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72.apple

 カーチェスとノアフェスの悲鳴を聞き付けた私は、何もかもを放り出すようにして台所を飛び出した。そして玄関で倒れ込んでいるひとを認めて、眼を見開いた。


 それは、カーチェスとノアフェスに囲まれたまま意識を失っている血塗れのルーヴァスだった。

 ……いや、血塗れ、というだけでは少々説明が足りないだろう。彼の身体にはあちこちに、打撲の痕だろう、痛々しい鬱血痕があった。白磁の如く白いその肌に、深い赤紫色の鬱血痕は嫌というほど映えた。

 いつも綺麗に結い上げられていた銀の髪は酷く乱れ、血と泥に汚れていて、その姿はあまりに傷ましかった。


「ルーヴァス!!」


 私が駆け寄ると、ルーヴァスはうっすらと目を開いた。紫紺の双眸が私をゆるりと捕える。そして緩慢に一つ瞬きをして、


「……ひめ、か」

「何で、こんな。狩りですか? 狩りで、こんな酷い目に」


 みんなは傷一つ負っていないようだったのに。


 私が焦って震えた声で訊ねると、彼は首を振った。


「いや……違、う。気に、しないでくれ」

「ルーヴァス……だから、泉には行かない方がいいって、あれだけ」

「……泉……?」


 私がカーチェスの言葉を拾うと、カーチェスは口を閉じ、ノアフェスもそれに答えようとはしなかった。ややあってから、ルーヴァスはカーチェスの肩をつかみ、その身を何とか起こす。カーチェスがそれを支えると、ルーヴァスは荒い息をこぼして自分の胸元をぎゅっと握った。


「……すまないが、わたしは、少し、休むことにする」

「そのままじゃダメです、冷やさないと」


 私がそう言うと、カーチェスも頷く。


「そうだよ、そのままはダメだ。ごめんね姫、水で濡らした布か何かを持ってきてもらえるかな」

「わかりました!」


 私はカーチェスの指示を受けて台所へと急いで戻った。そして布を数枚見繕って、それを冷水で濡らして絞る。それを抱えてルーヴァスのところまで走って戻ると、彼のもっとも鬱血痕が激しい場所に布を当てた。血を拭うと、さらに鬱血痕が酷い状態であるのが露わになる。


「こんな、酷い……どうして……」

「……いや、今回は、まだ、ましな方だ。問題ない」


 ルーヴァスは淡々とそう言ったが、カーチェスは首を振る。


「だめだよ。一度きちんと消毒をしないと。……シルヴィスに頼もう」

「やめてくれ」


 カーチェスの提案を、ルーヴァスが存外に強い声で制止した。そして、


「これは、わたしの事情だ。わたしの事情に、彼の力を、使わせないでくれ」

「でもルーヴァス、酷い状態だよ」

「慣れている」

「だからって!」


 カーチェスがいきり立って怒鳴る。


「君は君だけの身体じゃない、わかるでしょう! 頼むから自分を大事にして!」

「……」


 ……いつも穏やかで照れくさそうに笑う彼が、こんなに怒鳴るなんて思ってもみなかった。しかしルーヴァスはカーチェスが怒鳴るのを静かに見ていて、それからそっと微笑む。


「……ありがとう」


 ルーヴァスの、肯定でも否定でもない曖昧な感謝の言葉に、カーチェスはくしゃりと顔をゆがめた。そして、「……君は、ばかだ」と俯いて呟く。やるせなさそうに唇を噛む彼は、ルーヴァスのこの行動に慣れているのかもしれない。


