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92.apple

 ルーヴァスの口元は確かに笑っているのに、その双眸は一切笑っていない。冷ややかな紫の瞳が、ひたりとユンファスを捕え、不自然に口角を持ち上げられただけの唇は、再度、こう問いかけた。


「……誰が、と、聞いているのだが?」

「い、や……えっと」


 基本的に皆の言動に対し、窘めるか見守るだけのルーヴァスが、明らかに怒気の孕んだ声で問うている。それが尋常でないことは、付き合いの浅い私でさえわかるくらいだ、この場の誰もが理解していた。


「ルーヴァス……、聞いてたんだ? えっと、あは、い、いつからいたのかなぁ?」


 ユンファスは強張った笑みのまま、話を逸らそうと試みる。それに対するルーヴァスは淡々としたもので、微笑んだまま、


「そうだな、あなたが「僕も一緒に寝ていい」と姫に言ったあたりからだな」

「さ、最悪なタイミングじゃない……」


 ユンファスの顔色がいよいよ悪くなる。


「ほ、ほらさ? 僕だけってわけじゃないし、そもそも言い出しっぺって、えーと」


 流石にこの場でエルシャスを引き合いに出すのはためらわれたのか、ユンファスはそこで言葉に詰まった。

 ……もしエルシャスでなくシルヴィスだったら、喜々として生贄に差し出したろう事は想像に難くない。


「……。わたくしは、止めましたよ」


 唐突に、シルヴィスがそう言った。傷口を押さえたまま、ユンファスを一瞥し、


「ですが、そこのバカが姫と寝ると言って聞かないから」

「はぁ!? ちょっと、ここで嘘つかないでよ!? 僕が本当に危ない言動してたみたいじゃない!?」

「それは違わないんじゃないか?」

「ノアフェスまで! カーチェス助けて!」

「……。ユンファスは、一回、ルーヴァスに怒られておいたら?」


 カーチェスは困ったようにそう言って、ユンファスを――いや、もう予想外にあっさりと――見捨てた。今までユンファスの言動に対して、カーチェスが窘めても彼はほとんど聞いていないようだったし、いい薬になるとでも思ったのだろうか。


 いつも穏やかな彼からも、助けが得られないことを知ったユンファスは、ルーヴァスから距離をとった。しかし、ルーヴァスは薄ら笑いを浮かべたままその距離を詰めていく。


「ま、待って……、何かしら誤解が、こう、あると思うんだよねぇ僕は」

「そうか」


 ルーヴァスは恐ろしい笑みを一切崩さなかった。そして壁際までユンファスを追い詰めると、今度は床に、ガンッと槍の石付きを叩き付けた。


「ひ」


 ユンファスが完全にひきつった笑みで、眼前のルーヴァスを見つめる。


「……あなたとは、一度じっくり話し合わねばと思っていたのだ」

「いや……、いや、別にそんなことは、ないんじゃない……」

「……今宵は、ゆるりと話そう」

「待って……」

「……いいな?」


 にこやかに、有無を言わさぬ調子で、ルーヴァスが問う。


「……、は、い」


 ユンファスはもはや肯定以外の返事をあきらめ、思考を放棄したようだった。




「……で?」


 ルーヴァスがこちらを振り返り、改めて皆を見回す。壁際に追い詰められていたユンファスがようやく解放され、詰めていた息を吐き出したのが見える。


「何故姫がまだここに残っている? あなたは体調が悪いのだろう」

「それは、そうなんですけど……、」


 そういえば、当初の目的は鴉を説得しに行くことだった。が、それをルーヴァスに止められたのだった。


「ルーヴァスは、どこに?」

「……」


 ルーヴァスはやや返答を考えていたようだったが、やがてこう告げた。


「鴉を、森から払っていた」

「!」


 瞬間、私は彼の全身に目をやる。


「け、怪我はないんですか」

「幸い、攻撃は殆どなかった。元々すぐに立ち去るつもりだったのだろう」

「殆どということは、あったのですか?」


 シルヴィスがそう問うと、


「まぁ、少しは」


 と返す。


「あれとやり合ったのですか?」

「やり合ったというほどではない」

「でもルーヴァスに怪我がないってことは、へちちっ、鴉もルーヴァスには敵わないとわかって、退散したってことなのかな?」

「さあ。それはそれとして、あなた方は結局、姫に渡すものを作り終えられたのか?」

「うっ」


 精霊たち以外の妖精が皆気まずそうな表情を浮かべる。誰も状況を説明したくないのか、沈黙を貫いていたが、やがて、


「……ええと。俺が、空気を悪くしてしまって」


 と、カーチェスが目を伏せながらそう言った。


「あなたが?」

「うん。俺が、感情的になってしまって、場の空気を壊してしまったんだ。その……、色々あって。さっき薬草酒を作ろうって話にはなったんだけど、薬はまだ……」


 できていない、と言いたいのだろうことは皆分かった。


 ただその、感情的になった原因を私は知らないが、そうでなくともまともな薬は完成していなかったんだろうなと、あの理解不能な物体を見れば察することはできる。


 辺りを見渡していたルーヴァスは、いつもの落ち着いた表情で、


「ひとまず、薬をわざわざ作ることはないはずだ」


 と、そう言う。


「だけど、人間の病気は治りが良くなるって」

「病、というと大げさになるが……、風邪は基本的に栄養と休眠が大事だ。だから、薬を作る必要はない。それに、姫は酒が苦手だ」

「……そうなの?」


 ルーヴァスの言葉に、全員の視線が私に集まる。


 私は一応未成年だし飲んだことはない。だから、薬とは言え積極的にお酒を飲みたいとも思わない。ルーヴァスの言葉は本当だ。


「えっと……一応」


 私が頷くと、「そんなことよく知ってるねぇ……姫に酒を勧めたことでもあるの?」とユンファスがルーヴァスを見る。それにルーヴァスは淡々と、「以前、街の新聞に書かれていた。姫が、あまり酒を好んで飲まなかったと」と、返した。


