白羽の矢
話しを訪問入浴時代の話に戻したい。
時系列で言えば、横浜営業所がなくなって、鎌倉営業所に異動になったばかりの春のことだった。
異動で鎌倉営業所に戻ってきたボクは訪問介護の仕事をしていた。
この仕事をしていたことが原因でボクは会社を辞めることになる。
その話に関しては『友情?』と『話がある』というタイトルの話の時にとりあげたので詳しくはそちらを読んでいただけるとありがたい。
時間的にはその頃より少し前の話。
みつば姐さんと知り合うほんの少し前の話である。
訪問介護は男性にはあまり向いていないのだけど、それでもなんとかボクは与えられた仕事をこなしていた。
『できれば阪ちゃんに夜勤もやってほしい』
当時のサービス提供責任者であった窪田さんは社員だけの会議でボクと黒石さんに言った。
窪田さんとしては、新しいヘルパーが入るまでの限定でということで彼女はそれを強調していた。
彼女もまた、訪問介護という仕事はよほど特殊な場合を除いて男性よりも女性の方が向いているということをしっかり理解していたからだ。
余談になるが、けっして男性が必要ないわけではない。
ただ男性よりも女性が必要とされることが多いということは否めない仕事なのである。
窪田紗莉さんはボクが横浜に行く前に入ってきた訪問介護のヘルパーさんで、責任感の強い女性で、入ってきた当時から夜勤もやっていたベテランだった。
『大丈夫ですよ』
ボクは窪田さんの申し出に二つ返事で答えた。
『ありがとう。最初は何回か同行するからね』
横浜営業所が閉鎖してから鎌倉営業所に戻ってきて、その時のボクの肩書は介護保険請求担当だった。
ボクは介護保険請求で分からないところを本社や他社のケアマネジャーと話をして解決するというのが、この時のボクの本業だった。
実はこの時の経験はケアマネジャーになったあともちょっと生きていたりもする。
この本業があるにもかかわらず訪問介護のヘルパーを引き受けたのは、会社の事情をよく理解していたからである。
当時の鎌倉営業所には訪問介護のヘルパーが少なかった。
滞在型と言って直行直帰で何件かの家に訪問に行くヘルパーさんたちを含めても人員不足で、巡回型で身体介護を専門に回るヘルパーはボクを含めても3人しかいなかったのだ。
シフトをみれば明らかに人が足りていないことぐらい誰でも分かる。
そしてこの訪問介護。
誰でも回れるわけではない。
当時でいう『ヘルパー2級』、現在は『介護職員初任者研修』を受ける必要があるのだ。
この資格を取得するのにけっこうな時間がかかる。
資格を持っている人間を確保するというのは簡単なことではない。
資格を持っていても訪問介護の仕事は嫌だと言って会社を辞めていく人も多いし、会社に資格を取らせてもらっておいて『訪問入浴の仕事がいい』と言い張るスタッフもいる。
つまり巡回型のヘルパーの確保は緊急事案でありなんとかしなければいけない問題だったのだ。
そこへ……ヘルパーの資格を持つ社員がやってきたのである。
これは白羽の矢が飛んできて当然だった。