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 吉野という家はそれなりに古くて、それなりにその筋では実力のある家筋であるらしい。 らしいとどこか他人事のようになるのは、あまり興味が無い上に、ついなにとって視える祓えるが当たり前すぎるからだ。

 常人には見えざる異形を見つけ調伏することを得手とする家筋の本家、その長男として生まれたついなも、その例に漏れずその力を持っていた。

 けれど、見えるのはなにも異形ばかりでは無い。

「鬱陶しい」

 出仕したついなは仕事に必要な資料を読みに図書寮へと足を運んでいたのだが、廊下を渡れば御簾などの内側から見てくる視線とひそひそ話し。

 大内裏にある各仕事場においてそれは変わり映えのない光景なのだが、よくもまぁ人のことにいつも気を向けていられるものだ。

 そんなことしている暇があるなら働けと思う。

 職場では皆、 互いを蹴落として上がることを考えているし、仕事場が違えば今度はその職が持つ異能に奇異の目が向けられる。

 どこに行っても居心地は最悪だった。

 異形よりも、人間の悪意の方がよほど性質が悪いというのが、ついなの持論である。

 早々に必要な資料を書き写し、人気のない大内裏の木々が植えられた場所へと移動した。

 木陰に腰を下ろして写したものを読んでいると、 近くを数人が通りかかった気配がし、その会話が耳に入る。

“陰陽寮の……”

“異形に触れる者たち”

 偶然聞こえた内容はありきたりなもので、逆によく同じ内容で飽きないものだとついなは感心しそうになった。


挿絵(By みてみん)


 異形にまつわる物事に関わる、異能の職。

 普段は関わりたくないというくせに、何かあればすぐに泣きついてくる。

 都合の良い時だけその存在を望むのだと、誰もが皆わかっていることだ。

 同じ人間でも、少し毛色が違えば“異質”とする。

 それが、人間。

「子が出来たら、こんな所には入れたくないな」

 ぽつりと呟いた言葉に少し時間が止まった。

 子。 どれだけ先の話だ。

 まだ閨を共にするどころか口付けさえしていないのに。

 あの東雲に妻問いをした日から今日まで、実は触れ合いといえば、あの手を取ってもらったことと今朝などの触れることくらい。

 抱擁すらしていないのが実状だというのに。

 欲がないわけではない。

 今朝のような可愛い姿を見れば、思いっきり抱き締めたくなったりもする。

 手が握れたなら、しばらくというかずっと離したくないとも思う。

 それ以上はまだ当分先でもいいとは思っているものの、そういう触れ合いに対する欲がないなどというわけではさらさらない。

 のだがしかし、そういったことよりも、単純に嬉しさが勝っているのだ。

 傍に彼女が居てくれる。 ただそれだけで、他に何もいらない。

「人間の欲なんて次々湧くものですけどね」

 きっとそのうちに、それだけでは飽き足らなくなる。

 そうわかっているからこそ、今はこのままでも良いかと思うのだ。

 ―――― 下手なことして嫌われたくありませんし。

 だって妻は可愛い。

 精霊で、人間の夫婦なんてよくわからないだろうし、彼女の性格からして今まで色恋なんてきっとない。

 そもそも精霊には普通、恋人や家族というものはないからだ。

 彼らは自然の化生。

 気が凝り、自我を持ったもの。

 風の精霊ならば全ての風が家族と同意義であり、性別と言うものもあやふやである。

 ただその自我が気まぐれに決めているに過ぎない。

 そんな精霊の一人である妻。

 彼女が自分では考えもつかないほどこの世界に存在し続けている彼女が、見てくれた。

 人間の一人、ではなく、“ついな”として。

 戯れだとしても、妻にと乞うたその手を取ってくれたのだ。

 これ以上の喜びが、あるだろうか?

