第31話 結婚式をやろう!
辺境独立国の建国宣言から、数日。
領都は、まだフワフワと浮かれていた。
いや、少しどころではない。三日三晩の狂乱の建国大宴会はさすがに終わったものの、その強烈な余韻は街のあちこちに色濃く残っている。
広場には新しい辺境国の旗が誇らしげにはためき、屋台では「独立記念メガ盛りバーガー」だの「建国祝い特濃にんにくラーメン増量祭」だの、誰が許可したのかわからないカロリーのバケモノみたいな特別メニューが勝手に始まり、職人たちは職人たちで「ルシアナ女神様と閣下の新国家記念巨大彫刻」なるものを(また)こっそり作ろうとしていた。
……うん。
独立って、こんなに脳筋なお祭りに変換されるものなんだなあ、と私はしみじみ思った。
もちろん、浮かれてばかりではいられない。
独立国家ができたということは、純粋に仕事が爆発的に増えるということだ。
王都からの避難民の受け入れ調整。
食糧備蓄の再配分と農地の拡大。
国境線の再構築と関所の管理。
崩壊しつつある旧王国側との物理的な距離の取り方。
隣国ヴァルディア帝国との正式な軍事・経済同盟の文書の取り交わし。
挙げればキリがない。前世のブラック企業も真っ青の業務量だ。
だが、その激務の中にも、不思議と悲壮感は一ミリもなかった。
皆が“これから自分たちの手で作る”という前を向いているからだろう。
壊れた泥船の後始末ではなく、新しい希望を積み上げている時の忙しさは、どこか前向きで楽しいのだ。
その日も私は、執務室の隅で新しい食糧配給表を真剣な顔で確認していた。
「この第3区画、避難民の人数に対してパンの配給が少し足りないかも……」
「では、こちらの共同炊き出しの規模を一時的に三倍に拡張します」
レオンハルト団長が即座に無表情で書き込む。
「あと、小さな子どものいる世帯は、甘いお菓子の配給を少し増やしたいです」
「なぜ甘いものを」
「心の栄養です」
「……なるほど。カロリーは正義ですね。否定はしません」
最近のレオンハルトは、私の“食に関する限界オタクの理屈”をかなりの精度で素直に受け流せるようになっていた。順応力が高すぎる。ありがたい。
一方、クライヴ様は机の向こうで、山脈のような書類の山を無言で片付けていた。
建国直後の国家元首が一人でやる仕事量ではない。いや、たぶん彼が最強のトップだからこそ全てが集まるのだけれど。
それでも彼は美しい眉一つ動かさず、次々と書類を読み込み、判を押し、署名し、的確な指示を飛ばしていく。
その横顔は相変わらずひどく整っていて、真面目な執務の空気の中でも普通に見惚れてしまうから困る。
(今日も顔がいい……国宝……)
思わず内心で拝んでいると、不意にクライヴ様が顔を上げた。
「何を見ている」
「ひゃいっ」
また変な声が出た。
最近、ほんとうに気が抜けない。大好きな旦那様を盗み見しては秒で見つかる、の繰り返しである。私の学習能力はどこへ行ったのか。
「な、何でもありません!」
「そうか」
クライヴ様は淡々と返した。
「なら、あと二枚だ」
「え?」
「この書類を終えれば、今日の急ぎの執務はすべて片付く」
「あ、はい」
なんだろう。
“あと二枚”が妙に意味深で、重要な響きを持って聞こえた。
そして本当に、その二枚が神速で終わった瞬間だった。
クライヴ様は最後の書類へ美しいサインを書き殴り、ペンを置いた。それからレオンハルトを見た。
「今日はここまででいい」
「……よろしいのですか?」
「残りは明日に回す。俺はこれから忙しい」
「珍しいですね」
「珍しいか?」
「極めて」
あの仕事人間のレオンハルトがそう言うなら、天変地異レベルで珍しいのだろう。
私はパチパチと瞬きをした。
「クライヴ様、何かあるんですか?」
