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第33話 結婚式準備で浮かれる領民たち

 辺境独立国が爆誕し、王都の泥船から逃げ出した無能な元婚約者たちが、じわじわとこちらへ這い寄ってきている――らしい。


 らしい、のだが。

 そんな不穏な情報すら、今の辺境ではハエが飛んでいる程度の影の薄さだった。


 なぜなら。


「ルシアナ女神様! 結婚式まであと何日です!?」

「閣下の正装、白と黒どちらがよろしいと思いますか奥様!?」

「女神――じゃなくて奥様! 大通りの花飾り、南側は青系でまとめることになりました!」

「待ってください! 情報量と熱量が多い!」


 私は朝から広場の真ん中で、完全に領民たちの熱狂の波に飲まれていた。


 辺境の民たちは今、国の独立よりも、建国後の法制度整備よりも、私とクライヴ様の『結婚式』へ全霊を懸けて浮かれているのである。


 いや、もちろん独立も大事だ。制度も大事だ。

 避難民の受け入れや街道の整備も、レオンハルト団長たちが胃薬を噛み砕きながらちゃんと進めてくれている。


 でも、それはそれ。

 それとは別に、領民たちの頭の中では現在、


 “我らが女神様と最強の辺境伯様の結婚式”

 =

 “国を挙げた限界突破の最大級お祝いイベント(お祭り)”


