足の裏を圧しあげる真紅のピンヒール。
それらすべての感覚は、イデアライザー(英:Idealizer)という極小端子の起動によつて、剥がれおちていつた。
イデアライザーのサイバー・スペース(英:Cyber Space)は、妙にここちよかつた。
昨今の『月内部世界』で、口喧しいニュースのコメンテーターが叫ぶのは、しばしば精神病者が、『ぬいぐるみ』の山々に潜りこんで、心の平常にいたるということだつた。
薔薇猫も、その精神病者と、おなじような快楽のなかにいた。しかし快楽の質が、精神病者のそれとはちがつた。
精神病者は、不安から逃げるようにして、『ぬいぐるみ』の山々へ逃げこむ。しかし薔薇猫は、むしろ不安に斬りこもうとして、シルバー・イヤリングのイデアライザーを起動させる。
この二匹の相違は、『不安』から逃げるのか、あるいは『不安』へ向かうのか、にある。そして、その『不安』の正体とは『死』である。
カウント・ダウン・ナンバー『3』が薔薇猫の視界にあらわれた。からだが浮ついてゆく。
もう幾度となく、サイバー・スペースにマインド・ダイブ(英:mind dive)してきたにもかかわらず、精神が肉体から脱魂するときの浮遊感は、慣れなかつた。
カウント・ダウン・ナンバー『2』とともに、走馬灯の恐怖が蘇つてくる。
『死』。それは、退屈な変わりばえのない日常の背後で、密かに息づいており、しかし雷撃のように閃く。だれもが絶対的一回の生命のなかにいる。死は、命の終わりを告げることば。永遠のことば。死は幻想でしかない。ほんとはだれも、死を分かることはできない。なぜなら死は分かれうるものでなく、死はひとつになることだから。
カウント・ダウン・ナンバー『1』が消失した。
するとサイバー・スペースの遠景の一点から、眩しいひかりが放たれた。
その『ひかり』は次々と形づくられる。
宇宙鯨。高層モダン・ビルディング。街中のヒューマノイド。月面クレーター。銀河の煌めき。『愛している』。機械魚の群れ。薔薇猫の居城。『嘘つき!』。化学実験棟のクリスタル・オブジェ。太陽色の巨大架橋。
またたくまに、無数の『思い出』が、『自我の闇』に消えさつた!
しかし次の瞬間には、薔薇猫はひかりあふれたひとつの空間をみた。それ以後、記憶は通りすぎなかつた。
閑かなる一枚の絵画が、薔薇猫の視界におさめられている。そう思つた。
けれどそれは絵画ではなかった。それは実在であつた。
認識と存在は、薔薇猫がマインド・ダイブしたヒューマノイドの処で、ひとつになつた。『存在の曖昧』は、しだいに濃密になつて、点と点を結びつけた一本線が、『存在の輪郭』を固めた。
薔薇猫はからだをみた。
地球人に似せてつくられたヒューマノイドの肌はやわらかく、血管が肉下で踊つているようだ。
イデアライザーのおかげである。わずか重量10グラム、縦横3ミリの立方型極小電子チップが、イデアライザーそのものである。このイデアライザーが、ヒューマノイドの認識能力へ、アクセスさせた。
あたりを見回した。
予定どおり、テレビジョンの収録現場に転送されたようだつた。それをみとめると、聴衆席にひきずられ、体重を触知した。
薔薇猫とおなじように、たくさんのヒューマノイドが観覧席に坐つていた。
突出型舞台と、円弧型の観覧席が、対となるように設けられている。
意識が明晰になると、背後の壁越しからおそらく劇場の廊下であろう処で、女性の矯声が姦しい。
海老茶色の木製扉から、ニ体のヒューマノイドたちが入場し、かの女たちは劇場の小径で立止つて、
「どう?みて、このひまわりのワンピース!グラフィック・デザイナーに『天空の向日葵』をスケッチしてもらつて、オリジナル・ワンピースを裁縫してもらつたの!いいでしょ!?」
フランス系ヒューマノイドがくるりと回ると、
「ん。なんかバカにみえる。」
とドイツ系ヒューマノイドは小さな棘をさした。
「ちょっと!ひーどーくーなーい!」
フランス系ヒューマノイドが、愛くるしく頰つぺたをふくらませると、薔薇猫はこの談笑を眩しくみた。
『ケラケラ』とふたりは笑いながら、薔薇猫の隣座席に列をなして坐つた。
「今日のゲスト・スピーカー、誰だか分かる?」
