第3話 呪われた館と、オムライスの奇跡
「お前は――いったい何者なんだ?」
馬車の中、至近距離でそう問われた私は、人生最大級のピンチ(物理的な近さ的な意味で)に陥っていた。
黄金の瞳が近い。距離が近い。顔がいい。睫毛が長い。心臓が持たない。
だがここで「あなたの隠しルートを前世で百周以上して設定資料集まで舐め回すように読んでいた限界オタクです!」などと正直に答えれば、即座に馬車から蹴り落とされるだろう。
私はこほん、と咳払いをして、できるだけ自然な淑女の笑みを浮かべた。
「ただの、しがない悪役令嬢ですわ」
「ただの悪役令嬢が、俺の数十年の呪いを五秒で消し飛ばすか」
「ちょっと人より【浄化】が得意なだけです」
「“ちょっと”の範疇が狂っているな」
ですよねー!!
私は内心でジャンピング土下座をした。おっしゃる通りである。私の【浄化】はたぶん世界のバランスを崩すレベルでおかしい。
クライヴ様はしばらく私をじっと見つめていたが、やがて小さく息を吐いた。
「……まあいい。今ここで問い詰めても、どうせ誤魔化すのだろう」
「うっ」
「だが、一つだけ確認する」
クライヴ様の声が、いつになく低く、真剣なものになる。
「俺を害するつもりはないな?」
その問いに、私は一瞬で背筋を伸ばし、腹から声を出した。
「天地がひっくり返ってもありません!!」
「……即答だな」
「クライヴ様を害する人間がこの世に存在するなら、私が全力でそいつを止めます。敵なら容赦なく物理で粉砕します!!」
「最後が物騒すぎる」
クライヴ様は数秒無言になった後、ほんの僅かに――本当に僅かにだが、口元を緩めた。
「……そうか」
たったそれだけ。
それだけなのに、私は危うくその場で昇天しかけた。
(待って今、笑った!? 微笑んだ!? 幻覚じゃない!? 呪いが解けた影響!? 圧倒的感謝!!)
私の心の中のペンライトが乱舞している間に、馬車は速度を落とし、やがて巨大な鉄門の前で止まった。
「到着だ」
促されて馬車を降りた瞬間――私は思わず息を呑んだ。
目の前にそびえ立っていたのは、巨大な古城のような館だった。
……いや、古城“のような”ではない。完全に『バイオ〇ザード』に出てくる幽霊屋敷である。
黒ずんだ石壁。ひび割れた窓。荒れ放題で蔦が絡みつく庭。枯れた噴水には得体の知れない紫色の苔が元気いっぱいに繁殖している。空は薄暗く、カラスがぎゃあと鳴いて飛んでいった。
(うわぁ……呪われた館すぎる)
ゲームでも「陰気で近寄りがたい」と散々な扱いだったが、実物は予想以上だ。
推しの生活環境が劣悪。由々しき事態である。
すると、正面玄関から数人の使用人と騎士たちが飛び出してきた。
「お帰りなさいませ、閣下!」
「ご無事で……!」
先頭に立つのは、銀髪をきっちり後ろで束ねた長身の男だった。
背筋は槍のように真っ直ぐで、軍服姿がやたら似合う。表情は岩のように硬く、いかにも「融通が利きません」と顔に書いてある。
(おお……生レオンハルト団長!)
クライヴ様の腹心にして、辺境騎士団長レオンハルト・シュタイン。ゲームでも常に眉間に皺を寄せている忠義の堅物騎士だ。
レオンハルトはクライヴ様の姿を確認して深く一礼し――その直後、私の存在に気づいてぴたりと石化した。
「……閣下。そちらの女性は」
「俺の妻だ」
クライヴ様が即答した。
周囲の空気が、ピキピキと音を立てて凍りついた。
使用人たちの目が限界まで見開かれ、騎士たちは揃って口をパクパクさせている。レオンハルトに至っては、数秒ほど完全停止した後、ゆっくりと私を見た。
「……妻、でございますか」
「そうだ。王都で拾ってきた」
「言い方が捨て猫みたいになってますよ!」
思わずツッコミを入れてしまった。
レオンハルトの氷点下の視線が、即座に私へ突き刺さる。うわ、こわい。
「失礼ですが、お名前を伺っても?」
「ルシアナ・フォン・ローゼンクロイツです。本日よりお世話になりますわ」
「……あの、王都で断罪されたという、ローゼンクロイツ伯爵家の」
「はい。つい先ほど勘当されました!」
私が満面の笑みで答えると、レオンハルトの沈黙がものすごく雄弁に「厄介事の匂いしかしない」と語っていた。
だが、クライヴ様はそんな空気をものともせず言い放った。
「彼女はここに住まわせる。客間を用意しろ」
「……承知いたしました」
案内された館の中は、外観以上に『廃墟寸前』だった。
広い玄関ホールには薄く埃が積もり、赤い絨毯は色あせ、シャンデリアには蜘蛛の巣。生活感が完全に死んでいる。
クライヴ様が領地防衛に全振りしていたせいで、館の管理にまで手が回っていないのだろう。
(だめだめだめ! 推しはもっと清潔で、温かくて、おいしいものが出てくる環境で生きるべきなのよ!)