 愛しい妻のことを思い返し、ついなは幸せたっぷりの笑顔を浮かべていた。

「ああ。 けれど……きっと可愛いでしょうね」

 妻と自身の子ができたなら、きっと可愛い。

 それだけは言える。 間違いない。

 そんな未来の親ばかはまだ見ぬわが子を思い、笑み崩れる。

 けれど、その笑みにふと影が差す。

 ―――― 邪魔なものはそれまでに始末しておきたいのが本当のところなのですが。

 その瞳に宿る光は同一人物のものとは思えないほど暗く冷ややかだった。

 人は異質を嫌い、異形を排除しようとする。

 ついな自身、陰陽師としてその異形を狩るわけだが、そもそも彼らも災難だと思う事は少なくない。

 人に害為す異形を、といえば聞こえは悪くないが、何故異形が人を害すのかを考えないのか。

 元々は彼らの住み着いていた土地を開墾して田畑や都は作られた。

 人は森や山に獲物を求め踏み入る。 彼らの住処を荒らし、彼らを追いたて、自分たちの領域を広げる。

 そこで異形を守る側に回らないのがついなという男なのだが。

 災難だなと同情はしても、自分の生活と言うものの為に狩ることに躊躇いなど覚えない。

 それが仕事なのだから。

 彼らが人を害するならそれを退け調伏する。

 そして同時に何もしないのなら、目に見えても祓ったりしない。

 異形を調伏することに躊躇いなどないが、同時に自身の力量及ばず逆に屠られるのならそれも仕方ないと思っている。

 ついなは、異形と人間ならば異形の方が好感が持てた。

 彼らはほとんどの場合、とても素直で、そして自身を偽らないからだ。

 そう。 人間よりも、彼らの方が好きだ。

「彼らは力さえあれば逆らいませんし、ねじ伏せて納得させれば良いのですから、とても素直で物分りがいい。 少なくとも頭が固くて物分りが壊滅的な人間よりは余程」

 自身の生家を思い浮かべ、ついなは企てる。

 どうやって絶やそうか。 彼女のことを悪し様に言ったあのものたちを。

 自身の親族にもかかわらず、ついなの思考に迷いはない。

 それは異形を調伏する時と同じく。

 彼らは彼女を妻にすると言った時、 認めなかった。

 それくらいは最初から予期していたのでどうということはない。

 元から家になど未練は無い。 すっぱり縁を切るつもりでいたのだから。

 けれど、彼女を悪し様に、彼女のことを何も知らないくせに言いたい放題。

 挙句の果ては穢れだと言った。

 どちらが穢れだと言い捨てて家を出たのだが、あの様子では今後も邪魔をしてくる。

 それこそ子など出来たら何をしてくるか。

 妻子に手を出してくるなら、血の繋がりなどに容赦はしない。

 あの汚らわしい親族の視線に触れさせたくなくて、彼女を直接連れて行かなかったことは英断だと今でも思っているほどだ。

 しまったあの場で絶やしてくれば良かった。

 そんな危険極まりない思考の男に捕まってしまった東雲は微妙に悪寒を感じつつ、その頃はまだ朝餉の後片付けと悪戦苦闘していたので、こんなことを知る由もない。

 狂っていると、他人に言わせればそうなるだろう。

 それでも構わない。

「そうしなければ手に入らないのですから」

 妻にと乞わなければ、彼女を妻にはできない。

 ならば乞おう。

 親族が何を言っても関係ない。

 大切なのは彼女の気持ちと自分のこの想いだけ。

 実際のところ、自らの血縁すら障害となるなら絶やすことに躊躇いの無い感覚というのは、重ねて言うが確実に人間として大事な何かが足りない。

 ”普通”の人間から見れば外せない大事件だとしても、ついなにとっては歯牙にも掛ける必要の無い瑣末な事に他ならない。

 そう言った意味では、やはりこの男は狂っているとしか言えないのかもしれなかった。




「それでぇ……これは一体何事かなぁん?」

 風の長は自分の住処である小屋の床に広げられた衣の数々に、呆れたように散らかした張本人を見遣った。

「選ぶの手伝って。 ビオル」

「私ってぇ、一応仮だけどぉ、シルフィさん達の長だよねぇ?」

 全っ然、長として敬われてる気がしない。

「そうよ。 当たり前じゃない」

「それでぇ、何でこうなるのかなぁん?」

「何故って」

 キョトンとした面持ちでそれこそ不思議そうに東雲は布の塊こと、ビオルを見て言う。

「あなたが私達の長だからに決まっているじゃない」

 どこでそれがどうすればイコールになるのか。

 風の精霊を束ねる長かっこ代理かっことじになってからはや数百年。

 風化するんじゃないかと思うほど平穏無事な日々を送ってきたのだが、ここになっていくらか波風がある。

 退屈は毒のようなものだと、いつか誰かが言っていた。

 それはそうだと思う。 思うのだが。

「…………ねぇ、シルフィさんやぁ、答えはわかったぁ?」

「全然。 ねぇ、こちらとそれ、どちらが良いと思うかしら?」

 こうも堂々かつはっきり言われると次が続かない。

