挫折
『ああ……死ねばいいのに……』
何度も何度も思ったこの言葉……。
介護の仕事に就いている人間にはあるまじき言葉だ。
もちろん実際には死んでほしくはない。
残りの人生を高齢者が実り豊かに過ごすお手伝いをするのが介護の仕事なのだ。
ボクは石田さんの会社を退社した。
そして意気揚々と、ケアマネジャーとして仕事できる会社に就職した。
最初は良かった。
仕事のやり方も分からずに夢中になって働いた。
でもやり方が分かっていないのだから、すぐに行き詰まる。
約1年でボクの仕事は行き詰まった。
まあ、当たり前っちゃ当たり前の話で、仕事のやり方も分からずに仕事しているのでどうしてもやり方が我流になってしまうわけだから、行き詰まるのは当然の話なのである。
ボクが対応したある利用者の家族は、ボクが訪問するたびになんらかのことで怒り、怒鳴ってきた。
ただその人が言っていることはボクには一切伝わらず、こうやって記憶を掘り起こしながら文章にするという作業をやっている今でも、何を言われたのかを思い出せないのだから、人に伝わるように話をするというのは非常に重要なことなのだなと思う。
結局ボクは訪問の度に怒鳴られるという経験をした。
こういう利用者や家族とは今でも対峙することがあるのだけど、実に不思議なことがある。
ボクが逆の立場で利用者やその家族なら……
担当のケアマネジャーと何度か話して『この人には話が通じにくいな』と思ったら、確実に担当を変えてもらう。話が通じない相手はいるし、相性が合わないことも少なくないからだ。
そういう相手に、そんなに怒鳴って無駄に血圧をあげるぐらいならきちんで自分の要望に答えてくれる人に変わってもらえばいいのだ。
にもかかわらず、この手の怒鳴る人に限ってそれをしない。
怒るだけ怒って、また訪問しろというのだ。
こうなると、怒られた方には何で怒られたか伝わっていないのだから何をしていいかが分からない。
その上、怒鳴られているものだから『なんで怒っているのですか?』とも聞けない。
そんなことを聞こうものなら、さらに怒りだすに違いないからだ。
いっそ断ってくれればいいのにといつも思う。
感情的になってしまうと何を伝えていいのかも分からなくなるから利用者としてもただ怒るだけになってしまうし、それに対峙しているケアマネジャーも何を言われているか分からないまま委縮してしまう。
こうなるとケアマネジャーのストレスは大きくなるばかりで、最終的には精神的に病んでしまう。
『ああ……死ねばいいのに……』
冒頭で書いたこの言葉。
かなり大きなストレスの中でそんなことまで思ってしまうのだ。
たぶん……世の中に出ている介護士が利用者を虐待してしまう事例はこんな援助者側のストレスも大きな要因になっているのではないかと思う。
相性の悪いその利用者の死を願うようになってしまうのだ。
もう人間的に好きになれない人の支援を仕事とはいえできるだろうか。
答えは『できない』と言い切らせてもらいたい。
この時のボクがまさにそんな状態だった。
利用者は何を望んでいるのか分からない。
聞けば怒鳴られる。
周りに頼っても誰も助けてくれないし、担当も変わってくれない。
いろいろ教えてもらっても、すでにその利用者の前に行きたくないのだ。何か話せば怒鳴られるかもしれないという怖さがついてきてモチベーションが上がらない。
それが続くと仕事全体のモチベーションが落ちてしまう。
そしてそれは仕事だけでなく自己評価の低下を招く。
最終的には病んでしまい、何もしたくなくなる。
そして……
ボクは鬱病になった。
せっかくできるようになったケアマネジャーの仕事……
残念だがボクは約1年で休職し……半年の期間を経て退職することになった。