オタク特有の謎の使命感が燃え上がった私は、くるりと振り返った。
「クライヴ様」
「なんだ」
「厨房をお借りしてもよろしいでしょうか。夕食を作りたくて」
「……は?」
「伯爵令嬢が料理を、ですか?」
クライヴ様だけでなく、レオンハルトまで胡散臭そうな顔をした。
「ええ。前世……いえ、色々ありまして得意なのです」
「……好きにしろ」
あっさりと許可をもらい、私は厨房へ向かった。
厨房もかなりの惨状だったが、幸い食材は最低限揃っていた。卵、鶏肉、玉ねぎ、お米。
残念ながらケチャップは無いが、トマトに似た赤い実と、果実酒、砂糖、塩で即席のトマトソースを作れば代用可能だ。
「よし、いける……!」
腕まくりをして手際よく調理を進める私の背後で、監視役としてついてきたレオンハルトが、親の仇でも見るような目で私を睨んでいた。
「何を作るおつもりですか」
「オムライスです」
「聞いたことがありません」
「でしょうね! 異世界初公開なので!」
私は気にせず、玉ねぎと鶏肉を炒め、ご飯を投入して特製トマトソースを絡める。じゅわっと立ち上る香ばしい匂いに、厨房の空気が一変した。
レオンハルトの眉がぴくりと動く。
続いて卵を溶き、ふわりと火を入れ、半熟のうちにケチャップライスの上へ被せる。ぽってり丸い黄色い卵に、赤いソース。
「できました! 特製オムライスです!」
満面の笑みで皿を掲げると、厨房中の視線が釘付けになった。
「まずは、お味見を」
「……私が、ですか? なぜ」
「一番疑ってらっしゃるお顔をしているので」
図星を突かれたレオンハルトは、覚悟を決めたようにスプーンを手に取った。
さすが騎士団長、毒見役まで兼任するつもりらしい。真面目か。
スプーンがオムライスをひとすくいする。
とろとろの半熟卵が赤いライスと混ざり合い、彼の口へと運ばれた。
その瞬間。
レオンハルトの動きが、完全に停止した。
「……」
もぐ、とひと口。
次いで、目を見開いてもうひと口。
さらに、猛烈な勢いでもうひと口。
そして彼は、がたんっ! と椅子を蹴倒して立ち上がった。
(えっ、まずかった!?)
私が一瞬ひやりとした、次の瞬間。
「――女神様!!」
「はい!?」
レオンハルトは、すっと私の前に進み出ると――その場で勢いよく片膝をつき、深々と頭を垂れた。
「このレオンハルト・シュタイン、これまでの非礼を平にお許しください!!」
「えっ!? ちょっ、団長!?」
「まさかこのような至高の料理が、この世に存在したとは……! ふわりとした卵の優しさ、鶏肉の旨味、米に絡む甘酸っぱいソース……完璧です。今まで私が食べてきた固いパンと塩スープは何だったのでしょうか……!」
顔を上げた彼の目からは、大粒の涙が滝のように流れていた。
まさかの号泣である。
「だ、団長が泣いた!?」
「嘘だろ、あの血も涙もない“鉄血の鬼団長”が!?」
厨房中がパニックに陥る中、レオンハルトは神妙な顔で懇願してきた。
「ルシアナ様……どうかこの料理を、閣下にも! 閣下は普段、ご自分の体を顧みず最低限の食事しか召し上がりません。ですが、これならきっと……!」
その必死な姿に、私は胸が熱くなった。
ああ、この人は本当に主君の身体を心配しているのだ。
「ええ、もちろんです!」
私はもう一皿、推しのための特製オムライスを気合いを入れて仕上げた。
そして食堂へ運び、一人で待っていたクライヴ様の前にそっと置く。
「……これは」
「卵料理です。たぶん、いえ、絶対にお気に召すかと」
クライヴ様は静かにスプーンを手に取り、一口食べた。
ぴたりと手が止まる。
そして――無言のまま、ものすごいスピードで食べ進め、あっという間に綺麗に完食してしまった。
「……うまい」
「!!(勝ったーーーーーーッッ!!)」
推しの「うまい」いただきました! 国民の祝日決定です!
「久しぶりだ。食事をして、温かいと思ったのは」
クライヴ様がぽつりとこぼしたその言葉の重みに、私は「これからは毎日、最高に美味しいものを作りますからね!」と心に誓ったのだった。
◇ ◇ ◇
その夜。
広すぎる客間のベッドで、私は怒涛の一日を振り返り、幸福感に包まれてまどろんでいた。
……コンコンッ。
突然、控えめだが切羽詰まったノックの音が響いた。
「ルシアナ様、起きておられますか」
「レオンハルト団長? こんな夜更けにどうしました?」
扉越しに聞こえる彼の声は、ひどく困惑していた。
「……閣下が、お呼びです」
「えっ」
「その……閣下のご様子が、少々おかしいのです。まるで熱に浮かされているというか、憑き物が落ちた反動というか……とにかく、ルシアナ様でないと駄目だと」
さっき消えたはずの呪い。
いや、これは呪いではない。もっと別の、甘くて危険なバグの予感。
私は寝間着にガウンを羽織り、弾かれたように立ち上がった。
どうやら推しの異変(溺愛ルートへの分岐)は、すでに始まっているらしい。




