第28話 辺境軍の圧倒的武力演習
王都方面から、大量の避難民がこちらへ向けて大移動している。
その報告を受けた翌朝、辺境伯邸の空気はいつになくピリッと張り詰めていた。
……いや、正確に言えば。
張り詰めているのは主に、レオンハルト団長がいる執務室周辺だけである。
居間には相変わらず人類を堕落させるこたつが鎮座し、神獣シロ(サモエドサイズ)は窓の外から「チャーシューくれ」と尻尾を振りながらこちらを覗き込み、クロエは勝手に辺境の軍事地図へ嬉々として赤い線を書き込み始めている。
カオスだ。
「避難民の数は、現時点で推定四百」
レオンハルトが地図を指し示しながら、胃を押さえるように報告する。
「ですが、これはあくまで先頭集団だけです。後方にも同規模、あるいはそれ以上の絶望的な難民の波が続いている可能性が極めて高いです」
「四百……」
私は思わず息を呑んだ。
多い。いや、少ない方なのかもしれない。王都の腐敗と混乱の規模を考えれば、むしろ“最初の波”としてはそれくらいなのだろう。
でも、現実として数字を聞くと重い。
「受け入れは可能だ」
クライヴ様が、腕を組んで低く言う。
「食糧の備蓄も、仮設住居の資材も、すぐに逼迫はしない」
「はい」
私は頷く。
「でも、問題はそこだけじゃありませんよね」
クライヴ様の黄金の瞳がこちらを向く。
「王都が完全に崩れ始めると、純粋な避難民だけじゃ済まないはずです。食い詰めて野盗化した集団とか、王都から逃げてきた武装した脱走兵とか、混乱に乗じようとするわけのわからない野心家とか……そういう厄介なのも絶対に混ざってくる」
「大正解」
クロエが地図から顔も上げずにドヤ顔で言う。
「飢えただけの民は逃げるだけだけど、飢えた兵隊と馬鹿な貴族は一番タチが悪いのよ。無駄な武器と、無駄なプライドを持ってるからね」
「言い方」
「でも事実でしょ」
「事実ね……」
ぐうの音も出ない。
ここで、皇帝ユリウスからもたらされた密談の内容が、改めて現実味を帯びてきた。
王都は沈む。
その時、この豊かな辺境はただの「都合の良い避難所」でいてはいけないのだ。
受け入れる人は受け入れる。でも、泥靴で踏み荒らそうとする連中は、物理的に叩き潰して追い返さなければならない。
「なら、見せるべきだな」
クライヴ様が静かに言った。
「何をですか?」
「この辺境に、力ずくで踏み込める余地など一ミリもないと」
その一言で、執務室の空気がビリッと変わった。
「……軍事演習、ですか?」
「そうだ」
クライヴ様が力強く頷く。
「避難民を本格的に受け入れる前に、我が辺境軍の圧倒的な『力』を周辺の者たちへ見せつける。こちらが完全に統制を保ち、王都の混乱ごと飲み込まれたりはしないと、骨の髄までわからせる必要がある」
レオンハルトが短く息を吐いた。
「たしかに。国境沿いの視察隊や、流れてくる野盗崩れに絶望を見せつけるには非常に有効です」
「ついでに、こちらへ逃げてくる避難民への最大の安心材料になる」
クライヴ様が続ける。
「“ここへ来れば絶対に守られる”と、理解させる」
なるほど。
ただ強さを見せて脅すだけじゃない。脅し(絶望)と安心(希望)、その両方だ。
そして、そこで私の限界オタク脳内に、ピカァッ! と素晴らしいアイデアが閃いた。
「あの」
全員の視線がこちらへ向く。
「それ、ただの演習じゃなくて……ちょっとだけ『盛って』もいいですか?」
クロエが一番に反応した。
「その顔、また何かとんでもないことやるわね?」
「やる」
「大好き。話して」
「まだ何も言ってないんだけど!?」