びつくりした。友達でもないのに、心の距離をふいにちぢめて来たからである。
すこし躊躇いながらも、
「黒羊院長だとおもいます。あのムーン・ホスピタルの…」
と薔薇猫の答えを聞いたフランス系ヒューマノイドは「ありがと」と、小さな鞄から、ミルク・キャンディーを手わたして、ドイツ系ヒューマノイドとまたおしゃべりしはじめた。
活発な人格が無意識に漂わせる凄みは、疲れるな。なんてことをおもつていると、
「ミュージックは、合図とともにおねがいします。そして入りの曲がながれだしたら、ゴリさん登場してください」
制作指揮者らしい大猿が、LED・パネルで装飾された舞台上から袖幕をのぞきこむ。かれは、もふもふのセーター両袖を、首元でかるく結んでいた。
「了解です」
と紳士的に応答すると、『せかせか』と舞台階段をおりてくる大猿は『ニヤニヤ』しながら、衆目があつまらない影にかくれた。
大猿がカウント・ダウンしはじめて、『0』が劇場空間に知れわたると、宇宙的音楽がながれでた。
華やかな舞台パネルの登場口から、マウンテン・ゴリラの司会者がでてくる。すると、聴衆席にすわつていたヒューマノイドたちの歓声が、けたたましくひびいた。
マウンテン・ゴリラは分厚い掌をみせて、鎮まるようにジェスチャーした。かれの一挙一足のうごきは、寄せてはかえる波のごとく、ヒューマノイドたちの礼賛の声をふるえたたせた。
ひとしきり悦に入りおえたところでマウンテン・ゴリラは、マイクに丸い口をあてる。
「えー、はじまりました。『ムーン・プレゼンテーション(英:Moon Presentation) 』。この番組では、さまざまな『月内部世界』にかんするトピックについて、出演者のみなさんにプレゼンテーションしてもらいます。さて、この放送も11回目にさしかかりまして、11回目だけに『良い回』になるといいですね。」
『どうぁっ』と会場は笑いで轟いたが、薔薇猫は無表情にみつめつづけていた。
「今回、出演してくださる方は、こちらです。どうぞー!」
トランペットの音色は誇りたかく、大太鼓の打は、闘いの情炎をかきたてた。
英雄の帰還のごとき凱旋曲であらわれたのは、白衣をまとつた一匹の『羊』であつた。その『羊』の顎に、白髭が生え、背中は疲弊で曲がつていたため、英雄的雰囲気からは程遠かつた。
薔薇猫は、入場曲で虚飾されたその『羊』を哀れんだ。
マイクをもつマウンテン・ゴリラは紹介する。
「えー、もちろんみなさん存じているとおもいます。ムーン・インターネットを開発した『白猫』の右腕、『黒羊』さんです。病死した白猫のビッグ・プロジェクトをひきついで、実現した天才であります。」
栄えある拍手の波は、黒羊におしよせて、けれども彼はぴくりとも喜びに微笑むことなく、劇場のとある一点を凝視しているだけだつた。
「さて、現在。黒羊はふたつの職務につとめております。ひとつは月内部世界で、ただひとつの病院、ムーン・ホスピタルの経営。もうひとつは、病院内にてサイバー・プログラマーの生活管理することであります。そんな偉大なる『黒羊』さんのプレゼンテーション・テーマは、地球人との共生、です。」
舞台上で、マウンテン・ゴリラがマイクをとおさず、黒羊に耳打ちする。すると『黒羊』が舞台最前にたち、司会者は舞台袖へと消えさつた。
劇場の騒めきが、沈黙の沖へとひきかえすまで、黒羊は待つた。
五秒ほどの限りない無音がながれた後に、かれは口開いた。
「まずは、これをみてもらいましょう。」
黒羊は、左手首に巻きつけていた『ムーン・ウォッチ』に触れた。
劇場が薄暗くなつた。
黒羊がたつ舞台背面に、プロジェクター・ライトのプレイ・ボタンがあらわれると、同時に、聴衆席に坐るすべてのヒューマノイドの網膜にも、それはあらわれた。
薔薇猫はプレイ・ボタンをクリックすると、『月内部世界の地上映像』が、視界に映つた。
上空1,000メートルを飛んでいるプテラノドンの機械双眼から撮影されている映像だろう。
眺めみえるのは、円い人工島の『グロースシュタット』(独: Großstadt)であり、そこは太陽色の『ムーン・ブリッジ』(英: Moon Bridge)を架橋として、『幻想大陸』とつながつていた。
