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第16話 真実の愛の告白

 偽りの契約結婚は、終わった。

 そのはずなのに。

 いや、終わったからこそ、なのかもしれない。


 星空の下で、すべてを溶かすような深く甘いキスを交わしたあと。

 私はしばらく、クライヴ様の分厚い胸の中から一歩も動けずにいた。というか、動くという発想そのものが消え去っていた。


 だって仕方ないではないか。


 ついさっきまで、“契約の終了”を告げられて絶望のどん底に叩き落とされたと思ったら、そこから一転して“俺の本当の妻になってほしい”と、ド直球の激重プロポーズを叩きつけられたのである。

 感情のジェットコースターが音速を超えている。もはや高低差で脳の処理能力が完全に焼き切れていた。


 しかも、クライヴ様の私を抱きしめる腕の力は、少しも緩まなかった。

 私の腰と背中をガッチリとホールドしたまま、当然のようにその場へ留めている。

 いや、わかる。嬉しい。天にも昇るほど嬉しいけれど。


「ク、クライヴ様……」

「なんだ」

「その、そろそろ少しだけ、呼吸を整える時間をいただけると……」

「苦しいか」

「物理的な酸素は足りているのですが、心臓が」

「心臓」

「いま、限界突破して爆発寸前です」


 限界オタクのありのままの真実を告げた。


 だって限界なのだ。

 好きだと自覚した。告白した。激重な告白を返された。キスもした。しかも相手は前世からの最推しで、今や両想いの大好きな人で、私のたった一人の旦那様である。

 そりゃ心臓だって悲鳴を上げる。救心が必要だ。


 クライヴ様は私を抱いたまま、ほんの少しだけ不満げに目を細めた。


「……まだ足りない」

「はい?」

「今のお前の顔を見ると、まだ不安が残っているように見える」


 ギクリ、とした。

 図星だった。


 幸せだ。嬉しい。夢みたいだ。

 でも同時に、まだどこかで信じきれていない卑屈な自分もいる。


 だって、あまりにも急で、あまりにも幸せすぎるから。

 これは私が都合よく見ている夢なんじゃないか。明日の朝になったら「やはり昨夜のあれは魔力酔いだ。忘れてくれ」と無表情で言われるんじゃないか。

 そんな、自分でも馬鹿らしいと思うオタク特有のネガティブな不安が、ほんの少しだけ胸の底に沈んでいた。


 するとクライヴ様は、私の顎をそっと持ち上げた。


「ルシアナ」


 低い声が、夜風よりも静かに落ちる。


「今から言うことを、一つ残らずお前の心に刻んでおけ」

「は、はいっ」


 思わず背筋がピンと伸びた。

 なぜだろう。愛の告白の続きのはずなのに、軍議の前の絶対命令にも聞こえる。帝国最強の覇気のせいだろうか。


 だが、次に落とされた言葉は、そんな緊張を一瞬で甘く溶かした。


「俺は、お前を愛している」


 息が止まった。

 心臓が、ドクンッ、とありえないほど大きく鳴る。


 愛している。

 好き、ではない。大切だ、とか、必要だ、とかでもない。

 愛している。


 そのあまりにも真っ直ぐで、重くて、一片の迷いもない言葉の質量に、私は完全に固まった。


「……っ」

「お前が来てから、俺の毎日が劇的に変わった」


 クライヴ様の黄金の瞳は、月明かりの中で静かに、けれど激しく燃えていた。


「朝、目が覚めて最初に考えるのはお前のことだ。今日は何を美味そうに食べるのか。どんな顔で俺に笑いかけるのか。……次は何の奇想天外なものを創り出して、何をしでかすのか」

「最後、ちょっとだけひどくないですか!?」

「事実だ」


 即答だった。ぐうの音も出ない。


「お前がいない館は寒くて静かすぎる。食堂で向かいにお前が座っていないだけで、無性に腹が立つ。街へ出れば視線を集めるお前を隠したくなり、畑へ出れば土を蘇らせ、こたつへ入れば俺までダメ人間にして骨抜きにする」