「……一度こいつを風呂場に運んで傷口を洗うぞ」


 ノアフェスはおもむろにそういうと、ルーヴァスの左腕をつかんで自分の首に回した。


「……すまない」


 ルーヴァスの謝罪に、しかしノアフェスは答えなかった。彼を引き上げると、ゆっくり地下にある風呂場へと向かう。


「カーチェス、ルーヴァスの部屋から着替えを」

「わかった」

「姫、俺の部屋から革袋を出して、氷を詰めて持ってきてくれないか」

「わかりました!」


 私はノアフェスの言葉を受けて、彼の部屋まで走った。













「……寝たな」


 ルーヴァスの部屋にルーヴァスを運び終え、彼をベッドに寝かせると、ルーヴァスはすぐに眠りに落ちた。よほど疲れていたのかもしれない。

 ……考えてみれば当たり前だ。みんな夜通し、狩りで動いていたのだから。疲れていないわけがない。


 と、そこで。私は一つ、奇妙なことに気づいた。


「……あれ?」


 ルーヴァスの頬。


 痛々しい鬱血痕がある、そこを見て。


「……薄れてる」


 一番最初に見た時より、明らかに鬱血痕が薄れていた。


 見間違いではないと思う。かなり酷かったはずだし、範囲もそれなりに広かったはずだ。けれど今は鬱血痕はあるものの、そこまで大きくはない。……自然治癒した、ということだろうか。……こんな短時間で?


 私の疑問を感じ取ったのか、ノアフェスが何かを諦めたように目を閉じた。そして寝たままのルーヴァスに「怒るなよ」と一言告げると、彼は私に指を突き出してきた。


「え」

「見てみろ」


 言われるままにその指を見てみると、その指は傷一つなくいつも通り綺麗なままだった。


 そう。さきほどあれだけ出血したはずなのに、だ。


「何で……」

「……人間が俺たちを狙う理由だよ」


 カーチェスがぼそりと呟いた。


「私たちが、あなた達を狙う理由?」

「君は俺たちを狙っていないだろうけど。……俺たちは人間より自然治癒力が強いんだ。少しの傷ならその場で塞がる」

「……そんな力が、あるんですか」


 そう問いながら、あの時を思い出した。


――あぁ、()()()()()()()だって? ほんと、人間は浅ましいね


 血塗れで帰ってきた、ユンファスの言葉。返り血と自分の血で全身赤黒く染めた彼は、しかし次のあの雨の朝、かすり傷一つない姿で私の前に現れた。

 雨が降る森の中、二人で雨宿りをしていた時に、彼に唇がつくのではないかというほど近づかれた時もそう。彼は自分の唇をかみ切って血を流したはずなのに、思い返せばその後、やはり傷はなかった。


「本当にお前は知らないんだな」


 ノアフェスは襟巻を正すと、吐息を吐き出した。


「だが人間は思い違いもしている。この力は傷そのものをすべて治癒するわけじゃない。はた目からすれば治癒したように見えるだろうが」

「どういうことでしょう?」

「……俺たちは神によって創られた。この話はリリツァスから聞いているな」

「はい、以前に」

「神は汚いものを好まなかった」


 神は気まぐれに土から人間を作った。

 人間は神の暇つぶしにはちょうど良い玩具になった。美しい人間も、醜い人間も、その愚かな思考回路も、神にとってはそれなりに面白かった。

 だが、如何せん人間は弱かった。自分で自分を守る力を、最初は何一つとして持たずに生まれた。

 それを補うために生まれたのが、妖精であるという。


 妖精は人間より神に近い存在であり、神の指示を受けて人間に知恵を授けるものである。よって、その姿が醜ければ、直接神が醜いものを目にすることになる。

 醜いものは人間だけで充分。故に、妖精は美しいものを元にしてつくられ、その生から死まで、すべてが美しくなければならないとされている。


「血は汚い。いつまでも傷から血を流しているのを神は良しとしなかった。だから傷は塞がり、血は止まる。しかし、その傷を負った部分は治癒したのでなく、塞がっただけ。何らかの拍子にまた傷が開くこともある。……人間は俺たちを傷がすぐに消える生き物だと認識しているようだが、それは違う。正しくは塞がっているだけ。」