でも、言う前からバレてしまった。
私の中ではもう、前世のゲーム知識を応用したチート計画が完全に形になっている。
「演習に参加する騎士団全員に、私のチートで『バフ』をかけます」
沈黙。
やがてレオンハルトが、胃のあたりをさすりながら慎重に問う。
「……奥様。全員、とは」
「全員です」
「当日は何人いると思っておられますか」
「三千人」
「わかっていて言っておられる」
「はいっ」
私はドヤ顔で豊満な胸を張った。
「今まで私の【浄化】は、呪いや瘴気や土地のお掃除だけに使ってきました。でも最近、色々と実験してわかってきたんです。私の魔力って、“悪いものを祓う”だけじゃなくて、“良い状態を極限まで底上げして固定する”方向にも働いてるみたいなんですよ」
クライヴ様の目がスッ……と細まる。
「……防御力の強化か」
「そうです。あと疲労の即時回復、集中力の限界突破、ちょっとした自動回復も乗せられるかもしれません」
「ちょっとした、で済む内容かしらそれ」
クロエが楽しそうにニヤニヤと呟く。
私はコクリと頷いた。
「【浄化】で余計な瘴気や筋肉の疲労を取り除いて、さらに防御系のバフを重ねがけする。そうすれば、騎士団全体の耐久力と筋力を、一時的に『人外レベル』まで一気に底上げできます」
「……理屈としては可能かもしれんが」
クライヴ様が低く言う。
「だが、三千人へ『一斉付与』となると、お前への魔力負担が大きすぎる」
そこだ。旦那様は過保護だから絶対にそこを突いてくると思っていた。
けれど今回は、一人ではない。
「クロエ」
「ええ」
彼女はニヤリと悪党のように笑った。
「そこで天才魔導具オタクである私の出番ってわけね」
私は机の上の演習場の地図を指差した。
「演習場全体に、魔力増幅と分配の巨大な魔法陣を敷けない?」
「敷けるわ」
「早っ」
「むしろそのために、ルシアナが何か言い出す前から昨日徹夜で考えてたのよ」
「いつの間に!?」
「あなたが“盛る”って言い出した時点で、どうせ無茶苦茶なことすると思ってたのよ」
さすが親友。限界オタク同士、理解度が高すぎる。
クロエはすでに手帳を開き、サラサラと狂気的な複雑さの術式を引き始めていた。
「演習場の四隅に増幅用の魔石柱を立てる。中央に主陣。ルシアナの莫大な魔力を一度そこへ流し込んで、私が術式で三千人へ均等分配する」
「そんな神業みたいなことできるの!?」
「天才を誰だと思ってるの」
「最高すぎる天才でした」
レオンハルトが、ついに両手で顔を覆った。
「……また、とんでもない常識外れの話になってきましたね……」
「でも、絶対に必要です」
私は真面目に言った。
「今の辺境に必要なのは、“優しいだけじゃない”って見せることだから」
食糧はある。住む場所も、作ればいい。
温泉もある。ラーメンもある。ハンバーガーも、全自動洗濯機も、ケーキもある。
でも、それら全部を『絶対に守り抜けるだけの暴力的な力』があると証明しなければ、結局は愚か者に奪われる。
そういう段階に、もう来てしまったのだ。
クライヴ様はしばらく黙っていたが、やがてフッ……と誇らしげに笑い、頷いた。
「……やるか」
その一言で、全てが動き出した。
◇ ◇ ◇
演習は三日後。
場所は領都外れの、広大な大演習場。
辺境軍三千名が完全武装で集結。
さらに、クロエの魔導工房が徹夜で即席で組み上げた“鋼鉄ゴーレム”が、標的として十体投入されることになった。
いや、ちょっと待って。
鋼鉄ゴーレムって、そんな数日でポンポン出てくる量産型単語じゃないのでは?
