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85.apple

 カーチェスは静まり返った台所でひとり、小さく吐息をつくと、すぐに掃除道具を探し始める。


 地下へと赴けば、姫が使い込んでいるのであろう箒や雑巾は、すぐに見つかった。それからバケツ、ブラシなども見繕い、それらを両手に台所へと戻る。


 悲惨な装いとなった台所を見回すと、カーチェスは微苦笑を零した。


 水浸しになった床は、一人で元通りにするのはいささか骨が折れそうである。


「……あの子は、すごいなあ」


 ぽつんと、そんなことを呟く。


 彼女が来てから幾日たったのか、数えてもいなかったが、あの少女が来てからこの家は随分と綺麗になった。


 この台所だけではない。リビングも、地下の風呂も本棚も全ての掃除を、ほぼ彼女一人で行っていたはずだ。今のこの労働よりよほど骨の折れることを、彼女一人でしていたのだから、まったく、本当にたくましい少女だと思う。


 カーチェスは、腰まである白い髪を、ハーフアップにしていたリボンをほどいて、高く結い上げ、団子にした――といっても、彼の場合は髪が長すぎて非常に中途半端なものとなっていたが――。床に髪をつけないようにするためだ。雑巾を括りつけた木の棒で水を外へと押し出し、次いで床に膝をついて、ブラシで床を磨き出す。


 この服は、掃除を終えたら洗濯決定だ。無論、あの少女が寝込んでいるのだから、洗濯も自分の手で行う必要がある。


「……いとしごよ、ねむれよや……」


 カーチェスは、床を磨きながら、なじみ深い子守唄を口ずさむ。


 もう随分と長い間、口ずさむこともなかった歌だが、子守唄と言ったらすぐにこれが思いつくくらいには、懐かしく思い出深い歌だ。


 リリツァスが子守唄と言った時も、真っ先にこの歌が思い浮かんだ。


 けれど、すぐにはそれを言い出すことができなかった。


 何故なら、この歌は。


「……情けない、な」


 セピア色の記憶は、鈍い痛みを伴って胸を支配しかけた。それを頭を振って振り払い、カーチェスは深く息を吐き出す。


「こんな歌ひとつ、歌うことすら怖いなんて、どうかしてる……」


 止まっていた手を再び動かし、過去を思い出すのをやめようとする。


 考えたところで仕方ない。仕方ない。仕方ない……


 歌を歌おうが歌わなかろうが、過去は変わらないわけで、後悔とて無くなりはしない。あの日の惨めな気持ちはきっとこれからもずっと引きずっていくわけで、自分という存在が大事な者たちに迷惑をかけたことも永劫変わらない事実だ。


 だから、考えない方がいい。


 考えれば考えるほど、死にたくなるから。


 そこまで考えたところで、結局は考えてしまっていることに気づき、カーチェスはブラシから手を放した。


 五人の妖精に言った言葉は、自分に向けて言った言葉でもあったのだろう。頭を冷やせと、そう一番言われるべきは自分だ。歌ひとつで過去を思い出して怯えているようでは、あまりに情けない。


 早くあの子に元気になってほしいなあ、と思う。


 彼女が元気だと、皆が元気になるから。


 皆があの子の周りに集まって、賑やかで、独りにならなくて済んで、そうすれば鈍い痛みも死にたい気持ちも少しは薄らいで忘れていられるから。


 大きくため息をつき、カーチェスはもう一度ブラシを手に取った。












「頭を冷やせ……頭を冷やせ……うーん……へちっ」


 カーチェスに言われたように、頭を冷やそうと外に出てみたものの、リリツァスは特に何をするでもなく川辺をうろついていた。


 頭を冷やすべきなのはわかっていたし、そもそも姫の体調不良に気が動転してシルヴィスやユンファスを責め立ててしまったのは最低だと思う。


 きっと姫が体調を崩したのは、男ばかりの上に妖精ばかりの、慣れない場所に来ていた疲れが、今になって彼女を襲ったからだ。


 疲労は自分たちにもある感覚だから、それはわかる。少し前の疲労が、緊張が解けてから出てくるというのは覚えのある感覚だ。そして、そうなっている時、きっと体は弱っているのだろう。人間なら、そう言った場合に病になる、というのは容易に想像できた。