 という、非常にわかりやすくて脳筋な方程式が完成してしまっていた。


「奥様、花びらはやはり純白の白薔薇が一番でしょうか!」

「いえ、季節の鮮やかな花も混ぜた方が絶対に可愛いと思います!」

「さすが奥様! 天才!」

「いや、そんな大したことは……!」


 大したことはあるのかもしれないが、朝からこうも全方位でキラキラした期待の目を向けられると、限界オタクの私はさすがに気圧されてしまう。


 私は両手いっぱいのドレスの布見本と花見本を抱えながら、助けを求めるように周囲を見渡した。

 すると少し離れた場所で、クライヴ様が腕を組んでこちらを見ていた。


 今日も今日とて圧倒的に顔がいい。

 しかも、その国宝級の顔で、私が人の波に揉まれて翻弄されている様子を、ほんの少し愛おしそうに眺めている。


「ク、クライヴ様!」


 私が半泣きで名を呼ぶと、彼はようやくこちらへ歩いてきた。

 群衆がモーゼの海割りのように自然に道を開ける。相変わらず、この人の絶対的な存在感はすごい。


「どうした」

「どうした、じゃありません! 皆さんの熱量が火山の噴火レベルです!」

「知っている」

「知ってるなら助けてください!」

「無理だな。俺も同じ熱量だからな」

「即答!?」


 ひどい。大真面目な顔でノロケられた。


 でもクライヴ様は、私のすぐ隣まで来るとごく自然に私の腰へ手を回し、自分へ引き寄せた。

 それだけで、さっきまで一斉に詰め寄ってきていた領民たちが「ヒッ」と少しだけ距離を取る。

 ありがたい。殺気(独占欲)がとてもありがたい。


「順番に話せ」

 クライヴ様が低く言う。

「俺の妻を一度に囲んで疲れさせるな」

「も、申し訳ありません閣下!」

「つい嬉しくてテンションが!」

「だって待ちに待った結婚式ですし!」


 領民たちが口々に言う。

 うん、わかる。わかるんだけど、圧が重戦車並みだ。


 すると、広場の端から別のどよめきと歓声が上がった。


「おおっ! 来たぞ!」

「すげえ氷細工だ!」

「道を空けろー!」


 なんだろうと思って振り返ると、そこには屈強な石工と氷の魔法使いたちが、巨大な布をかぶせた『何か』を慎重に運んできていた。

 特大の嫌な予感しかしない。


「……あれ、何ですか?」


 私が引きつった笑顔で尋ねると、先頭にいた石工頭がドヤ顔で胸を張った。


「お二人の結婚祝いの品でございます!」


 やっぱり。

 私はそっと一歩引いた。


「今回は『巨大な私の像』ではありませんよね?」

「違います!」

「本当ですか!?」

「今回は、氷の像です!」

「今回はって言いました!? 前科がある自覚あるんですね!?」


 バサァッ! と布が外される。

 現れたのは――。


 見上げるほど巨大な、透明に輝く『氷の彫刻』だった。

 しかも、二体。


 片方はクライヴ様を模した威風堂々たる立像。

 もう片方は、私を模したらしい、無駄に神々しい美化度300%の女性像。

 それが寄り添うように並べられ、背後には天使の羽みたいな意匠まで精密に彫り込まれている。何そのやりすぎな演出。ファンタジー映画のラストシーンか。


「どうです!」

 石工頭が満面の笑みを浮かべる。

「辺境伯様と奥様の、永遠の愛を誓う祝福の双像です!」

「ちょっと待ってください、語感が強すぎるし恥ずかしい!」

「これを広場の入り口へどーんと置こうかと!」

「待ってくださいやめてください!!」


 私は全力で止めた。


「入り口にこんな巨大な自分たちの像を置いたら、皆さん毎日拝みません!?」

「拝みます!(即答)」

「断言しないでください!! 宗教にしないで!!」


 しかし周囲の領民たちは、どう見ても大絶賛だった。


「綺麗だ……!」

「閣下そっくりだな! カッコいい!」

「奥様の方も後光が差して神々しい!」

「だから神々しさを足さないでってば!」


 すると、隣でクライヴ様が静かに氷像を見上げていた。


「……悪くないな」

「悪くあるでしょう!?」

「そうか?」

「そうです! 大きすぎますし恥ずかしいです!」

「だが、俺の像の方が少し小さい」

「そこ気にするんですか!?」

「お前の方が世界で一番目立って美しいのは当然だろう」

「当然なんだ……」


 なんだろう。

 この人、私に関することだけ尺度が完全にバグっている。


 だが、その大真面目なやりとりに、石工たちは完全に感動して泣きそうになっていた。


「閣下……!」

「なんとお優しい……!」

「やはり奥様を宇宙一大事にしておられる……!」


 やめて。

 そういう極端な方向へ解釈しないで。でも、まあ、だいたい合っているのが困る。


 ◇ ◇ ◇


 その後も、領民たちの“祝いの品”ラッシュは止まらなかった。


