卓球
卓球の腕はボクもごんちゃんも同じぐらいだった。
石田さんは気を利かしてくれたのか読書コーナーで本を読んでいた。
『身体動かすのって楽しいですよね』
卓球をやりながら、ごんちゃんがそんなことを言った。
楽しそうな彼女を見ると、また一緒に来たいなあ……と思ったが、もちろんそんなことを口にすることはできなかった。
あの時、ボクが自分の気持ちを正直にごんちゃんに伝えていたら、『あの時の彼女が今の妻です』になっていたのかもしれない。
しかしボクはそうすることができなかった。
ごんちゃんのことが嫌だったわけではない。
以前も書いたとおりだが彼女は可愛かったし、一緒に仕事をしていても楽しかった。
フィーリングも合いそうな感じがした。
でもあの時のボクは、仕事もろくにできもしない自分がそんなふうに女性に声をかけるのは失礼なことなのかもしれないと思っていた。
横浜営業所の所長として半年ほど仕事をし、年末に気持ちが折れて心身共に病んでしまい、その後、社員からパート社員に降格させてもらい、ここに来て、ようやく気持ちも元に戻り始めていてはいたのだが、それでもあの時点ではまだ心が疲れていたのだろう。
『球技は楽しいですよね。普段、何かやってるんですか?』
『やってないんですよ。ただ好きなだけです』
『ボクも同じですね』
『え――。阪上さん、がっちりしてるし何かスポーツやってきた人なのかと思った』
『実は何もやってないんですよ。学生時代も鉄道研究部です』
地区センターで卓球をやりながら終始笑顔でボクはごんちゃんと話した。
なんだか楽しい時間ではあったのだけど、同時に不思議な時間でもあった。
一体、ボクは何がしたいのだろうと一瞬思ったのだけど、あまり難しいことは考えるのは辞めようとも思った。
休憩時間はあっという間に終わった。
卓球をしてから、仕事に戻って、終始、ごんちゃんとボクは何かと楽しく話をした。
彼女ができるときと言うのはこんな感じなのかな……
そんなことが頭をよぎったりもしたけど、不思議とドキドキした感じはしなかった。
たぶんボクが年末に精神的に病んでいなかったら彼女と恋に落ちていたのかもしれない。
ロマンティックな恋愛も精神的に疲れていると気持ちが受け付けないのだろう。
なんかいいなあ……とは思うものの、それ以上何か……と言う気持ちにはなれなかった。
そんな毎日の中、時間はあっという間に過ぎていった。
横浜営業所は閉鎖してしまい、石田さんは辞めてしまった。
ボクは鎌倉営業所に異動になった。
実は、鎌倉営業所に異動になった後に、ごんちゃんから会社に電話があったのだ。
『阪上……』
鎌倉営業所の所長になった黒石さんから呼ばれた時は何があったのかと思った。
ボク宛の電話など事務所にかかってくるわけもない、そう思っていたからだ。
『田敷さんという人から電話だよ』
『田敷さん?』
『ああ、横浜営業所でパート契約していた看護師さんらしい』
『え――と……』
いきなり田敷さんと言われてもよく分からない。
それに看護師の管理に関しては横浜営業所があるときはボクがやっていたのだけど、今に至っては鎌倉営業所の所長でもある黒石さんが管理するべきではないかとも思い、ちょっと混乱した記憶がある。
田敷節子さん……
それがごんちゃんの本名であることに気づいたのはボクが黒石さんから受話器を受け取って電話に出てからだった。