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第7話 街での領地デートと、過保護すぎる物理無双

 午後。


 私は本日二度目の「なんでこうなったの?」を噛みしめていた。


 場所は辺境伯邸の玄関ホール。

 目の前には、漆黒の外套を羽織ったクライヴ様。いつもの軍服に長剣を帯びたその姿は、どう見てもこれから魔王軍の幹部でも討伐に行く『帝国最強の怪物』である。少なくとも“ちょっとそこまでお出かけ”という雰囲気ではない。


「クライヴ様、その重武装は」

「街へ行く」

「はい」

「お前も来い」

「……はい?」


 私はぱちぱちと瞬きをした。


「街、ですか?」

「ああ。お前に俺の領地を見せる」


 確かに、私自身はまだ辺境の街をまともに見ていない。

 けれど、だからといって。


「し、視察ということですか?」

「そうとも言う」

「“とも言う”の余白部分が猛烈に気になります」


 するとクライヴ様は、ごく自然な、彫刻のように美しい真顔で言った。


「夫婦で出かけるなら、世間では『デート』と言うのだろう」

「…………ッ!?」


 私はその場で完全に石化した。


 デート。

 今、デートって言った? 辺境伯様のお口から?

 そんなラブコメみたいな軽やかな単語、この世界線で許されるんですか!?


 心の中で限界オタクの私が十字架に磔にされて天を仰いでいると、横でレオンハルト団長が深く、深ーく目を閉じていた。

 ああ、この人、もう現実逃避のスキルを身につけようとしてるんだな。かわいそうに。


「閣下」

「なんだ」

「本日の午後の執務は」

「夜に回す」

「増えるだけでは?」

「問題ない」

「あると思います!!」


 レオンハルトが血を吐くような真顔で返す。

 しかしクライヴ様は一切揺るがなかった。むしろ私の方へ、スッと大きな手を差し出してくる。


「行くぞ」

「は、はい……っ」


 断れるはずもなく、私はその手を取った。

 大きくて、剣ダコのある硬い手。なのに、私を引く力は砂糖菓子でも扱うように優しい。


(だめ……手つなぎエスコートデートなんて初手から供給過多で死ぬ……)


 こうして私は、辺境伯様による『強制・視察という名の街ブラデート』へと連行されることになった。


 ◇ ◇ ◇


 館から馬車で十分ほど走った先に広がっていたのは、辺境の中心街だった。


 王都の絢爛豪華さはないが、石造りと木造が入り混じった素朴で活気のある街並みだ。人通りは多く、露店からは焼いた肉や香草のいい匂いが漂い、子どもたちの笑い声が響いている。

 何より――行き交う人々の顔が明るい。


 昨日まで、辺境という言葉から勝手に“荒れ果てたスラム街”を想像していたけれど、現実は違った。厳しい土地ではあっても、人がちゃんと暮らし、働き、笑っている。


「わあ……」


 思わず漏れた声に、クライヴ様がこちらを見る。


「どうした」

「いえ、もっとこう……陰鬱な街を想像していたので」

「失礼だな」

「すみません」

「否定はしないが」

「そこは領主として否定してくださいよ!」


 クライヴ様の口元が、わずかに緩んだ。

 その時、通りの向こうから大きなパン籠を抱えたおばさんが目を丸くした。


「あれまあ、閣下!?」

「本当だ、閣下だ!」

「隣の綺麗な人は……新しい奥様だ!」


 ざわっ、と人が集まってくる。

 あっという間に、私たちは街の人たちにぐるりと取り囲まれた。


「おはようございます、閣下!」

「昨日、お屋敷が急に光って新築みたいになったって本当ですか!?」

「奥様、オムライスって神の料理を作ったって騎士団の奴らが騒いでましたよ!」


 勢いがすごい。情報の伝達速度が光回線並みだ。

 私は一瞬たじろいだが、すぐに営業スマイルを作った。


「お、おはようございます。ルシアナです。これからよろしくお願いしますね」


 そう言って優雅に頭を下げると、周囲からドカン! と爆発したような歓声が上がった。


「うおおおおおっ! 女神様だ!!」

「なんてお綺麗で優しそうな方なんだ!」

「閣下にはもったいない!」

「いや、閣下も顔面偏差値は国宝級だろ!」


 飛び交う称賛の嵐に、私は気恥ずかしさで頬が熱くなった。

 一方、クライヴ様はいつもの無表情……かと思いきや、私の腰へごく自然に、かつガッチリと腕を回してきた。


「ちょっ」

「人が多い」

「それはわかりますが!?」

「お前が押し潰される」


 いや、私の心臓はあなたの過剰なスキンシップのせいで押し潰されそうです!!


