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96.apple

「……確かに良くは、ないな」


 深刻な表情でそう呟いたのはルーヴァス。

 妖精たちは全員がリビングのテーブルを囲み、時折チラチラと私を見ていた。


「……えっと、私も呼び集められたと言うことは、私に関わることですか? 何かやらかしました……?」


 恐る恐る訊ねると、「そうだけど君がやらかした訳じゃないねぇ、これは」とユンファスが言った。


「じゃあ、どういう……?」

「……。これを見てくれ」


 ルーヴァスは、先ほどの新聞をテーブルの上に広げた。どうやら、ノアフェスが今朝の新聞を、どこかで手に入れてきていたらしく、これがその新聞のようなのだが……、如何せん、私はこの世界の文字にまだ慣れていない。新聞をすぐに読むことができない私は、差し出された新聞に一瞬硬直したが、何とか解読しようと試みる。

 すると私から反応がないことを、文字が読めないのではなく記事を探しているだけと考えたのだろう、ルーヴァスが「ここだ」と一つの記事を指差してくれた。


「あ、ああ、この記事なんです、ね……」


 一文字一文字を、解読していく。

 本文はすぐに読めなかったが、それでも題字は理解できた。


──女王不在。リネッカ王城で何が


「リネッカ王国の女王。その不在。間違いなく、あなたのことだ」

「……あ」


 それは今まで考えてこなかった、けれど訝しがられて当然のことだった。


 実質上、あの城の主は白雪姫だろう。だが、他国から嫁いできた仮にも女王が行方不明とあっては、騒がれるのも無理はない。


 ……どうしよう。


 私は脅威が差し迫っている身だ。騒がれても嫌だと、のこのこ王城へ行けば、……どうなるか予想ができない。


 それに正直、今から王城に戻って「私はここにいます」と言ったところで、どうにかなるものだろうか。この新聞を街で手に入れたというのなら、街にはこの記事が広がってしまっているはずだ。それなら、王城にただ戻るのでは意味がない。派手に「自分はここにいる、無事だ」と示さなければ、何にもならない。


「……」


 私が黙り込んだことをどう思ったのだろう。エルシャスが、新聞を持つ私の手をそっと握った。


「……ひめ、かなしいの?」

「……悲しくは、ないです。ただ、どうしたらいいのか。わから、ない」


 私は。


 この家にいて、さほどの不自由も身分の自覚もせずに暮らしてきた。だから、自分が女王であると言う自覚が、なかった。


 そうだ。


 王国で、王が死んで、娘は我侭放題で、その上他国から嫁いできた女王が不在って。


 明らかに、異様だ。


「……女王の不在が長い割に記事が小さいのは、元々貴女が逃亡癖があったからですかね」

「逃亡癖?」

「有名でしたよ。貴女は度々城を抜け出して街を歩いていたと。数日いないこともあったそうですね」


 そういえば、街によく行っていたとかそんな話は以前聞いたかもしれない。


「……じゃあ今回もいつもの逃亡だと思われていた……ってことですかね」

「最初はそうかもしれないね。でも、今回はそれでは通用しないくらい長期間に渡って席を空けているし……そもそも、君は城を空けていたといっても街で色んな人と話したりしていたみたいだからね。いつもの気晴らしで出歩いていたにしては、誰も君のことを見ていないのは不自然かも」


 それもそうだ。なら、城を空けていたというより、城にいたと言い張る方が楽かもしれない。


「というか、この記事を書いた奴って、あの城に入り込んだってこと? いいの、それ?」

「良くはないだろうが、事実上、今は無人に等しいのだろう。侵入も簡単だ」

「それもそうだねぇ……。まるで廃城だ」

「……。普通のひとは知らない隠し部屋にいたってことにすれば? へちっ」

「例えば事実だったにしても、隠し部屋の存在を大っぴらにすることはないな。駄目だ」

「もう、派手に顔を見せるしかないんじゃない?」

「この家から出して良いのか?」


 ノアフェスはルーヴァスに向かってそう聞く。


 確かに、良いのだろうか? 私が街に出る時はあれだけ意見が割れたというのに。


「やむを得ないだろう。このままでは姫の故郷である、コーネリア帝国との外交問題だ。戦争に発展することも想像に難くない」


 意外にもあっさりと許可が降りた。

 しかし確かに、これは外交問題なのだ。戦争の可能性も大いにあり得る。

 コーネリアとやらがどこにあるのかはあまり覚えていないが──以前スジェルクに教えてもらったがかなり曖昧な記憶となっている──いずれにしてもこの国が戦火に巻き込まれれば、この森もただでは済まないだろう。

