84.apple
「……。何をしているのだ?」
ルーヴァスが地下から一階へと上がってくると、台所の方がやけに騒がしい。怪訝に思って台所へ向かおうとしたその瞬間、
「あ、ああーああーあーあーこ、ここは通っちゃダメだから! へちっ」
とリリツァスが台所から飛び出してきて、全力で通行の邪魔をし始める。
「……それは構わないが、何をしているのだ? あまり騒がしくすると姫が起きてしまうから、ほどほどにしておいて欲しいのだが」
「まぁその辺りは大丈夫ですよ。こちらにはカーチェスがいるわけですし」
加勢するようにシルヴィスが台所から出てきてそう言うと、彼の後ろから「あ、あんまり期待はしないで欲しいな……」と、やや弱気な声。カーチェス本人の声だろう。
「……。とりあえず、何をしているのか聞いてもいいだろうか?」
ルーヴァスはやや顔をしかめながらそう訊ねたが、無理もない。辺りには鼻が曲がりそうなほど酷い悪臭が立ち込めているのである。木が燃えたとか、料理が焦げたとか、およそそんな生易しいものではない。何をどうしたらこんな臭いが台所から漂うものかと真剣に悩むくらいの臭いだし、いやむしろ考える余裕もなくなりそうなくらい酷い悪臭である。
「えーっと、これは、その、あれだよ。ひちっ。あの、栄養満点の、そのぉ……」
「体にいいものです」
「……。この匂いでか?」
「良薬口に苦しだ。まずければまずいほど、苦ければ苦いほど、身体にはいい」
「……」
厨房の奥から聞こえたのはノアフェスの声。
……言っていることが明らかにおかしい上に怪しいこと極まりない。
「すまないが、そういう基準で栄養は、」
「ルーヴァス、心配しなくても大丈夫! 俺たちだって、やるときはやるよ!」
「いや、その」
「問題ありません。どうぞ、貴方は紅茶でも。わたくしたちだけでも、何とかできますし」
そうシルヴィスが涼しげな顔で告げた矢先、
「うわぁあああ燃えたぁああああ水! ちょっとノアフェス違うそれ油!」
「む、まずっ」
「早くして! エルシャス、水汲んで水!」
「みず……あ、」
「何でそこで転ぶかなぁああああああ」
「はい、水!」
「助かったカーチェス! ノアフェスも早く油置いて水かけるか何とかして!! 火事になっちゃうって!」
「あれだ、聖術で水を出せばいい、いくぞ。笛の音に笑う常世の蝶よ、灯火に踊れ!」
「え、待っ」
突如、凄まじい轟音が厨房から響く。
「……うっわ、水浸しなんだけど! 最悪! 調節してよ!」
「調節ができていたら始めからこんなことにはなってない」
「だったらとっさの判断でいきなり聖術使わないでくれる!? 天井まで水浸しだしっていうか床に池ができてるんだけど! カーチェス、拭く物お願い! エルシャスも!」
「薬は無事なの?」
「水浸しに決まってるじゃん! 作り直しかなぁ、これ……」
ルーヴァスが呆然とそのやりとりを聞く姿を、シルヴィスとリリツァスは張り付いた笑顔で見ていた。
「……その」
ルーヴァスが何か言いかけた瞬間、シルヴィスが思いきりそれを遮る。
「大丈夫ですよルーヴァス。ええ何ともありません、大丈夫ですから」
「そうそう、大丈夫大丈夫! 大丈夫なんだよ! ひちっ」
「……まだ何も言っていないが」
「わたくしたちだけで薬も作れますし、わたくしたちだけで栄養のある料理も作れますとも」
「そうだよそうだよ! 俺たちも色々頑張ってるし!」
ルーヴァスは暫くそれにどう返したものか悩んでいた。
しかしやがてため息をつくと、困ったように微笑み、
「……そういうことなら。あなた方の協力には期待していよう」
「……! うん、うん! 目一杯期待してて!」
ルーヴァスの返答に、リリツァスははしゃいだ様子で頷く。
「絶対、姫が元気になるものを作ってみせるからさ! へち! 期待しててね!」
「ああ。姫のために、皆で頑張ってくれ」
「まぁ、この程度、我々にかかればすぐですから。どうぞご心配なく」
不安しかないルーヴァスではあったが、いざとなれば少女の口に入る前に、モノを確かめればいいだけだと考え直す。
ルーヴァスは激励の言葉をかけ、それから思い出したように、
「薬や栄養のことならリッシャが詳しい。聞いてみるのもいいのではないか」
と残して去っていった。
「……リッシャって……貴方そんなものを学ばせていたのですか」
「え、俺は言ったことないけどなあ。へちっ。でもリッシャ、勉強熱心だからやってたのかも」
「殊勝な心がけで。わたくしの方も見習ってほしいものです」
「キリティア、良い子じゃん! へくちゅっ! 明るいし元気だし!」
「……あれが「良い子」というのなら、ユンファス以外全世界の生き物全て「良い子」ですよ」
シルヴィスはそういいながら、厨房の様子を覗く。そしてすかさず顔をしかめた。
「ちょっと……厨房は水遊びする場所じゃありませんけど」