 風邪そのものはよくわからないし、今まで読んできた小説では、貧乏な家に生まれた子供は決まって風邪や流行病で死んでいるのが普通だった。そのせいもあって、病に罹ればその種類にかかわらず死ぬものだと思っていたのだ。だから、ルーヴァスがその心配はないと言っていたのを聞いてもなお、今も姫が死んでしまうのではないかと恐ろしくなる。


 自分が死ぬというのなら大して怖いとも感じないのに、近しい者が死ぬと考えただけで恐ろしくなるのはなぜだろうか。


 静かに川辺に座り込んで、ぼんやりと川を眺める。澄んだ水の中で、魚が泳いでいるのが良く見えた。


「……早く姫が良くなって、みんな仲良くなる方法……方法……へちゅっ! えっと、まず俺がちゃんとみんなに謝って……うーん……」


 それから、どうしよう。


 どうすれば、いいのだろう。


 薬の作り方はノアフェスの言う通りでいいのかもしれない。でも確かに、カーチェスの言うように、皆が喧嘩して作った薬など、果たして体にいいものだろうか。


 視界の端で、ちらちらと魚が泳ぐのが見える。


「……あ」


 リリツァスは一つ、方法を思いついた。


 これなら。


「よし、」


 そう声をあげると、彼は全く迷わずに水の中へ足を突っ込んだ。そして膝下くらいまである水を気にもせず、平然と川の中へ進んでいき、


「えいっ」










 何をするでもなく川辺に座り込み、ノアフェスはその水面を眺めていた。


 カーチェスが怒鳴った理由に関して、もちろんわからないわけではないが――


「……俺は、とばっちりじゃないか……?」


 思い返せばシルヴィスの言動をほんのちょびっと注意しただけのような気がするのだが、怒鳴られるほどではない気もする。


「いやしかし、ここでそのあたりに反論すると恐らくカーチェスの火に油を注ぐだけのような気が、……?」


 ノアフェスはそこで、川上の方から妙なモノが流れてきているのを見て顔をしかめた。逆光で良く見えないが、影を見るに、明らかに魚とかそんな大きさではない。


「……桃か?」


 完全に頭の中身が桃太郎の物語で染め上げられたノアフェスは、「どんぶらこーどんぶらこー」とぼそぼそ呟きながらその正体不明のものに近づいていき、


「……。これは……桃じゃ、ないな」


 何かしらの衣服のようなそれを見て、ノアフェスはがっかりする。しかしすぐに、


「……ん? 髪?」


 浅紫の、何故か見覚えのある髪がその衣服と一緒に水面を漂っているのに気づき――


「……。もしや」


 ノアフェスは、そのままソレを力任せに引き上げた。


「ぶぁっは!」


 途端、ソレが思い切り水を吐き出し、その水はものの見事にノアフェスの顔に直撃する。


「……」

「あぁああ助かった! 誰かわからないけどありがとう! へくちっ、……って、あれ? ノアフェス?」

「……」


 ノアフェスはびしょ濡れのまましばらく沈黙していたが、つまみ上げたソレ――リリツァスの顔を数秒、じっと見つめた後に。


「えっ」


 そのまま、手を離した。


 必然的に、ばしゃん!という騒々しい音とともに、支えを失ったリリツァスは川に叩き込まれる。


「ぼぼっ、ぶっ、ぷは! な、何するの!? へほっ、ごほっ、なんで助けてくれた次の瞬間に川に叩き落すの!? へちっ」

「……ひとの顔に遠慮なく水を吹っ掛けるからだ」

「ご、ごめんって、ちょっと前が見えてなくて、げほっ、……へくしゅっ!」


 くしゃみやら咳き込むやらで忙しいリリツァスに、ノアフェスはため息をつくと、いつも身に着けている襟巻を外して、その浅紫の頭に乗っけてやる。


「あ、ありがとう! 濡れちゃうけど、いいの? へちっ」

「お前が水を吹っ掛けたせいで既に濡れてる」

「ご、ごめん……」


 謝りながら、リリツァスは顔や髪を拭いて、粗方の水分をとる。無論、その程度でびしょ濡れのこの状態が一気に改善されたわけではないが。


「……で?」


 ノアフェスは首を傾げる。


 それは、勿論、何故川から流れてきたのか、という極めて自然な疑問を載せた仕草だった。


「あ、えっとね……姫さ、苦い薬飲まないと、だめでしょ」


 ノアフェスが頷く。


「何か、可哀想だなって思ったけど、それが薬なら、仕方ないのも、事実だし」


 全くもって薬にはならないのだが、それがわかる妖精は今、ここにはいない。そのため「必然的に苦いものが薬」という意味不明の論理は、当然の前提条件として話が進んでいく。


