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第9話 王太子からの上から目線な手紙

 魔の森から戻った私は、ものすごく満ち足りた気分でいた。


 なにしろ本日は、


 推しと初めての領地外デートをして、

 推しの華麗な戦闘シーンを生で見て、

 推しと一緒に最高級食材を調達して、

 極めつけに、推しから魔猪肉を『あーん』されたのである。


 情報量が致死量だ。そして幸福量も致死量だ。


(今日だけで私の寿命、三年くらい前借りしてない? 大丈夫? でも悔いはない。だって推しからの“あーん”は人類の無形文化遺産でしょ……)


 私はほくほくしながら、厨房で魔猪肉の追加保存処理を指示していた。あの霜降り肉は貴重だ。薄切りにして保存してもいいし、角煮風にしても絶対おいしい。夢が広がる。


 レオンハルト団長も、珍しくご機嫌だった。

 まあ、あれだけ美味い肉を無心で平らげたのだ。鉄面皮の彼とて多少は表情筋も緩むというものだろう。


「本日の収穫は非常に大きかったですね」


 私がにこにこと言うと、レオンハルトは静かに頷いた。


「ええ。魔猪は冬の備蓄としても極めて優秀ですし、森の巡回路の安全も確認できました」

「あと、BBQは人類の正義でしたね」

「……ええ、それも否定はできません」


 おお。レオンハルトがBBQの素晴らしさを認めた。歴史的瞬間である。

 私はご機嫌で次の献立を考え始めた。炙りチャーシュー、炊き込みご飯、いや、まずはシンプルに塩胡椒焼きも捨てがたい――。


「ルシアナ様!」


 厨房へ駆け込んできた若い侍従が、やや青ざめた顔で一礼した。


「王都より、急ぎの使者が到着いたしました」


 その一言で、厨房の空気がピリッと変わった。


 私の脳裏に浮かぶのは、帰りの馬車でクライヴ様が粉砕した、あのろくでもない手紙だ。

 “戻ってきたら側室にしてやる”。

 思い出すだけで塩対応どころか、塩漬けにして海に沈めたくなる文面である。


「……また、ですか」


 私が遠い目になると、侍従は気まずそうに頷いた。


「はい。今度は王家の正式な封蝋付きでございます」


 正式な封蝋。ろくでもない内容が、国を挙げての『正式なろくでもない内容』に格上げされたらしい。まったく嬉しくない。


 私はエプロンを外し、急いで応接間へ向かった。


 そこにはすでに、クライヴ様がいた。

 長椅子に深く腰掛けたその姿は相変わらず国宝級に美しかったが、目の前のテーブルに置かれた一通の封書のせいで、室内の空気は真冬のシベリアより冷えていた。


 使者として来たのは、鼻持ちならない感じの若い文官だった。

 いかにも「自分は王都の人間です。辺境の田舎者とは違います」と言いたげな上等なローブを着込み、こちらを微妙に見下すような角度で顎を上げている。


 あっ、一番苦手なテンプレのモブだ。


「辺境伯閣下」


 文官はわざとらしく、恭しさを装って一礼した。


「王太子アルフォンス殿下より、至急ご確認いただきたい書状をお持ちしました」

「置いて帰れ」


 クライヴ様が即答した。

 文官の作り笑顔がヒクッと引きつる。


「は……?」

「用は済んだだろう。さっさと置いて帰れと言った」

「い、いえ、その……殿下より、必ずご返答を賜るようにと仰せつかっておりまして……」


 クライヴ様の黄金の瞳が、スッ……と細められた。

 その瞬間、室温が急激に五度は下がった気がした。


「俺は今、ひどく機嫌が悪い」


 地を這うような低い声が、静かに落ちる。


「余計な言葉を重ねるな。命が惜しければな」

「ひっ……!」


 文官が真っ青になって一歩後ずさる。

 うん、わかる。私もその声で脅されたら三日は寝込む自信がある。


 そこへ、私がそっとクライヴ様の横へ並ぶと、彼の鋭い視線が一瞬だけふっと和らいだ。

 ……本当に、私の存在だけでこの人の温度設定が変わるんだな。


「クライヴ様」

「なんだ」

「内容だけ確認して、面倒なら即破棄でよろしいのでは?」

「……面倒なら、か」

「はい。封筒を見た瞬間から、面倒な予感しかしませんが」


 クライヴ様はわずかに口元を緩め、それから無造作に封書を手に取った。

 王家の紋章入り。無駄に仰々しい封蝋。高級そうな紙質が、逆に腹立たしさを煽ってくる。


 クライヴ様がペーパーナイフで封を切り、中の便箋を広げる。

 数行、目を走らせたところで――その表情から、一切の感情がスッ……と消え去った。


 いや、もともと感情の起伏が顔に出にくい人だ。

 でも私にはわかる。これは、限界突破したガチギレのサイン(無表情)だ。


(あっ、これアカンやつだ)


