97.apple
「か……かわ……」
思わず震えた声でそう呟くと、彼は「すーすーする」と眠そうに呟いた。この全然動じない辺り、本当に強者だと思う。
「……うん、完成! 姫、どう!? 女の子の目から見ても女の子に見える?」
「見える。女の子にしか見えない。むしろこんなに可愛いのに女の子じゃないわけがないと思う」
「……。ぼく、おとこだよ?」
「うん。すごい化けてる」
「すごい?」
「すっごい」
私の称賛に、リリツァスは満足げに鼻を鳴らし、エルシャスは不思議そうに首を傾げた。
現在、エルシャスは茶色のワンピースに身を包み、人間に馴染むために黒く染めた髪──人間ではせいぜい赤髪程度、多くは金髪か茶髪らしい。黒髪が多くないのは驚きだったが、妖精のように銀や緑、紺に白などぶっ飛んではいないようで、その辺りは私の常識と一致しているようだ──を後ろで一つに結わえている。
つまりは早い話が、女装中なのだが。
「これで、いくの? ひめの国」
「うん、侍女に見えないといけないからね! 流石に女装用の服は作ったことなかったけど、ちゃんとできてよかった」
「……すーすーする……」
「うんごめん、それは我慢してほしい。……大丈夫そう?」
「うん、だいじょうぶ」
「ほんと天使」
私はエルシャスのおおらかさに感動して思わずその頭を撫でた。
「ほんとにすごすぎると思う。リリツァスは」
「へへ、ありがとう! まあでも姫が以前買ったワンピースにちょっと手を加えただけだからね。見た目ほどはすごくないと思うけど。あ、あと姫の服はもうちょっと待ってね。流石に俺もドレスは作ったことないんだよね。だから取り寄せる形になると思う」
「……取り寄せる?」
どこから取り寄せるというのだろう。ドレスなんて大層なもの、そんなに簡単に手に入るなんて思えないのだけれど。
「大丈夫だよ! 俺、何とかする方法思い付いたし。ルーヴァスに言えばどうにかなると思うんだ」
「……?」
「その前に、姫、一応仕立てのためにサイズを測り直していい?」
「……。うん?」
私は首をかしげつつも頷いた。
……そしてすぐに後悔することとなる。
私はげんなりしてリリツァスが自分の手に書き記した数字を見ていた。
拷問だと思う。
リリツァスの性格とか手つきからしてセクハラだとは全く思わないけど、正直公開処刑というか、もう本当に紛うことなき拷問だと思う。
「……ひめ、ないてるの?」
「泣いてない、泣いてないですよ……心は悲鳴をあげるけど……大丈夫……ただ、数字ってえげつないですねぇ……悲しい」
「……いいこいいこ」
「ありがとう……」
私はリリツァスの手元のそれ──私の首回りや肩幅、バスト、ウエストに足の長さや腕の長さ、太さの数字──を見て、その場にくずおれたくなる。大事なところが貧相で大事じゃないところが主張している。とてもじゃないが誉められたものじゃない。
酷い。酷すぎる。女に何てことをするんだ。悪気が欠片も感じられなかったから拒否もできない。無自覚なタチの悪さが容赦なく人の自尊心を踏みにじっていく。私はいまだかつてない空しさを覚えながら、エルシャスが抱いているぬいぐるみを訳もなく撫で回していた。
「くまさん、いる?」
「わからないです……ただ癒されたいんです……抉られた傷は深かった……」
「じゃあ、ぼくがなでられる」
突然エルシャスは自分のフードにぬいぐるみを仕舞い込み、私の手を自分の頭にやった。
「……なでて?」
「撫でますぅうううう」
もう何だかよくわからないが、私はグリグリとエルシャスの頭を撫で回して自分の心を慰める。
「うん、多分これでいいドレスができるよ! 姫、期待しててね! ひちっ。……あれ? どうしたの?」
「心を穏やかに保つためにエルシャスを撫でているんです」
「ああ、そっか。故郷に戻るのがちょっと不安なんだね! 姫」
今はそこに不安を抱いている訳ではなかったが、それも不安と言えば不安だ。
「まあ、そんなところです」
「そっかぁ。でも家の外に出られるし、息抜きだと思ってもいいと思うよ、俺」
「息抜き……にしては大々的すぎません?」
「まあ確かに、遊び放題って訳にはいかないもんね。でも俺も一緒に行きたかったなあ」
「何でですか? 人間の城ですよ。危なくないですか?」
「姫ってば妖精寄りの考えになってきてない? 大丈夫だよ! 聖術掛けてもらっていくから。ひちっ」
聖術は恐らく、彼らが妖精であるとばれないように、耳の形を変えるためだろう。
掛けてもらう、ということは自分では掛けないのか。
「ルーヴァスにですか?」
「うん。本来なら自分で掛ける方がいいんだろうけど、万一動揺した際に聖術を継続できなかったら困るからね。はーぁ、みんなが羨ましいな……」
聖術ってそんな遠く離れてもいいものなのか。不思議だ。
リリツァスは少しだけ物憂げな表情になっていたが、すぐに笑顔に戻ると、
「まあ、言っても仕方ないよね! 人選には意味があるだろうし。正直、ユンファスは不安だけど……腕は確かだから、いいのかなぁ? へちっ」
ユンファスは不安なのか。うんまあ、わかるけれども。時々ふざけそうだし。
ただ、個人的な印象としては、本当に大事な局面では、ふざけなさそうなひとだとも思う。
ユンファスは一見、軽妙な態度をとっているが、実際は酷く真面目なひとなのではないだろうか。
いつぞやに返り血を浴びて帰ってきた時、酷く冷めた眼で私を見たように。
実は、自分の感情を表に出さずに笑っているだけなのではないかと。
……そう考えると敵意を全面に出してきたシルヴィスより、よほど恐ろしい人物と言えるかもしれないけど。
「……ユンファスは、きっと真面目に護衛してくれるんじゃないかとは、思いますけど」
「うーん、真面目にというか……何だろ。ひちっ、ほら、作法とかそういうの。行く先はお城だから、多分あるよね? 俺もよくわからないけど、ユンファスとかノアフェスってどうなんだろ?」
「……。作法」
呆然と、反芻する。
それはむしろ、ユンファスやノアフェスより……
「ど、どうしましょう、リリツァス」
「ん?」
突然彼の腕をつかみ、青ざめた表情で見つめると、リリツァスは面食らったように瞬きを繰り返した。
「作法、何一つわからないです…」




