99.apple
「とりあえずは順調……かな」
人通りの少なくなった道でユンファスがポツリと呟いた。
私たちは、一度城へと向かい──いつぞやに通った川を舟で遡って、城に戻るという強行手段に出たときは、本当に大丈夫なのだろうかと不安にならざるを得なかった──あらかじめルーヴァスが用意してくれたらしい馬車を使って街へ出た。馬車の手配などどうやったのだろう、と不思議ではあったが、ルーヴァスはリリツァスと何かしら打ち合わせをしていたから、あの二人には何らかのツテがあるに違いない。
今回の同行者は、事前の打ち合わせ通りノアフェス、ユンファス、エルシャス、そしてラクエスとギンカという精霊二名。ギンカとは一度、ユンファスのスパルタ教育時に会ったが、ノアフェスの使役する精霊らしい。黒髪に黒目、完全な和服を着た、極めて日本人らしい──ノアフェスは一部に洋装を身に付けているため、ノアフェスよりも日本人らしい──様相をしている。
「某、今回同行を主より仰せつかった、名をギンカと申します。主と共に、姫君をお守り致しましょう。どうぞ、何なりと」
そう言って、彼──他の妖精や精霊と違って、ギンカは男性だとすぐにわかる見た目である──が礼儀正しくこちらに礼をしたのは記憶に新しい。勿論、今回の同行に当たってはノアフェスと一緒に洋装をしている。
ここだけの話、同じ敬語なのにシルヴィスとは大違いだった……とは勿論口が裂けても言えないけれど。
さて、いずれにしてもこの旅路でコーネリア帝国へ向かうのは、私を含めても計六人という、極めて少ない人数だ。到底、女王が他国へいく人数ではない。
しかしそこについてはさほど心配する必要がなかった。街に出る直前、ラクエスが聖術を展開したのだ。大勢の兵士の幻を出現させると、私たちはようやくそれらしい行列になった。事前に街へ流しておいた女王の故郷訪問は、城下町の人々を賑わせていたらしい。街の人は朝も早くから往来に出て、私たちの行列に拍手と歓声を送っていた。
一体何に対する拍手なのだろう、と思ったが、人々の声が聞こえるとすぐに私は納得した。要は、失踪したのではと騒がれていた私が無事であったこと、故郷に少しでも帰れることに喜んでいるらしい。そんなことでここまで喜んでもらえるなんて、女王は愛される人物だったのだろう。
しかし不安だったのは、貧乏なはずの私が、ここまで派手な行動に出て怪しまれないのか、と言う点なのだが──何しろ家具家財がほぼ存在しない、がらんどうの城の玉座に座っていたのだし──街の人々がそれに対して反応する様子はあまりなかった。
何故だろう。そもそも私は本当に貧乏だったのか?
以前リオリムが不審がっていたことをぼんやりと思い出しつつ、私は袖に隠した手鏡をきゅっと握った。
ちなみに、ドレスにポケットなどという気の利いたものはなかった。いや、そんなものをドレスに期待した私も馬鹿だったのだけれど、流石にリオリムがいないのでは心もとない。しかしポケットがなければどうやって手鏡を持っていくべきか。そこで私は仕方なく、袖の内側に手鏡をねじ込むことにしたのだ。幸い、袖はやや膨らんでおり、手首できゅっと絞った形状だったのでリオリムを隠すことはさほど難しくなかった。……まあそれに、いざとなれば手鏡の存在を知っているユンファスに渡すのでもいいだろう。リオリムの存在を知られるのはダメなので、あんまりやりたくはないけれど、最後の手段と言うやつだ。
さて、まあ色々あったが、とりあえず怪しまれることもなく街を抜ければ、今度はあまり人通りのない道である。そうなれば、先程から続いていた緊張感が少し薄れるのも仕方ないだろう。私は、馬車の中から、窓の外を流れる景色を見ていた。
「……ひめ、……。女王へいか、だいじょうぶ? ……です、か?」
