第14話 王都からの刺客、氷漬け
豊穣祭の熱気が、スッ……と冷えた。
ついさっきまで、広場では焼きたてのパンの香りが漂い、子どもたちの笑い声が響き、酒樽の栓を抜く陽気な音が弾けていたというのに。
その真ん中へ駆け込んできた伝令騎士の一声で、空気は一変した。
「王都より急報です! こちらへ向けて、王家の命を受けた武装騎士団が出立したとのこと!」
ざわり、と周囲がざわめく。
私は手にしていた果実水の杯をそっと置いた。
やっぱり来たか、という気持ちと、うわ本当に力技で来たよという気持ちが半々だった。
王太子のあのお花畑な手紙の時点で、ただの文面だけで終わるとは思っていなかった。けれど、祭りのど真ん中にこうして現実(嫌がらせ)を突きつけられると、やっぱり腹が立つ。
せっかく皆が笑っているのに。
せっかく今年一番の奇跡の豊作を祝っているのに。
そこへ“王家の命”を振りかざして泥足で踏み込んでくるなんて、空気が読めないにもほどがある。
隣で、クライヴ様が静かに立ち上がった。
「規模は」
短い問い。
騎士はピッと背筋を伸ばす。
「偵察の報告によれば、およそ五十。王都正規軍の精鋭を中心とした武装騎士団です」
「五十」
背後でレオンハルト団長が低く繰り返した。
「随分と大仰ですね。辺境伯夫人を“迎えに来る”には」
「迎えではないだろうな。強奪だ」
クライヴ様の声は、妙に静かだった。
その静けさが逆に怖い。最近わかってきたが、この人は本気でブチギレている時ほど声を荒げない。温度が下がる。周囲の空気ごと絶対零度に凍りつかせるタイプだ。
案の定、私の隣の空気もジワッと冷え始めていた。
これは危険信号である。このままでは広場がスケートリンクになってしまう。
私は反射的にクライヴ様の袖をそっと引いた。
「クライヴ様」
「なんだ」
「お祭り、止めたくありません」
私がそう言うと、彼の黄金の瞳がこちらへ向いた。
「皆さん、今日をすごく楽しみにしてたんです。だから、王都の空気の読めない連中のせいで台無しになるのは絶対に嫌です」
これは私のわがままかもしれない。でも本音だった。
怒っているのは私も同じだ。
けれど、この領地の豊穣祭は、王都への対抗心を示すための舞台じゃない。領民たちが、自分たちの努力と実りを心から祝うためのものだ。
それを壊されたくない。
クライヴ様はしばし無言だった。
やがて、ほんの少しだけ目元を緩める。
「……わかった」
「本当ですか?」
「ああ。祭りは続けさせる」
その一言に、周囲の騎士たちの顔つきも変わった。
戦うのではなく、“守る”ために動く。その意思が明確になったからだ。
クライヴ様はすぐさまレオンハルトへ視線を向ける。
「広場の警備は増やせ。ただし、祭りの空気を一ミリも壊すな」
「はっ」
「領民には余計な不安を与えるな。外縁部の門前で止める」
「承知いたしました」
レオンハルトは一礼し、即座に周囲へ的確な指示を飛ばし始める。
「第一、第三分隊は正門へ! 第二は街道沿いに展開、領民を広場から離れさせるな! 騒ぎ立てず、いつも通りに見せろ!」
動きが早い。
さすが百戦錬磨の辺境騎士団。こういう時の統率力が段違いだ。
一方で、私はというと。
「私も行きます」
気づいたら、そう言っていた。
クライヴ様が即座にこちらを見る。
「駄目だ」
「早い(即答)」
「当たり前だ」
ピシャリ。想定内である。
「今回の相手は王都の正規軍だ。お前を狙って来る可能性が高い」
「だからこそです」
「だからこそ行かせん」
「でも私、原因扱いされてるんですよね!? なら立派な当事者です!」
私だって、いつまでも安全圏で守られているだけではいたくない。
もちろん正面切って剣を振るえるわけではない。けれど私にはチート級の【浄化】もあるし、状況次第では前世の社畜仕込みの“煽り耐性ゼロの交渉術”に出る意味だってあるかもしれない。
そう思って食い下がろうとした、その瞬間。
クライヴ様の大きな手が、スッ……と私の頬に優しく触れた。
「ルシアナ」
「は、はいっ」
「お前は“原因”ではない」
低い声が、真っ直ぐに落ちる。
「王都の腐った連中が、勝手に喚いているだけだ」
その言い方に、胸の奥がジンッと熱くなる。
私を守るための言葉。私を、王都の身勝手な理屈の中へ閉じ込めないための、不器用で優しい言葉。
でも、それでも。
「……それでも、私は逃げたくありません」
私が真っ直ぐに見つめ返すと、クライヴ様は眉を寄せた。