すると、彼はほんの少しだけ、熱を帯びた瞳で目を細めた。
「ああ」
短い返事。
「少し、俺に付き合え」
その低く甘い声音が妙に柔らかくて、私は思わずビシッと背筋を伸ばした。
「は、はいっ」
◇ ◇ ◇
連れて行かれたのは、辺境伯邸の一番高い塔へ続く、薄暗い螺旋階段だった。
普段はあまり使わない場所だ。有事の見張りや星の観測に使われることはあっても、わざわざ二人で来るような場所ではない。
「ここって……」
「静かだ」
クライヴ様が私の前を歩きながら言う。
「今は、余計な耳も目もないからな」
なるほど。
建国直後の館は、ひっきりなしに人の出入りが多い。どこへ行っても誰かしらいる。そういう意味では、完全に二人きりで落ち着いて話せる場所は貴重だ。
階段を上りきると、小さな展望室に出た。
四方の大きな窓から、辺境の街と、その向こうに広がる広大な土地が見渡せる。
新しく誇らしげに掲げられた旗。遠くの煙突から真っ直ぐに上がる夕餉の煙。雪の残る豊かな畑。整え始めた新しい街道。夕暮れの美しい薄青と茜色に染まる空。
「……綺麗」
思わず呟く。
王都の虚飾に満ちた煌びやかさとは違う。もっと、温かい『生活の灯り』に近い景色だ。
人が暮らし、火を起こし、美味しいものを食べ、笑い、確かな明日をつなげていく匂いがする、優しくて強い景色。
「ここから見ると、よくわかるだろう」
クライヴ様が私のすぐ隣へ立つ。
「何がですか?」
「お前がこの辺境を、どう変えたかが」
その言葉に、私は少しだけ照れて笑った。
「私だけじゃありませんよ」
「わかっている」
「領民の皆さんが頑張った結果です」
「それでも、最初にこの土地に希望の火をつけたのはお前だ」
真っ直ぐに言われて、胸の奥がキュンとくすぐったくなる。
私は誤魔化すように窓の外を見た。
「……でも、やっと少し落ち着きましたね」
「ああ」
「独立宣言したての頃は、この先どうなることかと思いました」
「今も完全に落ち着いたとは言い難いがな」
「それはそうなんですけど」
私はクスクスと笑う。
「少なくとも、“いつ王都からの刺客で国ごと燃えるかも”みたいな殺伐とした感じではなくなったので」
「平和の基準が物騒だな」
「最近のサバイバルな生活が私をそうさせたんです」
すると、クライヴ様が「フッ……」と小さく息を吐いた。
呆れたような、でもどこか愛おしげに和らいだ吐息だった。
「……ルシアナ」
「はい」
「これからは」
そこで一度、彼は言葉を切った。
私は不思議に思って顔を上げる。
夕暮れの光を受けた国宝級の横顔は、いつもより少しだけ、ひどく静かで真剣に見えた。
「これからは、俺たちの幸せ『だけ』を考えよう」
その一言に、私は瞬きを止めた。
「……え?」
俺たちの幸せ。
それは、あまりにも真っ直ぐで、あまりにも甘すぎる響きだった。
建国、独立、避難民の受け入れ、王都崩壊の余波。
そういう巨大な波に飲まれながら、私たちはここまで無我夢中で走ってきた。
でも、その中でずっと後回しになっていたものがある。
私たち自身のことだ。
契約ではない、本当の夫婦になった。好きだと言い合った。
それでも、日々の大きな変化と激務に押されて、二人だけの未来については、まだちゃんと形にできていなかった。
クライヴ様が、ゆっくりと私へ向き直る。
「国は形になった」
低い声が、静かに落ちる。
「守るべきものも、守り抜く手段もある程度整った」
「はい」
「なら次は、お前だ」
心臓が、ドクンッ、と大きく鳴った。
「私……?」
「そうだ」
クライヴ様は外套の内側へ手を入れた。
その動作に、私は無意識に息を止める。
まさか。いや、でも。
次の瞬間、彼の掌の上へ現れたものを見て、私は本当に声を失った。
