第22話 親友クロエ(天才魔導具オタク)の亡命
辺境の冬は、寒い。
だが、人類を堕落させる『こたつ』と、深夜の飯テロ『特濃豚骨ラーメン』と、伝説の神獣『シロ(サモエドサイズ)』のモフモフが揃った今、我が辺境伯邸のQOL(生活の質)はもはや無敵だった。
朝はこたつでぬくぬく。
昼は執務の合間に推しからの甘やかし(致死量)。
夜はラーメン。
そして隙あらば、モフモフ。
完璧である。前世の社畜時代からすれば、ここは極楽浄土か何かだ。
なお問題があるとすれば、神獣シロがすっかり館の周辺に居着いてしまったことくらいだろうか。
最初は「国を滅ぼす神獣を館へ入れるのは危険だ」と難色を示していたクライヴ様も、今では「館の中は絶対に駄目だが、庭先までは黙認してやる」という妙な譲歩をしている。
ただし、私がシロを撫でている時間が少しでも長いと、露骨に不機嫌になる。
「クライヴ様、もしかしてシロにまで嫉妬なさってません?」
「していない」
「今の三秒の間は何ですか」
「確認だ」
「何をです」
「俺の方が先に、そして長く撫でられるべきかを」
「完全に嫉妬してるじゃないですか!!」
そんな平和で大人気ないやりとりをしていた、ある日の昼下がり。
辺境伯邸の正門前から、ものすごい勢いで馬のいななきが響いた。
ヒヒィィィン!! と切羽詰まった高い鳴き声。
続けて、馬車の車輪が石畳をゴリゴリ削るような荒々しい音。
さらに、何かが盛大に転がる気配。
「……何事でしょうか」
私が顔を上げると、居間で書類を見ていたレオンハルト団長もすでにスッと立ち上がっていた。
「ただの来訪ではありませんね。襲撃か、あるいは……」
その判断が的確すぎる。
クライヴ様も不快そうに眉を寄せ、静かに書類を置いた。
「騒がしいな。俺が出る」
「あっ、私もちょっと見てきます!」
私が立ち上がろうとすると、クライヴ様の大きな手が当然のように私の手首をガシッと掴む。
「一人で行くな。俺の後ろにいろ」
「はい、いつもの過保護ですね。把握しました」
「何か不満があるか」
「今や不満というより様式美です」
というわけで、私はクライヴ様とレオンハルト団長とともに玄関ホールへ向かった。
そして正門前に出た瞬間。
「ルシアナァァァァァァァッ!!」
聞き覚えのある、やたら張りのある声が冬空を裂いた。
「へっ」
私は間抜けな声を漏らした。
そこにいたのは、一台の豪奢な侯爵家仕様の馬車。
……なのだが、豪奢なのは元のデザインだけで、状態はスラム街の荷車よりひどかった。
片側の車輪には泥がべっとりつき、屋根には太い木の枝が刺さり、馬はゼェハァと文字通り泡を吹いて白目を剥いている。
そしてその扉を内側から蹴破る勢いで飛び出してきたのは――。
赤茶色の髪を高く結い上げ、琥珀色の瞳をギラギラと夜行性の獣のように輝かせた、一人の令嬢だった。
頬は少しこけている。服は最高級の旅装だけれど、裾は泥と葉っぱだらけ。
でも、そんなこと全部どうでもよくなるくらい、彼女の目は生き生きと(というかバキバキに)輝いていた。
「クロエ……!?」
私は限界まで目を見開いた。
クロエ・アシュフォード。
由緒正しき侯爵令嬢。
そして、前世の記憶を思い出して以降、この世界で私が唯一“オタクとして話が通じる”と確信していた親友。
ゲーム本編では、悪役令嬢であるルシアナに対しても最後まで一定の友誼を保ってくれる、かなり貴重な良心ポジションのキャラクターだった。
しかも彼女の属性は『魔導具オタク』。天才肌。変人。ポジティブのバケモノ。最高である。
クロエは私を見るなり、ズカズカと雪混じりの地面を踏みしめて近づいてきた。
「会いたかったわルシアナァァァ!」
「えっ、えっ、本物!? 幻覚じゃなくて!?」
「泥だらけの幻覚がいてたまるか!」
そして次の瞬間、彼女は勢いよく私へ飛びついてきた。
「きゃっ」
「ちょっ……!?」
「生きてたぁぁぁぁぁぁッ!!」