画面右端には、『777年 4月1日 17:00』、と表示されていた。つまり、リアル・タイムのグロースシュタット街映像ということである。
夕焼の空が、サイエンス・シティであるグロースシュタットを、蜜柑色に染めてゆく。
時間を象徴するムーン・クロック・タワー(英:Moon Clock Tower)は、街中心地に、もつとも高くそびえており、中心地からはなれて人工島の周辺地域にゆけばゆくほど、『衣・食・住』をみたす月光市民の生活空間がひろがつていた。
生存欲求をみたす商品はすべて、『幻想大陸』の多様な工場から、2tトラックでグロースシュタットへ運びこまれている。
三角サンドウィッチ、海苔おにぎり、御茶のペットボトルなどが、ブルー・ケースに内包されて、コンビニエンス・ストア店員に手わたされていた。
公共施設や西洋風住居群は、ヒューマノイドによつて、建てたり、直されたりしている。
夕がたの今、作業終えたようである。ヒューマノイド専用回収バスが、停留所のアンブレラ・シェルター下で、くつろぐヒューマノイドたちをひろいあげているようだ。
『周辺地域』に対して『中心地域』は、政治的また経済的活動のために都市開発されていた。だから『司法機構』『行政機構』『立法機構』はそこに集中している。
グロースシュタットのみならず『月内部世界』そして『月面』をふくめた『月光市民の全活動領域』をあますところなくムーン・インターネットがはり巡つている。
舞台天井のサスペンション・ライトが灯ると、黒羊の貌が、最後部座席にすわる薔薇猫からでも、はつきりとみえた。
「次にこちらのプログラム・テキストをごらんいただきたい」
というと、聴衆席のヒューマノイドの網膜『映像』が、網膜『画像』にきりかわる。
// Wenn sie die Ankünde entdecken, sollen sie in kybernetische Internet eintreten
// und sollen sie eine gänzliche Welt ausmachen.
<"Text"="Mondsprach">
<"Kopf">
definieren. ( “0” == "unbegrenzte Argumentierende" )
// das ist der ernste Nummer
definieren.( “7770401” == "Jahre,Mond,Tags" )
// dieser Nummer bezeichnet besondere Zeit
definieren. ( “100000000" = "Bewusstseins von Humanoid" )
// in Innerem Mond sind 100 Miliyade
definieren. ( "86400" )
// diese gesammelte Sekunde ist Summe der Sekunde von einer Tag
regieren. ( “0-7770401-100000000-86400” )
どこか見憶えのあるプログラム・テキストだつた。そしてそれは薔薇猫を、記憶の海に映えるひとつの煌めきへ導いた。
…半島の岸壁をうちつける波飛沫、岩礁の夜光貝、薔薇猫自宅の書庫。
かの女はひらめいた。
湧きあがつてくる淡い想い出は、邸宅の書棚におさめられている、『ムーン・インターネットとコミュニケーション根本原則』という背表紙の論文につながつた。
巷ではその当時、薔薇猫は、白猫の娘であるから天才的工学者になるだろう、と期待を抱かれていた。しかし、まだ子猫の頃で、『数学』という抽象的学問に魅せられていなかつた。むしろ真逆の『神話』に心惹かれていた。
教育初等科に進学しても未だに、『七夕神話』を愛読する薔薇猫をみるにつけて、学習部屋の扉からのぞいていた白虎は、妻である白猫に、
「あれでいいのか?あのままでは、君の才能をゆずりうけたのに、花開かないかもしれないぞ。」
ともちかけると、
「ローズちゃんの好きなことを、好きなように学べばいいとおもうの。」