 魔道具職人たちは、魔石を細かく砕いて仕込んだ『イルミネーションの試作品』を持ってきた。


「夜になると、こう光るんです!」


 パチンッ、とクロエが魔力を流し込んだ瞬間、細工された透明石が一斉に青白く輝いた。


「うわぁ……」


 思わず息を呑む。

 細かな光が連なり、まるで星空みたいに瞬く。これを大通り一帯へ吊るしたら、きっと夜の街は夢みたいにロマンチックに輝く。


「綺麗……!」

「でしょう!?」

「これ、すっごく素敵です!」

「奥様にそう言っていただけるなら、不眠不休でさらに一万個増産します!」


 やめて。

 その言葉でまた皆さんのブラックなやる気に火がつくから。


 案の定、周囲の職人たちがざわつき始める。


「ならうちは、正門に飾る巨大な花のアーチだ!」

「布問屋は、奥様が歩くレッドカーペット用の最高級シルクを用意しろ!」

「花屋は全部まとめて街中を飾り輪で埋め尽くすぞ!」

「パン屋も祝宴用の特大ウェディングパンを焼こう!」


 どんどん話と規模が膨らんでいく。

 私は目を回しそうになりながらも、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。


 だって皆、本気で楽しそうなのだ。

 義務ではない。仕事でもない。

 “自分たちがやりたいからやる”という幸せな顔で、国中が一つの結婚式を心から祝おうとしてくれている。


 こんなの、嬉しくないわけがない。


「……ルシアナ」

 ふいに、クライヴ様が低く甘い声で呼んだ。

「はい?」

「泣くな」

「え?」


 私はパチパチと瞬きをした。

 そこで初めて、自分の目尻がじんわりと熱く、涙で濡れていることに気づく。


「泣いてません」

「涙が限界まで溜まっている」

「泣いてないです」

「そうか」

「でも、ちょっとだけ……嬉しくて」


 そう言った瞬間、クライヴ様の大きな手が、そっと私の頭を優しく撫でた。


 人前だ。

 しかも広場のド真ん中だ。何千人も見ている。

 なのに不思議と羞恥心より先に、絶対的な安心感と温かさが胸へ広がった。


「当たり前だ」

 クライヴ様が静かに、誇らしげに言う。

「お前は、これだけ国中から祝われるだけの奇跡を起こしてきた」


 その真っ直ぐな一言が、妙に胸へ深く沁みる。

 私は涙を誤魔化すように小さく笑った。


「……でも、やっぱり少し照れます」

「慣れろ。俺の妻なのだから」

「無茶言わないでください」


 そこへ、クロエがどこからともなくニヤニヤと現れた。


「無茶じゃないわよ、辺境の女神様」

「いたんだ」

「いたわよ。ずっと特等席でバカップル見てたわ」

「やめて」

「でもいいじゃない。国中が最高に浮かれてる感じ。泥船の王都とは大違いよ」

「うん、それは……すごくいい」


 クロエは私の肩を軽く叩いてから、広場のあちこちをプロの目で見回した。


「これ、結婚式当日はとんでもないことになるわね」

「ですよね」

「通り全部を花で飾って、夜は魔石のイルミネーション、中央広場には私の背丈より巨大な特製ケーキ、極楽の温泉宿からの馬車送迎も手配して……」

「待って、どんどん豪華に盛らないで」

「盛るに決まってるじゃない。予算は無限よ」

「この女はこういう時、一切の歯止めが利かん」

 クライヴ様が淡々と言う。

「クライヴ様まで!?」

「事実だろう」

「でも一切否定はしません!」


 その頃、街の子どもたちもすっかりお祭り気分で浮かれていた。


「奥様ー!」

「はい?」

「いまね、花びら撒く練習してるんだ!」

「練習?」

「そう!」


 振り返ると、小さな子どもたちが広場の隅で、かごに入れた花びらを上へ放る練習をしていた。

 いや、練習って何。可愛すぎる。


 きゃっきゃとはしゃぎながら「今の綺麗!」「もっと高く投げる!」とやっている姿はあまりにも微笑ましくて、思わず頬が緩む。


「楽しみなの?」

 私がしゃがんで尋ねると、女の子が元気よくコクリと頷いた。

「うん! 女神様――」

「そこ訂正ね?」

「ルシアナ奥様の結婚式だもん!」

「そっちは大正解!」

「ぼくたち、いっぱいお花を投げるんだ!」

「ありがとう。でも投げすぎて転ばないでね?」

「はーい!」


 可愛い。天使か。

 そこへ、神獣シロまでモフモフと乱入してきた。


「わふっ♡」


 子どもたちが一斉に歓声を上げる。


「シロだー!」

「でっかいワンちゃんだー!」

「もふもふー!」


 最近のシロは、領都の子どもたち相手にはかなり優しい(というか完全に犬化している)。

 伝説の神獣のくせに、花びらの舞う中へ嬉しそうに突っ込んでいき、鼻先に花を乗せられても「くぅん」と大人しくしている。