そう思ったのだが、クロエは徹夜明けのバキバキの目で平然としていた。
「人型にこだわる必要はないのよ。ただ動いて攻撃してくる分厚い鋼鉄の塊で十分」
「いや十分でもないんだけど」
「騎士団がアレを素手で叩き壊せれば、最高の威嚇になるでしょ?」
「まあ……なるけど……物理法則無視してない?」
「ファンタジーだもの、問題なし!」
「その力技の理屈で進めるの怖いな!?」
そして当日。
大演習場は、異様な熱気と緊張感に包まれていた。
三千の騎士。
一糸乱れず整列する重装槍兵、剣士、騎馬隊、魔導兵。
銀と黒の鎧が冬の陽光を跳ね返し、辺境伯の旗が風を孕んでバサバサと鳴る。
その後方には、無骨な鋼鉄の塊が十体。
人の背丈を優に超え、分厚い装甲鋼板で覆われた腕は丸太みたいだ。普通に怖い。バイオハザードのボスキャラか何かだ。
「……これ、騎士団の皆さん普通に大怪我しません?」
私は思わずクロエへ小声で聞いた。
「普通なら即死するかもしれないわね」
「やっぱり!?」
「だからこそ、あなたのチートの出番なのよ」
そうだった。
私は深く深呼吸した。
演習場の四隅には、クロエが用意した巨大な魔石柱が立っている。それぞれに複雑怪奇な魔法回路が刻まれ、中央の大陣へ繋がっていた。
私はその中央へ立つ。
目の前には三千の騎士。
後方の見学席には領民たち、亡命してきた貴族夫人たち、そして今日到着したばかりで不安げな避難民の一団まで固唾を呑んで見守っていた。
視線が、重い。
(落ち着け、私)
ここで失敗したら恥ずかしい、では済まない。辺境の抑止力としての意味が薄れる。
でも、やるしかない。
「ルシアナ」
低い声に顔を上げると、クライヴ様がすぐそばまで来ていた。
漆黒の軍服。翻る外套。いつも通り、圧倒的に絵になる。顔が良い。
でも今の彼の目には、いつもの過保護な甘さよりも、妻の力を信じる真っ直ぐな信頼があった。
「無理はするな」
「します、たぶん」
「そこは否定しろ」
「……でも、絶対にやれます」
私が力強くそう言うと、クライヴ様はほんの少しだけ目を細めた。
「ああ。俺の愛する妻ならできる」
たったその甘い一言で、不思議なくらい肩の力がフッと抜けた。
「……はいっ!」
私は中央へ向き直る。
冬の冷たい空気。三千人分の闘気。地面に張られた魔法陣の魔力の脈動。
その全てを感じながら、私は両手を大きく広げた。
(いっけぇぇぇぇ! 【浄化】&【防御力アップ】――限界突破展開!!)
次の瞬間。
目も眩むような特大の白金の光が、地面からドバァァァッ! と立ち上った。
「……ッ!」
「おおおお……ッ!」
「なんだ、これは……神の光か……ッ!」
ざわめきと悲鳴が広がる。
光はまず私の足元を満たし、それから中央陣を駆け抜け、四隅の魔石柱へ凄まじい速度で走った。クロエが即座に制御の魔力を流し込む。
「いくわよ、ルシアナ! 増幅分配、開始!」
「お願い!!」
バチンッ! と空気が爆発するように震えた。
四本の魔石柱から、白金の光の波が一斉に演習場全体へ広がった。
それはまるで巨大な黄金の天蓋みたいに三千の騎士団全体を覆い尽くし、次の瞬間、サラサラと細かな光の粒子になって一人ひとりの鎧と身体へ降り注いでいく。
「……あ」
最前列の騎士が、震える声で小さく声を漏らす。
「身体が……恐ろしく軽い……」
「疲労がゼロだ……! 傷の古い痛みが、完全に消えた……!」
「力が……力が全身から無限に湧いてくるぞォォォッ!!」
私はさらに意識の底を深く沈めた。
余計な疲労を完全に祓う。瘴気を除く。筋肉の巡りを最高潮に整え、身体の表面に鋼よりも硬い絶対防御の光の膜を重ねる。
【浄化】と、そこから派生する“最良状態の完全固定”。
額に汗が滲む。魔力が大量に持っていかれる感覚。
でも、不思議と怖くはなかった。これが愛する人たちを守るための力だと、今はもうハッキリとわかるから。
「……付与、完了!!」
私が声を上げると同時に、白金の光がスッ……と騎士たちの身体へ吸い込まれて消えた。
演習場が静まり返る。
騎士たちはそれぞれ自分の手を見たり、剣を握り直したりして、その身体に宿った『人外の力』に驚愕と異常な高揚で打ち震えていた。
レオンハルト団長が前へ出る。
「全隊、構えェッ!!」
ビリビリと空気を震わす号令が響く。
「第一段階――ゴーレム迎撃!!」
次の瞬間、クロエがニヤリと悪党のように笑って制御盤を叩いた。
「鋼鉄ゴーレム、起動!」
ゴゴンッ! と重低音を立てて、十体の鋼鉄の塊たちが動き出した。
ギシギシと巨大な腕を振り上げ、地面を揺らしながら騎士団の前へ進み出る。普通なら、アレだけでもトラウマものの絶望的な威圧感だ。
だが、今日の辺境軍は完全にバグっていた。
「前衛、前進!!」
レオンハルトの号令とともに、先頭の重騎士たちが一斉に駆ける。
速い。明らかに、人間の動きじゃない。
重いフルプレートの鎧の重量を一切感じさせない、チーターのような踏み込みで、鋼鉄ゴーレムの懐へ一瞬で飛び込んでいく。
ゴォォォンッ!! と、ゴーレムの丸太のような鋼の拳が振り下ろされる。
だが、それを片手の盾で受けた騎士は、一歩も吹き飛ばされなかった。
「うわっ!?」
「う、受け切ったぞ!?」
「なんだ今の!? 鋼の塊のフルスイングだぞ!?」
見学席の領民たちが悲鳴を上げる。
騎士本人も「えっ、俺つよ」と目を見開いていたが、次の瞬間には反射的に、開いた右の拳を全力で振り抜いていた。
――ドガァァァァァァンッ!!!
