2秘書になりませんか?
「お茶でも飲みますか?私で良ければ話を聞きますよ」
は?しばし茫然とする咲希に漆原の口元が上がる。おおよそ自分から女を誘うタイプには見えなかったので驚いた。咲希の考えなどお見通しのようで
「基本方針として私は教え子は誘いません。研究室でも二人きりにならないようにしていますし、相手にも回りにも誤解されるような状況態度はとらないように気を付けていますから。これは例外中の例外です。それに、とりあえずここは学内ではない」
そう言われて後を振り返る。確かにたった今門を通り過ぎたところだが、門の前後で変わるものですか?
「私も一応教員なのでね。どうしますか?何かうまくいってないのでしょう?私で良ければ助言のひとつくらい出来るかもしれない。もっとも、何の役にも立たない可能性もありますが………」
「いつになく雄弁ですね」
「その気になった時は。どうしますか?」
この時、何故か迷わなかった。考えもしなかった。気付いたら頷いていた。とっても珍しいことに。
促されるままついて行けば兄の事務所のあるマンションだ。
「私の事務所兼仕事部屋兼住居もここなんです。とりあえず六階なのでエレベーターに乗りますよ。良いですか?」
この男、いちいち咲希の意思確認をする。言質をとっているのか?でも逆に聞いてくれる分だけ安心感はあった。まるっきり信頼しているわけではない。多少の警戒心はあるのだから。
着いた場所は六階のエレベーターを降りてすぐ真正面の部屋だった。
玄関入ってすぐ見えたドアは六個。トイレ洗面所リビングとすれば、3LDKってとこかな。
若いのになかなか良い稼ぎだわ。大学の講師ってそんなに給料良かったっけ……などと失礼なことを考えてたら
「あ、ここがトイレで、こっちが洗面所です。手を洗いますか?」
と言われて素直に頷く。ここまでは以外と綺麗にしている。手を洗ってリビングに入ってみれば……広いリビングにやたら大きな木製ダイニングテーブル。その上には本、資料、書類、訳のわからない紙類が山のように積み上げられている。
その重さに耐えられるようにと、こんな分厚い天板テーブルにしているのだろうか。なかなか丈夫そう…嫌、頑丈そうなテーブルだわ。
すぐ隣にはコピー機まであり、各種サイズのコピー用紙が大量に積み上げられていた。
感心しながら眺めていたら、反対側のソファへと勧められたので素直に座る。
すかさずお菓子を箱ごと色々持ってきてくれたので物色しているうちにコーヒーを入れたマグカップも置かれた。結構手際良い。
心を落ち着けるためにも一口飲む。うん、おいしい。
「質問があれば先にどうぞ」
そうは言われても咄嗟に何を質問して良いやら困った。馬鹿正直に人のプライバシーに関することに踏み込んで良いものか。上目遣いに漆原を見れば斜め向かいに座り腕を組みにやりと笑う。それで決心がついた。失礼でも何でもいいや。
「まず、この部屋の説明をしてください」
「そうですね。さっきも言いましたが、ここは私の事務所兼仕事部屋兼住居です。私は講師だけしているわけではありません。他に自分の研究や執筆もしていて、移動時間節約のため職場に近いここに住んでいます」
「大学の研究室は使わないんですか?」
「もちろん使いますよ。でも、大学には関係ない研究や執筆や雑事もありますし、その関係の出入りもあります。それを大学でやっていれば目立つ可能性があります。私は目立ちたくないし、公私の区別はしっかり線を引いて分けておきたいんです」
目立ちたくない……その一言は腑に落ちた。うん、そうだ。この人は目立ちたくなかったんだと。
「私の秘書になりませんか?」
その言葉は突然降ってきた。
は?何言ってるの?この人…………
固まった。今度は本当に固まった。