役所広司
『ノート、とれた?』
雉谷さんとの話は勉強のことが中心だったが、たまにドラマの話もした。
正直な話、ボクはドラマにはあまり興味がなかったけど、周りのみんながアニメなどは見なくなっていたので、話を合わせるために仕方なくドラマを見ていたのだ。
仕方なく……
そういったが実は見始めるとドラマも面白いなあと感じるようになっていたから、そこまで仕方ないという感じではなかったのかもしれない。
そもそもボクは他人に言われて始めた趣味が楽しくなることが多い。
例えば、結婚するまではミュージカルなど欠片も興味はなかったのだけど、かみさんに付き合って劇団四季の『ライオンキング』を見に行ってからはミュージカルの魅力にどっぷりはまってしまった。
仕方なく……ではなくどうせやるなら楽しくやりたい、という気持ちが強いのかもしれない。
こうやって増えて行った趣味は多く、ボクが多趣味なのはそういう自分の性格に起因していると自分では分析している。
『なんとかとれたよ』
『ちょっと書き忘れたところがあるから見せて』
『ああ、いいよ』
雉谷さんはボクのノートと自分のノートを見比べて、足りない部分を書き足していた。
なんかその一生懸命さを当時は何も感じなかったのだけど、今となってこうやって思い出してみるとものすごくかわいく感じてしまう。ただその感情はどうにも恋愛というものではなく、娘に向ける父親の感情に近い。
自分も歳をとったと感じた瞬間でもある。
『最近、なんか面白い番組とかある?』
雉谷さんはノートを取りながら言ってきた。
黙ってノートだけ写すのは間が持たないと思ったのか、彼女はボクに話しかけてきた。
『う――ん……特にないかなあ……時代劇見てるよ』
ボクはこの頃、よく時代劇を見ていた。
というのも時代劇なら見ていても『ちょっと変わったやつ』として見られるだけで『幼稚』と蔑まれることもなかったからだ。
小学生の頃から時代劇は好きだったが、中学に入りアニメが見れなくなってからは唯一のボクの楽しみは時代劇だった。
『時代劇?』
『うん。けっこう面白いよ』
『へええ……おじいちゃんとかが見てるけど』
『そうなんだ。ボクも最近の話題にはついていけなくて……』
『あはは。そんなことないでしょ』
いや、あながち冗談ではなく当時のボクは周りの中学生が好むような話はあまり好きではなかった。
恋愛系の話にはついていけないし、みんなが見ているバラエティはうちでは見せてもらえなかったし、自分的にもそこまで見たいとも思っていなかった。
『時代劇って水戸黄門とか?』
雉谷さんは聞き上手だった。
基本的にこちらの話を否定しない。
この否定しないというのは非常に大事なのだ。
もちろん自分の中にない話をなんでも肯定する必要はない。しかし肯定しなくても否定もしないという会話のテクニックは存在するのである。
彼女はそういうことが実に上手だったように思える。
今振り返って考えると、ボクはこういう聞き上手な女子からよく声をかけられていたような気がする。
……ような気がする……だけで気のせいかもしれないけど。
『うん。水戸黄門も好きだけど、今は『三匹が斬る』かな』
『ふうん。誰が出てるの??』
『役所広司っていう人だよ。知ってる?』
『知らない……』
『だよね』
今となっては信じられない話だが、当時、俳優の役所広司さんはあまり有名ではなかった。
彼が若い時に出演していたのが『三匹が斬る』で、通称『千石』、久慈慎之介役だった。
実はボクは当時から役所さんのファンだったのだ。
『面白い番組もないし、1回見てみようかな――』
雉谷さんはそんなことを言っていた。
そのあとも彼女とはテレビの話や勉強の話など、とりとめのない話をして学期末まで過ごした。
あまり面白くもなかった中学生活だったが、この時期はちょっと楽しかった。
季節は廻り、ボクは中学2年に進級した。
雉谷さんとはそれきり……。
中学の頃のほんのり甘い恋の思い出だった。