爆音とともに、なんと鋼鉄ゴーレムの分厚い装甲の腕が、根元から『物理的に吹き飛んだ』。
「……………………え?」
私は思わず、素で間の抜けた声を漏らした。
今、素手でやった?
いや、正確には鉄のガントレット越しだけど、でも剣も槍も使ってなかったよね? 鋼鉄を素手で粉砕したよね? ゴリラなの?
隣でクロエが目をギラギラさせている。
「ちょっと待って、ルシアナのバフ、私の想定の百倍以上乗ってるわねこれ!」
「私も自分でドン引きしてる!」
「最高!!」
「最高なの!?」
演習場では、完全にパワーバランスの崩壊が起きていた。
三千の騎士たちが、鋼鉄ゴーレムの攻撃を真正面からノーダメージで受け止め、弾き返し、時にはそのままタックルで押し倒し、拳で、蹴りで、容赦なく装甲をボコボコに叩き壊していく。
剣で斬る者もいる。槍で貫く者もいる。
だが中には、なぜか全能感でテンションが上がりすぎて、武器を捨てて素手で鋼板をベコベコに凹ませ始めるゴリラ系騎士までいた。
「待って待って待って、アレ絶対におかしいでしょ!」
「大丈夫よ」
「どうしてそんな自信満々なの!?」
「あなたの絶対防御バフが乗ってるから、拳の骨は折れないわ!」
それもそうなんだけど! 絵面が完全に世紀末の覇者なんだけど!
レオンハルト団長に至っては、真正面からゴーレムの突進を受け止め、そのまま涼しい顔で『肩タックル』でゴーレムを数十メートル吹き飛ばしていた。
なんなのその安定感。人間やめてない?
「全隊、第二段階!」
彼の号令が飛ぶ。
「魔導部隊、後方より模擬広域魔法、放てェッ!」
後衛の魔導兵たちが、訓練用の強力な爆発魔力弾を一斉に前衛へ向けて放つ。
普通なら確実に回避や魔法障壁が必要なはずのそれを、前衛のゴリラ騎士たちは『避けることすら面倒くさそうに』盾で軽く受け流しながら、火の海の中を無傷で突き進んでいく。
防御力がカンストしている。
それだけじゃない。恐怖心が完全に薄れ、踏み込みが鋭くなり、連携まで阿吽の呼吸になっている。
私は完全に呆然とした。
「……なんか、私が思ってた以上に、ヤバい化け物集団が誕生してない?」
その問いに答えたのは、クライヴ様だった。
「ヤバいな」
「やっぱり」
「疑いようもなく、世界最強の軍隊だろう」
サラッと言われた。
でも、絶対に否定できない。
三千の騎士が、鋼鉄ゴーレムを素手で圧倒し、爆発魔法を無傷で受けながら隊列を崩さず進軍する。
その光景は、もはや“軍事演習”というより、“絶望を具現化した進撃の壁”みたいだった。
後方の安全地帯で見ていた避難民たちが、呆然と口を開けて震えている。
「……す、すごい」
「なんだあの化け物じみた強さは……王都の正規兵と、レベルが違いすぎる……!」
「ここなら……」
「この辺境なら、絶対に俺たちを守ってくれる……!」
その安堵の声が、風に乗って聞こえてきた。
私は胸の奥がジワッと熱くなるのを感じた。
そうだ。
これが見せたかった。これを感じてほしかった。
相手を怖がらせるためだけの暴力じゃない。“ここは絶対に大丈夫だ”と、恐怖に怯える人々に伝えるための『守る力』だ。
やがて最後の鋼鉄ゴーレムが、前衛騎士の渾身のドロップキックで真っ二つに割れた。
ズドォォォンッ! と鋼鉄の残骸が地面へ沈み込み、演習場がシンッ……と静まり返る。
そして次の瞬間。
地鳴りのような大歓声が、爆発した。
「ウオォォォォォォッ!!」
「奥様ばんざい! ルシアナ女神様ばんざーい!!」
「辺境軍最強! 俺たち最強ォォォ!!」
「やれる! これなら王都の連中が何万来ようと、片手でひねり潰せるぞ!!」
騎士たちの野太い絶叫が響き渡る。
領民たちも、不安げだった避難民たちも、亡命してきた貴族夫人たちまで、呆然としながら割れんばかりの拍手と歓声を送っていた。
その中で、レオンハルト団長がこちらへ歩いてくる。
