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第6話 お仕事中の膝の上と、手作りプリン

 翌朝。


 私は目覚めて最初に、天蓋付きのベッドで天井を見上げながら深く反省していた。


(落ち着け、私)


 昨夜の出来事を思い出し、バンッ! と布団を頭まで引き上げる。


 深夜に推しに呼ばれた。

 推しの寝室に行った。

 推しに「お前がいないと落ち着かない」と言われた。

 そして背後から、すっぽりと抱きしめられた。


 情報量が多すぎる。致死量である。

 あれは何だったのだろう。事故? 医療行為? 【浄化】の後遺症? それとも、数十年の呪いが突然消えた反動で、クライヴ様の距離感が一時的にバグっているだけ?


 ……うん、たぶんそうだ。

 そういうことにしておこう。でないと私の心臓が爆発四散してしまう。


「ルシアナ様、お目覚めでしょうか」


 扉の向こうから、侍女の控えめな声がした。


「は、はい! 起きております!」


 慌てて起き上がり、身支度を整える。

 鏡の中の私は、見事に頬が真っ赤だった。寝不足と動揺のせいだ。断じて昨夜の推しの体温を思い出してデレているわけではない。……たぶん。


 部屋を出ると、館の空気は昨日までとは見違えるほど爽やかだった。

 私が早朝に【浄化】で清掃チートをかましたおかげで、窓から差し込む朝日がピカピカの床を照らし、空気まで森のように澄んでいる。


 すれ違う使用人たちも、朝からどこか拝むような目を向けてきた。


「おはようございます、ルシアナ様!」

「空気が違いすぎて、朝起きた時に一瞬天国かと思いました……!」

「昨夜は数年ぶりにぐっすり眠れました。女神様……!」

「女神じゃないです!」


 口々に感謝(と信仰)を伝えられ、私は照れくさく笑った。


 よし。快適な住環境は整えた。次は『食』だ。

 推しの健康管理こそ、限界オタクの至上命題である。


 そう決意して食堂へ向かうと、そこにはすでにクライヴ様がいた。

 窓辺から差し込む朝日に照らされ、長い脚を組んで椅子に座る姿は、それだけでルーヴル美術館に飾れる一枚の絵画だった。しかも今日は昨日より明らかに顔色がいい。呪いが消えた効果、てきめんである。


(うわぁ……朝の推し、今日も圧倒的に顔が良い……)


 私が内心で全力合掌していると、クライヴ様がふと顔を上げた。


「来たか」

「お、おはようございます!」

「おはよう」


 朝の挨拶。推しと交わす朝の挨拶。

 その事実だけで私の幸福度ゲージがカンストした。


 だが次の瞬間、私は凍りついた。


「こっちへ来い」

「……はい?」

「ここだ」


 そう言ってクライヴ様がポン、と軽く叩いたのは。

 自分の『膝の上』だった。


 私は三秒ほど完全停止した。


 膝の上。今、膝の上と言った?

 聞き間違いではない? 私の耳、ついに推しへの欲望で幻聴を聞くようになった?


