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第18話 豚骨ラーメン開発

 本物の夫婦になってからというもの、クライヴ様の私への甘やかしは、順調に限界突破を続けていた。


 朝は「足が疲れるだろう」と謎の過保護理論でお姫様抱っこで食堂まで運ばれ、昼は執務の合間に「お前の体温を補給しに来た」と当然のように現れて抱きしめられ、夜は「寒いだろう」と言って私をスッポリと自分の外套へ包み込む。


 いや、ありがたい。

 すごくありがたい。

 でも、ちょっと待ってほしい。


(日々の糖度が高すぎる……!!)


 嬉しい。嬉しいのだ。

 けれど、毎回いちいち心臓がもたない。こちらは前世の社畜時代でも今世の悪役令嬢時代でも、こんなにも真正面から、しかも国宝級のイケメンに溺愛された経験などただの一度もないのである。


 しかもクライヴ様、本気で無自覚ナチュラルに爆弾発言を投下してくるから余計にタチが悪い。


「ルシアナ」

「はいっ?」

「今日は少し寒いな」


 そう言った次の瞬間には、当然のように私の肩へ厚手のショールが掛けられている。しかもそれだけでは足りないと思ったのか、グイッとすぐ隣へ引き寄せられ、ピッタリ密着した状態で暖炉の前へ誘導されたりする。


 それを見ていたレオンハルト団長が、最近ではもういちいち表情を崩さなくなってきた。


「閣下」

「なんだ」

「奥様への過保護の加速が止まっておりません」

「何か問題があるか」

「もはや“何か”どころの騒ぎではありません」


 うん、本当にそう。激しく同意する。

 でも、そんなやりとりにすら慣れつつある自分が一番怖い。


 ◇ ◇ ◇


 そんなある日。

 私は厨房の隅で、新麦の粉袋と睨めっこしていた。


「……いける」


 前世の日本人の血が騒ぐ。

 いや、前世の私はしがない社畜OLだったけれど、それでも知っている。寒い日に、疲れた日に、深夜の残業明けに、すり減った心を暴力的なまでに救ってくれる『人類のソウルフード』があることを。


 そう。

 ラーメンだ。


 しかも、今回はただのラーメンではない。

 辺境の厳しい気候、常に腹を空かせている騎士たちの胃袋、そして今この領地にある最強の食材を掛け合わせれば、答えは一つに絞られる。


(豚骨ラーメン……ッ!!)


 正確には豚ではなく魔の森で狩った『魔猪』なのだが、細かいことは気にしてはいけない。

 極上の霜降り肉でBBQをしたあの巨大な魔猪、その骨がまだ大量に残っている。あれをガンガンに煮込めば、絶対に白濁した最高の出汁が出る。間違いない。


 小麦もある。新麦の豊穣祭を終えたばかりで粉には困らない。香味野菜も揃う。にんにくも大量にある。

 いける。完全にいける。


「ルシアナ様?」


 厨房の料理長が、不思議そうに覗き込んでくる。


「何かまた、新しいものでも思いつかれましたか」

「はい!」


 私は勢いよく振り返った。


「今日は、騎士団の皆さんを更にダメ人間にする料理を作ります!」

「ダメにする、ですか」

「良い意味でです!」


 最近の私は“人をダメにする”の使い方がだいぶ雑になってきている気がするが、気にしない。要するに、胃袋を完全に掌握するということだ。


「まず、魔猪の骨を全部持ってきてください。あと香味野菜、塩、醤油っぽい発酵調味料、それから小麦粉を限界まで多めに!」


 料理長の目が、カッ! と獣のように光る。


「承知いたしました!! 野郎ども、奥様のご命令だ! 動けェッ!」


 厨房全体が一気に戦場のように動き出す。

 最近では、私が“新しい料理を作る”と言い出した瞬間、全員が即座に本気ガチモードへ切り替わるようになっていた。オムライスとプリンの功績は伊達じゃない。信頼が厚すぎてありがたい。