「……じゃあこのルーヴァスの傷も……」

「激しい動きをすれば容易く開く。しばらくは大人しく養生していなければならんだろうな。……もっとも、ルーヴァスがそれを認めるかどうかはわからんが」

「……何が何でも、養生してもらうよ。このままでは本当に死んでしまう……」

「えーっと、ちょっと待ってもらってもいいですか」


 私が手を挙げると、二人はこちらを振り返る。


「なぁに?」

「さっきの話ですが。その話だけで、人間が妖精を狙う理由にはならないなと思って」

「え」

「だってそうじゃないですか。人間より長生きな生き物って少ないけどいないことはないですよね。亀とか。でも亀が長生きだからって人間には全然関係ないですし、関係あるにしても亀は長生きだから亀の形の何かを長寿のお守りにするくらいじゃないですか。あとおめでたいことがあったら鶴とか亀とかいうだけで特に狙う理由なくないですか?」

「……」

「……」


 私の話に、二人が固まった。


 それから、カーチェスが頭を掻いて、


「……えーっと、とりあえずおめでたい時に鶴と亀……っていうのは、何の話?」

「え、そういう文化ないですか」

「おめでたい時は、豚じゃない……? 鶴は死を運ぶ鳥といわれるし……」


 豚!?

 この国の文化が全然わからない。


 まぁでも、鶴と亀は日本か……イメージ的に中性っぽいここで、鶴と亀のお祝いグッズを出されたら確かに違和感しかないけれども。


「……鶴と亀……めでたい動物としての覚えが確かにあるが」


 ノアフェスが考え込む。うん、あなたが出てくるとややこしくなるからそこは置いておいてほしいです。


「えっと、これは言ってもいいのかな……」


 カーチェスが困ったように眉尻を下げる。しかしノアフェスは平然と、


「血」


 と零した。


「え」

「妖精の血を、人間が求めるからだ。妖精の血を飲めば、妖精の力が手に入るからと」


 妖精の力が、手に入る?


「いや、ノアフェス、それ言っていいの」

「もうここまで来たら同じじゃないのか」

「いやまぁ、それはそうかもしれないけど」

「黙っているのも気分が悪い」


 つまり、こういうことか。


 妖精の持つその驚異的な治癒能力を欲するあまり、昔は崇めていた妖精を、今は薬になる道具としてしか見ていない。

 そのために、妖精が人間に狙われていると。


 確かにそれなら合点がいく。

 人間がわざわざ妖精を狙うのも、筋が通る。瞬時に傷が塞がる力があれば、少なくとも出血多量で死ぬような可能性は大幅に落ちるということだ――……妖精からすれば迷惑以外の何物でもないだろうが。


「……酷いですね……」

「そうだな。だが、まぁ」


 ノアフェスはいつも通り、無表情なまま呟いた。


「人間の気持ちもわからんでもない」

「ノアフェス」


 カーチェスがほんの少し、驚いたようにその名を呼ぶ。しかしノアフェスは気にせず続けた。


「傷ついた時、その傷が塞がればその人間は苦痛を味わわずに済むだろう。戦で怪我を負っても、妖精の血さえあれば容易く生き延びられる――それが、俺たちの理と合わなかっただけだ」

「ことわり?」

「俺たち妖精は、この血を人間に与えてはいけないと、神によって定められているんだよ」


 なるほど。


 妖精は人間に血を与えられないし、人間はその血が欲しい。

 だから諍いになった。


 ……妖精にとっては理不尽としか言いようがない話だ。


「……あの」

「ん?」


 私が口を開くと、二人はともに赤い瞳をこちらに向けてくる。


「私、女王じゃないですか」

「それがどうした」

「女王なら、国に号令とかかけて、もう妖精を狩らないようにって、そういうことは、できないですか」


 私の提案にカーチェスは目を見開き、しかし困ったように笑う。対してノアフェスは無表情のまま首を振った。


「お前の立場では無理だ」

「貧乏だからですか?」

「……。貧乏か否かは置いておくにしても、お前の立場はそう強いものじゃない」

「君は他国から来たお姫さまだから。……今の女王の立場も、かなり微妙なものだと思うよ。だってこの国の王家の血筋が一切入っていないから。君の命を狙っているお姫様の方が、実質上の女王に近い立場だと思うな」