「え、ええと……それは、私の座る椅子が足りないという意味でしょうか?」

「違う」

「ですよね!!」


 食堂には椅子が山ほどある。見渡す限り椅子しかない。なんなら余りまくっている。

 クライヴ様はごく自然な、真面目くさった顔で続けた。


「昨夜、確信した。お前が近くにいると落ち着く」

「は、はあ」

「離れると落ち着かない。ひどく焦燥感に駆られる」

「ええ……?」

「だからここに座れ。俺の腕の中にいろ」


 理屈がマッハで飛躍している。

 いや、本人の中では筋が通っているのかもしれないが、私の心臓的には大惨事である。


「ク、クライヴ様、それは、その……朝から少々刺激が強いと申しますか……」

「刺激?」

「周囲の目もありますし!」


 ちらりと視線を向けると、給仕中の侍女たちが全員ものすごい勢いで顔を伏せていた。しかし耳は完全にこっちを向いている。

 入口では、書類を持ったレオンハルト団長がぴたりと石化していた。表情は『無』だが、こめかみがピクピクと引きつっている。


 クライヴ様は不機嫌そうに眉をひそめた。


「周囲の目が何だ」

「何だ、ではなく!」

「妻が夫の膝に座る。当然だろう」


 どこの世界の当然ですか。

 合法か違法かで言えば合法だが、私の心臓への配慮がゼロである。


 しかしクライヴ様は一歩も引く気がなかった。

 というか、朝からやけに真剣な瞳で私を見つめ、低い声で命じた。


「早くしろ。……お前の体温がないと、胸の奥が冷える」

「は、はい……っ」


 そんなズルい声を出されたら、逆らえるわけがない。

 私は半分魂を飛ばしながらそろそろと近づき、恐る恐る、ほんの浅く彼の膝に腰掛け――。


 次の瞬間、ぐいっ! と腰を引かれ、完全に密着する形で抱きすくめられた。


「ひゃっ!?」

「中途半端だ」


 低い声が耳元で落ちる。

 だめだ。距離がゼロだ。背中に彼の分厚い胸板、腰に力強い腕。完璧にホールドされている。


 これでは私が“座っている”というより、完全に“収まっている”状態だ。

 何この状況。王城での断罪劇からまだ二日も経ってないんですけど!?


 だが、限界寸前の私とは対照的に、クライヴ様はすこぶる落ち着いていた。

 私の首筋にすりっと鼻先を埋め、深く息を吐く。


「……うむ」

「“うむ”じゃないんですが」

「昨日よりさらに楽だ。やはりお前は温かい」

「私は今、全身が沸騰しそうです」

「知っている」


 知られていた。

 顔が赤いのも、心臓が早鐘を打っているのも、密着しているせいで全部バレている。


 食堂の空気は妙に静かだった。

 侍女たちは気配を消して仕事に戻り、レオンハルト団長はやがて大きく息を吐き、すべてを諦めたように書類を開いた。


「……閣下。朝のご報告を」

「ああ」


 報告会、始めるんだ。この体勢で。

 私はクライヴ様の膝の上で、もはや高級な『意思を持った抱き枕』として固まるしかなかった。


「北方の見回り部隊より報告です。昨日出現した魔獣の群れは、第三騎士団が問題なく掃討。被害は軽微」

「領内の備蓄状況は」

「昨年より改善しております。ただし冬季に向け、塩と保存食の生産は引き続き増やすべきかと」

「……そうだな」


 真面目な会話が、真面目すぎる顔で進行していく。

 なのに私は帝国最強の辺境伯の膝の上。脳の処理能力が完全に追いつかない。


(ちょっと待って、今どんな顔をしてれば正解なの!? “辺境伯夫人として優雅に微笑む”が正解? でも内心は大パニックなんだけど!?)