「……ッ」
指輪だった。
しかも、ただの指輪ではない。
細身の美しい純銀の台座に、とてつもなく純度の高い透明な石が一つ。
その石が、とんでもなくデカい。
大きいなんてものではない。
えっ、これ本当に人間の指にはめるものですか? 鈍器? むしろ小型の国宝では? 殴られたら絶対痛いよね? と言いたくなるくらいの圧倒的な存在感(カラット数)だ。
夕暮れの光を受けて、その石はギラリッ、と暴力的なまでに強く輝いた。
「え、え、ええっ」
私は完全に限界オタクの語彙を失った。
「ク、クライヴ様、それ……」
「指輪だ」
「見ればわかります! そうじゃなくて、え、なにその大きさ……!?」
正直、最初に出た素の感想がそれだった。
だって大きい。本当に物理的にデカい。
前世の一般的な婚約指輪の概念と比べると、ちょっと笑ってしまうくらいデカい。金銭感覚がバグっている。
クライヴ様はド真顔のまま答える。
「俺の愛の重さとしては、これでも足りないと思った」
「何がですか!?」
「本来なら、この三倍はもっと大きくてもよかった」
「待って待って待って、基準どうなってるんですか!?」
「世界で一番愛するお前に相応しいものを厳選した結果だ」
「結果が豪快すぎます!!」
でも。
でも、その不器用な一言の中にある激重な気持ちは、痛いほどちゃんとわかってしまった。
“お前に相応しいもの”。
不器用で、ちょっと金銭感覚がズレていて、でも本気で私を世界一愛していると思ってくれているからこその、この規格外の大きさなのだ。
胸の奥が、ジワッと熱くなる。
「ルシアナ」
クライヴ様が私の左手を取った。
大きな手。少し硬くて、でも今日は不思議なくらい慎重で優しい手つき。
「俺たちも、結婚式をやろう」
私は、またしても息を止めた。
言葉は短い。でも、愛の重みは十分すぎるほどあった。
「……結婚式」
「そうだ」
「私たちの?」
「他に誰の式をやるというんだ」
それはそうなんだけど。
でも、独立したばかりで。国だってまだこれからで。
そんな中で、“私たちの幸せだけを考えよう”の次にこれが来るのは、あまりにもズルい。
「国も安定し始めた。金ならいくらでもある」
クライヴ様は低く続ける。
「これからは、お前に相応しい『形』をちゃんと残したい」
「相応しい形……」
「偽りの契約ではなく、政治の飾りでもなく、誰に遠慮することもない」
黄金の瞳が、真っ直ぐに私を見つめる。
「俺の最愛の妻として、お前を『世界で一番幸せな花嫁』にしたい」
胸がいっぱいになった。
嬉しい。どうしようもなく嬉しい。
私は前世で、結婚式に特別な夢を見ていたわけではない。社畜OLだった頃は、そもそもそんな未来を具体的に考える余裕もなかったし、転生してからは“推しの隣にいられるならそれで十分すぎる”と思っていた。
でも、今は違う。
大好きな人の隣で。大好きな人に、そう言ってもらえて。
ちゃんと“世界一幸せにしたい”と願ってもらえることが、たまらなく幸せだった。
「……ズルいです」
私は泣きそうになりながら言う。
「またそれか」
「だって、そんなの……嬉しいに決まってるじゃないですか……っ」
クライヴ様の目元が、ほんの少しだけ柔らかく蕩ける。
「なら、受け取れ」
そう言って、彼は私の左手薬指へ、その特大の指輪をスッ……と滑らせた。
ピタリ、と収まる。
えっ、ちょっと待って、サイズ完璧にピッタリなんですけど。
「な、なんで……」
「前から寝ている間に測って知っていた」
「怖いです」
「何がだ」
「さりげなく色々把握されてる感じが……」
「愛する妻のすべてを把握するのは、夫として当然の義務だろう」
「当然なんだ……(激重)」
