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ケアン王国の中心に鎮座する城。
その城内を、蓮人は一人の少女に連れられて歩いていた。いや、正確には後ろを怪しげな服を纏った老人たち──少女が言うにはこのケアン王国に使える宮廷魔導士だっただろうか──が付いてきているのだがそれは数に含まない。
綺麗な大理石の上を歩きながら、蓮人は少し前を歩く少女の横顔を盗み見た。
名前はアリス・アールストン。この国の王女らしい。確かに、王女に相応しい風貌で立ち振る舞いも立派だ。何より、ゲームの中で出てきた王女に瓜二つ。──そして、それは、これがゲームの中の世界であることを忠実に、残酷に蓮人に示していた。
「はあ……」
周囲の人間にばれないように、蓮人は息を吐いた。
流石に、あれから様々なことを立て続けに言われこの世界が夢でないことを納得したのだが。
ゲームのシナリオ通りに。
あるいは、テンプレ通りに事が進むのであればこの後、蓮人は聖剣を手に取って、様々な街を旅しながら魔王を倒しに行くのだ。
そこまで考えて、蓮人は咄嗟に高笑いをしたい衝動を抑え込んだ。
異世界召喚。
それに、こんな自分が巻き込まれるなど……いったいどうしろというのだ。
蓮人は普通の高校生だ。それに加えて、華奢な身体に、身体を動かすことは苦手。一般的に見ても、運動能力はかなり低い。部屋に引きこもってばっかりで、休日は家を出ないなど普通である。
そんな蓮人のどこに勇者の要素が含まれているのだろうか。
出来損ないの勇者。そんな言葉が浮かんで、蓮人は自嘲的な笑みを張り付けた。
──と。
「着きました」
アリスの声が蓮人を現実逃避から引き戻した。
そっと、視線を上げると蓮人の網膜に華美な装飾が施された巨大な扉が映った。
アリスと蓮人が巨大な扉の前に立つと、音なく扉が自動で開き始める。
そして、中の光景が蓮人の視界全面に映し出された。
光が反射し、白く光った大理石。荘厳な様々な装飾品。そのさらに奥には玉座。玉座の両脇から一列に並んで跪く騎士。
その装飾品どれもが光り輝き、そういったものに疎い蓮人にすらとても価値があることが理解できた。
いったい全部売ったら何円になるのだろうか。──と、くだらないことを考えながら蓮人は玉座に座る人物を見た。
おそらく玉座に座っているのだろうから、このケアン王国の王様だろう。
疲れた瞳に、目元には薄ら隈が出来ている。
赤い髪に僅かに混じる白髪が、この王様が苦労していることを示す。
しかし、その体躯から放たれる圧力だけは凄まじかった。
アリスに視線で促され、蓮人が跪くと王様が口を開いた。
「さて、我が呼びかけに応じてくれて感謝する、勇者殿」
「…………」
蓮人が何を言って良いかわからず、無言のまま跪いていると横のアリスがフォローを入れる。
「お父様。勇者様も御前とあって、緊張しているのでしょう。先にお話を進めて下さいませ」
「うむ、そうだな。では勇者殿、もう娘から聞いておるだろうがお主呼んだわけは、今この国が魔王の存在に脅かされておるからだ。わしもこの通り、連日後始末に追われておる。しかし、魔王はそこらの冒険者では倒せなくてな。……そこでじゃ、古い文献に載っておった召喚の魔法で、勇者たるお主を呼んだわけじゃ。だからの勇者殿、我らの国を救うと思って、魔王を倒してくれんか」
その台詞は概ねゲームのものと同じだった。
ゲーム通りであればここでの解答は、イエス以外勇者たる存在は口にすることは出来ない。
だが、蓮人はさらさらイエスと言うつもりはなかった。
これは、ゲームではない。
現実だ。
だからこそ、そんな危ないことを引き受けるわけがない。
蓮人は拒絶の言葉を口にしようと顔を上げて。
目の前の光景を見た。
「────ッ」
息が詰まる。
この場における者の全ての視線が蓮人に照射されていた。
期待。憐憫。失意。
それらが混じり合った視線と有無を言わさぬ圧力が蓮人に襲いかかる。
「で、どうなのじゃ……勇者殿」
「お、俺は……」
その先を紡ぐことは出来なかった。」
視線と圧力が更に強くなったからだ。
汗がしたたり落ちて、蓮人の思考が硬直した。
もう逃げ場はどこにもなかった。
あるはずもなかった。
絶対的に断れない。断った瞬間、それは蓮人の死を意味する。それぐらいの圧力だった。
「……わかりました」
小さく、それでもはっきりとこの大広間全体に聞こえる声が蓮人の口から漏れた。
瞬間。
圧力が消え去り、蓮人は解放される。
最初から決まっていたのだ。
このシナリオは。
「うむ、勇者殿の決断嬉しく思う」
王様のその言葉でこの場は終幕した。
「勇者様、魔王討伐を決心していただいて嬉しいです」
「はは、ありがとう……」
アリスの輝くような笑みに、蓮人はぎこちなく笑みを浮かべて応えた。
王様との謁見を終えた蓮人は、城の横にあるに闘技場に案内されていた。
次なるステップ──聖剣を取りに行くのだ。これもゲーム通りである。
勇者たる証。それが聖剣だ。
その刃は特殊な力を持ち、使用者に強者たる力を授ける。──とは、ゲームの中での解説で、それと同じ効果を持つのであれば、運動が苦手の蓮人でも勇者足り得る力が手に入るのかもしれない。と、蓮人は期待しつつアリスの背中を追いかけていた。
闘技場のなかに入ると、この国の兵士が訓練していたようで、アリスと蓮人の姿を捉えると一動に跪く。
ただ、蓮人には様々な視線が投げかけられ、その多くは蓮人の資質を見極めんとするものだった。
期待から失意に変わりつつ視線を、蓮人はなるべく無視して闘技場の中央に突き刺さる聖剣を視界に入れた。
刀身の半分ほど地面に突き刺さり、柄を上にしている状態。
幅広は広く、刀身は白銀。
華美な装飾が施され、美術品としても一流のものだろう。
「さあ、勇者様お願いします」
アリスの声に促されて、聖剣に歩み寄った蓮人は柄に両手をかけた。
訓練していた兵士も一斉に手を止めたのか、闘技場中が静まり返る。
蓮人は大きく息を吸い込み。
「うおおおおおおおおおお────っ」
期待の籠った視線を背中で受けながら、絶叫し、柄を握った両手に力を籠め。
抜く──
「────」
──ことができなかった。
何度も力を込めるがびくともしない。
蓮人が振り返って、見回すと唖然とした兵士とアリス。
「どうされたのですか?」
「あー、えっと……」
アリスがおそるおそる、蓮人に訊ねる。
その視線に耐えられず、蓮人は引きつった笑みを浮かべた。
「何か、聖剣抜けないみたいです」
ゲーム通りではないシナリオに、蓮人は困惑しながら頭を掻いた。