 しかもクライヴ様、時々無意識みたいな自然さで私の腰を撫でたり、抱え直したりしてくる。

 そのたびに心臓が跳ねる。やめてほしい。いややめないでほしい。やっぱりやめてほしい。感情が忙しすぎる。


 レオンハルトが淡々と報告を続ける。


「本日の執務ですが、午前中に税収報告の確認、午後には領民代表との面談が三件ございます」

「領民代表との面談は食後に前倒ししろ」

「……理由を伺っても?」

「昼の休憩を長く取りたい」

「理由を伺っても?」

「ルシアナといちゃつく時間を確保するためだ」

「堂々と言い過ぎですよ!!」


 思わず叫んでしまった。

 レオンハルトはついにこめかみだけでなく、胃のあたりを押さえた。絶対に胃薬が必要だ。


「閣下……これまでの貴方様は、昼食を十分で終わらせて執務に戻られていたのですが」

「今までが短すぎた。今後は改善する」

「改善の方向性が極端すぎます」


 レオンハルトの悲痛なツッコミに、私は心の中で「わかる」と激しく同意した。

 しかしクライヴ様は動じない。むしろ私の肩へ軽く顎を乗せ、完全にリラックスしきっている。


 ……だめだ。

 このままでは、推しがただの『妻にべったりなダメ人間』になってしまう。

 そして何より、彼がこれまでどれだけ一人で領地運営(防衛、税、補給、冬支度)を背負い、無理をしてきたかが報告の内容から痛いほど伝わってきた。


 私はぐっと決意を固めた。

 まずは甘いものだ。疲れた頭には糖分。これは前世で残業地獄を生き抜いた社畜限界オタクの知恵である。


 報告が一段落した隙を見て、私はそっと口を開いた。


「クライヴ様」

「なんだ」

「本日のおやつに、プリンを作ってもよろしいでしょうか」

「ぷりん?」


 クライヴ様が首を傾げた。レオンハルトも眉を動かす。うん、異世界には無いよね。


「卵と牛乳とお砂糖で作る、冷たくて柔らかくて甘いお菓子です」

「菓子か。……お前が作るのなら、うまいのだろうな」


 さらっと言われて、私は固まった。

 え、何今の。全幅の信頼?

 推しからの信頼、栄養価が高すぎる。


「……絶対に美味しく作ります!」


 勢いよく宣言すると、クライヴ様の口元がほんの少しだけ緩んだ。


「楽しみにしている」


 その一言で、本日のプリン制作は『国家の最重要プロジェクト』に昇格した。


 ◇ ◇ ◇


 朝食後、私はさっそく厨房へ向かった。

 卵、牛乳、砂糖。材料はシンプルだ。問題は“蒸し”の工程である。


 この世界にオーブンはあるが温度管理が雑だ。しかし、ここは魔法のある世界。

 氷魔法で冷やすなら、逆に低温の火魔法でじっくり熱を通せばいい。


「なるほど……卵液を漉して、器に入れて、これを低温で……」

「泡立てないのが大事なんですね、奥様!」


 料理長や侍女たちが、私の手元を興味津々で覗き込む。

 昨日のオムライスですっかり私への警戒は解け、今や彼らは完全に『ルシアナ信者』と化していた。


 私はカラメルソースもちゃっかり再現しつつ、人数分のプリンを丁寧に仕込んでいく。

 低温の火魔法で蒸し上がったそれを、今度は氷魔法で急冷し、ぷるんっと揺れる黄金色の表面を確認した瞬間、私は勝利を確信した。


「できました!」

「おおお……!」

「なんて綺麗……宝石みたい……!」


 琥珀色のカラメルをまとった淡い黄色のプリンは、異世界でも十分に映えた。

 まずは一つ、味見。スプーンを差し入れると、するりと入るなめらかな感触。ひと口食べれば、卵と牛乳の優しい甘さがふわっと広がる。うん、完璧。


 私が満足して頷いた、その時だった。


 厨房の入口から、ざわりと小さな動揺が広がる。


「か、閣下!?」

「なぜ厨房に……?」


 振り返ると、そこにはクライヴ様がいた。

 執務の途中だったはずなのに、何食わぬ顔でこちらへ歩いてくる。そして当然のように私の背後に立ち、すぽっと腰に腕を回してきた。


「様子を見に来た」

「視察みたいなテンションでバックハグしないでください!!」

「何か問題があるか?」

「私の心臓に大アリです!!」

「また意味がわからんことを言う」


 わからないのはこっちです!