でも、指先へ愛の重みが乗る。
キラキラと輝く巨大な石は、夕暮れをそのまま閉じ込めたみたいに美しかった。
私は思わず手を持ち上げる。
「……すごい」
「気に入らないか」
「そんなわけないです!」
私は慌てて顔を上げた。
「すごく綺麗で、大きすぎてびっくりしてるだけです」
するとクライヴ様は、どこかホッとしたように息を吐いた。
「ならいい」
「でも、これ本当に大きいですね……」
「そうか? 目立たなくて不満か?」
「目立ちすぎですよ!」
「なら次はもっとデカい――」
「増やさなくていいです!!」
私は全力で止めた。
だが、その大人気ないやりとりすら嬉しくて、涙ぐみながら笑ってしまう。
「結婚式、やりましょう」
私は改めて、ちゃんと真っ直ぐに答えた。
「世界一かどうかはわからないですけど」
「俺が世界一にする」
「即答」
「お前に相応しい、世界一の式にする」
「愛が重い」
「今さらだ」
「それはそうですね」
もう一ミリも否定できない。
私は特大の指輪のきらめきを見つめながら、小さく笑った。
「じゃあ、私も全力で頑張ります」
「何をだ」
「最高の結婚式にするために!」
「……ああ」
クライヴ様の指先が、そっと私の頬へ触れる。
「お前がそう言うなら、間違いなくそうなる」
そんな甘いことを言われたら、限界オタクのやる気が出ないわけがない。
ウェディングドレス。
料理(最高の飯テロ)。
会場装飾。お花。巨大なケーキ。音楽。
温泉地で和装の前撮りとかもありでは?
いや待って、ファンタジー世界でクロエの魔導具技術を使えば、もっとトンデモないド派手な演出がやれるのでは?
私の脳内で、さっそく『理想の結婚式プロジェクト』の構想が大暴走を始める。
そしてそれはたぶん、完全に顔に出ていたのだろう。
クライヴ様が少しだけ警戒したように目を細めた。
「……何を考えている」
「え?」
「その顔は、また何か壮大で常識外れなことを企んでいる顔だ」
「気のせいです」
「嘘だな」
「ちょっとだけ」
「ちょっと、で済むか?」
「済まないかもしれませんね」
あっさり認めた。
クライヴ様は呆れたように息を吐き、それでもどこか心底楽しそうだった。
「まあいい」
「いいんだ」
「お前が楽しそうに張り切るなら、その方が俺も嬉しい」
「旦那様、理解が深すぎますね」
「お前への愛が深いからな」
ド真顔でそう言われて、胸がまたキュンと激しくくすぐったくなる。
その時だった。
階下の方から、ドタドタドタッ! と慌ただしい足音が響いてきた。
特大の嫌な予感しかしない。
次の瞬間、バンッ! と展望室の扉が勢いよく開く。
「閣下! 奥様!」
飛び込んできたのは、息を切らせた若い騎士だった。
「国境沿いの宿場より緊急の報告です! 旧王都から流れてきたと思しき『身なりの怪しい泥まみれの男女』が、辺境方面へ向かっているとのこと!」
私とクライヴ様は、同時に視線を交わした。
旧王都から。身なりの怪しい泥まみれの男女。
その条件に当てはまる『最低の人物』を、私は二人しか知らない。
「……まさか」
「そのまさかだろうな」
クライヴ様が絶対零度の声で低く言う。
泥船から逃げ出した無能な王太子と、カエル化した義妹。
どうやら、ついに。
私たちの新しい幸せな国へ、最悪な元凶たちが這い寄ってきたらしい。
でも今の私は、もう前みたいに理不尽に怯えたりしなかった。
だって私は、薬指に新しい特大の輝きを持っていて。
隣には、私を世界一愛してくれる最強の旦那様がいて。
これから、世界一幸せな結婚式をする予定なのだ。
そんな最高にハッピーな時に、今さら泥だらけの元婚約者たちが来たところで――。
知ったことではない。
まとめて粉砕してやるだけだ。




