軽率
次の日。
ボクは黒石さんに辞表を出した。
正社員だったので30日前に退職願を出すのが通例ではあったが、そんなことはどうでもよかった。ボクとしては月末まで残りの15日ぐらいで辞めてやるのがせめてもの会社に対する仕返しだった。
確か時期的に年末だったので、12月29日かそこらで辞めた記憶がある。
辞表を出した時の黒石さんのしたり顔は忘れられない。
彼は事あるごとに言うことを聞かないボクを辞めさせたかったのかもしれない。
黒石さんはしたり顔だったが、ボクはそんな黒石さんを見て『やっぱりこの人は何も考えてない』と思った。というのは、当時ボクは訪問介護のシフトをメインで動いており、ボクが抜けたらその抜けた分を埋めるヘルパーがいなかったからだ。
黒石さんは全体の業務を見通した判断ができなかった。
そもそも19時から22時までの夜勤帯に動けるヘルパーがいないから社員のボクが回っていたのだ。
そんなことは誰の目からも明らかだった。
だからボクが辞表を出したとき、黒石さんがその辞表を受け取りながら、嬉々とした顔で『やっぱり悩んだ?』と聞いてきた時には、もしかしたらすでに次のヘルパーは決まっているのかな? と思ったぐらいだ。
まあ……いくら黒石さんでもそのぐらいのことは考えているだろう。
そんなふうに思いなおして拍子抜けしたのを覚えている。
辞表を出して2日後くらいだっただろうか。
黒石さんはまたもやボクを別室に呼んで言った。
『井坂に相談したんだが、おめえが抜けちまうとしばらく仕事が回らなくなるらしいんだよ。だから辞めるのは来年の3月ぐらいに……』
ボクはその言葉を聴いて『今更??』という感じだった。
普通、ちょっと考えれば担当者に相談しなくても分かることである。
シフト表を確認すればいいのだ。
ちなみに井坂というのはアズーの名字である。
その頃はアズーが訪問介護の担当者でシフトを組んでいた。
アズーの性格上、ボクのミスは許せなかったようで、ボクは彼女からもいろいろ言われたのを覚えているが、こちらが『すみません』と何度も言っているのに数日にわたって顔を見るたびにしつこくきつい言葉を投げつけてきた。
『じゃあさ。シフト外してくれてもいいよ!』
『何?! その態度!』
『いやじゃあさ、井坂さんは失敗しないわけ? いつも完璧な仕事できんの?』
『それは……』
『だろ! そんなに偉そうに言うならシフトから外して自分がすべて回ればいいじゃんよ!!』
あまりにしつこかったのでボクも頭にきてアズーに言い返してしまった。
後で聞いた話だが、彼女は一人で更衣室で泣いていたようだ。
確かにボクは言いすぎた。
それは反省すべき点なのだけど……
アズーはその性格で泣かしてきた新人のヘルパーたちも多い。
だから彼女にはもう少し言葉を選んで大人の対応ができるようになってもらいたいと思ったのも事実だ。
話は少しそれてしまったので本題に戻そう。
黒石さんはアズーに聞いて初めてボクがシフトの中心にいることを知ったらしい。
この会社もボクのことをどうこう言う前に、『危機管理』と言う言葉をどこかに置き忘れてきたような人に営業所長などやらせて、馬鹿じゃなかろうか……とその時ボクは思った。
当然のことだけどボクは、辞表を出した時点で『辞めるのはもう少し待ってくれ』と黒石さんが言ってきたとしても、待つつもりなどなかったから、ここでの答えも当然『否』である。
したり顔をするのはボクの番だった。
『そんな都合のいい話がどこにあるんですか? ボクはあてにしないように社長直々のご沙汰じゃないですか。忠実なイエスマンの黒石所長はそれに対してイエスとしか答えられなかったんでしょ。言っておきますが、ボクは12月29日以降は土下座されても出勤しませんからね!!』
え――――と…………。
こんな激しいことはたぶん言ってません。
これを書いている時にこのぐらいは言ってやればよかったと思ったのでちょっと書いてみました。
とにかく、ボクは黒石さんの言うことは一切聞く耳を持たず、しっかり12月29日で辞めたことを覚えている。