鎧には傷一つ、煤汚れ一つない。しかも顔が、珍しく「俺TUEEE」の高揚感でわずかに紅潮していた。
「……奥様」
「は、はい」
「これは、とんでもないチートですね」
「そうですね……引くほど強かったですね……」
「騎士団全体の底上げとして、異常です。戦術の概念が崩壊します」
「やっぱり?」
「はい。完全に異常です。最高です」
そこまで嬉しそうに断言されると、逆に少し不安になる。
でもレオンハルトは真面目な顔に戻り、深く一礼した。
「これで辺境へ手を出そうと考える愚か者は、二度と現れないでしょう」
クライヴ様が隣で誇らしげに頷いた。
「ああ。十分すぎる成果だ」
彼は演習場全体を見渡す。
歓喜に沸く三千の無傷の騎士。砕け散った鋼鉄ゴーレムの残骸。
そして、それを見て心底安堵したように泣き崩れ、抱き合う避難民たち。
「今日ここで見せたかったものは、全部見せられた」
その声は低く、絶対的な自信に満ちていた。
「俺の妻がいるこの辺境は、何があっても絶対に崩れない」
私は隣で、その横顔を見上げる。
強い。言葉も、立ち姿も、何もかも。
そして、その強さの一端に自分が関われたことが、少しだけ誇らしかった。
すると、その時。
後ろからクロエがワクワクした顔で肘でつついてきた。
「ねえ、ルシアナ」
「なに?」
「これ、魔道具で『常時付与』できるように結界張れないかしら?」
「サラッと恐ろしい無茶言わないで」
「でも実現したら夢あるわよ? 辺境軍、常時ゴリラ化よ?」
「夢はあるけど!」
だが、言われてみれば――たしかに夢はある。
軍の永続的な底上げ。絶対防衛ラインの完成。
しかも、天才クロエがいる今の辺境なら、本気で研究する価値がある。
私は思わず遠い目になった。
「……また仕事(過労)が増える」
「いいことじゃない。辺境が最強になるのよ」
「そういう問題かなぁ……」
「そういう問題よ」
「この二人の会話を聞いていると、また違う意味で胃が痛くなるな」
レオンハルトが本気で呟いた。
「団長、大丈夫ですか?」
「最近は、奥様のチートに対して考えるのを諦める技術を覚えました。胃薬も常備しています」
それはたぶん成長なのだろう。いや、たぶん違う。
◇ ◇ ◇
演習の最後、クライヴ様が皆の目の前で私の肩をグッと抱き寄せ、低く囁いた。
「よくやったな、ルシアナ」
「今回は、ちょっと魔力を使いすぎて本当に疲れました……」
「知っている」
「ご褒美ください」
「何がいい。国でも買うか」
「規模がデカい! 甘いものと、あと、ちょっとだけ旦那様と二人きりの静かな時間が欲しいです」
「……全部やる」
即答だった。
そして彼は、数千人の視線が集まる大演習場のど真ん中で、当然のように、私の額へチュッ、と甘い口づけを落とした。
「ッ!?」
「ワアァァァァァッ!!」
「閣下ァァァ!? そこで見せつけますかァ!?」
「俺たちにも春をくれェェェ!!」
後方から、騎士たちの歓声と悲鳴と嫉妬が同時に上がる。
私は顔から火が出るほど真っ赤になった。
「ク、クライヴ様! 皆さん見てます!!」
「問題ない」
「あります!!」
「今日くらいは許せ。俺の妻が世界一尊いと証明したかった」
「それをド真顔で言われると弱いです!!」
クロエが後ろでお腹を抱えて爆笑していた。
レオンハルトは遠い目をしていた。
シロはなぜか「わふっ!(ごちそうさま!)」と吠えていた。
カオスだ。
でも、悪くない。最高に幸せだ。
そう思った、その時だった。
演習場の端で、見張りの騎士が大きく手を上げ、血相を変えて走ってきた。
「閣下!!」
空気がまたピリッと引き締まる。
「王都方面より、さらに新たな動きあり! 王都の城下にて、ついに『大規模な民衆の武装暴動』が発生したとの急報です!!」
私は息を呑んだ。
ついに。
本格的に、あの泥船の王都が燃え始めたのだ。
辺境軍が世界最強の力を示した、まさにその日に。




