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8.apple

 ベッドに寝転がり懐から鏡を取り出すと、鏡の精が心配そうに私にいろいろと問い掛けてきた。彼の心配そうな表情があまりにも切実なものだったので心配を解くように一つ一つきちんと答えると、次第にこわばっていた表情が柔らかくなっていき、彼は心の底から安堵したように、


「――お嬢様が御無事で安心いたしました」


 と、そう言った。


「……鏡さん」

『はい、お嬢様』

「あなたの名前、教えて貰っても良い?」


 と私がそう聞くと、彼は言葉をつまらせた。そして少ししてから、


『……今のまま呼んでくださって、結構ですよ』


 と、微笑む。


「ええと……私が嫌なんだ。鏡さん、って、なんか相手を認めてない感じがするし。よく判らないけど、鏡の精ってきっといっぱいいるんでしょ? ってことは、「鏡さん」って、私に対して「人間さん」って言ってるのと同じなんじゃない?」


 私が聞いてみると、鏡の精は、少しだけ悲しそうに笑った。


『……名は、忘れました。――わたしには、もう、必要のないもののはずだったので』


 …………?


 忘れた? 名前を忘れるとかってこと、ありえるのか? ……記憶喪失?


「あの、余計なお世話だと思うんだけど、その……大丈夫?」

『……やはり、お嬢様はお優しい。わたしなどを心配してくださるのですね。有難う御座います。それだけで……身に余る栄誉です。ですがどうぞ、わたしのことなどお気になさらずに』

「……そっか」


 記憶喪失について無理に聞き出すつもりはない。本人が言いたくないことを聞くのは不躾というものだろう。それに私は彼に助けられている立場だ。嫌われて困るのは完全に私の方だ。


「ええと。じゃあ、名前が、わからないの?」

『はい』

「えっと、じゃあ……」


 どう呼ぼうか。


「じゃあ、思い出すまでの仮の名前みたいなの、考えない?」

『仮の名前……?』


 鏡の精が首をかしげる。何だか、人間と変わりなく見える。きっと鏡の精の文化も人間と似たような感じなのだろう。そう思ったら少し不思議なことに、親近感がわいた。

 彼が記憶喪失だというのなら、ある意味この世界のことを全く分かっていない私と同じような境遇と言えるのではないだろうか。

 不謹慎ではあるが、仲間ができたようで、ほんの少しだけ心が軽くなる。


「えっと、何がいいかな……」


 何か、良い名前はないだろうか。


 つけられたら嫌な名前で呼ばれつづけるのは苦痛だろうし、何か、良い名前……


 悩んでいると、ふっと笑う気配がして、


『……いいですよ、お嬢様。わたしは、鏡のままで。どうぞお気遣いなさいませんよう』

「私が、何か嫌なの。私だったら「人間」って呼ばれるのは絶対嫌だし」


 というか、人間、と言われて歓喜する人間はいないだろう。いるとしたらそれはかなり奇特な人じゃないだろうか。生憎彼はそんな奇特なひとには見えない。


『では、鏡ですしミラー……とか。本当に適当で構わないのです。お嬢様を煩わせるほどのことでも御座いませんので』


 と、彼は柔らかく微笑んだ。


 しかしそれで私の気が収まるわけでもない。ミラー、だなんて鏡そのままだ。


「……何か外国語で……格好いいの、ないかな」

『外国語、ですか?』


 他人(ひと)の名づけなんて今までしたことがない。それも、犬や猫みたいなペットとは訳が違うのだ。こうやって考えると、私にはとことんネーミングセンスがないなと感じる。


 英語だと、ミラー。英語以外だと……?


「フランス語で、鏡って……」

『フランス語では……確か、「miroir」。m、i、r、o、i、rですね』


 フランス語でも殆ど英語と同じ発音か。じゃあどこか別の国の……


 ん? m、i、r、o、i、r? 逆から読むと……


「ねぇ、それ。文字を逆さまに読んだらどうなる?」

『逆に……というと、……r、i、o、r、i、m……でしょうか』

「r、i、o、r、i、m……リオリム、っていうのは?」


 私はそう言ってから、「あ、でもそれじゃ鏡のままだ……ごめん、考え直すよ」と言った時、


『……リオリム』


 ぽつん、と鏡の精が反芻した。


「気を悪くしたのならごめんね。考え直すから」


 私が慌てて付け足すと、彼は緩く首を振った。


『…………いえ。そのままで』

「え?」


 問い返すと、彼は微笑んで


『リオリム、で。その名で、お嬢様に呼んで欲しいです』


 と言った。

 それはとてもとても優しい、そしてどこか切なそうな微笑だった。


「いいの?」

『リオリムが、いいです』


 気に入って貰えたのだろうか。


「じゃあ……その。改めてよろしくね、リオリム」

『はい。未熟者ではありますが、よろしくお願いいたします、お嬢様』


 何故だろうか、彼は心底幸せそうに微笑んだ。


 そうして私たちは同時にお辞儀をし合い――ちょっとだけ、それに笑い合ったのだった。

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