「それはこたつの性能のせいです!!」

「温泉を見つけたのもお前だ」

「はい」

「商人の小蝿を引き寄せたのもお前だ」

「それはちょっと語弊が!」

「何をしても、俺の思考は常にお前が中心になる」


 その声音には呆れが滲んでいた。

 けれど同時に、どうしようもないほどの狂おしい愛しさまで滲んでいて。

 私はただ、真っ赤な顔で彼を見つめ返すしかできなかった。


「……最初は戸惑った」


 クライヴ様が自嘲するように続ける。


「お前に触れていると落ち着くことも、離れると焦燥感に駆られることも、無意識に目で追ってしまうことも。全部、長年の呪いが消えた反動かと思った」


 私は息を呑む。

 やっぱり、彼自身もそう思っていたのだ。最初のあの距離感の近さは、彼の中でも“異常”だった。


「だが、違った」


 クライヴ様は静かに、力強く首を振った。


「呪いがどうこうではない。魔力の余波でもない。……俺の魂そのものが、ルシアナ、お前を求めていた」


 その言葉に、胸の奥がじんわりと、泣きたいくらい熱くなる。


「お前に近づく男を見ると殺意が湧く。お前が笑えば胸が満たされる。お前が疲れているようなら、何もかも放り出してその小さな身体を抱き寄せたくなる」

「それ、だいぶ前からナチュラルにやってません!?」

「……やっているな」


 ちょっとだけ間があった。自覚はあったんだ、この人。

 私は思わず泣き笑いになりそうだったが、次の言葉にまた息を奪われる。


「そして今は、もう自分の感情を隠すつもりも、抑えるつもりもない」


 クライヴ様の熱い指先が、私の頬を優しく撫でる。


「お前が好きだ、ルシアナ。……お前がいない人生は、もう考えられん」


 低く甘い声が、鼓膜を震わせる。


「だから契約を終わらせた。あんな都合のいい曖昧な形で、お前を俺のそばに縛っておくのは気に入らない」


 その言葉の本当の意味を、私はゆっくりと理解する。


 契約だから、ではない。

 契約では足りないから、終わらせたのだ。

 私を魔力よけの道具でも王都への牽制の飾りでもなく、ちゃんとただ一人の『愛する女性』として隣へ置きたいから。


 そんなの。

 そんなの、もう。


「……好きです」


 私はまたポロポロと涙をこぼしながら、同じ言葉を返した。


「私も、クライヴ様が好きです」


 好き。何度言ってもまだ足りない気がする。


「最初は、本当にただの最推しで……遠くから健康と幸せを祈ってるだけでよくて、同じ空気を吸えるだけで福利厚生が最高だって思ってたんです」

「“推し”とか“福利厚生”というのは、まだよくわからんが」

「説明するとオタクの早口になって長くなります」

「あとでベッドの中でゆっくり聞く」

「ベッドの中で聞く内容じゃないです!!」


 こういうところ、本当にクライヴ様らしい。

 私は涙を拭って、フフッと小さく笑う。


「でも、今は違います。遠くから見てるだけじゃ全然足りなくて、そばにいたくて、私の隣で笑ってほしくて」


 ギュッ、と彼の軍服の胸元を掴む。


「一緒に美味しいご飯を食べてほしいし、ちゃんとふかふかのベッドで眠ってほしいし、寒い日はこたつであったかくしていてほしいし、疲れたら甘いプリンを食べてほしい」

「お前の愛情表現は、かなり生活密着型だな」

「実用性が高くて最高でしょう?」

「ああ。嫌いじゃない。むしろ愛おしい」


 そこでサラッと“愛おしい”を挟む辺境伯様、本当にズルい。


「あと」


 私は少しだけ躊躇ってから、でももう自分の気持ちを誤魔化さないと決めて、ちゃんと言った。


「他の人に、あんまり近づいてほしくないです。……私以外の女の人に、優しくしないでほしいです」


 言ってしまった。

 独占欲。

 これまでずっと「推しにそんな恐れ多い感情を抱くのは不敬の極みでは?」と自己規制していた部分。


 でも、もう推しじゃない。両想いの好きな人なのだ。

 少しくらい、そうやって我が儘に思っても許されるだろうか。


 クライヴ様は一瞬だけ目を丸くし、それから低く、心底嬉しそうに笑った。


「奇遇だな」

「え?」

「俺もだ。お前が俺以外の男を見るだけで、そいつを氷漬けにしたくなる」

「……でしょうね(商人さんで完全に実証済み)」


 知ってた。けれど、本人の口から改めてそう言われると、なんだか妙にくすぐったい。


「なら問題ない」

「何がですか」

「お互い、一切の遠慮は不要ということだ」


 言いながら、クライヴ様は私を抱く腕にさらに力を込めた。


「今後は、誰の前でもハッキリさせておく」

「えっ」

「お前が俺の最愛の妻で、俺がどれだけお前を愛して執着しているか」

「待ってくださいその公開方針は私の羞恥心が死にます!!」

「却下だ」

「却下されるの早ッ!!」


 さっきまであんなに甘くてしっとりしていたのに、急に強引な辺境伯節が戻ってきた。

 でも、それがなんだか可笑しくて、私はクスクスと笑ってしまう。


 するとクライヴ様は、その笑い声を確かめるように、愛おしげに私を見た。