「とにかく、そういうことだ。姫に薬草酒は必要ないだろう」

「だけど……、」


 リリツァスが困ったように眉根を寄せた。そして


「俺も、姫のために何かしたいって思ったんだ。だって俺、姫がそんな可哀想な状態になってるの、耐えられないし……、みんなそうなんだよ。ひちっ。いつも姫が元気で、だから家も明るくなったのに、こうなっちゃうと、家が暗く沈んだみたいで、悲しいよ」


 リリツァスの言葉に、私は瞬きをする。


 私が元気だから明るくなったとはどういうことだろう。挨拶の習慣をつけてもらったとかそういうこと?


「あなた方の気持ちはわかる。だが、それなら何も薬草酒や薬にこだわる必要はないはずだ」

「なんで……?」

「栄養のある料理を振舞ったり、彼女の部屋に水を運んで、いつでも水が飲めるように整えたり、氷嚢の具合を見たり、それだけで看病になる。よく眠れるようにはたらきかけるのでも、食が進むように工夫するのでも、何でもいいだろう」

「栄養のある食事……、を作ろうとした結果が、苦いものを集めるっていう結論になったんだけどね……」


 カーチェスが何かを思い出すように視線を巡らせた。その発言に対し、ルーヴァスが不可解極まりないといった表情になる。それはそうだろう。


「……。何故、苦いものを集めるという判断になったのだ?」

「俺の国の言葉でな。良薬口に苦しという言葉がある。栄養が高い料理、つまり薬にもなる料理を作るにあたって、これは非常に重要な指針となったわけだ」

「……う、む」


 理解できるような出来ないような顔でルーヴァスは頷くが、やがて首を振って、


「恐らくそれはそう言った意味ではないだろう……」

「ではあれはただの嘘なのか」

「いや……。ともかく。栄養がある、というのは何も難しいものを作る必要はない。我々がいつも食している中で、身体が弱くなっていても食べることができるようなものを作れればいい、わけ、だ……」


 とそこで。


 ルーヴァスは何気なく机に視線をやり、そこに広げられた本を見つけた。


「……それは」

「ああああああうわぁああああいや何ていうか、ほらっ、み、見つけちゃったんだよね! へちっ、何でだろ!」


 リリツァスが挙動不審すぎるフォローを叫びながら本を隠すも、ルーヴァスは完全に見ただろう。ラクエスは眼だけで射殺せそうな視線をリリツァスに向けている。それを認めたルーヴァスは、とんとんとラクエスの腕を叩いて首を振り、ため息を一つつくと、


「……。隠さなくてもいい。本棚の下の引き出しを開けたのだな?」

「うっ」

「……うん、あけたの」

「エルシャス! へちゅっ」

「まぁ、……いいが。だがどのみちそれは薬草酒の作り方や薬草の見分け方、効能などが書いてあるだけで、今回の風邪に使う必要はないだろう。そもそも風邪に効く薬はないそうだ。それに、シルヴィスの怪我に効くようなものもそこにはない。怪我に効く薬の作り方が知りたいのなら、別の本だ。もっとも、我々妖精に効くのかどうかは定かではないが」

「ルーヴァス、何でこんな本を買ったの? しかもこれ、ノアフェスの国の言葉に誰かが訳してるし……、へちっ」

「ただの興味だ。古本屋で買った時から、そのように訳されていた。きっと元の持ち主が訳したのだろう。その文字はわたしも読めない」


 ルーヴァスはそういうと、本を閉じてしまう。


「いずれにしてもだ。姫の風邪を治したいというのなら、この場に連れ出して喧騒の中に置くなど言語道断。病人は安静にして寝ているのが基本だ。姫、あなたもだ。自身が病人であるという自覚を持ちなさい」

「うっ、すみません」

「それから。その……、黒い液体は、破棄すべきだ。酷い臭いをしている」

「ごめんなさい……」


 しょぼんと肩を落とすリリツァスに、カーチェスはぽんぽんと肩を叩く。そして笑顔で、


「それなら、俺たちは俺たちにできることをしよう。薬を作るより、普通の食事を作ったりする方がよほどに馴染み深いだろうし」

「うむ、不本意ながらそのようだ。看病の知識もないしな」

「なら……、ひめ、したまで、はこぶ?」


 運ぶとは、と聞こうとした時だ。


 エルシャスが、椅子に座る私の背中と膝の下に手を入れて。


 ふわり、と。


 唐突な浮遊感が私を襲った。

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