と柳風のようにこたえていた。
おさない薔薇猫は、父親から秘かなるトゲを刺されて、この屈辱の心もちを、椅子の鋭利な角に、力強く太腿を圧しつける痛みによつて、やわらげた。
白猫が過労による神経衰弱で亡くなつてしまうと、薔薇猫は遺品を片づけるために、母の書斎に猫足を入れた。
神話の登場人物である乙姫、かの女の涙であふれ溜まつたとされる『涙の湖』は、天空の月外殻に、一面鏡のように嵌めこまれている。そこから漉された太陽の残光が、青白いひかりを初夜のグロースシュタットへ、入射していた。
まだ母の死は、薔薇猫の情緒をなんら刺すこともなく、ただ無の空白が、薔薇猫のこころを占めているだけだつた。
研究者にしては、こぢんまりとした書斎から、金箔で刺繍された一冊がめだつていた。
『ムーン・インターネットとコミュニケーション根本原則』。
厳しい背表紙の論文をとりだして、ぱらりとページをめくりひらくと、プログラム・テキストが記述されていた。
難解という呪詛にも似た印象は、理解の凝視をつづけでもふり祓われることはなく、この抽象的プログラム・テキストが、月光市民の生活空間にあますところなく適用されていることを知ると、薔薇猫は哀しくなつた。
就寝のさいに語りきかせてくれる母の声や、やさしい愛撫の温かさとか、そういつた生活のなかにいる母親しか知らなかつたから。
母が、命を賭けてつくりあげたプログラム・テキスト。その母の生命の意義を、なにひとつとして分かることのできない、無知な自分が情けなかつた。
その論文は、燦然たる母の存在そのものであることを、その時はじめて、薔薇猫は体感した。
からだから溢れにあふれる尊敬と自己劣等は、ふくざつに入りまじつた妙な喜びで色めいていた。
「すなわち、ムーン・インターネットのベーシック・プログラムは…」という黒羊の強調の声が、苦しくも曳きづられる記憶に想いひたつている薔薇猫を、劇場までひきあげた。
網膜上の画面がさらに変わる。
( “0-7770401-100000000-86400” )
黒羊はおおきな溜息を吐いた。
「この数列は、特定の時点における、ムーン・インターネットのすべての情報を示している。まず『86400』という数字は、一日を秒数におきかえたときの総和数である。『0』秒からカウント・ダウンがはじまり、『86400』秒まで絶えまなく数えられてゆき、『86400』秒にたどりつくと、ふたたび『0』秒にもどるシステムになつている。」
となりに坐していたフランス系ヒューマノイドは、ぷるぷるのくちびるをかるく噛んで、眉をしかめていた。
宮殿寝台の天蓋から垂れおちる薄紗のような金髪から、ひょっこりと飛びでている耳は、一言も聴落とさないとする意志をかがやかせていた。
「つぎに『100000000』という数字は、『月面』『月内部世界』双方、つまり衛星としての『月の世界』すべてにおいて、従つているヒューマノイドを示している。つまりヒューマノイドの総数である。」
ドイツ系ヒューマノイドの掛けている黒ぶち眼鏡が、ぱたりとずれた。
「『7770401』という数字は、日付を示している。この場合、777年の4月1日ということだ。」
いままででいちばん重い溜息を、黒羊は吐きだした。
「さて、さいごに、一番左端の『0』という数字。この数字は『間主観性 ( 独:Intersubjektivität )』を示している。聞きなれない概念かもしれない。くわしく説明してゆこう。まずはこちらをみてくれ。」
Jeder rational diskutiert ist, der ist immer schon in Doppelstruktur der Kommunikation involviert. Das ist Doppelstruktur der Rede. Ich beanspruche dir, dass P (Präposition). Wenn Diskutierenden Doppelstruktur der Kommunikation zweifelt und falsifiziert, treten sie in Selbstwiderspruch ein.