怒っているというより、困ったような、少し甘えたような顔だった。
やがて小さく息を吐く。
「……門までだ」
「えっ」
「俺の隣から一歩でも離れるな。それが同行の条件だ」
「……はいっ!」
勝った。
いや、勝負ではないのだが、とにかく認めてもらえた。
◇ ◇ ◇
その夜。
祭りの喧騒を背に、私たちは領地外縁の正門へ向かった。
新たに整備された強固な石造りの大城壁。たいまつの火が風に揺れ、夜の闇の中で辺境の防衛線がくっきりと浮かび上がる。
私はクライヴ様の隣に立ち、厚手の外套をきゅっと握りしめた。後ろにはレオンハルトと騎士団。みな戦闘態勢だが、無駄な緊張はない。むしろ静かで、鋭い。
遠くから、馬の蹄の音が聞こえ始めた。
やがてそれは次第に大きくなり、城門前の街道に一団の影が現れる。
五十騎。
王都の紋章を掲げた騎士たちが、ズラリと横並びで進んでくる光景は、威圧感だけなら確かにあった。
甲冑は無駄に磨き上げられ、槍も剣もピカピカだ。先頭に立つ隊長格らしき男は、鼻筋の通ったいかにも「自分が正義の味方です」みたいな傲慢な顔をしていた。
(うわぁ……テンプレのモブ騎士団長だ。面倒くさそう)
第一印象は、それだった。
一団は門前で止まる。先頭の隊長が馬上から私たちを見下ろし、これ見よがしに声を張り上げた。
「我々は王都より派遣された、王家直属武装騎士団である! 辺境伯クライヴ・ヴァルツェイン! および、その隣に立つ罪人ルシアナ・フォン・ヴァルツェインへ命ずる!」
うわ、初手から命じてきた。
私は内心で盛大にげんなりした。
まず“お願い”とか“対話”とかいう発想はないらしい。さすが王都。態度が富士山よりでかい。
隊長はさらに続ける。
「ルシアナは、聖女リリアン様へ恐るべき呪詛を返した疑いがある! よって王太子殿下の至高の命により、身柄を王都へ強制移送する! 辺境伯は直ちにその女を引き渡せ!」
背後で、辺境騎士たちの空気がピリッと張り詰めた。
レオンハルトの目が氷みたいに冷え切っている。
一方で私は、呆れすぎて逆に冷静だった。
(疑い、なんだ)
つまり確固たる証拠はない。
なのに五十人で武装して来た。完全に力押し(物理)で誘拐する気満々ではないか。
だが、私が口を開くより先に、クライヴ様が一歩前へ出た。
「断る」
短い。そして圧倒的。
隊長の顔がピクリと引きつった。
「これは王命であるぞ!」
「知るか」
「王家に逆らう気か!」
「何度でも言わせるな、小童」
クライヴ様の声は低く、地鳴りのようによく通った。
「俺の妻を、貴様らごときの下劣な連中に引き渡すつもりはない」
隊長がギリッ、と歯噛みする。
「聖女様が苦しんでおられるのだぞ! 国を思うなら協力するのが貴族の義務だろう!」
その瞬間、私の中でプツンッと何かが切れた。
私はクライヴ様の半歩後ろから、ヒョコッと顔を出す。
「だったら、まずまともな証拠をお持ちになってから出直してください」
隊長がギロリと私を睨んだ。
「黙れ、罪人」
「黙りません(即答)」
私は最高の営業スマイルを浮かべた。
前世のクレーマー対応の応用である。怒っている時ほど、笑顔は相手を煽るのに効く。
「“疑い”だけで五十人も引き連れて辺境までピクニックに来るなんて、王都の騎士団様は随分とお暇なんですね。税金の無駄遣いでは?」
「貴様……ッ!」
「そもそも、私が呪詛を返したと仰いますが、何をどうしてそうなるのです? 呪いをかけられたというのも、義妹の自作自演の嘘だったはずですが?」
ザワッ、と相手側の列が揺れた。
よし。図星を突けている。
「それとも、王都では『嘘で人を断罪して処刑しようとした結果、特大のブーメラン(呪い返し)が刺さって自分たちの方が困ったので、今さら泣きついて連れ戻しに来ました』という理解で合っていますか?」
「ぶ、無礼な女め!」
「無礼なのはそちらでしょうが!!」
さすがに私も声を強めた。
「人を嘘で罪人扱いして追放しておいて、今度は勝手に“引き渡せ”なんて。こちらにはこちらの生活があります! 素晴らしいお祭りもあります! 皆の一年分の喜びを踏みにじってまで、あなたたちの自業自得に付き合う義理は一ミリもありません!!」
我ながら、かなり言った。
でも後悔はない。だって本当にその通りだ。
隊長の顔はみるみる茹でダコのように赤くなっていく。
「……やはり、反抗的で性悪な女だ。辺境伯! 最終警告である! 大人しくその女を引き渡せば、そなたへの処分は軽くしてやる!」
はあ?
今なんて?
