おもしろ残念おねえさん。
うちの部署には、一人の女神がいる。
神白薫子先輩。
年齢は本人の強い希望により永遠の秘密だが、おそらく俺の数個上。
腰まで届く艶やかな黒髪。
モデル顔負けのスタイル。
オフィスを歩けば誰もが振り返る。
黙々とパソコンに向かっている姿は、どこからどう見ても『クールでデキる大人の女性』だ。
入社したての頃、俺はそんな神白先輩を見て「なんて完璧な人なんだ」と感動を覚えた。
こんな素晴らしい人と仕事ができるなんて、面倒くさい就活を頑張った甲斐があるというもの。
「あ、ここ。数字がズレてるよ。こっちのシートとリンクさせておいたから、次から気をつけてね」
「すみません、助かります!」
今日の先輩も、仕事は完璧だ。
俺の些細なミスも素早くカバーし、嫌味の一つもなくさらりと直してくれる。
「いいのいいの。最初は誰でも間違えるから。はい、これお茶」
トン、とデスクに置かれたペットボトル。
これまたさりげない優しさに、俺は危うく惚れそうになる。
いやまあ、惚れていると言えばそうなのかもしれないが、憧れにも近いかもしれない。
「あ、そうだった。書類に押す印鑑が……」
先輩が自分のデスクに戻り、一番下の大きな引き出しを勢いよく開けた。
その直後。
コロンコロンと、引き出しの中から大量の小物が飛び出してきた。
「あっ」
それは、ピンクや黄色、水色といったパステルカラーに彩られた、丸っこいキャラクターたちのぬいぐるみだった。
大小様々なサイズのそれが、雪崩のように床に散らばる。
「えっ、先輩、それって……」
「ちっ、違うの! これは、その、妹の……じゃなくて! そう、親戚の子供に頼まれて一時的に保管してるだけなんだけど!」
言い訳が見苦しい。
こんなに慌てて説明するという事は、間違いなく私物だ。
「……あああああ、でも、可愛いいいっ!」
ほんの三秒だったと思う。
衝動が抑えられないとばかりに、先輩は床に転がった一番大きなウサギらしきぬいぐるみを抱きしめ、頬ずりを始めた。
「あぁ〜、このフォルムしゅき……おめめキュルンキュルンでちゅね〜。はおふう……癒やされるう……」
「先輩、いろいろ溶けてます。ここ会社ですよ」
クールでデキる大人はどこへ行ったのか。
今はただ、可愛い草食獣に狂う獣がそこにいた。
先輩はハッとして慌ててぬいぐるみを引き出しに押し込み始める。
「み、見てないよね!? 今の、クールな私のイメージ、崩れてないよね!?」
「自分でそんな……大丈夫です、崩れてません」
「うわあああん! ありがたや! 後輩くん優しい!」
わんわんと喚きながらぬいぐるみを片付ける姿は、やはりどう見ても残念なものだった。
その日の昼休み。
社員食堂で、俺は先輩と向かい合ってランチを食べていた。
周りからの羨望のまなざしが痛い。
「先輩、さっきは仕事のフォローして下さり、ありがとうございました。本当に助かりましたよ」
「えっ? ああ、ううん。全然いいのよ、気にしないで。困ったら、いつでも先輩に任せなさい」
「いやいや、先輩がいなかったら今日中に終わりませんでしたよ。仕事も早いし、いつも気遣ってくれるし。先輩って、本当に美人なのに気取ってなくて、すごいですよね。尊敬してます」
少し大げさかと思ったが、俺の言葉に嘘はない。
別に口説いているわけではなく、純粋な称賛だ。
いやまあ、ほんのちょっと期待してなくもないが。
しかし、神白先輩にとって、この称賛は猛毒だったらしい。
「っ!?」
先輩が箸で持ち上げていた唐揚げが、ポロリと皿に落ちる。
みるみるうちに、その頬が真っ赤に染まった。耳まで赤い。
「えっ、あ、ええっと……そ、そそそそ、そんなことないわよ!? わたしなんて、全然、その、ただのおせっかいっていうか……!」
なんだか、そういう反応をされると余計に押してみたくなるのが人の性。
「いえ、本当に尊敬してます。美人で仕事もできて、なによりめっちゃ優しいですから」
「ちょ、やめてよっ……! もおおお!」
先輩は目を泳がせ、両手で顔を覆ったり、髪をぐしゃぐしゃにしたりしている。
今までだって、何度も褒められたことはあるだろうに、この耐性のなさは心配になるレベルだ。
さらにズルいのは、このままでも十分、可愛い先輩として成立してしまうところだろう。
この調子で、ちょっといい雰囲気になるかなと、俺はほのかな期待をした。
だが、彼女の照れは、暴走する。
気恥ずかしさの一定値を突破した先輩は、突如バンッと机を叩いて立ち上がった。
「あはははは! なに言ってんのよもう〜! 私が美人!? 冗談キツいわ〜! ほら見てよこれ!」