 だが、クライヴ様は低く、よく通る声で領民たちに告げた。


「順番にしろ。お前たち、俺の妻から一歩距離を取れ」


 声自体は決して大きくない。

 なのに、一瞬で周囲がザッ! と軍隊のように下がった。さすが辺境伯様、カリスマ性がエグい。


 ただし、そこから始まったのは『過剰な歓迎と貢ぎ物の嵐』だった。


「奥様、これサービスです! 食べてください!」

「うちの干し果物も!」

「新鮮なチーズです!」

「うちのシルクの織物もぜひ!!」


「え、えっ、そんな、タダではいただけません!」


 私が慌てて両手を振ると、クライヴ様が真顔で一言放った。


「全部買う」

「待ってください!?」


 露店の空気が一瞬止まり、次の瞬間、大爆発した。


「ありがとうございます閣下ぁぁぁ!!」

「商売の神だ!」

「一生ついていきます!!」


 違う、そうじゃない。

 いや、街の経済は回るだろうけど!


「クライヴ様!」

「なんだ」

「全部は多すぎます!」

「そうか? お前が少しでも興味を持った顔をしたからな」

「そんな理由で通りごと買おうとしないでください!!」


 財布の紐がぶっ壊れている。

 というかこの人、そもそも紐の概念が存在していないのでは? 溺愛バグが金銭感覚にまで及んでいる。


 結局、私が必死の形相で止めた結果、果物と焼き菓子、そして小さな髪飾りだけを買うことに落ち着いた。

 その小花をあしらった髪飾りを、クライヴ様が自分の手で、私の髪へそっと差し込んでくる。


「えっ」

「……似合う」


 たった3文字で心肺停止しそうになった。

 しかも周囲の領民たちが「きゃー!」だの「尊い!」だの騒ぎ始めるものだから、羞恥心が限界突破である。


(無理無理無理無理! 街のど真ん中でそんな自然に髪飾り挿すの反則なんですけど!?)


 だがクライヴ様は平然としながらも、私の赤い顔を見て、ほんの少しだけ満足そうに目を細めた。

 ……駄目だ。この人、呪いが解けてから確実にタガが外れている。


 ◇ ◇ ◇


 そして事件は、露店通りを一本外れた、やや人通りの少ない裏路地で起きた。

 私が小さな工房の前に並んだ木彫りの食器に目を留めていた時だ。


「へえ……あんたが、あの新しい奥様?」


 下品ににやにやと笑う声。

 振り返ると、三人組の男たちが路地の奥から近づいてきていた。

 服装は粗雑で、どう見ても真っ当な商人や職人ではない。いわゆるテンプレの『チンピラ』である。


「おいおい、近くで見るとえらくいい女じゃねえか」

「呪われた辺境伯なんかのとこにいるなんてもったいねえなぁ?」

「俺たちがもっと優しく可愛がってやるよ」


 あ、これ進研ゼミ……じゃなくて、乙女ゲームでよく見るやつだ。

 私が冷静に現実逃避していると、チンピラの一人がにやけ顔で伸ばした手で、私の肩に触れようとした。


 ――その瞬間。

 視界の端で、黒い影が一歩前へ出た。


 クライヴ様だ。

 表情は一切変わらない。怒鳴りもしない。剣を抜きもしない。

 ただ、絶対零度の静かな声で言った。


「消えろ」

「はぁ? なんだてめ――」


 男が言い終わるより早く。


 ピンッ。


 クライヴ様の右手の指が、ほんの軽くはじかれた。

 それだけだった。本当に、ただのデコピンみたいな、羽虫を払うような動き。魔法陣もない。詠唱もない。


 なのに次の瞬間。


「ぎゃぶッッ!!??」


 先頭にいたチンピラが、聞いたことのない破裂音を上げて後方へ吹き飛んだ。


 人間って、あんな弾丸みたいな速度で飛ぶんだ。

 男の身体は綺麗な放物線を描いて石壁へ激突し、そのままずるずると崩れ落ちた。壁にはうっすらと人型のヒビ割れができている。完全に壁のシミだ。


「…………」


 残り二人も、私も、路地の空気すら固まった。


 今の、何?