正面に座るエルシャスが、気遣わしげに訊ねる。今までほとんど口を開いていなかったから、心配してくれているのかもしれない。
「大丈夫です、……わ。……ぁあああ、慣れない」
不馴れな女言葉を発するのは違和感しかない。しかし女王がやたらとフランクなのも当然おかしい。私は自分が女王としてふさわしくない言動をとるまいとするには口数を減らすほかないのだと、非常に物理的な解決策を出したわけだが、勿論根本的解決には至らない。
というか、あまりにも単純すぎる。馬鹿の発想だ、これは。
……まあそれが馬鹿の発想とわかっているからといって、口調を直せるわけでもないからもうしようがないのだが。
「こわい? ……です、か?」
「怖いと言うか緊張と言うか……頭が真っ白というかですね……なの、よ」
「……だいじょうぶ。へいかは、私が、おまもりしますから」
お互いに不馴れな言葉を操りながら、戸惑う互いの顔を見て少し笑う。
エルシャスはそう言うと、前屈みになって、正面にいる私の手を握った。
「……エル、ゼ」
「……じょうず、です」
にこ、とエルシャスは笑い、窓の外を見る。
──静かだった。
街の喧騒は既に遠く、馬車の車輪と馬の蹄の音が続く中、時折涼やかな鳥の声が聞こえる。
「……エルゼ、聞いてもいいで……かしら?」
「なに……ですか?」
「エルゼは迷いの森に来る前は、どこに?」
「……。まち」
「え?」
「……。ないしょ」
反射的に聞き返してしまった私に、エルシャスは人差し指で自分の唇を押さえ、そう言う。
彼はそれきり、口を開かなかった。
……悪いことを聞いてしまったのだろうか。
でも。
街って、人間の街のこと…?
だとしたら、エルシャスは人間の街で暮らしていたことがあると言うことなのだろうか。
いや、もしかしたら妖精にも街があるかもしれないし、そこまで考えるのは早計か。
でも、もし人間の街に住んでいたとしたら……あれだけ人間は忌み嫌われているのに、どうしてだろう。下手をしたら、狩りに遭って殺されていたかもしれないのに。
そんなことをぼんやりと考えながら、エルシャスから窓の外へ視線を移して、私たちの間には沈黙が満ちる。
そうして馬車は進み続け──拍子抜けするほどあっさりと、私の祖国へ到着した。
コーネリア帝国に入ってもしばらくは到着の気配がなかった。コーネリア帝国の首都は、そこそこに距離があるらしい。当然、一日で着くわけもなく、野外で寝ることとなった。馬車の中は寝にくいことこの上なかったが――寝心地も悪いが、何より緊張のせいであまり眠れなかった――最も心配だったのは、私よりも完全に野宿となる妖精たちだ。エルシャスは馬車の中にいるのでともかく、他の四人は馬車に入ることを頑なに拒絶した。彼ら曰く、野宿は仕事で慣れているとのことだった。私にとっては何の安心材料にもならなかったのだが――身体のことを感がればどう考えても雨風が防げる方がいいし、そもそも私だけが馬車にいるのは罪悪感が大きすぎる――妖精たちは譲らず、結局決定事項が覆ることはなかった。その上、全員ねるという選択肢はないらしく、夜でも誰かは必ず起きているという厳戒態勢が敷かれていて、私は気が休まることがなかった。
野宿は数日続いた。しばらくすれば街で泊まるのではと期待もしたが、どうも意図的に野宿をしているらしいことに気づいた私は、もう何も言わなくなった。多分、というかほぼ確実に、人間を避けての行動だ。それなら私に否やを唱える資格はない。
そんなこともありつつ、ようやく賑やかな街道を進めるようになった頃――これは、入城が近いと捉えて間違いないだろう――。私は緊張もそこそこに、そわそわと窓の外を見ていた。街では、リネッカ王国に負けず劣らず、人々の歓声が響き渡り、女王が──この国ではそれこそ、姫だったのだろう──故郷でも愛されていたことがわかる。