「だから、せめて薬を飲んだ後に口直しができるものがあったほうがいいと思って。へちっ」

「口直し」

「うん! だから新鮮な魚を獲って焼こうかなって思ったんだ! ほら見て、さっき一匹だけ捕まえてね……」


 と自慢げに語り始めたところで、リリツァスは自身が持っているはずの魚を持っていないことに気づく。


「……あれ?」

「……溺れている間に手放したな」

「え!」


 ようやく獲れた一匹だったのに!とリリツァスが青ざめる。


「……要は。魚を獲ろうとして溺れたのか、お前」

「……。うん」


 大漁で帰るはずが、ようやく捕まえた一匹も逃がしたことにショックを隠せないリリツァスは、どんよりと落ち込んだ様子で辛うじて首肯してみせる。


「……俺、カーチェスに何て言おう……どうしよう……」

「カーチェス?」

「ほ……ほら。カーチェスがさ、怒ってたでしょ……? 頭を冷やせって……」

「うむ」

「あ、頭は、冷やせたと、思う。へちっ。でも、お、怒ってるカーチェスって、ほら、あの、あ、あれじゃん?」

「……。うむ」

「それで、その、姫にあげる分以外の魚を持って行こうと思って……、そしたらその、少しは……」

「……」

「…………」


 そこで、二人とも完全に沈黙する。


 いや、勿論。


 別に、カーチェスが怖いわけでは、ない。当然ない。


 最年長とは言え、凄まじく年が離れているわけではないし、しかもあの容貌だし、怖くなどない。


 ただ、一応。


 一応……、手土産くらい持って行った方が、良いだろうと、思われるだけだ。


 それだけだ。


 全然怖くはない。


「……魚は、俺が獲る」

「え、いいの?」

「代わりにお前が、その魚を持ってカーチェスに謝って来い。俺の分も」

「い、嫌だよ!?」

「魚は獲る」

「だ、だから嫌だって! だってカーチェスだよ!? へちっ」

「いや、お前ならなんとかなる」

「ならないよ!? ひくちっ」

「何とかするんだ」

「無茶言わないでよ!?」

「頑張れ」

「やだって!!」

「応援はする」

「無理だってば!!」


 押し問答をする二人は、気づいていなかった。


 背後から誰かが近づいてきたことに。


「……いっしょに、いって」


 ぎゅうっ、と凄まじい力で衣服を握られ、ようやく二人は背後に誰かがいたことに気づく。


 そして、非常に顔色の悪いエルシャスを認めた。


「え、エルシャス?」

「……何だ」


 二人が問うも、エルシャスは同じ言葉を言うだけ。


「いっしょに、いって」


 彼の視線は、家の方を向いている。


 これはつまり。


「え、待って……待って、俺まだ何も用意してない」

「俺もだ。魚を獲っていないし、第一今あいつと顔を合わせるのだけは御免だ。殺される」

「いって」


 嫌がる二人だが、ここで力量差を考えて頂きたい。


 ノアフェスもリリツァスも、大きな武器は使わない。


 対して、エルシャスはあの家随一の力の持ち主であり――


「い、い、嫌だぁああああああああああああああああああ」


 酷い悲鳴と共に、手ぶらの三人は――しかも何故か約二名はずぶ濡れである――家へ向かっていった。










『……』


 見慣れた部屋をぐるりと見まわしてから、鏡の中でため息をつく。


 少女は、熱に浮かされてはいるが、一応眠れているようだった。


『……お嬢様……』


 妖精には、風邪の知識がない。それは、よく知っていた。


 たとえ“彼”が風邪について知っていたとしても、他六人は全く知らない。