 まずは麺だ。

 前世の本格的な製麺機みたいにはいかない。かん水もない。だが、塩と魔力水(浄化済み)の配合で、それっぽい弾力は出せるはずだ。


「小麦粉に塩水を少しずつ……そう、それです」

「ずいぶん硬めにまとめるのですね、奥様」

「麺はしっかりコシがある方が美味しいんです。さあ、男手で全力で捏ねてください!」


 私は粉を捏ねさせながら、前世の記憶を総動員する。

 コシ。弾力。噛みごたえ。ツルみ。

 全部は完璧に再現できなくても、十分近づけるはずだ。


 足踏み製麺はさすがに辺境伯夫人の品位が危ういので、今回は大きな木槌と板で騎士たちに物理的に圧をかけて生地をまとめてもらう。それを寝かせ、薄く伸ばし、細く切る。

 見た目は……うん。だいぶ立派な細麺だ。


「よし」


 最大の問題は、スープだ。

 普通、本格的な豚骨スープは気が狂うほど時間がかかる。下処理をして、強火で何時間もグラグラ煮て、アクを取り、骨の髄から旨味を抽出して、乳化させて――とにかく手間も時間もヤバい。


 だが、忘れてはいけない。ここは異世界である。

 便利な魔法がある。


「火魔法使いの方、いらっしゃいますか!」


 声をかけると、厨房の隅にいた若い料理補助の騎士がパッと手を上げた。


「は、はい!」

「大鍋の火力を一定以上で維持したいです。でも強すぎると底が焦げるので、ここは『中強火』をずっとキープでお願いします!」

「中強火……?」

「ええと、炎の勢いはあるけど暴れすぎない、ギリギリのラインで!」

「が、頑張ります!」


 我ながら雑な指示である。でも、ここからが本番だ。


 大鍋へ下茹でした大量の魔猪の骨と香味野菜をブチ込み、グラグラと煮立たせる。

 本来ならここから数時間、いや半日以上つきっきりで煮込むところを――。


「あの、魔道具で『時間短縮魔法』って使えますか?」


 私が期待を込めて聞くと、奥で腕を組んで見ていた年配の天才魔道具係が、フッ……と自信ありげに顎を撫でた。


「限定的な事象の加速なら可能ですぞ、奥様」

「本当ですか!?」

「ただし、鍋そのものにかけるのではなく、内部の循環や分解を促すよう術式を細かく調整せねばなりません。少々魔力を食いますが」

「それです! その術式で限界まで煮込んでください!」


 こうして、前代未聞の『火魔法と時間短縮魔法の合わせ技(チート製法)』が炸裂した。


 大鍋の下で炎が一定の温度で唸り、鍋の周囲に淡い幾何学的な魔法陣が浮かび上がる。

 骨が凄まじい速度で煮え、砕け、髄から旨味が染み出し、グルグルと対流して乳化していく。


 透明だった液体が、みるみるうちに“白濁した豚骨スープ”の姿へ変わっていった。


「……うわぁ」


 私は思わず見惚れた。

 普通なら何日もかかるような工程が、たった数分で目の前で完了している。文明とチート魔法の融合、最高では?


「においが……!」

「なんだこれ、すげえ濃厚な匂いがするぞ……」

「くさい……いや、くさいのに猛烈に腹が減る……ッ!」


 厨房中がざわつく。

 そう。これだ。

 この、骨の旨味が限界まで溶け込んだ暴力的な香り。ここに大量の『にんにく』と香味野菜を合わせたら、絶対に人類が勝てないやつだ。


 私はガッツポーズで拳を握った。


「勝ちました」

「奥様、まだ完成しておりませんが」

「気持ちの上でです!!」


 料理長がニヤリと笑った。

 うん、この流れは完全に勝ち確だ。


 そこへ、何かの匂いに釣られた大型の肉食獣みたいな気配が近づいてきた。

 聞き慣れた、重く規則的な足音。


「……何をしている」


 低い声に振り返ると、案の定、クライヴ様がいた。

 今日も顔がいい。しかも執務の途中だったらしく、手に書類を数枚持っている。なのに強烈な匂いに釣られて厨房へ降臨したらしい。可愛い。いや最強の辺境伯を可愛いって思うのは不敬かもしれないけど、可愛い。