ギュウウウウッ、と肋骨が軋むほど力いっぱい抱きしめられる。
苦しい。でも、懐かしい。
前世のことまでは打ち明けていないはずなのに、それでもクロエだけはずっと私の奇妙な言動や発想に対して妙に理解があった。
王都の社交界で浮きがちな私に、「あんたのその変なアイデア、面白そうね!」という理由だけで話しかけてきて、気づけば徹夜で魔導具の設計図を語り合う仲になっていたのだ。
そんな彼女が、今、辺境にいる。
「クロエ、どうしてここに……」
「亡命よ!!」
即答だった。
しかも目がキラキラしている。国を捨てる亡命を宣言する人の目ではない。徹夜明けで新作魔導具の構想を語る時の限界オタクの目だ。
「ぼう、めい……?」
「そう! あんな泥舟(王国)、沈むに決まってるでしょ!」
クロエは私の肩を掴んだまま、ものすごい勢いでまくしたてた。
「王都はもう終わりよ! 食糧は腐る、神殿は役立たず、王太子は無能な上にハゲるし、偽聖女は『ゲコゲコ』うるさいし、貴族たちは責任の押しつけ合いで現実逃避! あんな場所に居続ける理由なんて、一ミクロンもないわ!」
語気が強い。
でも全部事実っぽいのがひどい。
「で、でもアシュフォード侯爵家は……?」
「お父様たちはまだ『王都を立て直す!』とか言ってるけど、私は先に見切りをつけて馬車をかっ飛ばしてきたわ!」
「決断力がマッハすぎる」
「褒めなさい!」
「褒めます!!」
私が思わず笑うと、クロエは満足そうに鼻を鳴らした。
だが、もちろんそれで終わるはずがない。
ここにはもう一人、ものすごく目つきが冷えている男がいる。
私はハッとして振り返った。
案の定、クライヴ様が『妻に馴れ馴れしく触れる不審者を見る目』でクロエを見ていた。
静かだが、空気がシベリアのように冷えている。はい、いつもの独占欲です。
「……ルシアナ」
「は、はいっ」
「お前に抱きついている、その泥だらけの女は」
「あっ、紹介します! クロエ・アシュフォード様です! 私の……友人で、親友で、天才魔導具オタクで、とにかくすごい人です!」
最後の紹介が雑すぎたかもしれない。
だがクロエはそんな殺気を一切気にせず、パッとクライヴ様へ向き直った。
「あらあら、あなたが噂の辺境伯様ね!」
やめて。そのフレンドリーな距離感は死を招く危険がある。
「ルシアナを助けてくれてありがとう! あと結婚してくれてありがとう! ついでに今後とも末永くよろしくね!」
ものすごい勢いで言い切った。
クライヴ様が一瞬、毒気を抜かれたように完全に黙る。レオンハルトでさえ少しだけ目を見張った。
だが、クロエの暴走は止まらなかった。
「いやー、それにしても実物、すっっっごい顔面偏差値ね! そりゃルシアナもクローゼットの奥に隠し撮り集めて『祭壇』作るわ!」
「クロエェェェェェェッ!?」
私は全力で叫んだ。
言った。この子、今サラッと言った。
『祭壇』って言った。私の推し活の究極の黒歴史に泥足で踏み込んだ。
クライヴ様の黄金の瞳が、スッ……とこちらへ向く。
「……祭壇?」
「い、いえ、それは、その……誤解で……」
「ルシアナったら王都ではずーっとあなたのことを『顔が良い! 尊い!』って――」
「クロエェェェェェェ!! 黙って!!」
私は本気で飛びついて彼女の口を塞ごうとした。
だが、クロエはヒラリとかわす。機敏。徹夜明けのくせに腹立たしいくらい機敏。
「何よ、事実でしょ?」
「い、今言わなくてもいいじゃない!!」
「今だからいいのよ! 両想いなんでしょ!?」
「そ、それは、そうだけど……ッ!」
私が茹でダコのように真っ赤になってアワアワしていると、クライヴ様がポツリと呟いた。
「……なるほど」
その声は低かったが、妙に穏やかで、そしてひどく甘かった。
私は恐る恐る顔を上げる。
すると、クライヴ様はほんの少しだけ口元を緩め、心底嬉しそうに笑っていた。
「王都で俺と会った時、お前が処刑寸前にもかかわらず、俺を見て妙に目が輝いていた理由がよくわかった」
