出会い
1
目がちかちかするくらいの電飾や、車のヘッドライトに照らされながら、私は夜の街をとぼとぼと歩く。体がだるい。久しぶりに働いたせいだろうか。今日は、彼女に振られてから四日目。この三日間は、ショックのあまり寝込んでいた。情けなくて、自分を吹っ飛ばしたい思いに駆られた。本当に吹っ飛ばさなくてはならないのは、いまだに引きずっている彼女への思いの方だというのに…。
「はぁ~。」
ため息が漏れる。部屋で一人寝込んでいた時も、確かため息ばかりついていたっけ…。きっと、部屋の中はため息で埋め尽くされているのだろうな。そう思うと、アパートへ帰る足取りが、一層重くなる。
一瞬、視界の端に奇妙なものが映った。気になった私は足を止め、後ろを振り返る。
『神』
ビル間の暗がりに、占い屋のようなものがあった。小さな机に真っ黒な布が被さり、歩道から見える部分に『神』と白い文字で書かれている。何かの宗教かもしれない。
机の向こうには、フードを被った人が腰を掛けている。フードのせいで、男なのか、女なのか、年寄りなのか、若者なのかもわからない。
あまり見ているものだから、向こうも私に気付いたのだろう。私に向かって手招きをし始めた。すると、さっきまで重くて仕方なかった足が、スッと、まるで吸い寄せられるかのように、フードの人のいる方へ動き出していた。
「へっへっへ、こんばんは。あんた、何か悩みでもあるのかい。聞いてやるから言ってみな。」
私が近づくと、フードの人は変な笑い声をあげた後、私に尋ねてきた。声からして、どうやら男のようだ。
「悩みなんて、そんなものありませんよ。」
苦笑いを浮かべながら答える。
「嘘をつけ。そんな顔して、悩みがないわけないだろ。」
「そんな顔って…、ただ、仕事で疲れてるだけですよ。」
彼の追い討ちに、作り笑いで答える。
「けっ、何が仕事だ。あんたは今、仕事も手につかないくらいに悩んでいるくせに。悪いようにはしないって。素直に言っちゃいなよ。」
不思議な声だ。太く張りがあり、しかし、どことなく粘り気がある。気が付けば、私はその声に捕まっていた。まるで、蜘蛛の巣に絡まってしまった蝶のように。
「実は、先日…。」
気づけば、私は悩みを打ち明けていた。こんな見ず知らずの男に。不思議な声の持ち主に。
よくもまあ、恥ずかしいことをべらべらとしゃべったものだ。私は、いつしか声に熱が入り、彼女との思い出話や、彼女のいいところなどを熱弁し、今でも胸につっかえている彼女への思いまでも、目の前の男に話していた。まるで、裾から伸びた彼の骨ばった手が、私の咽喉から言葉を引っ張り出しているように、私の言葉は止まらなかった。
「そうか。そりゃあ大変だったな。」
一通り私が話し終えると、彼は全然大変になど思っていない口調で、そう言った。
「で、あんたは、これからどうしたいんだい。どうなりたいんだい。」
私は、どうしたいのだろう。どうなりたいのだろう。彼女を失い、悲しみにくれ、仕事まで手につかなくなってしまった。いったいこれからどうすればいいのだろうか。
「…私は…」
擦れるような声が漏れる。
「私は、すべての人から愛されたい。もう、誰からも嫌われたくないし、誰も失いたくないです。」
男の口元が吊り上るのがフードの下から覗いた。
「へっへっへ。その願い、叶えてやろうか。」
「えっ…。」
「だから、あんたの願いを叶えてやろうかって言ってんだよ。」
そう言い、男は初めて顔を上げた。四十後半くらいだろうか。痩せた頬、肌には苔が生えており、顎には無精ひげが生えていた。そして、だらしなくゆるんだ口元と闇夜の中だというのに、ぎらぎらと輝きを放つ目が、私の目を奪った。
「俺の知り合いに、なんて言ったかな…。ほら、あの相談に乗ったりする。か、か~、カーリング?」
「カウンセリングのことですか。」
「そう、それだ。カウンセリング。そんな感じのをやっている知り合いがいるんだ。そこに行けば、あんたの願いはきっと叶えてもらえるだろうよ。騙されたと思って、いっぺん行ってみるといい。」
彼は、どこから出したのか、そのカウンセリングをやっているというところの場所が書かれた地図を私に寄越した。気乗りはしなかった。どう考えても怪しすぎた。けれど、気づけば、私はそれを受け取っていた。私は、少し気味が悪くなり、「気が向いたら」、とだけ言ってその場を立ち去った。
少し離れてから、私は後ろを振り返ってみる。依然として、暗がりには男が腰かけていた。男の周りは闇に包まれていて、そのうえ私との距離は少しあった。しかし、彼の口元が不敵に吊り上っているのが、私の目にははっきりと見えた。