 私は反射的に一歩、クライヴ様の袖へ近づいた。


「クライヴ様?」

「……ルシアナ」

「はい」

「お前は、これをどう思う」


 差し出された手紙を、私は恐る恐る受け取った。

 そこには、眼球を洗いたくなるほど腹の立つ文章が並んでいた。


『聖女リリアンの容体(顔の斑点)が日に日に悪化している。これが貴様の妻ルシアナによる陰湿な呪詛返しであることは明白である。速やかに王都へ帰還し、聖女の呪いを解け。

もし大人しく従順な態度を示すならば、ルシアナを特別に僕の【側室】として迎え入れることも検討しよう。辺境などという不毛の地に置くには惜しい女だからな。光栄に思え』


「……………………は?」


 あまりにも腹立たしすぎて、私からドス黒い、怨霊のような声が漏れた。


 何だ今の。誰目線? どの立場で言ってんの?

 というか、側室“として迎え入れることも検討しよう”って何!? なんでちょっと上から目線の恩着せがましい態度なの!?


 頭がお花畑どころか、もう畑ごと焼き払って塩を撒くレベルの消毒が必要である。


「すみません、ちょっとよろしいですか」


 私は使者の文官の方を向いた。


「はい?」

「王太子殿下、どこかで頭を強く打たれました?」

「なっ……!?」

「でないと、この文章の意味が本気で理解できないのですが。日本語……いえ、この国の言語の文法、間違ってませんか?」


 文官の顔が茹でダコのように真っ赤になる。

 背後でレオンハルト団長が「ンッ」と咳払いをした。絶対に笑いを我慢している。


「ぶ、無礼ですぞ! これは殿下の寛大なるお心遣い――」

「どこがですか?」


 私の口調はにっこりしていたと思う。でもたぶん、目は一ミリも笑っていなかった。


「私はすでに辺境伯クライヴ様の『正妻』ですが? 何をどう血迷ったら、よその正妻を“側室にしてやる”というアクロバティックな発想になるのですか? 脳内にウジでも湧いてるんですか?」