そう叫ぶと、先輩は両手で自分の顔を引っ張り、白目を剥いて舌を出すという、芸人でもやらないような凄まじい変顔をした。
「ゴリラのモノマネ〜! ウホウホウホ!」
「……先輩、やめてください! みんな見てます!」
食堂中の視線が俺たちのテーブルに集まっていた。
圧倒的ビジュアルという檻から解き放たれた全力ゴリラ。
狂気でしかない。
「ハッ!?」
我に返った先輩は、さっきとは違う意味で顔を真っ赤にして、両手で顔を隠しながら、その場にしゃがみ込んだ。
「死にたい……もうお嫁に行けない……」
「ある意味、墓場には行きましたね」
「だってぇ……褒められると、どうしていいか分かんなくなるから……」
机の下から聞こえてくるくぐもった声は、なんとも情けなかった。
しかし、見事にへし折られたな、恋愛フラグ。
この調子だと先輩、本当に一生彼氏できないんじゃないだろうか。
夕方。
定時を過ぎ、オフィスには俺と先輩を含め、ほんの数人しか残っていなかった。
「ふぅ、ようやく一段落。後輩くん、今日はお疲れ様」
「お疲れ様です、先輩。あとは俺がやっとくんで、帰っていいですよ」
「えっ、ほんと!? 悪いね〜、じゃあお言葉に甘え……」
先輩がご機嫌にバッグを手に取った、その時だった。
ブーン。
不吉な羽音が、静かなオフィスに響いた。
「……え?」
先輩の顔から、スッと血の気が引くのが分かった。
彼女の視線の先、窓ガラスにへばりついていたのは、黒くて大きなアレだった。
「ヒョアッチッ!?」
俺の人生で聞いたことのない奇声だ。
「せ、先輩?」
「でっ、出たあああああっ!!!」
先輩の身体がバネのように弾け飛んだ。
彼女は天井へ、床へ、また天井へ、まるでスーパーボールのように跳ね回る。
「いやぁぁぁ! むりむりむり! 飛ぶ!? 飛ぶのアイツ!? こっち来ないでぇぇぇ!」
続いて繰り出される、陸上選手顔負けのダイナミックな逃走劇。
しかし、逃げる方向がめちゃくちゃだ。
デスクの周りを反復横跳びで移動し、椅子を盾にしながら謎のステップを踏んでいる。
「先輩、落ち着いてください。俺が片付けますから!」
丸めた雑誌を手に、俺はヤツに近付く。
「気をつけて! 奴らは人間の恐怖を察知して向かってくるわよ! 生まれながらの兵士なんだから! ああっ、こっち見ないで! 目が合った! 今絶対目が合った!!」
「あんな小さい虫の目なんて、見えるわけないでしょ。あと、先輩が動くからアイツも興奮するんです」
「ひぉいいい! 助けて後輩くううん!」
先輩はついに俺の背後に回り込み、俺の肩をギューッと掴んで盾にした。
ブルブルと小刻みに震える先輩。
香水のいい匂いがふわりと漂う。
そして背中へ当たる、表現に困る感触。
悪くない。
まさにお望みの、ドキッとするシチュエーションだ。
頼れる男として、ポイントを稼ぐチャンスでもある。
「やってやるぜえええ!!」
俺は雑誌を幾度となく振り下ろし、見事に危険分子を退治した。
「やりましたよ、先輩」
「お、おおおおお見事おおおおお!! フォー! フォー!」
先輩は俺の背中から飛び出すと、なぜかフラメンコのような謎のポーズを決め、天井を仰いだ。
純粋にこわい。
「おお、神よ! この勇敢なる若き騎士に祝福を! 私の命を救ったこの恩は、来世で必ず返そうぞ!」
「……先輩、どうしちゃったんですか。あと、恩ならせめて生きてるうちに返してください」
「あ、はい。自販機で好きなの買っていいよ」
スンッと真顔に戻る先輩。
恥ずかしさを誤魔化そうとしているのか、それとも本当に来世へ旅立ったのか、芸術的なまでに無の表情をしている。
もはや、俺の幻覚を疑うレベルの落差だ。
容姿端麗、仕事もできる完璧な女神。
しかしその実態は、可愛いものに語彙力を奪われ、褒められれば変顔で照れを隠し、虫が出れば奇声を発して踊り狂う、愛すべきポンコツである。
「後輩くん、さっきはごめんね。お詫びに、この新作のマカロンあげるから許して」
そう言って、キラキラした笑顔で可愛いスイーツを差し出してくる先輩を見ると、呆れつつも「まあ、いっか」と思ってしまう。
文字通りに完璧な人よりも、これくらい隙がある(もはや隙だらけの)方が、一緒にいて飽きないのは確かだ。
「ありがとうございます。もう変顔だけはやめてくださいね」
「……なに、が?」
うちの部署の『おもしろ残念お姉さん』は、今日も元気に働いている。
俺はマカロンをかじりながら、なんだかんだでこの賑やかな日常を悪くないと思っている自分に気付き、小さく笑った。