 自分がいかにとんでもない立ち位置にいるのかを思い知らされた。


「……いなかったこと……どう、せつめいするの?」

「風邪だったっていうのは!? これなら嘘じゃないよ!」

「生憎、姫のような立場の人間は風邪でそこまでの長期間は寝込まないのが一般的だ。いくら貧乏でも、後ろにコーネリア帝国がついている身分だ。薬だって手に入るだろう」

「なら治りにくい病気だったってことにすれば良いんじゃないか?」

「……それで良いのか? 姫は」

「あ、私はもう何でも大丈夫です。理由は何でも良いので、えーと、すみませんがよろしくお願いします」


 我ながら雑なことこの上ないが、仕方ないと思う。何しろ政治のことやこの世界の感覚は私には未知数だ。彼らに任せた方が間違いはないと思う。


「ならその方向で噂を流すか。噂に関してはクファルスに依頼するとしよう」

「伝えておきましょう」


「あ、ならこれはどう? 派手ならとことん派手に、故郷へ戻るっていうのは」


 ユンファスの提案に、しんとその場が静まり返った。


 ……何を、言っているのだろう。これは。


「お前、正気か?」

「あ、当然、この家には戻ってきてもらうよ? でも一時的に、そして派手に顔を見せるって、他に何するの? 演説とか? それこそ今の姫には無理じゃない?」

「いや、国外と言うその発想が駄目だ」

「何でさ。派手に知らしめるんでしょ?」

「無茶を言うな。こいつをそんな遠いところに放り出せるか」

「いや、だからさあ。この中から数人が、姫の護衛として一緒に行くんだよ。そしたら、きちんと護衛もいるね、粗末にはされてないね、外交問題ってほどじゃないね、ちゃんちゃんってなるじゃん」

「……」


 ユンファスのそれは、あまりにも想定外の展開だった。


 そんなことって。できるのだろうか。


「ルーヴァスは、どう思う? ユンファスの案。派手と言えば、派手ではあるけれど」

「……」


 ルーヴァスはじっと私を見つめた。

 紫紺の双眸が、どこか不安げに揺れる。


「……あなたは、どうしたい」


 ルーヴァスが、そう問うた。


 驚いた。私に聞くのか。私に決定権なんかないと思っていたのに。


「……私は……行ってみたいとは、思います。一応は……」


 私の、故郷だから。

 そう言おうとして、はたと「家族」がいるであろうことに気づく。


 当然、私の故郷なら、私の親や兄弟、親族がいるだろう。何しろ帝王の血筋だ。血縁がいないはずがない。


 どうしよう。会って良いのだろうか? 私は、その人たちが私自身の家族でないことを知っている。まるで騙しているみたいだ。


 迷いを捨てられない私に、


「……行こうよ、姫」


 と、リリツァスが微笑んだ。


「記憶がなくても、顔がわからなくても、それでも多分君の体は家族のことを覚えてると思う。一緒の時間と思い出を共有した、大切な家族だもん。きっと姫の家族も喜ぶよ! だから行った方がいいと思う、俺」

「家族……」

「そうだねぇ、面白いんじゃない? 何か思い出せるかもしれないしさ」


 みんなは、多分善意で言ってくれているのだと、思う。いや、そうに違いない。何故なら、私が本当は女王でもなんでもないことを、この体は借り物に過ぎないことを知らないから。


「あなたは、行きたいと思うか?」


 ルーヴァスはまっすぐにそう聞いてくる。


 ……正直、家族のことを思うと気は重かった。でも、街で不在を騒がれるのも、不都合だ。それに、記憶がないとはいえ故郷に行きたくないなどと駄々をこねるのも、不自然な気がした。


「……行けるのなら」


 私は辛うじてそう言った。


「そうか。なら、手を回そう」


 ルーヴァスは、あっさりとそう言った。


「じゃあ護衛はどうするー?」

「形式上の護衛は、聖術で充分に誤魔化しは効くだろう。問題は実質上の護衛だが──そうだな。護衛はユンファス、ノアフェスに頼むとしよう。それから、ラクエスを同行させる」


 また、意外な人選だ。

 服装やその他諸々から、ルーヴァスやシルヴィス、カーチェスの方がそれらしいのではと思ったのだけれど、よもやこの二人とは。


 しかしラクエスも一緒なのか。今から憂鬱だ。正直、シルヴィスとは比べ物にならないくらい取っつきにくい。


 などとモヤモヤする私をよそに、護衛の話はどんどん進んでいく。


「……ふむ。俺が同行するなら、ギンカも同行すると思うが、構わないか」

「ああ、いいだろう」


 うん? ちょっと待て。


「ノアフェス、今なんて?」

「うむ。ギンカも同行すると言った」

「……。誰ですかそれ」


 私は聞き覚えのない名前に瞬きを繰り返した。


「俺の精霊だ」

「ノアフェスにも精霊がいたんですか?」

「言っていなかったか?」

「初耳です!」


 ということはまた新しくひとを覚えないといけないのか。正直、精霊に関してはスジェルク以外迷わずに呼べる自信がないのに、また増えるなんて。


「まあ、ギンカはあまりこの家にいないからな。後で紹介しよう」

「はあ……」


 しかし、ユンファスとノアフェスはいいけれども、ラクエスとは全然話せる気がしないし、ギンカというひとに関しては完全に初対面だ。不安しかない。


「でもあれじゃない? 侍女が一人もいないのって不自然なんじゃない?」

「あー、そうだよね。ひちっ。でも女のひとはいないし……、あ、サファニアに協力してもらえないかな?」

「無理に決まっているじゃないですか。どこをほっつき歩いているかもわからないのに」

「うーん……」

「カーチェスが女装すれば?」

「え!? な、何でそうなるの!?」

「だって女装しても一番違和感ないよ、カーチェス」

「え、えげつないことを言うねユンファス……流石に辞退したいよ……。それに俺、背が高いから、かなり厳しい、し……」


 確かにカーチェスは高身長だ。まあそれでも彼ほど性別不詳なら、女装しなくとも男装の麗人で通りそうなのが恐ろしいが。


 しかし身長。身長か。それならこの家の住人は……


 と、そこで全員の視線が一ヶ所に集中する。


 彼──エルシャスは状況が読めていないのか、ぬいぐるみの手を私に向けて振ってから、すべての視線が自分に向いていることに気づき、


「……ん?」


 と首を傾げた。


 ……決定した。

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