 大人しく問われた衣を見比べ、ビオルは少し考えた後に東雲を見た。

「なぁんで私に聞くのぉ?」

「あなた一応性別あるじゃない」

 精霊は自然の気が凝ったものだ。 そんな彼らに本来性別は無い。

 だが、ビオルはそんな彼らの長であるにも関わらず、器をもっている。

 その器とは肉体だ。 そしてその肉体は少々規格外があっても人間とほぼ同じと言っていい。

 当然、人間の身体が一部例外を除き大体性別がはっきりあるのと同じでビオルも男性という性別を保持していた。

「性別だあるんだから、男としてどんな衣が気になるか言えるでしょ」

「いやいやいや、何かぁ、紙一重な事いわないでぇ?!」

「何が?」

「……はぁ。 とりあえずぅ、性別はあまり当てにならないよぉ? 服装なんて好み次第だものぉん」

「そうなの?」

「シルフィさんや、まず大前提なんだけどぉ」

「何?」

「それぇ、誰に見せたいのぉ?」

 その言葉に、問われた東雲は眼を瞬いた。

 衣を手にしたまま、微動だにしない。

「誰って……。 え?」

 ビオルは堪えた。 溜息を盛大につきそうになるのと引き換えに、一番基本的なことを諭すように口にした。

「あのねぇん? “男性”の意見が欲しいってことはぁ、シルフィさん自身が着てみたいとかじゃぁなくぅ、“誰か”に“見せたい”って事でしょう? それならぁ、その“見せたい誰か”を基準にしないとぉ、そもそも意味がないよぉん」

「見せたい、相手……?」

「そうだよぉ」

 衣を手にしたまま呆然としたように同じ言葉を繰り返す東雲に、ビオルは今度こそ溜息をついた。

「シルフィさんや。 自覚した方がいいよぉ? シルフィさんはぁ」

「待って。 待ってビオル。 言わないで!」

 悲鳴じみた制止よりも、一歩ビオルが先だった。

「恋をしたんだよぉん」

 恋。 あれに?

 あの、ちょっと頭の中大丈夫かどうかもわからない、あれに?

 信じられなかった。 何で? どうして? 何でよりによってあれに?

「……ねぇん、何か新婚の奥さんとは思えない事、思ってないかいぃ?」

 ビオルの掛けてくる言葉も今の東雲には遠かった。

 頭の中は絶賛混乱中だ。

 冷静に考えてみようとして自問自答する。

 あれのどこに恋すべき点があると言うのか。 むしろ恋をしたと言う事はどこかに惚れたという事のはずだが、それならばどこに?

 精霊である自分から見ても、あれはどこかおかしい。 絶対に人として大切な何かが足りない。

 無い。 惚れる要素が欠片も。

「シルフィさんやぁ……とぉっても疑問なんだけどぉ、前にも聞いたけどぉ、何でそんな感じなのにぃ、 妻問いに返事したのぉ?」

「馬鹿だからよ」

「…………」

 すぱっと即答した東雲に、ビオルは押し黙った。

 何でそれで結婚を了承する理由になるのかと、言葉にしなくても空気がありありと問い掛けている。

「身の程知らずだし」

 いやいや、普通それでふる事はあっても承知はしないよねぇ!? そう叫びたいのを、ビオルは懸命に堪えた。

「人間の性格の善し悪しなんて簡単にはわからないものだけど、あれはそれ以前にねじ曲がってるし」

 だから何でそれで。

 唯一見える口許を呆れたように布の(かたまり)風情(ふぜい)は歪め、深々と溜め息をついた。

「あの性悪、よりにもよって私の通り道に結界を張って捕えたりしたのよ」

「……ねぇ、シルフィさんやぁ……本当に何でそれで承諾なんてしたのぉ。 馬鹿だって言うならぁ、普通逆でしょうぅ?」

「あれは断ってもそれこそ死ぬまで付きまとってくる予感もしたんだもの」

 いやいや以下略。

 もう何を言えば良いのかわからなくなった。 今の若い子(精霊を若いと言うのも人間と同じにみるのもどうかとは思うが)ってこうなの? と密かに心の中でビオルは手に負えない事態を真剣に見詰めなおす。

「…………あのねぇ……。 どう考えてもぉ、今の話だと承諾する要素が無いよぉ?」

「だから不可解だし、恋なんて有り得ないって言っているのよ。 話を聞いていなかったの?」

「そういう次元じゃあないよねぇ!?」

 忍耐の限界が来たのか、ここ数百、下手したら数千年来出した事のない悲鳴じみた声を布の塊ことビオルは上げた。 それは同時に“私の意見の方が一般的だよね!?”と居もしない誰かにとりあえず認めてもらいたい悲痛さもあったような無かったような。

 気のせいか頭痛がするように思えてビオルは目深に被ったフードの中で頭を抱えた。 が、ふと気づいて最早最後の気力を振り絞るかのように東雲に問い掛ける。

「……通る道に、罠?」

 物凄くスルーするには変な言葉を確かに聞いた。

「ええ。 私が良く通っていた道に人間以外が踏み込むと発動する術をかけて閉じ込めたのよ」

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