 魔法じゃない。純粋な『物理』だ。

 指先一つで、人が壁のシミになった。


 クライヴ様は表情一つ変えず、残った二人へ氷の視線を向ける。


「次は、二度と立てなくなるが」

「ひぃっ!!?」

「す、すんませんでしたぁぁぁぁ!!」


 二人は失禁しそうな顔で土下座し、白目を剥いて倒れた仲間を引きずって、ゴキブリのような速度で逃げていった。


 路地に静寂が戻る。

 私はしばらく口を開けたまま固まっていたが、やがて震える声を絞り出した。


「クライヴ様……」

「なんだ」

「今の、デコピンですよね?」

「ああ」

「デコピンで人が壁のシミになってましたけど!?」

「安心しろ。手加減はした」

「手加減してそれ!!?」


 帝国最強の怪物、物理攻撃力がおかしすぎる。

 私が戦慄と尊敬と若干のドン引きで震えていると、クライヴ様は逆に不機嫌そうに眉を寄せた。


「お前に触れようとした。……不愉快だ」


 その言葉は短く、けれどひどく冷たく、重かった。

 さっきまで領民たちの前で見せていた柔らかな空気が嘘のように消え、圧倒的な覇気が漏れている。


 けれど次の瞬間、クライヴ様は私の方を振り返り、スッと声を落とした。


「怪我はないな?」

「え、はい! 指一本触れられてませんから!」

「……怖くなかったか」


 その問いに、私は目を丸くした。

 心配してくれている。それがわかって、胸の奥がじんわりと熱くなる。


「少しびっくりはしましたけど……」


 私は思わず、ふふっと笑ってしまった。


「クライヴ様がいらっしゃるので、世界一安全です」


 するとクライヴ様は一瞬だけ目を見開き、すぐにバッと視線を逸らした。

 耳の先が、ほんのわずかに赤い気がしたのは、絶対に気のせいではない。


「……ならいい」


 低い声が、少しだけ甘い。

 そのまま彼は私の手を取ると、今度はさっきよりも強く、指と指を絡め合わせる『恋人繋ぎ』をしてきた。


「人通りの多い方へ戻る」

「はいっ」

「二度と一人で裏通りへ入るな」

「今日は一人ではありませんでしたけど?」

「俺がいてもだ」

「基準が厳しすぎます!」


 真顔で返され、私は苦笑するしかなかった。

 でも、絡められた手はとてつもなく温かく、そしてどうしようもなく嬉しかった。


 ◇ ◇ ◇


 館へ戻る馬車の中。


「今日はありがとうございました。この木彫りのスプーン、すごく素敵です」

「そんなに気に入ったなら、やはりあの店ごと買えばよかったな」

「まだ言ってる!?」


 私が全力でツッコミを入れた、その時だった。


「……閣下」


 馬車が館へ着くと同時に、玄関前で待機していた騎士が、青ざめた顔で一通の封書を差し出した。

 差出人は王家。見るからに嫌な予感しかしない。


 クライヴ様は封を切り、中身を一読し――その瞬間、馬車の中の空気が文字通り『凍りついた』。


「クライヴ様?」


 私が恐る恐る覗き込むと、そこには、あまりにもふざけた、上から目線な文面が踊っていた。


『聖女リリアンの体調がすこぶる優れぬ。そなたの妻ルシアナをただちに王都へ帰還させ、呪いを解かせよ。大人しく従うならば、特別に僕の側室の座を与えてやってもよい。 王太子アルフォンス』


「……………………は?」


 思わず、私からドス黒い声が出た。

 何それ。何様。いや王太子様だけど。

 人の妻を呼びつけておいて「側室にしてやる」? 脳みそ湧いてんのか。


 すると次の瞬間。

 クライヴ様の手の中で、その手紙が音もなく『氷結』した。


 ピキ、ピキキキッ! と白い霜が走り、一瞬にして絶対零度の氷塊と化す。


「……王都の小童は、俺に喧嘩を売るのが好きらしい」


 ひどく静かな声だった。

 なのに、馬車の中の温度がマイナス二〇度くらいまで下がった気がした。


 私はごくりと唾を呑む。

 手紙はそのまま、クライヴ様の握力によって粉々に砕け散り、チリとなって消滅した。


 どうやら次に来るのは、甘いお出かけの続きではないらしい。


 そして遠く王都では、義妹の“蛙化”が、さらに取り返しのつかない大惨事へと発展していることを――私はまだ知らなかった。



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