「うあああああっ! 忘れてください!!」
羞恥で死ぬ。死ぬしかない。
私はその場で穴を掘ってブラジルまで逃げたくなったが、クロエが愉快そうに笑うので余計に腹立たしい。
「フフッ、やっぱりルシアナ、旦那様にはまだ全然本性のオタクっぷりを知られてないじゃない」
「知られなくてよかったのよ!!」
「でも今後は一生を共にする旦那様なんだから、知ってもらった方が絶対面白いわ」
「面白さを基準にしないで!!」
私は半泣きだった。
しかし、そんな限界オタクのやり取りを見ていたクライヴ様は、意外にも不機嫌にはならなかった。むしろ、独占欲が満たされたのか、少しだけ面白がっているようにすら見える。
「……とりあえず、中へ入れ」
「話が早い! 好き!」
「クロエ! うちの旦那様に好きって言わないで!」
クライヴ様の許可を取った瞬間、クロエはパッと顔を輝かせた。
「助かるわ! 実は三日三晩、馬車の中でまともに寝てないの! 道中ずっと王都からの追手と野盗を警戒してたから!」
「三日三晩!?」
さすがに私は顔色を変えた。
「大丈夫なの!?」
「大丈夫よ! アドレナリン出まくって興奮してるから!」
「それ医学的に大丈夫って言わないから!」
でも言われてみれば、たしかにクロエの目の下にはくっきりとクマがあった。テンションで誤魔化しているだけで、疲労は限界突破しているのだろう。
私はすぐ侍女たちへ指示を飛ばした。
「客間を急いで整えてください! それから温かいお茶と軽食も!」
「奥様、それなら『特濃ラーメン』のスープがちょうど仕上がっておりますが」
料理長が厨房の方から顔を出した。
私はハッとした。
そうだ。ラーメン。
このタイミングで、極限まで疲労した徹夜明けの身体に叩き込むのに、これ以上ふさわしい完全食があるだろうか。いや、ない。
「クロエ」
「なに?」
「まずは、すごいものを食べてもらうわ」
「何その自信満々な目」
「辺境の最新の英知(飯テロ)よ」
「怪しすぎるんだけど!?」
◇ ◇ ◇
かくして、クロエはそのまま食堂へ連行された。
用意されたのは、もちろん熱々の特濃豚骨ラーメン。いや、魔猪骨ラーメンである。
白濁スープ。細麺。甘辛い炙りチャーシュー。
湯気と暴力的な香りだけで人を黙らせる、辺境の最強兵器。
クロエは目の前に置かれた丼を見て、目を丸くした。
「……何これ」
「ラーメンよ」
「らーめん?」
「食べれば世界が変わるわ」
私がドヤ顔で胸を張ると、クロエは半信半疑で麺を持ち上げた。
そして、ズズッ、とひと口。
「…………」
止まった。
完全に動きが止まったぞ。
私はクライヴ様と顔を見合わせる。レオンハルト団長も微妙に固唾を呑んで見守っていた。
やがてクロエは、そっと丼をテーブルへ戻した。
目が、ものすごく真剣になっている。
「ルシアナ」
「はい」
「これを考えたの、あんた?」
「そうだけど」
「天才?」
「えへへ」
「違う、ほんとに控えめに言って天才?」
「そんなに!?」
次の瞬間、クロエはものすごい勢いで身を乗り出した。
「何よこの麺! 何よこの悪魔的なスープ! 魔物の骨をここまで短時間で乳化させる発想どこから来たの!? しかも香りの設計が狂ってる! あとこの器、保温魔法を組み込んだ方が絶対いい!」
「えっ」
「あとこの保存性! 流通! 屋台展開! いや待って、これ店舗ごとに魔導加熱器を仕込めば大量生産が可能に――ッ!」
始まった。
目が、完全に『魔導具オタク』のそれだ。
私は思わずパンッ! と手を叩いた。
「わかる!?」
「わかるに決まってるでしょ! これ、ただの麺料理じゃないわ! 一つの巨大な『産業』よ!!」
「でしょ!?」
「うわー、ヤバい、王都の泥船を捨ててきて大正解だったわ!!」
クロエが目をキラキラさせる。
その横で、クライヴ様がボソリと呟いた。
「……類は友を呼ぶ、か」
「はい?」
「いや、何でもない。お前と同じ匂いがする女だと言っただけだ」
