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第4話 お掃除チートと、旦那様の様子がおかしい

 夜着の上にガウンを引っかけた私は、レオンハルト団長に案内されて薄暗い廊下を小走りに進んでいた。


 昼間はろくに見えなかった館の内部は、夜になるとさらに『バイオ〇ザード』感が増していた。

 壁に灯る魔導ランプの光は心許なく、長い廊下の先は闇に溶け、どこからか吹き込む風がボロボロのカーテンを揺らしている。完全にホラーだ。


 だが今は、推しの住環境にツッコミを入れている場合ではない。


「レオンハルト様、クライヴ様はどちらに!? お具合は? まさか呪いの再発ですか!?」

「それが……」


 前を歩くレオンハルトが、珍しく歯切れ悪く言葉を濁した。


「呪いの瘴気は、まったく確認できません」

「えっ」

「熱もない。脈も正常。負傷もない。ですが……」


 彼は足を止め、重々しく振り返った。


「閣下が、妙に……落ち着かれないのです」

「落ち着かれない?」

「はい。具体的に申し上げますと……貴女を呼べ、と三回。呼んでもすぐ来ないのか、と二回。まだ来ないのか、と一回」

「……はい?」


 私はぱちぱちと瞬きをした。

 それ、体調不良というより――。


(え、なに? まさか推しが深夜に私を……求めてる?)


 いや待て、落ち着け私! オタクの都合のいい解釈は身を滅ぼす!

 ここは冷静に考えよう。たぶんクライヴ様は、数十年の相棒(呪い)が突然デコピンで消滅したことで、身体感覚がバグっているのだ。今まで常に激痛だった箇所が痛くない。そりゃあ混乱もするだろう。


 やがてレオンハルトが、一番奥の重厚な扉の前で立ち止まった。


「閣下の寝室です」

「寝室……ッ」


 思わず声が裏返った。深夜に推しの寝室。字面だけで致死量の破壊力がある。

 レオンハルトはこほんと咳払いを一つすると、ものすごく気まずそうな顔で言った。


「申し上げておきますが、私は閣下が女性を自室へ招き入れるところなど、ただのの一度も見たことがありません」

「やめてください今それを言うの! 私の心臓が爆発四散します!!」


 レオンハルトがノックをして扉を開く。

 私はごくりと唾を呑み、意を決して中へ足を踏み入れた。


 部屋は広かったが、実にクライヴ様らしく、必要最低限の家具しかない無骨な空間だった。

 そして、その窓辺に、彼は立っていた。


 夜の闇を背負うように佇む、長身の影。

 月明かりが漆黒の髪をすくい、国宝級の横顔の輪郭を白く浮かび上がらせている。


(うわあっ、深夜限定のSSRスチルだ……!!)


