80.apple
「……雨」
それからしばらくした頃のこと。
朝起きて1階へ上がると、しとしとと雨の降っている音が聞こえて窓へと歩み寄った。すると、外は少しだけ薄暗く、雨に木々が打たれているのが見えた。
「……梅雨入り、って奴かなぁ」
季節の感覚がよくわからないので何とも言えないが、ここのところ雨が降っていることが多い。梅雨に入ったのかもしれなかった。
「……季節が進んで……また秋が近くなった、ってことかぁ……」
しかしあれだ。多分このゲームが日本で作られたせいだとは思うが、春だの秋だの、きちんと四季があるのは面白い。このゲームは多分 、大して考えないで作られたのだろうなぁ、と笑ってしまう。
四季があるのは嬉しいが、キャラクターの衣装なども統一性がないし、本当にろくろく考え込まれていないのだろう。
「……って、考え込まれてない世界に突っ込まれた側は、ふざけんなって感じだけどね……」
私はそのまま台所に向かった。
台所にあらかじめ置いてあるレシピ本――エルシャスのためという名目で私がここに鎮座させた――を引っ張り出し朝食を作り始める。とりあえずはそこまで難しくなさそうなスープを作ることにした。
「あーこの葉っぱ……何これなんて名前? えーと」
あちこちから材料を引っ張り出してあーでもないこーでもないとやっていると、一瞬ぐらりと視界が揺れた。
「……おっと、」
足元がふらつき、慌てて台所中央のテーブルに手をついてバランスをとる。
「まだ眠気が取れてないのかなー」
顔でも洗ってくるか、と私が台所を出ると、カーチェスと鉢合わせた。
「あれ、姫? おはよう。今日の料理当番は俺なんだけど……」
「おはようございます。知ってはいたんですけど、皆さんお疲れかと思って出しゃばりました。迷惑だったらすみません」
「迷惑なんてことはないよ。むしろお礼を言いたいくらいだから。でも、君だって大変でしょう」
「いいんです、このくらい、全然。それに料理の勉強と思えば、苦にもなりませんし」
「そう ……、ん?」
カーチェスは「ごめんね」と一言いうと、突然私に顔を近づけてきた。
「!? な、なんですか!?」
「あ、ご、ごめんね。……何か姫、顔、赤くない?」
「それはカーチェスですよね!?」
「ち、ちが、そういう意味じゃなくて」
「じー」
カーチェスと私が騒いでいると、階段の方から妙な声が聞こえた。そちらに目をやると、黒ずくめの人物……つまるところノアフェスがこちらをじっと見つめている。
「な、何見てるんですかノアフェス。おはようございます」
「おはよう。……何してるのかな?」
「おはよう……いや違う。ここには誰もいない。存分に、好き勝手やっていいぞ」
このひとは何をトチ狂った発言をしているのか。
「何か勘違いされてるみたいですけど、私は別にカーチェスと妙なことをしていたわけでは」
「隠さなくていい隠さなくていい。俺は空気だ。ひとが誰もいないうちに楽しめ」
思い切りあなたがいるじゃないか。
「ほんとあなた、ここに来たころと全然違いますね?」
「そうか? なんでもいいが楽しむなら他に誰もいないうちに」
「そこの眼帯。金髪のように頭へ銃口を叩き込まれたくないのなら、さっさとそこをどくか降りるかなさい。邪魔以外の何物でもありません」
冷ややかな声が聞こえたかと思うと、シルヴィスが二階から姿を現す。それを認めたノアフェスは片手を上げて、
「ふむ。おはよう」
「……おはようございます」
全然和やかな雰囲気じゃないのに挨拶する二人がちぐはぐすぎて妙な気分だ。
「挨拶はよしとして、今はお楽しみの最中だぞ。空気を読め」
「ちょっとノアフェス! おかしなことを吹聴しないで!」
耳まで真っ赤になったカーチェスがノアフェスを叱る。
「俺はただ、その、姫の顔が赤いなと思って……」
「赤い? それは貴方のことではないのですか」
シルヴィスがノアフェスの頭に銃口を突きつけて階段を降りさせる。怖いです怖い。そして銃口を突き付けられてもなおマイペースに降りるノアフェスの神経は、一体どうなっているのか。
「いや、俺のことは別にいいんだけどその、ええとね……」
カーチェスが困ったように視線をさまよわせる。すると
「おはよー、なーにやってんの?」
「おはよう! へちっ」