何でもなくはないな。でも否定もできない。オタクはオタクを呼ぶのだ。
そうしてラーメン一杯で完全に胃袋と心を掌握されたクロエは、食後、ようやく一息ついたところで改めて私を見た。
「ルシアナ」
「なに?」
「しばらくここに置いて」
「え?」
「じゃないと無理。私もう、絶対に王都に帰る気ないもの」
サラリと言う。
だが、その声音には冗談の色が一切なかった。
「向こうはもう終わるわ。たぶん本当に」
食堂の空気が、少しだけ静かになる。
クロエは箸を置き、珍しく真面目な顔をした。
「作物は全部腐る。神殿は役立たずでぐらつく。王太子は責任転嫁しかしない。貴族たちも、もう内心じゃ見限り始めて財産を隠してる」
その言葉に、レオンハルトが静かに目を細めた。
「そこまでですか」
「そこまでよ」
クロエは頷く。
「しかも、あの偽聖女……リリアンだったかしら。あれ、完全に終わってるわ」
「……ゲコ化?」
私がそっと聞くと、クロエが肩を震わせた。
「そう、それ! 最初に聞いた時は耳を疑ったけど、マジだったわ! 語尾がもうほぼ全部『ゲコッ』なの! しかも顔も喉も、どんどんカエルっぽく進化していってて、見てるだけで夢に出そうに気持ち悪いの!」
あっ、本当に悪化してるんだ。
私はちょっとだけ遠い目になった。ざまぁ案件としては順調すぎる。
「だから、私は早めに逃げたの」
クロエは真っ直ぐに私を見た。
「王都が沈むなら、私は沈む船からためらいなく飛び降りる。だったら、面白そうな方へ行くに決まってるでしょ」
「面白そう、で亡命を決めるのすごいね」
「褒めなさい」
「全力で褒めるけど!」
やっぱりこの子、最高だ。
すると、クライヴ様が静かに口を開いた。
「滞在は認める」
「ほんと!?」
「ただし、ルシアナに余計なオタク知識を吹き込むな。これ以上俺の邪魔をするな」
その大人気ない言い方に、クロエはニヤリと笑った。
「あら、辺境伯様ったら独占欲強め?」
「クロエ!」
私が慌てて止める。けれどクライヴ様は一ミリも動じなかった。
「今さらだろう。俺の妻だ」
堂々と認めた。
私は顔を覆いたくなった。この人、本当に最近開き直りが早すぎる。
一方のクロエはというと、むしろますます楽しそうだった。
「いいわねぇ、辺境! 面白い男がいて、面白いチート料理があって、しかもルシアナが生き生きしてる!」
そう言って、彼女は身を乗り出した。
「で、見せて。新しい魔導具の案、あんたの頭の中にいっぱいあるんでしょ?」
私は一瞬、目を見開いた。
そして、次の瞬間にはもう、最高に悪い笑顔になっていた。
「ある」
「でしょうね!」
「いっぱいある!」
「最高!!」
私たちは、ほぼ同時にガタッ! と立ち上がった。
前世知識持ちの限界料理オタクと、天才魔導具オタクの侯爵令嬢。
この最凶の組み合わせが危険でないはずがない。
クライヴ様が、少しだけ嫌な予感を覚えたような顔をする。
「……ルシアナ」
「はい!」
「ほどほどにしろよ」
「善処します!」
「しない顔だな」
「絶対しませんね」
クロエが即答した。
「クロエ!?」
でも、否定できない。
こうして、王都から“亡命”してきた私の親友クロエは、辺境伯邸へ新たなチートの嵐を運び込んだ。
料理と魔導具。前世の社畜知識と異世界技術。
この二つが合わさった時、何が起きるのか。
……まあ、たぶん『ろくでもなくて最高なこと』だろう。
そしてその予感は、翌日には早くも現実になる。
なぜならクロエが、翌朝の食卓で目をキラキラさせながらこう言い出したからだ。
「ねえルシアナ」
「なに?」
「水魔法と風魔法を組み合わせて……『全自動で洗濯ができる魔導具』って、作れないかしら?」
私はパンを持ったまま完全に固まった。
クライヴ様は特大の嫌な予感を隠さなかった。
レオンハルト団長は静かに胃を押さえた。
どうやら次に始まるのは、辺境の主婦たちを狂喜乱舞で涙させる『洗濯革命』らしい。