 顔が良い。深夜に見る推しは反則的に美しい。


「クライヴ様」


 私がそっと呼ぶと、彼はゆっくりと振り返った。

 黄金の瞳が、まっすぐに私を捉える。昼間より、どこか熱っぽい光を宿していた。


「来たか」

「はい。お加減がよろしくないと伺って……」

「体調は悪くない」

「でも、落ち着かないんですよね?」

「……そうだ」


 クライヴ様は一瞬だけ眉を寄せ、数歩、こちらへ近づいてくる。

 だめだ、顔がいい。近い。


「妙だ。痛みはない。呪いも消えている。身体は軽い。頭も冴えている。……なのに、お前が部屋を出てから、妙に胸のあたりがざわつく」

「胸が、ですか?」

「息苦しいわけではない。だが、何か……決定的に足りん」


 私は必死に理性をかき集めた。

 落ち着け。これは推しの不調だ。限界オタクはここで暴走してはいけない。


「ええと……ずっと身体を蝕んでいた呪いが消えたので、空いたスペースがスースーして落ち着かないのかもしれません!」

「スースー……?」

「はい! 今まで重いコートを着ていたのに、急に半袖になったみたいな感覚です!」


 我ながら例えがひどい。

 だがクライヴ様は「なるほど」と真面目な顔で頷き――。


 ぐいっ、と私の腕を引いた。


「きゃっ!?」


 気づけば私は、クライヴ様のすぐ目の前、距離ゼロの場所に引き寄せられていた。

 顔面の圧が強すぎる。瞳が綺麗すぎる。呼吸の仕方を忘れた。


「ク、クライヴ様?」

「……今、少し楽になった」

「はい!?」


 彼の手は私の手首を掴んだまま離れない。

 困る。こういう無自覚なスキンシップが一番オタクの心臓に悪い。


「お前に触れていると、さっきまでのざわつきが嘘のように消える。……不思議なほど、落ち着く」

「落ち着かないのは私の方です!!」


 とはいえ、彼の顔色は確かに先ほどよりいい。険しかった眉間の皺も薄れている。

 おそらく、長年呪いに苦しめられていた彼の身体が、私の【浄化】の残り香を無意識に求めているのだろう。いわば、私は推し専用の『超高性能マイナスイオン発生器』状態なのだ。


「でしたら、落ち着くまで少しだけこのままで――」


 私がそう提案しかけた、次の瞬間だった。

 クライヴ様は私の手首を離し、流れるような動作で私の背後へ回った。


「え?」


 そして。

 すぽっ、と。


 背中から、完全に抱き込まれた。


「……………………はい?」


 思考が宇宙の彼方へ飛んでいった。


 背中一面に感じる、分厚くて熱い胸板。肩口に回された力強い腕。

 首筋にふわりとかかる、彼の吐息。


 待って。

 今、何が起きてる?

 私、推しに、バックハグされてる?


「ク、クライヴ様っ!?」

「静かにしろ」


 低く甘い声が、耳元でダイレクトに落ちた。

 ひっ、と小さく肩が跳ねる。


「……やはり、これが一番いい」

「な、なにがですか!?」

「一番落ち着く」


 クライヴ様は私の首筋にすりすりと額を押しつけるようにして、深く、満ち足りた息を吐いた。大型犬か。いや、帝国最強の怪物である。


「……お前は、温かいな」

「わ、私は今ちょっとどころじゃなく全身が沸騰しそうです!!」

「そうか」

「そうか、じゃないんですけど!?」


 扉の外で、こほん、と気まずさMAXの咳払いが聞こえた。

 そうだ、レオンハルト団長がいる!


 私が半泣きで助けを求めようと視線を向けると、扉の隙間から見えた団長は、無言でスッと目を逸らし、そのまま静かに扉を閉めた。


「閉めたぁぁぁぁぁぁぁ!?」

「うるさい」

「見捨てられた!?」


 しかしクライヴ様はお構いなしだった。むしろ、私を抱え込む腕の力がさらに強くなっている。


「少し、このままでいろ。……お前がいないと、凍えてしまいそうだ」


 低く落ちる声は、命令口調なのに、どこか甘えるように柔らかい。

 そんなズルい声を出されたら、突き放せるわけがない。


(ああもう、推しの体調管理も推し活の一環! これは医療行為! 医療行為です!!)


 私は心の中で般若心経を唱えながら、推しの体温と気配を全身に浴びて、完全に石像と化すしかなかった。


 ◇ ◇ ◇


 そして翌朝。


 寝不足と動悸でふらふらする頭を抱えながら、私は早朝の廊下を歩いていた。

 昨夜はあれから三十分ほど抱きしめられ続け、最終的にクライヴ様が寝落ちした隙に逃げ帰ってきたのだ。


(落ち着け私。昨夜のあれは不可抗力。呪い明けのバグみたいなものだ)


 自分に言い聞かせつつ周囲を見渡すと、やはり館の惨状が目についた。


 廊下の隅に積もる埃。窓ガラスの曇り。漂うカビ臭さ。

 推しの住環境として、このバイオハザード状態は完全にアウトである。


「よし、やるか」


 ちょうど通りがかった若い侍女が、きょとんと目を丸くした。


「ルシアナ様? こんな朝早くからどうされたのですか?」

「少し、お掃除をしようかと」

「お掃除、ですか? 雑巾をお持ちしましょうか?」

「いえ、大丈夫。五分で終わるので!」


 私は廊下の中央に立ち、軽く息を吸い込んだ。

 そして、おでこにデコピンしたあの感覚で、指先をすっと上げる。


(いっけえええええ、【浄化】!!)