「そ、それは……殿下が直々にお情けを――」

「いりません(即答)」


 ぴしゃりと言い切ると、文官は金魚のように口をパクパクさせた。

 だが、彼にとってそれ以上に恐怖だったのは、隣で沈黙しているクライヴ様の存在だっただろう。


 しんっ、と応接間が静まり返る。

 次の瞬間。


 ――ピキッ。


 空気そのものが凍りつくような音がした。

 クライヴ様の全身から、絶対零度のすさまじい魔力が漏れ出していた。

 床の高級絨毯が真っ白な霜をまとい、窓ガラスの端にまで一瞬で氷花が咲く。使者の文官はガタガタと震え出し、カチカチと歯が鳴る音まで聞こえた。


「ひっ……! へ、辺境伯、閣下……!」


 クライヴ様が、ゆっくりと椅子から立ち上がる。

 長身の影が動いただけなのに、室内の重圧プレッシャーが一気に跳ね上がった。


「王都の小童こわっぱは」


 低く、地獄の底から響くような静かな声。


「俺の妻を、何だと思っている」


 その一言に込められた怒気は、もはや物理的な質量を持っていた。

 冷気と共に強烈な殺気が広がり、文官は耐えきれずに膝から崩れ落ちた。


「ま、待ってください! わ、私はただ手紙を届けただけで……!」

「知っている」

「でしたら……!」

「だから、まだ生かしてやっている」


 ヒュッ、と文官が息を呑んで硬直した。

 私は反射的に、クライヴ様の袖をそっと引いた。


「クライヴ様」


 ぴたり、と。吹き荒れていた冷気が一瞬だけ揺らぐ。

 黄金の瞳がこちらを向いた。怒りで凍てついた空気の中で、その視線だけが私を確かめるようにふっと柔らかくなる。


「ルシアナ。危ないから少し下がっていろ」

「下がります。でも、その手紙は燃やしましょう」

「……燃やす?」

「はい。読んだだけで視力が下がりそうなので」


 私はまだ手に持っていた便箋をひらひらさせた。


「あと、こんなゴミ、保存しておく価値もないですから」


 その言葉に、クライヴ様の口元がほんのわずかに動いた。

 怒りのど真ん中にいても、私の言葉がちゃんと届いているのがわかって、胸が少し熱くなる。


「そうだな」


 クライヴ様は私の手から便箋を取ると、指先で軽く摘まんだ。

 そして。


 ゾワリ、と絶対零度の魔力がさらに濃く漏れたかと思うと――。

 手紙は一瞬で白く『氷結』し、そのままバキバキと音を立てて『燃え上がり』、最後はサラサラと黒い灰になって崩れ落ちた。


「うわぁ」


 思わず声が漏れた。

 凍ってから燃え尽きた。何それ物理法則どうなってるの。

 でもめちゃくちゃカッコいい。いや怖い。怖いけどカッコいい。


 灰になった手紙は床へ落ちる。クライヴ様は隣の暖炉脇に置かれたゴミ箱を顎で示した。


「レオンハルト」

「はっ」

「そのゴミも処分しろ」

「承知いたしました」


 レオンハルトが即座に進み出て、床の灰を綺麗に箒で回収し、そのままゴミ箱へ放り込む。

 王太子からの正式書簡(二通目)、これにて完全終了である。


 文官はもう、顔面蒼白を通り越して土気色になっていた。


「ご、ご返答は……」

「ある」


 クライヴ様が一歩、文官へ近づく。

 文官は半泣きでズリズリと後退ったが、逃げ場はない。


「王都へ戻れ」


 冷え切った刃のような声が、容赦なく響く。


「そして小童に伝えろ。俺の妻を、二度とその汚い口で呼ぶな。次に同じような文を寄越したら、手紙(紙切れ)では済まさんとな」

「ひぃぃッ!!」

「それから」


 クライヴ様の瞳が、鋭く細められる。


「俺の領地を、“不毛の地”と言ったな」


 文官が首がもげる勢いでブンブン振る。

 いや、お前が言ったんじゃなくて手紙が言ったんだけど、気持ちは痛いほどわかる。


「王都の腐りきった連中は、自分たちの足元が崩れ始めていることにも気づかず、よく喋る」


 その言葉に、私はピクリと反応した。

 足元が崩れ始めている。

 つまり、やはり王都ではリリアンの蛙化だけではなく、もっと深刻な異変(食糧難や呪い返し)が起きているのだろう。


 文官は震える声で「し、失礼いたしますぅぅッ!」と叫ぶと、文字通り転がるようにして応接間から逃げ帰っていった。

 扉が閉まった瞬間、室内はようやく静けさを取り戻す。


 けれど、クライヴ様の機嫌はまだ冷えたままだった。

 私はそろそろと隣へ寄る。


「……クライヴ様」

「なんだ」

「怒ってくださって、ありがとうございました」


 その言葉に、彼がわずかに眉を動かした。


「当然だ」

「でも、嬉しかったです」


 私は小さく笑う。


「私、実家でもずっと雑に扱われるのが当たり前だったので。ああして真正面から、私のために本気で怒ってくださるの、なんだかすごく新鮮で」


 前世のブラック企業でも、今世の実家でも、私は常に“都合よく使えるモブ”扱いだった。

 だからこそ、私の尊厳ごと守ろうとする彼の怒りは、ひどく温かかった。


 するとクライヴ様は、しばらく黙ってから、私の頬へそっと大きな手を添えた。


「……慣れるな」

「え?」

「お前が軽く扱われることに、慣れるな」


 低い声は、怒りの名残を残しながらも、溶けるように優しかった。


「お前は、俺の妻だ。誰にもそんな扱いはさせない」


 胸の奥が、ジンッと熱くなる。

 ああ、本当に。この人はどうしてこんなに不器用で、真っ直ぐなのだろう。


「……はい」


 私が小さく頷くと、クライヴ様はそのままスッ……と私の肩を抱き寄せた。


 えっ。ここ応接間ですが?


「クライヴ様?」

「少し冷えた」

「誰のせいですかね(魔力暴走)」

「王太子だな」


 責任転嫁が早い。

 しかもクライヴ様は当然のように私を腕の中へスッポリと収め、首筋にグリグリと顔を寄せてくる。

 最近この人、本当に私を『精神安定剤付きの湯たんぽ』か何かだと思っていないだろうか。


 でも、応接間の入口で待機していたレオンハルトや使用人たちはもう誰も驚かなかった。むしろ「また始まった」という顔で静かに目を逸らしている。

 慣れって本当に怖い。


「……ところで」


 クライヴ様が私を抱え込んだまま、低く言う。


「腹が減った」

「はい?」

「さっきの小童への怒りで、余計に減った」


 私は思わず吹き出した。

 あれだけ絶対零度の冷気を撒き散らしておいて、お腹は空くのか。いや、空くか。怒るのもカロリーを使うものね。


「では、夕食を豪勢にしましょうか!」

「あの肉か」

「はい! 魔猪肉の絶品チャーシューです!」

「……いいな」


 機嫌が直るのが意外と素直で大変助かる。


 私はすっかり温度の戻った空気の中で、少しだけ肩の力を抜いた。

 王都はまだ諦めていない。たぶんこの先、もっと面倒なちょっかいをかけてくるだろう。


 でも、もう怖くなかった。

 だって私はもう一人じゃない。そして私の隣には、世界で一番強くて、顔が良くて、私への愛情がバグっている最強の最推しがいるのだから。


 ◇ ◇ ◇


 ――その夜、王都では。


 リリアンの頬に浮かんだ緑の斑点が、ついに首元にまで広がり始めていた。

 しかも焦ってヒステリックに叫ぶたびに、語尾へ微かに「ゲコッ」が混じる頻度も確実に増しているという。


 王都の混乱と破滅の足音は、どうやらもう誰にも止められそうになかった。



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