 私はうつむいた。やはり何もできないのか。


 ……こんなにも世話になっているのに、女王の立場を使って負担を軽くすることすら私には出来ないのか。


「……ごめんなさい」

「君が謝ることじゃないよ」


 ありがとね、とカーチェスは少し屈んで私の頭を撫でた。


「……さ、ルーヴァスを起こしたくないし、俺たちは食事に戻ろう」


 カーチェスの言葉に、私とノアフェスは頷き、その場を後にした。











「……」


 長い睫毛がそっと動き、その下から紫紺の双眸が緩やかに現れる。緩慢な瞬きを繰り返し、彼――ルーヴァスは片手をついて身を起こす。


 ルーヴァスは自らの手を静かに見遣った。包帯は巻かれているものの、恐らくほぼ傷はもう塞がっているだろう。あと塞がっていないのは、比較的深かった腹の傷くらいのはずだ。


 その時、コツン、とルーヴァスの部屋の窓が叩かれた。そちらに視線を向けると、白い大ぶりな鳥が一羽、くちばしでガラスを叩いている。


「あぁ、すまない」


 ぱちん、とルーヴァスが指を鳴らすと、窓がひとりでに開く。白い鳥はその窓から入ってくると、ルーヴァスの元へと舞い降りて、そのまま人の形になった。白髪に水色の双眸を持ったその男は、手に持っている丸められた紙をルーヴァスに差し出して、


「ヘルシャー。一応、この国の王立図書館は調べ上げたつもりだ」

「早いな」


 ルーヴァスが肩をすくめると、男はため息をつく。この程度のことは男にとって造作もないことだった。しかしそれは置いておくにしても、今回のルーヴァスの要望はあまり気が乗らない依頼だったと言える。


「……お前は肩入れしすぎだ」

「……そうかもしれないな」


 ルーヴァスが苦笑すると、男は呆れたような顔になって窓を閉めに行く。ルーヴァスは丸まった紙をそっと開いた。


「……。元の形はよくわからないが……、概ねの流れは合っている……ということだろうか」

「色々と人物が飛んだ行動をしている気もするが?」

「……それについては私の非だな。だが、これでいい」


 ルーヴァスは微笑み、紙を男に返す。男は気の進まない顔でそれを受け取ると、紙面をそっと撫でる。すると紙面に書かれていたはずの文字は、次の瞬間にはすべて消えていた。


「資料については」

「王立図書館のめぼしいものはすべて破棄したはずだ。あとは、……城にある可能性を考えて、禁書の類か。加えて、研究所の資料だが……研究所にあの頭の悪そうな姫君が出入りしている様子はないな」

「……まぁ、そうだろうな」


 ルーヴァスは少し思案の様子を見せた後、


「城に潜入をしてくれ」

「……気が進まん」

「申し訳ない。だが協力してもらいたい」

「……。母親が泣くぞ」

「……そうだな」


 ルーヴァスは困ったように微笑んだ。男はそれにため息をつくと、窓を開き、再び鳥の形をとる。


「ラクエス」


 ルーヴァスがそう呼びかけると、鳥は振り返った。


「禁書については、見つけ次第回収を頼む。破棄はしないように。ただし、ないとは思うが例の姫君の目に触れそうな場合は破棄してくれて構わない」

「了解した」


 鳥は頷くと、そのまま窓から飛び去って行く。

 ルーヴァスは、それを見送った後、再びベッドに倒れるように横になると、指を鳴らして窓を閉め、眠るように目を閉じた。

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