少しずつ狂っていく歯車に気づかないまま日常は進む
『今、何してるの?』
『テレビ見てた』
『面白い番組やってる?』
『う――ん……暇だし惰性で見てるかな。未来ちゃんは何してるの?』
同じ介護の仕事をしている岩山未来ちゃんとしょっちゅう連絡を取り合っていたことは前述の通りで、伽耶ちゃんと別れたあとはけっこう頻繁にメールするようになっていた。
『部屋で横になりながら仕事の資料読んでるよ』
『なんかこの仕事って勉強すること多いよね』
『うん……そういえばケアマネジャーの研修はどう?』
『なんかさ。何が何だか分からないね。まあ、ホントのところは仕事してみないと分からないんだろうね』
『倣うより慣れろ的な?』
『そうそう』
まあ、そもそも伽耶ちゃんと付き合っているときは他の女性と親密になるということはいかにも誠意のないことだと思っていたので、試験の話しかしないようにはしていたのだけど、別れた今となってはそんな必要もなく、未来ちゃんとはほぼ毎晩のようにメールしていた。
そして気づけば伽耶ちゃんと付き合っているときよりも楽しい自分がいた。
一人暮らしを始めて好きなように自分で生活することができるというのはとても楽しいことだったのだけど、基本的には一人なので何かあった時に相談できる相手もおらず、そういう意味でもボクは孤立する傾向にあった。
だから未来ちゃんの存在はありがたかった。
そもそもこの頃から鬱病の傾向が強く出だしたような気がする。
当時ボクは訪問入浴の仕事をしていた。
ちょうど介護タクシーの会社を辞めて、石田さんが経営する訪問入浴の会社に就職して、ちょうど1年ぐらい経った頃である。
横浜営業所で一緒に仕事をしていた石田さんとは、前の会社を彼が去って行ってから1年は会うこともなかった。その後、ちょくちょくいろんなことで相談に乗ってもらったりしていたが、直接会うのは2年ぶりぐらいだった。
彼は変わってしまっていた。
まあ、経営者になってしまっていたから、以前、横浜営業所で一緒に仕事をしていた時のような気さくさがなくなっているという点に関しては、世の中、立場が変われば人間も変わってしまうものだということをこの時のボクは理解しているつもりだったからあまり気にはならなかった。
そもそも一緒に仕事をするということは友達気分ではできないものなのである。
今考えると最初からおかしかったのではあるが、彼が事業を拡大しようと考え出したときに、その歯車は少しずつ狂っていった。
ボクは当初、石田さんの会社に行くつもりはまったくなかった。
前の介護タクシーの会社を辞めるときに彼に相談はした。
つまりは会社の社用車をぶつけて、こちらで弁償する必要はあるのか……という相談だ。
彼は快く相談に乗ってくれた。
そして最後に『そんなんだったら辞めてうちに来ればいいじゃん』と言ってくれたのだ。
なんでも……
専用の車を2台に増設したからということでちょうど運転手が必要だということだったのだ。
こんなふうに誘われなければボクは石田さんの会社には行くつもりはなかった。
というのも……
仲の良い人間の会社にいけば、今までの人間関係はすべてなくなるからだ。
これを読んでいる若い人には覚えておいてほしいのだけど、仲の良い友人と事業をするということになれば、それはその友人とは友人ではなくなるということを覚えておかなければならない。
それだけ事業を行うということは難しいことなのだ。
訪問入浴だけやっていた石田さんは事業を拡大したいと話し出した。
それはちょうどボクがケアマネジャーの資格をとって実務研修も終えた頃。
伽耶ちゃんと別れてすぐの話である。