クラブで出会った彼女
月曜日から金曜日までの五日間、KENの時間は死んでいる。
北関東の無機質な工業団地。巨大な波トタンの工場の中で、油の匂いにまみれながらベルトコンベアの前で同じ作業を繰り返す。機械の単調な駆動音は、彼の生命力を少しずつ削り取っていくヤスリのようだった。彼が「自分は今、生きている」と確信できるのは、土曜の夜だけだ。
片道二時間以上かけて湘南新宿ラインで渋谷へ向かい、地下深くにあるクラブの扉を開ける瞬間。鼓膜を破らんばかりの重低音が全身を殴りつける。フロアを揺らすキックの四つ打ちは、KENにとって冷え切った血を全身に送り出すための、巨大な外部の心臓だった。レーザーの閃光が飛び交う中、見知らぬ群衆と体を揺らし、アルコールを喉に流し込む。その空間では、誰もが匿名であり、誰もが現在というこの一瞬だけを生きていた。
KENにとって、そこで出会う女たちとの関係もまた、その夜限りの消費物にすぎない。名前も知らない、素性も知らない女と朝まで過ごし、始発の気配が近づく頃には冷たく背を向ける。「二度目」はない。それは彼の絶対のルールだった。関係性を築くことは、面倒な日常をこの神聖な週末に持ち込むことを意味するからだ。日曜の夜、一人きりの薄暗いアパートのベッドに倒れ込むとき、身体に残る重低音の余韻だけが彼を慰め、また始まる灰色の五日間を耐えるための鎮痛剤となっていた。
その夜も、いつものような結末を迎えたはずだった。先週の土曜日、フロアの隅で目が合い、そのままホテルへ行った女。派手なメイクに、露出の多い服。互いに偽名しか名乗らず、朝陽が昇る前に別れた。KENの記憶の引き出しの中で、彼女はすでに何十番目かの「名もなき一夜」として分類され、鍵をかけられていた。
水曜日の深夜。残業で疲れ果てたKENは、アパートから徒歩三分、国道沿いのポツンと明るいコンビニエンスストアに立ち寄った。弁当と缶ビールをレジに置く。
「いらっしゃいませ」
その声に、KENは財布を探る手をピタリと止めた。白々しい蛍光灯の下、青と白の野暮ったい制服を着て、すっぴんに近い顔でバーコードリーダーを握っている小柄な店員。名札には『佐藤』とある。
彼女もまた、KENの顔を見上げて息を呑んだ。
重低音も、レーザービームもない。虫の音しか聞こえない北関東の深夜のコンビニで、渋谷の地下で消費したはずの「非日常」と、圧倒的な「日常」が正面衝突したのだ。
「……なんで、ここに」
KENの間の抜けた声に、彼女は少しだけ頬を赤くして、小さな声で答えた。
「地元、ここだから。……渋谷には、たまに息抜きで」
聞けば、彼女もまたこの退屈な街で働き、土曜日の夜だけ煌びやかな鎧を纏って都会へ逃避していた同類だった。クラブでの挑発的な笑顔はそこにはなく、深夜シフトの疲労と、見られたくない素顔を見られた気まずさが彼女の表情を彩っていた。
なぜか、KENはそのすっぴんの顔から目を離せなかった。クラブの薄暗がりでは気づかなかった、伏せられた長い睫毛や、レジ袋にテープを貼る指先の小さな傷。それらはすべて、彼女がこの現実世界で確かに呼吸し、生活を営んでいるという証だった。彼女も自分と同じように、何かをすり減らしながら毎日を生きている。その事実は、どんな重低音よりも強くKENの胸の奥を揺さぶった。
「あのさ」
会計を終え、店を出ようとしたKENは振り返った。絶対に破らないはずだった自分のルールが、音を立てて崩れていくのを感じていた。
「明日、シフト入ってる? もしよかったら、その……終わった後、少し話さないか」
彼女は驚いたように目を丸くし、やがて、少しだけはにかむように静かに頷いた。
アパートへの帰り道、袋の中で揺れる缶ビールの音を聞きながら、KENは自分の胸に手を当てた。クラブの擬似的な心臓に頼らなくても、そこには確かに、自分自身の力で静かに、けれど力強く脈打つ熱い鼓動があった。土曜日の夜だけじゃない。明日が、何でもない木曜日の夜が来るのが、彼は生まれて初めて待ち遠しかった。
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