 それだというのに、こんな状態の彼女を任せてしまうのは、不安以外の何物でもなかった。


 ……自分が、妖精だったらよかったのに。


 あるいは、人間でもいいから、彼女の傍にいられたなら良かった。そうしたら、いくらでも看病でも何でもして差し上げられたのに。


 鏡越し、熱で赤くなった彼女の頬を、痛ましい気持ちで見つめる。


『きっと酷く疲れておいでだったでしょうに、気付けなかったなんて、わたしは本当に駄目ですね……』


 悔しかった。


 悲しかった。


 こうまで無力な自分が、何もできない自分が、虚しくてやるせなかった。


『……どうか、今はほんの気休めでも――』


 リオリムは記憶の彼方から、小さく小さく、その“言葉”を呟いた。


『――――ida』


 それは、鏡越しだが、ほんの少しだけ、彼女に届いた。


 彼女の呼吸が、少しだけ穏やかになる。


 だがわかっている。これはただの気休めでしかない。


『……風邪の知識があるというのなら、何よりも早くお嬢様を助けてあげてください――』


 苛立ちを込め、彼はそんなことをひとりごちた。

はい、おひさしぶりでございます皆さま、天音です。

更新はいかほどぶりでしょうかね。

見たら負けな気がするので、前回の更新日時はあえて見ないで、進めていこうと思います。


いやー、ここのところ死ぬほど落ち込みが半端なかったのですが、少しずつ回復してきたので、更新に踏み切りました。

今回は少しだけ、カーチェスとリオリムの心理描写というか過去というか、そんなものが垣間見えたでしょうか。いえ、リオリムはまだ難しいですね……


なんにしても、久々に更新出来て天音はそれだけで満足しております。はい。あは。


……あ、辛辣な眼差しを感じる。


さてさて、それはそれとして、かなり遅れた報告になるのですが、一応こちらで報告しておこうと思いまして。

実は、以前言っていたままてんのヘッダーですが、ご希望の声が多かったので、一般配布に踏み切っております。お声がけくださった皆様、ありがとうございました。


ちなみにヘッダーは、以下のURLよりダウンロードできます。


https://zeroproject.booth.pm/


そういえばなんだかんだ言って、ここのところ、ZEROprojectの方でもいくらか動きがあって、少々忙しかったですね……

全然関係ないのですが、ここ最近TRPG(テーブルロールプレイングゲームの略称)なるものの沼に突き落とされたせいで、シナリオを鋭意制作中なのですが、さすがに僕というかなんというか、道化師が出てきます。いつでもどこでも、あなたの悪役、道化師。大変都合がよろしい。


さて、そんな与太話はさておきまして、今日はハロウィンでしたね。

全くもって何も用意していなかったので、主人公がトリックオアトリートを決死の覚悟で言って回った結果の戦利品を、ご紹介しておきましょう。


誰から贈られたものか、御想像ください。

後日、回答編を載せるかもしれません。




パンプキンパイ一切れ

お化けの仮装用シーツ

「その夜、あなたは安らかに眠れるか」 ※本です

何かよくわからない絵

魔女の帽子

青い薔薇

羊羹


黒い鳥の羽



以上、八点です。


……おや、妖精の数より多いですね……?



……ではでは、本日はこのあたりで。



以上、口の中がはじけた天音でした。



…………ぱちぱちキャンディっていうんですかね。あれ、結構痛いんですね。

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