「ラーメンです!」

「らーめん」

「すごく美味しくて、一度食べたら抜け出せない魔の麺料理です!」


 クライヴ様は鍋から立ち上る強烈な香りを吸い込み、わずかに眉を上げた。


「……たしかに、妙に野生の食欲を刺激するな」

「でしょう! 魔猪の骨を砕けるまで煮込んだ、超濃厚スープです!」

「骨を?」

「はい!」


 普通ならそこで「骨の汁だと?」と少し引く貴族もいるかもしれない。

 だがクライヴ様はむしろ興味を持ったらしく、ズイッと鍋へ近づいた。


「味見はできるか」

「まだです!」

「そうか」


 声音に、わかりやすいションボリ感が混じる。

 その大型犬みたいな反応ひとつで胸がキュンとくすぐったくなるのだから、私はだいぶ重症だと思う。


「でももう少しでできます! 麺もこれから茹でますし、仕上げに香味油と刻みねぎと……あっ、チャーシューっぽいお肉も乗せます!」

「ちゃーしゅー?」

「魔猪の煮豚です!」

「また知らん単語が出たな」

「食べればわかるので問題ありません!」


 そうして私は、魔猪肉の塊を甘辛く煮付けてサッと炙り、極上の即席チャーシューも完成させた。ゆで卵風の味玉もどきまでつければ、見た目は完全に“特製チャーシュー麺”だ。