事前に言われたように、あまり窓から顔を覗かせたりはしないよう気を付けながら、城下街の様子に目を向けると、少しだけリネッカとは雰囲気が異なった。
リネッカではしっかりとした建物が中心的だったが、コーネリアの街にはちらほら屋台のような店や、布を地面に敷いただけの店などもある。無論、しっかりした建物も多いのだが……何というのだろうか。市場、というのだろうか。街を歩く人の数も多く、露天は賑やかだ。隣の国なのに雰囲気が変わるのかと不思議に感じていたその矢先、私の眼に異様な光景が映り込んだ。
布を敷いただけの、割合大きな店。そこに、幾人もの人間が座っている。見れば、手枷や足枷を嵌められ、首輪には鎖が繋がれ、中には小さな牢のようなものに閉じ込められている者もいた。その中央で、一人の男が椅子に座って客人らしき者たちと談笑しているのだ。
「……」
奴隷。
脳裏に掠めたのはその二文字だった。
それ以外に、思い浮かばなかった。
……この世界は、それが罷り通る世界なのだ。
ぞっと背筋を冷たいものが走る。
じっと見つめていると、徐々に馬車はそこから遠ざかり──やがて城らしき場所へ着いた。
「リネッカ王国より、クラリッサ・イーリス・フォン・コーネリア=リネッカ様のご到着!」
「開門! 開門!」
馬車が近づくと、門番の声で城の門が開く。
私は、緊張で息が詰まるような心地を味わいながら、深呼吸をした。
慣れないドレス姿でユンファスの手を借りながら馬車を降りると、私はすぐにどこかへ案内される。どこなのかは、着けばすぐにわかった。玉座の間だ。
いつぞやに見た、ビックリするぐらい何もない広間ではない。美しい装飾の施された玉座はもちろん、天井にまで及ぶ精緻な壁画。部屋のあちこちには警備兵が控えており、シャンデリアの明るさのせいだけではないだろう、そこは眩しいほど荘厳な空間だった。
玉座に近づくにつれ、そこに座る男性の顔が明確になる。
厳格そうな雰囲気を持つ男性だった。白いものが混じった髪や、皺が少しだけ刻まれた精悍な顔、鋭い眼光を見れば、その威厳は身震いするほど伝わってくる。
コーネリア帝国の帝王だ。
そして恐らく、いや確実に、この世界における私の父親だろう。
帝王の隣に座る若い青年の姿に、内心この人も家族かとため息をつきたくなりながら、私は膝を折り、軽く頭を垂れた。
「この度はご尊顔を拝謁賜り、光栄に存じます」
ユンファスに指示された通りの言葉を並べる。当然私は、父親に対してこんな言葉遣いなどしたことがない。別世界であることを再確認するのと同時に、私は私の思う「家族」などこの世界には存在しないのだと理解した。
どれだけ遠いのだろう。この親子の関係は。
私が場違いにもそんなことを考えていると、帝王が顔をあげるように伝えてきた。それにゆっくりと視線をあげると、帝王はほんの少しだけ目を細める。
そして――
お久しぶりです天音です。
いやあ、去年より更新できるとか言っておいて凄い放置! あっはっは!
……ほんっと申し訳ないです。いや実は今絶賛体調不良中(醜い言い訳です。体調不良はせいぜい先週末からです)でしてそのせいですね、ええ……
いやまあ何はともあれ、今回はままてんにしてはめずらしく地の文が多めです。
色々ご指摘あれば、あの、親切な方、ぜひとも教えて頂ければ幸いです。
それにしても、見直すと主人公の名前が凄いんですよ。
実は今まで出てきていたクレアって、あれ単なる愛称で、本来の名前はしっかりあるわけですが、ようやくお目見えです。はい。覚えなくて大丈夫です。
ちなみに白雪にもあります。白雪は結婚していないので若干控えめですが、本当に若干です。
何はともあれ、故郷到着です。
どうなりますことやら。
次回、主人公、幻滅する!
なんてね。
ではでは、また次のお話で。