と、ユンファスとリリツァスが姿を現した。奇しくもシルヴィスたちが階段を降りた直後である。あと数秒遅ければ階段に団子状態で、シルヴィスがぶちキレてユンファス辺りが笑ってリリツァスが泣き出すという地獄絵図が完成したことだろう。
「おはようございます、ユンファス、リリツァス。とりあえずカーチェスから顔が赤いと言われて」
「赤い~?」
皆が口々に言う挨拶に適当に返しながら、ユンファスがわたしの元まで歩み寄ってくる。
「ん~。まぁ、確かに赤い……? 大方カーチェスがタラシ発言をして照れてるんじゃないの~?」
「なっ」
「あぁ、そう言えば貴方、無自覚タラシでしたね。忘れておりました。興味がなくて」
「ちょっと!」
謂れのない罪にカーチェスが憤慨するものの、当の二人はどこ吹く風だ。……この二人、仲悪いわりに似ているな。煽り体質が。
「別に何てことはないです。朝食は今作っているところですから、もうちょっと待っていてもらってもいいですか」
「はーい」
「……今日の料理は、カーチェスの担当ではありませんでしたか?」
「そうですけど、私が勝手にでしゃばりました」
「姫の言い方が凄い。わざわざ早起きしてまで偉いねぇ」
「料理勉強の一環です。……私ちょっと顔洗ってきます」
「え、何で? へちっ」
「眠気覚ましです」
そう言うと、私は洗面所へ向かった。冷水で顔を洗うと、眠気が冷めた気がした。……一応起きた直後にも洗ったのだけれど、これで完全に眠気が冷めただろう。
「あ、お帰り姫」
「はぁ。というか今日はみなさん朝早いんですね」
「わたくしはノアフェスの寝相の悪さに叩き起こされただけです」
「む?」
「えっと……お二人、部屋は別々ですよね? ……も、もしかして二人で寝ているとかそういう」
「ありえません。私の部屋の隣がノアフェスなんですよ。貴女はここに来た初日に泊まったでしょう」
そういえばそうだった。
……良かった、妙な疑惑が浮上しなくて。
私がおかしなところで胸をなでおろしていると、シルヴィスが噛みつかんばかりの勢いでノアフェスを睨んだ。
「貴方、寝ながら壁叩くの本当にやめて頂けませんか。迷惑極まりありません」
「自覚がないものはやめようがない」
「寝台を部屋の中央に持って行くとかどうとかしてくださいよ」
「それはダメだ。俺は部屋の隅が好きなんだ」
「その妙な趣味で人の安眠を妨害するなど万死に値しますね」
イライラとシルヴィスがノアフェスを詰る。
しかし起きてきたのはノアフェスの方が先じゃなかっただろうか。
「シルヴィスは起きてから何していたんですか」
「夢見が悪かったので、夢の内容を書き起こしていました」
「夢見? シルヴィス夢日記付けてるんですか」
「何か文句でも?」
「その、何でも喧嘩売っていくスタイルどうにかした方がいいと思いますよ私は」
心の底からそう言うと、シルヴィスは気に入らなそうに、ふんと鼻を鳴らした。
するとユンファスが口を開く。
「僕は元々朝起きるのは早いほうなんだよねぇ。部屋から出るのがいつも遅いだけで」
「そうなんですか?」
「うんまぁ。部屋から出てもひとをからかう他にすることないし」
「はた迷惑な趣味ですね、それ」
「あはは。結構楽しいよー? 姫もやってみたら案外ストレス発散になるかもしれないよ」
「いや、袋叩きにされて川に放り投げられたら困るので遠慮しておきます。……リリツァスも早かったですね」
「うん、目が覚めちゃった。何か、いきなり目が冴えることってない? へくしゅっ」
「あー、時たまありますね」
私はそう言いながらエプロンを結い直す。そして台所に行き、改めて料理を始めた。
「んー、これで……目分量、と」
私がスープを味見していると、リビングの方で「おはよ、エルシャスー」という声が聞こえた。ついで、それに呼応する挨拶の声。エルシャスも起きてきたのか。今日は早起きの日か何かですかね。
「ひめ……おはよ」
「おはようございます」
台所に入ってきたエルシャスに挨拶を返して笑顔を見せると、彼もほんのりと笑顔を見せた。可愛い。
「エルシャスも早かったですね」
それらしく仕上がってきたらしいスープの中に具材を投入しながら私がそう言うと、エルシャスは頷いた。
「……なんか……目がさめた」
「リリツァスと同じ感じですかね。何にせよ、早起きは健康の秘訣ですから、いいことですね」
エルシャスは鍋の中身を覗きこんで首を傾げる。
「……スープ?」
「一応。味見してみます?」
