独りが好き
遠くから来てくれている応援の看護師に対して、また来たいと思ってもらえるように、ボクは丁寧に接していた。
『荷物はボク持ちますから生命兆候だけやってくれたらいいですよ』
『いいんですか? 申し訳ないですよ』
『大丈夫です。そのための男手ですから』
『すみません。ありがとうございます』
重い荷物を持つ仕事は基本的にはボクがすべて行うようにした。
一緒に仕事しているヘルパーさんも女性だから、彼女らには洗体や着衣などの介護の部分に尽力してもらえるようにしたのだ。そうすれば荷物を持って移動するという負担は少しでも軽減できるからだ。
実際、一緒に仕事した女性たちからの評判は良かった。
ボクは恋をしていない時は基本的にいい仕事をするのだ。
不思議と人を好きになってしまうとこの気遣いができなくなってしまう。
好きになったその人しか見えなくなってしまうからだろう。
酔っぱらったイズミちゃんが呂律の回らなくなった声でそんなことを言っていた。
確かにそうなのかもしれないな……。
その時、ボクはそう思った。
だからしばらくは人を好きにならないようにしようと考えたのだ。
『阪上さんって休みの日は何してるんですか?』
移動中の車の中で助手席に座っている富久田さんはボクに言った。
『休みですか……そういや最近休んでないですね』
信じられない話なのだが、介護保険が始まった当初は休みなしで仕事をしていた。
今だったら絶対にやらないがその時は自分が必要とされる感じが心地よかったので必要以上に仕事をしていたのである。
『ええ――! 忙しいんですね』
『まあ……はい。なんか忙しいですね』
なんだかしまらない返事をしてしまったのは当時のボクがどうしてこんなに忙しいのかも分からずに仕事をしていたからである。
そもそも、介護保険が始まる前には現場仕事しかしておらず、どんなシステムでお金が動いているかも、どんな制度でどんな書類を元に自分たちが仕事をしているかも分かっていなかった。
これらのシステムが介護保険に切り替わった瞬間、すべてが変わってしまったので、忙しくなったのだけど……ボクがそういうことが分かるようになるのはこの時から1年ぐらい経って、ボクが横浜営業所に異動になる頃だった。
『適度に休んだ方がいいですよ』
『そうですね……富久田さんは休みの日、何やってるんですか?』
『あたしですか? あたしは独りで車運転して出かけてます』
『独りで?』
『はい。独り、好きなんですよ』
実はこれを書いていて気付いた……
ボクが書いた『隣の二階堂さん』という小説の主人公である二階堂さんはこの富久田さんがモデルになっているのかもしれない。まあ、正確にはモデルにしたというよりは、記憶に眠っている彼女のエピソードを二階堂さんに投影したと言った方が正解なのかもしれない。
とにかく、彼女は独りを楽しめる人で、なおかつ人当たりも悪くなかった。
『どこに出かけるんですか?』
『えっとですね……話すと長くなるんですけど、白地図を買って日本全国を車で行こうと思うんですよ』
『へええ……それは面白そうですね』
『そうですか? 面白そうって言ってくれたの阪上さんだけですよ』
『え? そうなの? いや普通に楽しそうだけど』
『みんな最初はそうやって言ってくれるんですよ』
『でしょ。だって面白そうだもん』
『でも付き合い悪いって言われますよ』
『ああ……自分の趣味が優先になるから?』
『そうそう。でもさ。別に自分の時間なんだから人に合わせたくないじゃないですか?』
『それはなんとなく分かるなあ』
『分かります?』
調子のいいことを言っていたが、実は当時のボクはあまり分かっていなかった。
というのも富久田さんは『独りが好き』で独りでいることが多かったようだけど、ボクの場合は『付き合ってくれる人がいない』から仕方なく独りでいたからだ。
そんな中でも独りでの楽しみ方をなんとなく分かってきたボクだったから、彼女の気持ちは分かった気になれたのだけど、寂しがり屋のボクと彼女では価値観の根本が違うので、そんなところを彼女は見透かしていたのかもしれない。