といいたくなるものも無理はない。厨房はそこかしこに水が飛び散って悲惨な有り様になっていた。
「うるさいなぁ、水遊びしてる訳ないじゃん。これが遊んでいるように見えるわけ?」
「他はともかく貴方はそうですね」
「姫をあんなにまで追い詰めたシルヴィスに言われたくないんだけど~?」
「はぁ? ですから、わたくしのせいではないでしょう!?」
「この期に及んでまだそんなこと言えるわけ? どう考えてもシルヴィスがあの子をいじめたからでしょ」
「でもシルヴィスの言葉で、ひちっ、姫が傷ついたのは本当だと思うよ!」
「そうだな。あいつも困っていた。あれは良くないな。うむ」
「親しき仲にも礼儀あり!! シルヴィスにはそれがわかってないんでしょ!?」
「みんな落ち着いて」
「貴方とて彼女をからかったりしていたでしょうが!」
「からかってるだけで酷いことは言ってないし!!」
「でもひめ……こまってたよ」
「だけど僕はシルヴィスみたいに酷い言葉を、」
「落ち着いて!!」
鋭く低い声がユンファスの反駁を遮り、皆を黙らせた。
カーチェスが、一喝したのである。
「……喧嘩するなら。もう、料理作るのは、やめにしよう。こんなことじゃあの子を起こしてしまうだけだし、薬も料理もまともにできるはずないよ。喧嘩して作ったものを口にして、姫が良くなるって本当に思うの?」
カーチェスが全員を見渡しながらそういうと、皆がばつの悪い顔で黙りこむ。ノアフェスが一人だけぼそっと、「一番怒らせてはならん奴を怒らせた」と呟いていたが、反応する妖精はいない。
「俺たちが今するべきなのは、喧嘩することじゃないよね。みんなで協力することだよ。わかるよね? それなのにどうして喧嘩するの。喧嘩してよくなることがある? 姫が元気になる? こんな時なんだからもう少し考えて」
言葉こそ穏やかなものの、彼の視線は鋭い。細められた紅い眼は、明らかに怒気を孕んでいる。
「……一旦みんな頭を冷やそう。この状態じゃなにもできないから。冷静になれたと思ったら戻っておいで。それまで一回料理は中止。いいね」
カーチェスは有無を言わせなかった。そして全員を厨房から出させる。
「……カーチェスはどうするの?」
リリツァスがそう訊ねると、カーチェスは吐息を落とした。
「……俺はここに残るよ。片付けでもして、俺も少し頭を冷やそうと思うから」
そう返すと、カーチェスは静かに厨房の扉を閉じた。
「……ヘルシャー」
自室で何か調合をしているらしいルーヴァスの元へ、白く大きな鳥が戻ってくる。
「ラクエス。大変なことを頼んですまなかった。どうだったか聞かせてもらえるか」
「それは構わんが、その瓶はなんだ」
「これか? これは薬のようなものだ」
「薬……? どこか悪くしたのか?」
「いや、わたしではない。姫の方だ」
それを聞いたラクエスは半眼になり、
「……またあの娘か」
「あなたは姫が嫌いなようだな」
ルーヴァスは苦笑して、「それで、あっただろうか」と訊ねた。
「この程度だが、探せばまだあるやもしれん。何せ城だからな。隠し所はいくらでもある」
鳥は人の姿になると、数冊の本をルーヴァスに手渡す。
「よくこれだけ見つけてきたものだ」
「恐らくまだあるだろう。それで、その禁書だが、全てあまり読まれた形跡はない。ただ、この本だけ少し様子が違う」
ラクエスはそう言い、一冊の本を開いてパラパラとめくる。やがて、あるページでその手が止まった。
「ここの数ページだけ破かれている。ここの数ページのみ、しかもこの一項目に絞って破かれている。悪戯ではないだろう」
ルーヴァスはその破れた跡の残るページを指でなぞる。そして、目次まで遡った。
「その項目の表題は……」
ラクエスが淡々と、感情もなく告げる。
「呪われた林檎の作り方、だな」
ルーヴァスはそれに、静かに眼を細めた。
おひさしぶりです天音です。皆さまいかがお過ごしでしょうか。
今年の夏は暑いですね。暑いですね! ひっどいですね!
クーラーなしなんて無理な夏です。はい。
さて、今回普通に6人が喧嘩しましたが、どうなることやら。
カーチェスは怒らせてはいけません。彼、一応年長者ですから。
怒るときは怒ります。気を付けましょう。
さて、みなさまにお知らせです。
現在ツイッターの方でツイッターのヘッダー画像を配布する企画をしておりまして。
もし欲しいという希望が多ければ一般配布するつもりではいるのですが、そうでない場合は個人的に渡そうかなと考えております。画像サンプルは天音のツイッターのヘッダーにてご確認ください。
FAYが短時間で仕上げた影絵なので雑なこと極まりないのですが、もらってやんよというかたは天音のツイッターにご連絡くださればと思います。
さてさて、では今回はこれにて。
以上、そろそろ修羅場の予感の天音でした~。