「ん」
小皿にスープを入れてエルシャスに手渡し、味見を頼む。エルシャスは受け取ると、スープをぺろりと舐めた。
「どうですか?」
「……おいしい」
「良かった~」
私はそのまま、トーストを焼き始める。
「さてと、あとは煮込みと焼き上がりを待つだけかな。エルシャス、リビングに行きましょう」
「うん」
リビングを出ると、ルーヴァス以外の全員がそろっている。……早起きの面子にルーヴァスが入っていないのは微妙に違和感があるが、とりあえず朝食が出来上がった時にほとんどのひとが出来たてを食べられそうなのは嬉しいことだ。
「こうなったらルーヴァスも叩き起こすか?」
ノアフェスがおもむろにそんなことを言い出した。
「貴方ルーヴァスにまで迷惑をかける気ですか。仮にもここの家主ですよ」
「あいつなら許してくれると信じている」
「ひとの良心につけこんで迷惑をまき散らすなど、屑の所業です」
シルヴィスがそう言うと、ノアフェスは「だがどうせなら賑やかな方がいい」と真顔で言ってのける。そういう話じゃなくてですね。
「でも、確かに。ルーヴァスがいないのに他の六人が揃っているのは何だか意外ですね」
私の台詞に、リリツァスが頷く。
「エルシャスも起きてるのにねぇ」
「ここで一番違和感があるのはエルシャスでしょ」
「……目、さめた」
「俺もそうだったよ! へちっ」
「私は料理するつもりだったので、この時間に起きようと思ってましたけど……」
と、言いかけたところで。
「姫!?」
ぐら、と視界が揺れて私はその場に倒れ込んだ。固い床に叩き付けられる、と思ったが。
「……痛く……ない……?」
いつの間にか誰かに抱き留められていて。
上を見上げると、見慣れた銀色の髪と、紫紺の双眸。
「ルーヴァス、いつの間に」
私がそう訊ねると、
「先ほど降りてきたところだ」
「全然気づかなかった……」
「……。わたしのことは良い。それよりも姫」
ルーヴァスはそっと私の額に手を伸ばす。ひんやりとした大きな掌が、額に触れた。
「……風邪だ」
「風邪……?」
私が目を瞬かせると、他の妖精も首を傾げる。
「風邪……って、なに?」
最初にそう言ったのはユンファスで、ついでリリツァスが手を打つ。
「あ、あれだよね! 人間がたまになる、怖いやつ! へちっ」
「あぁ……もしや、治し方がわからないという、あの病ですか」
「カゼ……姫は、治るの……?」
それぞれが風邪をよくわかっていないことはわかった。……妖精はこんなところでもハイスペックなのか。うらやましい。
そんなことをつらつらと考えていると、ルーヴァスが私を抱き上げた。
「風邪は重い病ではない。……栄養のあるものを口にして、きちんと休養をとれば、数日で治る」
「で、でも俺、本で風邪にかかって死んじゃった子供の話を読んだことあるよ……? はくしゅっ」
リリツァスのその言葉に。
「……え……」
全員が、戦慄したのを、なんとなく感じた。
いや、風邪はそこまでやばいものじゃないです、と言おうとしたのだけれども、突然頭が痛くなって、私は小さく呻く。
「ひ……」
エルシャスが、恐る恐る、と言った体で口を開いた。
「ひめが、しんじゃう……?」
その場の空気が、いきなり、凍った。
はい、おひさしぶりでございます天音です。
アンケートも終了し、アンケート特典も配布し終え……一段落つきました。
今回のお話は妖精の、人間への知識不足がよくわかる話になったかと……
次回は、主人公を看病するために奔走する妖精たちが見られるんじゃないかと。
どうぞゆるゆるとお楽しみに。
加えて次回は、アンケートの結果発表となるかと思います。
今までと少し結果が違うので、どうぞ楽しみにしていただければ!
アンケートに参加したのにアンケート特典がまだ届いていないという方は、作者の活動報告のコメント、もしくは作者宛てのメッセージに「アンケート最後で記入した名前を記載」してアンケート参加の報告をされているかを確認して、ご連絡を頂ければと思います。
ちなみに、アンケート特典配布の期限はございませんが、アンケートの時期からかなり離れるようであれば「「第○弾」のアンケートに参加した「アンケート最後で記入した名前」です。」と、連絡を頂ければ。
はてさて、では今回はこのくらいで。
以上、骨董市が死ぬほど楽しかった天音でした!
散財がひどい。




