みつば姐さん
介護保険が始まって1年ちょっと経つと営業所にいるメンバーも顔ぶれが変わってしまった。
横浜営業所は所長になったボクが精神的に病んでしまったので、少しの間、会社を休んで、話し合いの結果、所長の職は免じてもらい、ただのパートの職員に戻った。
そうなると代わりに所長になるものがおらず、しばらくは鎌倉営業所の所長であった上原さんが兼任していたのだけど、彼もまた年が明けて春がやってきた頃には退職することになり、結果的に会社としても遠く埼玉から二つの営業所を管理することは難しいと判断し、横浜営業所は閉鎖することになってしまった。
結局、横浜営業所に関しては、ボクが入社した時から、開設すると言い続けて事務所まで探したにもかかわらず、なかなか開設することなく、ようやく開設したと思ったら、営業所長が精神的に病んでしまい、開設したのも遅かったからコストだけがやたらとかかり、当然といえば当然な話だけど、売り上げも上がらない状態だったから、閉鎖するという本社の判断は間違っていないとボクは思った。
この時に、先発事業所の鎌倉営業所は少しずつ売り上げを下げていた。
なんで下がっていったのかは、当時ボクは鎌倉にいなかったので分からないのだけど、売り上げの伸びしろだけで考えると横浜営業所の方が先が見える状態で、そういうことに関しては数字に表れていたから、横浜営業所を閉鎖した……ということはこのままでいくと次に閉鎖するのは鎌倉営業所なんだろうな……と予想はしていた。
だから、この頃には近い将来、ボクは会社を辞めるつもりでいた。
いろんなことを見通して仕事を辞めるというふうに判断したのはこの時が最初で最後である。
余談になるが……
数年後、違う会社で仕事していたボクにヘルパーのみつば姐さんから鎌倉営業所の閉鎖を知らせるメールが来た時には、あの時の自分の判断は間違っていなかったと思った。
さて、このみつば姐さんと出会ったのが横浜営業所が閉鎖して、ボクが鎌倉営業所に戻った頃の話。
辞めた上原さんの代わりに所長になったのは黒石さんだった。
どこか他のところで書いた記憶があるが、この黒石さんと言う人は、悪い人間ではないのだけど、営業所長の器ではなかった。
なぜそうなのかということに関しては別の機会に話そうかと思う。
彼が所長になったという人事を見て、ボクははっきり本社が神奈川での事業展開をあきらめたのだと確信したのを覚えている。
『よろしくお願いします』
ボクは横浜営業所から異動になった初日にみつば姐さんと仕事することになった。
彼女の本名は塩西みつば。
ちょっと変わった苗字だった。
『塩西です。よろしくお願いします』
みつば姐さんはこの頃、30代前半。
ボクが20代の半ばだったので大体一回りぐらい年上の女性だった。
手足が長く、全体的に細身で、赤いワンピースが似合いそうな女性で、顔は面長で瞳は二重、まつ毛は何もしていなくても長くて目元がくっきりしており、鼻筋が通っており……まあ、一言で言えばなかなかいない美人だった。
しかも彼女は独身。
だけど離婚歴が3回もある……
通常なら言いづらいことも彼女はあっけらかんとした顔でにこやかに話してくれた。
『結婚って難しいね』
『そ……そうなんですか?』
『うん。なんでだろうね。なんかうまく行かないんだよねえ』
『そういうもんなんですかね?』
『どうなんだろ。あはは。3回失敗したけどまだ分からないや』
彼女のこの底抜けに明るいキャラクターはみんなに好かれていた。
ボク自身、彼女と仕事するのは楽しかった。
ただ……
この頃のボクは色恋話をされたからといって有頂天になることもなく、あくまで冷静に目の前の仕事をこなすことに集中しているつもりだった。