 あとは麺を茹で、器へ特製ダレを入れ、白濁スープを注ぎ、湯切った麺を投入し、具材を美しく整える。


 湯気の立つ丼が、ついに完成した。

 異世界初・『特濃・魔猪豚骨ラーメン(ニンニクマシマシ)』。

 我ながら、ものすごい完成度(飯テロ兵器)だった。


「できました!!」


 私が丼を掲げた瞬間、厨房中からドヨォォォッ! と歓声が上がる。


「おおおお……ッ!」

「なんて暴力的な香りだ……!」

「これは……胃袋が悲鳴を上げている……ッ!」


 わかる。私の腹もグーグー鳴ってる。


 まずは当然、愛する旦那様へ。


「どうぞ!」


 私は一番綺麗に盛れた特製丼を差し出した。

 クライヴ様はそれを受け取り、しばし静かに丼の底を見つめる。


「これが、らーめんか」

「はい!」

「……面白い形だな。長い紐が入っている」

「麺です!」

「そうか」


 クライヴ様は、最近私の影響で導入されつつある食具(お箸)を手に取り、少しぎこちない手つきで麺を持ち上げた。

 湯気が立つ。白濁した濃厚スープが、細麺へしっかりと絡む。


 そして、ズズッ、とひと口。


「…………」


 クライヴ様の動きが、完全に停止した。

 えっ。待って。反応がないの怖い。


「ク、クライヴ様……?」

「……うまい」


 地を這うように低く落ちたその一言に、厨房全体が「ウオォォォッ!」と沸いた。


「やったー!」

「勝ちました!!」

「だから何に!」


 私は思わず両手を上げてバンザイした。

 クライヴ様はもう一口、さらに一口と、無言で麺をすすっていく。

 普段そこまで食事のペースが速い人ではないのに、明らかにズズズッといく速度がおかしい。残像が見える。これは大変良い傾向である。


「麺が面白い食感だな」

「はい! ツルツルしつつ、ちょっと弾力コシもあります!」

「この白い汁はひどく濃いのに、妙に後を引く……止まらん」

「骨の髄の旨味です!」

「にんにくも大量に入っているのか」

「入ってます! マシマシです!」


 私がドヤ顔で胸を張ると、クライヴ様は幸せそうに目を細めた。


「……確かに、これは恐ろしいほど癖になる」


 勝った。完全勝利である。


 ◇ ◇ ◇


 その後、騎士団にもお試しで試食が振る舞われた。

 最初の一杯を受け取った若い騎士が、恐る恐る麺をすすると――次の瞬間には、眼球がこぼれ落ちそうなほど目を見開いていた。


「うっっっッまァァァ!?」

「何だこれ!? 脳に直接くる美味さだぞ!?」

「待て、汁がヤバい! 汁だけでパンが三つ食える!」

「にんにく効いてる! くさい! でも止まらん!!」

「麺うまっ! 麺うまっ!」


 あっという間に、厨房の外まで野太い歓声が広がる。

 屈強な騎士たちがどんぶりを抱えて夢中で麺をすする光景は、もはや地獄の底の宴会のように壮観だった。

 特に普段は寡黙な古参の重騎士が、無言でどんぶりを突き出し「替え玉」を要求してきた瞬間、私は“この料理は本物だ”と確信した。


「奥様!」

「はい?」

「これ、もう一杯いけますか!?」

「いいですよ! 替え玉(麺のおかわり)あります!」


 そこからは戦場だった。

 麺を茹でる。丼へ入れる。スープを注ぐ。具を盛る。騎士が秒で食べる。替え玉を叫ぶ。の、無限ループである。


「替え玉ァ!」

「俺も!!」

「奥様! にんにくトリプル増しは可能ですか!?」

「可能です! ただし午後の鍛錬で口臭で死なない程度にしてください!」


 厨房は一瞬にして、前世の『深夜のラーメン専門店』みたいになっていた。


 一方、クライヴ様はというと。

 最初の一杯を無言で完食した後、静かに、ごく自然な動作で二杯目へ手を伸ばしていた。


「クライヴ様?」

「なんだ」

「二杯目、いかれます?」

「問題ない」


 全然問題ないらしい。というか、明らかにドハマりしている。


「……ルシアナ。これ、夜にも食べられるか」


 低い声で真剣にそう聞かれて、私は思わずニヤけそうになった。


「もちろんです!」

「なら、夜もこれにしろ」

「そんなに!?」

「そんなにだ」


 真顔で言われると、作り手としての嬉しさが爆発する。

 愛する旦那様の胃袋、だいぶ順調に掴めているのでは?


 ◇ ◇ ◇


 その日の夕方には、街にも噂が光の速さで広まっていた。


『辺境伯邸で出た新しい麺料理がヤバいらしい』

『白いスープに細い紐が入っていて、食べると抜け出せない中毒性があるらしい』

『あの鉄血の騎士団が、全員二杯以上食べて泣いていたらしい』

『猛烈ににんにく臭いけど死ぬほど美味いらしい』


 情報がだいぶ雑である。でも、だいたい合っている。


 そして三日後には、もう領内のあちこちの露店で“ラーメンもどき”が生まれ始めていた。


「奥様!」

「はい?」

「うちの店でも真似してみたんですが、どうにもあの白い汁にならなくて!」

「骨は煮込みましたか?」

「二時間ほど!」

「全然足りません!」

「二時間で足りないんですか!?」

「強火で半日以上煮込むか、魔道具の『時間短縮魔法』が必要です!」


 屋台の主人が頭を抱える。

 だが私は最高の営業スマイルで答えた。


「でも大丈夫です! 骨が無理なら鶏出汁寄りにしても美味しいですし、味噌風にアレンジしても絶対に合います!」

「味噌風……ッ!?」

「新しい可能性がまた開いた……!」


 こうして、辺境領はじわじわと『異世界初のラーメン激戦区』への道を歩み始めることになる。


 まだこの時の私は知らなかった。

 屋台ごとにスープの個性が出始め、“太麺派”と“細麺派”の派閥が生まれ、“にんにく入れる派”と“入れない派”で騎士団が真顔で決闘寸前の揉め事を起こし、最終的に“どの店のラーメンが辺境最強か”を巡る熱い戦いがこの領地に発生することを。


 ただ一つ確かなのは。

 その夜、居間のこたつで二杯目の特製ラーメンを食べ終えたクライヴ様が、静かにこんなことを言ったことだ。


「ルシアナ」

「はい?」

「お前は本当に、俺の領地を……おかしな方向へ爆速で発展させるな」

「おかしいですか?」

「だが、嫌いじゃない。むしろ最高だ」


 その甘い一言が嬉しくて、私はつい声を出して笑ってしまった。


「でしたら、次は『餃子ぎょうざ』ですね」

「ぎょうざ?」

「ラーメンのお供に最強の食べ物です!」

「……また知らん未知のものが増えるのか」

「増えます! 覚悟しておいてください!」


 クライヴ様は呆れたように息を吐き、それでもどこか愛おしそうに、楽しそうに目を細めた。


 こたつの中で足先が触れ、湯気の立つどんぶりが並び、外の冬は極寒なのにここだけはたまらなく温かい。

 そんな夜に、私はしみじみと思う。


 ああ、幸せだな、と。


 ラーメン一杯とこたつで至上の幸せを感じるあたり、私はやっぱり前世からだいぶ限界な庶民派オタクなのかもしれない。

 でも、それでいい。

 だってこの温かくて美味しい幸せは、ちゃんと本物だから。



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