「……やはり、お前は俺の腕の中で笑っている方がいい」


 その一言があまりにも優しくて、私はまた泣きそうになった。

 もう今日は感情が忙しすぎる。


「クライヴ様」

「なんだ」

「さっき、“檻に閉じ込める”って言いかけましたよね」

「言ったな」

「認めるんですね」

「一切否定しない。お前を閉じ込めて甘やかしたい」


 堂々としている。

 ここまで堂々と激重だと、逆に清々しい。


「……でも、私は物理的な檻より、隣がいいです」


 私が真っ直ぐにそう言うと、クライヴ様はほんの少しだけ黙った。

 やがて、フッ……と口元を緩める。


「なら、ずっと隣に置く」

「はい」

「一生だ」

「はい」

「俺の愛が重すぎて飽きても、絶対に逃がさんぞ」

「飽きませんよ。むしろ毎日が供給過多で最高です」

「ならいい」


 まるで子どもの約束みたいなやりとりなのに、不思議なくらい胸へ深く沁み込んだ。


 そのまま私たちは、バルコニーの手すりにもたれてしばらく星を見上げた。

 静かな夜だった。風は冷たいのに、指先はあたたかい。気づけば、クライヴ様が私の手をしっかりと『恋人繋ぎ』で握っていた。


「……そういえば」


 ふと私は思い出して口を開いた。


「さっきの“契約の終了”って、ものすごく言い方が悪かったと思います」


 クライヴ様がわずかに眉を上げる。


「そうか?」

「そうです。めちゃくちゃ悪かったです。誤解して絶望しました。心臓にものすごく悪かったです」

「……すまん」

「本当に猛省してください」

「反省はする」

「次からはもう少し、こう……前置きとか、クッション言葉とか……」

「だが、おかげでお前の素直な本音(好きだという言葉)が聞けた」

「ぐっ」


 それを言われると痛い。

 たしかに、あの時「もう離れるんだ」とちゃんと心が痛んだからこそ、自分の気持ちを全部さらけ出せたのだ。

 そう考えると、結果オーライなのだろうか。いやでも心臓に悪かったのは事実だ。


「今後は気をつける」

「本当ですか?」

「なるべくは」

「“なるべく”なんだ……」


 ちょっと不安である。

 でも、今の私はもう知っている。

 この人は不器用でたまに言葉足らずだけれど、決して不誠実ではない。向ける気持ちはいつだって、火傷するくらい真っ直ぐだ。


 だから、絶対に大丈夫。

 そう確信できた。


 すると、クライヴ様がふいに私の髪へ触れた。


「ルシアナ」

「はい」

「もう一度、言ってくれ」

「何をですか?」

「俺が好きだと」


 私は目をパチクリとさせた。

 あの無愛想だった最強の辺境伯様が、まさかそんな甘えたふうにねだってくるなんて思わなかった。


「……クライヴ様、意外とそういう可愛いところありますよね」

「あるか?」

「あります」


 私は少しだけ笑って、それから背伸びをして、ちゃんと彼の至近距離で目を見て言った。


「好きです」


 黄金の瞳が、真っ直ぐに私を映す。


「クライヴ様が好きです。大好きです」


 今度こそ、彼は本当に、世界で一番幸せそうな顔で笑った。

 それがあまりにも綺麗で眩しくて、私はまた心臓を押さえたくなる。


「……俺もだ」


 低く、とろけるように甘い声が落ちる。


「愛している、ルシアナ」


 そしてもう一度。今度はさっきよりもずっと優しく、体温を分け合うような深い口づけが落ちてきた。

 唇が触れ合うたび、胸の奥が幸福で熱くなる。

 さっきまで不安だった気持ちが、全部、きれいさっぱり溶けて消えていくみたいだった。


 契約は終わった。

 これから始まる。本当の意味で、心から愛し合う恋人として、夫婦として、隣にいる日々が。

 そう思うと、未来がとても眩しく見えた。


 ◇ ◇ ◇


 ――その夜更け。


 私がようやく自室へ戻った時には、侍女たちが妙に温かく、そして生温かい目で迎えてくれた。


「ルシアナ様、お顔が……」

「すっごく幸せそうに蕩けていらっしゃいます……」

「お唇も少し腫れて……キャッ、何か良いことがございましたか?」


 私は一瞬だけ言葉に詰まり、それからボンッと両手で真っ赤な頬を押さえた。

 そんなに顔に(というか唇に)出ているのだろうか。


「……内緒、ですっ!」


 そう答えるのが精一杯だった。

 だって、まだ胸がいっぱいで、言葉にしたらまた泣いてしまいそうだったから。


 でも一つだけ、確かなことがある。

 今夜、私は間違いなく『世界で一番幸せな悪役令嬢』だった。


 そして翌朝から始まるのは――。

 偽りの契約ではない、愛し愛される『本物の夫婦生活』である。


 たぶん、今まで以上に甘くて、今まで以上に過保護で、今まで以上に独占欲が爆発して心臓に悪い日々が待っているのだろう。


 ……うん。

 とても、楽しみだ。



ここまで読んでいただきありがとうございます。

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