「これはかの有名な『ムーン・インターネットとコミュニケーション根本原則』という論文の一部抜粋である。いまだ未読者がいるかもしれない。ここで述べられていることはこうだ。」
黒羊の溜息に牽きずられるようにして、惰性はフランス系ヒューマノイドの口から零れでた。
「合理的に討議するものは全員、いつでもすでに『コミュニケーションの二重構造』に巻きこまれている。『コミュニケーションの二重構造』とすなわち次のことである。」
わたしはあなたに発話する、 「~」 。
実践的側面 理論的側面
「もしも討議者が『コミュニケーションの二重構造』を疑い、それが偽であると論ずるのならば、たちまちそのような討議者は遂行的矛盾におちいる。それはつまりどういうことか?合理的討議者AとBがいると仮定しよう。AがBにたいして「発話する私は存在しない」と発話した場合、あるいはAがBに「私は発話していない」と発話した場合、いずれにおいてもAは、遂行的矛盾を犯していることになる。『コミュニケーションの二重構造』のうちにおいてかんがえてみよう。
わたし(A)はあなた(B)に発話する、「発話するわたしはいない」。
実践的側面 理論的側面
わたし(A)はあなた(B)に発話する、「わたしは発話していない」。
実践的側面 理論的側面
「コミュニケーションの実践的側面と理論的側面の二重構造において、このいずれの事例でも、Aは遂行的矛盾をおかしているのである。つまり実践的側面と理論的側面が矛盾しているのである。しかし、白猫の言うところによれば、この『遂行的矛盾性』が重要なポイントだという。これらふたつの事例のような遂行的矛盾性をかかえる命題は、コミュニケーション的行為の前提である、ということであるらしい。つまり理論的側面は実践的側面に依存しているわけであるから、理論的側面と実践的側面が矛盾したとき、主張された理論は捨てさらなければならない。したがつて「発話するわたしは存在する」や「わたしは発話している」といつた命題は、コミュニケーションの究極的原則として、われわれのうちに通用していなければならない。白猫の天才的論証はさらにここから展開されてゆく。究極的原則である「発話する私」から「間主観性」の概念をみちびく。つまり「発話」そのものは『個人行為』でなく『絶対的他者がいつでもすでに前提されていなければならない発話者と理解者の共同行為』であるとし、さらに「発話」そのものが可能となるためには、したがつて『限界なきコミュニケーション共同体』としての『理想的コミュニケーション共同体』が前提されていなければならない。『理想的コミュニケーション共同体』すなわち『間主観性』こそ、あらゆるコミュニケーションを可能にする前提条件として、白猫はコミュニケーション根本原則をみいだした。」
( “0-7770401-100000000-86400” )
「そして、この『ムーン・インターネット』における一番左端の『0』こそ、いままで述べてきた『間主観性』という原則の内実なのである。」
あれほど憎んでいた『数字』に対する、かつての劣等感と崇敬、その感情の混濁を、もう薔薇猫のこころに結晶させなかつた。
霊妙なる理解の光が、言語的認識的領域を照らして、空高く眺望するように爽やかだつた。
「さて、わたしはここで述べておきたい。ムーン・インターネットが『間主観性』というコミュニケーション根本原則にもとづいているのならば、われわれ月光市民はこの理念に忠実にならざるをえない。であるにもかかわらず、現在の月光政治は、自国の利益ばかりにとらわれていて、地球人とのコミュニケーションをとることなく、宇宙的資源を独占しようとしている。はたしてこのような政治的行為は、『間主観性』という原則にもとづいたムーン・インターネットと適合するものだろうか?いや、そうではない。『間主観性』とはすなわち『限界なきコミュニケーション共同体』という内実である。ゆえに、コミュニケーションにおいては同じ権利、同じ責任をになうコミュニケーション参加者は、つねに宇宙的利益を、ひらたく正当に分配しなければならない。とするなら、現行の政治的行為に正当性を見出すことができるのだろうか?このような主張で、わたしのプレゼンテーションは締めくくりたい。」
そう言終えると、数秒の沈黙ののちにスタンディング・オベーションの嵐が、劇場に吹荒れた。
今日はじめて、黒羊が満面に笑つた。
七百七十七年の四月一日。重要な科学会見をまじかとした此の日に、いまは亡き母の思想にふれたくて、この場に来たことは幸いだつた。心底、薔薇猫は幸せだつた。
マインド・ダイブの終了時刻『0』が、意識の輪郭を霞ませた。