 周囲の料理人たちが、ものすごく気まずそうにささーっとモーゼの海割りのように離れていく。


「それが、ぷりんか」

「はい。冷たくて、甘くて、疲れに効きます。……食べますか?」

「ああ」


 私は一番出来のいいプリンを器ごと差し出した。

 だがクライヴ様はそれを受け取らず、代わりにじっと私の目を見た。


「……お前が食べさせろ」

「はい?」

「昨夜と今朝で完全に理解した。お前が近い方が、そして触れている方が落ち着く」

「だからって厨房で『あーん』を要求する理屈がわかりません!」


 厨房がしんっっっ、と静まり返る。

 料理人たちは無心で鍋を磨き始め、侍女たちは顔を真っ赤にして口元を押さえている。


「クライヴ様、ここ厨房です! 人もいます!」

「問題ない」


 あるんだよなぁ、問題が。

 だが、クライヴ様はまったく揺らがない。むしろ、ごく真面目な顔で、雛鳥のように口を少し開けて待っている。


 ……だめだ。推しのこの顔には絶対に逆らえない。


 私は半ば自棄になって、スプーンでぷるぷるのプリンをひと口すくった。


「……はい、あ、あーん……」


 死ぬほど恥ずかしい。自分で言っておいて羞恥で爆発しそうだ。

 しかしクライヴ様は素直に口を開け、ぱくりとそれを咥え込んだ。


 その光景を見た厨房の隅で、若い侍女が一人、無言で尊死して崩れ落ちた。気持ちは痛いほどわかる。


 クライヴ様はゆっくりとプリンを味わい、飲み込み――。


「……うまい」


 低く、確かな声でそう言った。


「本当ですか?」

「ああ。柔らかい。冷たい。甘さも絶妙だ。……もう一口」


 視線で促され、私は再びスプーンを差し出した。

 そして三口目、四口目と続く頃には、私は完全に『辺境伯様に厨房でプリンを食べさせる専属係』に就任していた。


(なんでこうなったの……)


 でも、普段甘いものなど一切口にしない不器用な推しが、満足そうに私の手からおやつを食べている。

 控えめに言って、最高である。


 その時、入口から再び硬い、いや、怒りに満ちた足音が響いた。


「閣下」


 レオンハルト団長だ。

 彼は厨房の甘ったるい光景を見渡し、一瞬だけ沈黙した。

 視線は私、クライヴ様、私の手のスプーン、そして空になりかけたプリンの器を順に移動する。


 ……ものすごく、すべてを察した『無』の顔をしていた。


「執務が止まっております」

「後でやる」

「税収報告の確認がまだです」

「後でやる」

「領民代表が二組、すでに待機中です」

「後で――」

「今すぐ、戻ってください(怒)」


 ぴしゃりと言い切ったレオンハルト、強い。

 クライヴ様がわずかに不満げに眉をひそめるが、レオンハルトは微動だにしなかった。さすが苦労人である。


 しばしの無言の攻防の末、クライヴ様は小さく息を吐いた。


「……わかった」


 おお、折れた。レオンハルトの目に、ほんの僅かに安堵が浮かぶ。

 だが、クライヴ様は執務室へ戻る前に、私の方を振り返った。


「ルシアナ」

「はい」

「プリンを持って、午後も執務室へ来い」

「……はい?」

「俺の膝の上が、お前の指定席だ」

「だから私の心臓がっ!」


 またしても抗議はスルーされた。

 クライヴ様は満足そうに頷き、颯爽と立ち去っていく。去り際すら無駄にカッコいいのが本当に腹立たしいほど好きだ。


 そして後に残された私は、厨房の全員から生温かい、そして尊敬の眼差しを浴びることになった。


「奥様……」

「すごいです……閣下をあそこまで骨抜きにするなんて……」

「さすがは辺境の女神様です……!」


 いや本当に、私も何が起きているのかサッパリわからないんですけどね!?


 そう思いつつ、私は残ったプリンを見下ろした。

 ……まあ、推しが少しでもちゃんと食べて、少しでも穏やかになってくれるなら悪くない。


 ただし問題があるとすれば一つ。

 この調子だと私、近いうちに『辺境伯専用の抱き枕兼おやつ係』として、四六時中ひっつかれる未来しか見えないということだった。



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