「……神獣の威厳とは」

 クロエがポツリと呆れて呟く。

「完全に概念がわからなくなってきたわね」

「最近はもう、うちで飼ってる『ただの大きい甘えん坊の犬』みたいな感じです」

「その認識、たぶん世界でルシアナだけよ」


 その通りかもしれない。

 だが平和だった。

 あまりにも平和で、あまりにも幸福で、私は少しだけ気が緩みそうになる。


 けれど、その時だった。


 広場の一角で、ひそひそと話していた亡命貴族夫人たちの声がふと耳に入った。


「……本当に、あの地獄の王都とは別世界ですわね」

「ええ」

「向こうは飢えと泥と悲鳴しかありませんのに」

「こちらは光と花と、甘い匂いと笑顔ばかり」


 私はそっとそちらを見る。

 彼女たちは、新しい辺境国の旗が揺れる通りを見つめながら、どこか夢を見るみたいな、安堵の顔をしていた。


「奥様」

 侯爵夫人が私に気づいて、深々と一礼する。

「本当に、辺境は素晴らしい国に変わりましたわ」

「皆さんの技術や知識のお力も借りています」

「いいえ」

 夫人は静かに、力強く首を振る。

「変えたのは、最初にこの絶望の土地に『希望の光』を見せた、あなた方です」


 その真っ直ぐな言葉に、私は少しだけ照れてしまう。

 でも、同時に思う。


 この結婚式は、私たち二人だけのものではないのかもしれない。

 もちろん、主役は私とクライヴ様だ。でもその周りには、この土地で笑ってくれる人たちがいて、この土地を命懸けで守ろうとする騎士たちがいて、ここから新しく生き直そうとしている避難民たちがいる。


 だからきっと、この式は“辺境独立国の始まりを祝う、最大の希望の象徴”にもなるのだろう。


「……ものすごい式にしないとですね」

 私がポツリと言うと、クライヴ様が隣で力強く頷いた。

「ああ」

「世界一とか言っちゃいましたし」

「必ずする」

「即答」

「俺の愛する妻に、一ミクロンの不足も感じさせるつもりはない」

「愛が重い」

「今さらだ」

「最近、それで全部強引に押し切ってきますよね」


 でも嫌ではなかった。

 むしろ、その“今さら”という絶対の安心感がたまらなく嬉しい。


 ◇ ◇ ◇


 日が傾く頃には、街の通りはもう半分ほど祝祭色に染まり始めていた。


 窓辺には花。軒先にはリボン。広場の柱には新しい布飾り。

 職人たちは巨大な氷の彫刻の位置を何度も微調整し、魔石のイルミネーションを試し、パン屋は祝い用の特大ウェディングパンの試作を始めている。


 誰に命じられたわけでもない。

 でも、皆が当然みたいに笑顔で動いている。


「……なんだか」

 私はポツリと呟く。

「もう、式が始まる前から街じゅうがお祭りですね」

「実際、お祭りだろう」

 クライヴ様が優しく答える。

「俺たちの式は、この新しい国にとって『最初の大きな祝い事』になる」

「そう考えると責任重大です」

「お前はただ、俺の腕の中で笑って楽しめばいい」

「クライヴ様は?」

「俺も、お前を見て楽しむ」


 その甘い言葉が嬉しくて、私は笑った。


「じゃあ、一緒に全力で楽しみましょう」

「ああ」


 その時。


 ――カーーーン。


 遠くの見張り塔から、乾いた警戒の鐘の音がひとつ鳴った。

 広場の温かい空気が、一瞬だけピリッと凍りつく。


 私は思わずそちらを見た。


「……あれは?」

 クロエが目を細める。

「国境の外からの『緊急の到着合図』ね」


 だが、直後に駆け込んできた見張りの若い騎士の顔は、祝い事の時の明るいものではなかった。顔面蒼白だ。


「閣下! 奥様!」


 人垣がサッ……と割れる。

 クライヴ様の表情が、スッと冷酷な支配者のそれへ引き締まる。


「どうした」

「街道の先で、旧王都から流れてきたと思しき『荷馬車』を確認しました!」

「……」

「乗っているのは、ひどくみすぼらしい身なりの男女二名! 女は泥まみれの顔を布で隠しており、男は薄い髪を無理に撫でつけて隠しておりますが……」


 私は、そこで完全に察した。

 髪を無理に撫でつけたバーコード頭の男。泥顔を隠すカエルの女。


 そんな絶望的な組み合わせ、この世界にあの二人しか知らない。


「……ついに来ましたね」

 私が小さく呟くと、クライヴ様の黄金の瞳が、絶対零度の殺気を帯びて冷たく細まった。


「ああ。ゴミが着いたか」


 広場を満たしていた華やかで甘い空気が、一瞬にして冷酷に張りつめる。


 どうやら、世界一幸せな結婚式準備のさなかに――。

 最悪な泥まみれの『招かれざる客』が、とうとう辺境の門前まで這いつくばって辿り着いてしまったらしい。



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