 次の瞬間、特大の白金の光がぱぁぁぁっ! と弾け飛んだ。

 柔らかな光の波が廊下を駆け抜け、壁、床、天井、窓、調度品をサイクロン掃除機も裸足で逃げ出す勢いで撫でていく。


 するとどうだろう。

 積もっていた埃が一瞬で光の粒子となって消滅し、くすんでいた窓は朝日を弾くほど透明になり、床板はワックスを三度塗りしたかのような艶を取り戻した。ついでにカビも胞子レベルで全滅した。ざまあみろ。


「えっ!?」

「きゃあっ!?」

「う、嘘でしょ……!?」


 侍女たちが悲鳴混じりの声を上げるが、私は止まらない。

 廊下から階段へ。ホールから客間、食堂へ。


 たった五分。

 昨夜まで完全にホラーハウスだった辺境伯邸は、見違えるほど清潔でピカピカの『新築物件』へと変貌していた。


「す、すごい……」

「空気が……森の中みたいにおいしい……!」


 使用人たちが口々に驚嘆する中、私はふうと額の汗を拭った。

 達成感が半端ない。やはり掃除は世界を救う。


 すると、背後から聞き慣れた低音が降ってきた。


「朝から何をしている」


 振り返ると、そこにはクライヴ様がいた。

 黒のシャツにラフに羽織った上着。寝起きなのか、少しだけ髪が無造作で――あっ、無理。朝の無防備な推し、色気がカンストしてる。


「お、おはようございます! 館のお掃除を少々!」

「少々、で館が新築に変わるのか」

「浄化ついでのおまけです!」


 クライヴ様は黙って周囲を見回した。

 朝日を反射する窓。艶の戻った床。そして、最後に私を見る。


「……なるほど。憑き物が落ちたように綺麗になったな」

「お役に立てましたでしょうか!」

「立ちすぎている」


 周囲の使用人たちが、首がもげる勢いで激しく頷いた。


 すると次の瞬間。

 クライヴ様がスッ……と無言で私の背後に回った。


 あ、これ昨日見た流れだ。進研ゼミでやったところだ。

 そう思った時にはもう遅い。


 後ろから、またしてもすっぽりと、全身を包み込むように抱きしめられた。


「ふぁっ!?」


 今度は深夜の密室ではない。食堂前のホールのど真ん中である。

 使用人、侍女、騎士、全員見ている。なんならレオンハルト団長まで真顔でこっちを見ている。


「ク、クライヴ様!? 皆さん見てます!!」

「問題ない」

「大問題です!!」


 しかしクライヴ様は意に介さず、私の首筋にすっぽりと顔を埋めた。


「……やはり、お前の体温がないと凍えてしまう」


 激甘なセリフが、超絶イケボで放たれた。

 やめてください。朝から糖分が致死量です。


 ホールのあちこちで、使用人たちが「ひっ」と息を呑む音や、顔を真っ赤にして崩れ落ちる音が連鎖した。

 レオンハルト団長に至っては、ついにこめかみだけでなく胃のあたりまで押さえていた。


「閣下……」

「なんだ、レオンハルト」

「せめて、皆様の目の前と……執務中はお控えください」

「断る」

「断るんだ……」


 私は遠い目になった。

 どうやら呪いが解けた結果、クライヴ様の『溺愛バグ』は一晩で治るどころか、完全にシステムに定着してしまったらしい。


 帝国最強の辺境伯様からの、四六時中ひっつかれる異常なまでの溺愛ルート。

 私の安寧な推し活スローライフは、早くも甘すぎる波乱の予感に満ちていた。



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