私は一瞬、本気で聞き間違いかと思った。
でも隊長は言った。“処分は軽くしてやる”と。
誰に向かって。誰の領地の門前で。誰を相手に言っているのか、一ミクロンも理解していないらしい。
隣を見ると、クライヴ様は静かだった。
静かすぎて、逆に怖い。
私はそっと彼の横顔を見上げた。
黄金の瞳は完全に凍りついている。怒りの熱すら通り越し、ただただ絶対零度の殺意だけが渦巻いていた。
「……終わったな」
ポツリ、とクライヴ様が呟いた。
「え?」
「こいつらに対話は不要だ。塵にも劣る」
その声を聞いた瞬間、王都側の騎士たちにも、こちらの騎士たちにも極限の緊張が走る。
隊長が槍を構えた。
「総員! 辺境伯夫人を確保し――」
最後まで言えなかった。
クライヴ様が、パチンッ、と指を鳴らしたからだ。
それだけだった。
たった、それだけ。
次の瞬間。
空気が、完全に凍った。
いや、比喩ではない。
門前の夜気そのものが白く染まり、王都騎士団五十騎の周囲へ、一斉に巨大な氷の花が咲いたみたいに『極寒の冷気』が爆発したのである。
「な――ッ」
「っ!?」
「うわああああああっ!?」
悲鳴が上がる暇もなかった。
馬がいななき、騎士たちが動こうとする。だが遅い。
足元から、膝から、腰から、胸元まで。
透明で強固な氷が一瞬にして這い上がり、王都の騎士たちを『首から下ごと』完璧に閉じ込めていく。
五十人全員。
一人の例外もなく。
隊長など、叫ぼうとした口の形だけを残して、それ以外は完全に美しい氷柱の中だった。
「……うわぁ」
思わず漏れた私の率直な感想は、それだった。
すごい。すごすぎる。圧倒的すぎる。
しかもこれ、ただ凍らせたのではない。
氷の厚みが均一で、五十人全員が馬ごと綺麗に立ったまま封じられている。呼吸のための口元だけはギリギリ残してあるのが憎い。
つまり、死なせず、逃がさず、苦しめすぎず、でも絶対に身動き一つとれない。
精密すぎる。氷の芸術作品か。
背後で辺境の騎士たちが揃って姿勢を正した。
レオンハルト団長だけが、ごく小さく息を吐く。
「さすが閣下……容赦のなさが素晴らしい……」
うん。ほんとに。
一方、首から下を氷漬けにされた王都騎士団は地獄の大混乱だった。
「ひ、ひぃぃッ……!」
「う、動けん! 身体が!」
「た、隊長! 助け――」
「助けを求める相手を間違えているな」
クライヴ様が氷点下の声で冷たく言い放つ。
城門前の石畳を、ゆっくりと歩いていく。
氷柱の群れの間を抜け、隊長の前で立ち止まるその姿は、夜闇の中で神々しいほど美しく、恐ろしかった。
「俺は言ったはずだ。俺の妻を、貴様らごときに引き渡すつもりはないと」
隊長は氷の中でガチガチと歯を鳴らしていた。
「こ、これは……王命への明確な反逆だぞ……!」
「だから何だ」
クライヴ様の声音は淡々としている。
「王都の腐った都合で我が領地へ踏み込み、領民の祭りを邪魔し、俺の最愛の妻を攫おうとしたのはそちらだ」
そして彼は、ほんの少しだけ傲慢に顎を上げた。
「……この程度で命を残してやっていることに、感謝しろ」
ヒュッ、と隊長の喉が鳴り、完全に戦意を喪失した。
私は少し離れた場所でその様子を見ながら、心の中で深く同意した。
うん。本当に。クライヴ様、わりとだいぶ手加減して優しい方だと思う。その気になれば、氷漬けどころか粉微塵のチリになっていたはずだ。
その時、レオンハルト団長が進み出た。
「閣下」
「なんだ」
「この氷のゴミの『処理』はいかがいたしましょう」
処理。
物騒な単語だが、今の状況だとわりと適切すぎる。
クライヴ様は振り返りもせず答えた。
「王都へ返せ」
「はい」
「着払いで」
私は思わず二度見した。
「着払いなんですか!?」
クライヴ様がチラリとこちらを見る。
「当然だろう」
「当然なんだ……(チート辺境伯、金銭感覚はシビア)」
「勝手に押しかけてきた不良品の荷物だ。送り返す運送費用までこちらが持つ義理はない」
理屈が強すぎる。ぐうの音も出ない。
後ろでレオンハルトが、ほんの一瞬だけ口元を押さえた。
この人、今ちょっと笑ったな?
「承知いたしました」
すぐに辺境騎士たちが嬉々として動き出した。
大型の運搬用荷車が呼ばれ、氷柱ごとヒョイヒョイと乱雑に積み込まれていく王都騎士団(五十名)。
絵面がすごい。シュールすぎて笑ってはいけない24時みたいになっている。
「ちょ、ちょっと待て! 扱いが雑だぞ!」
「やめろ! 割れる! 我々は王都の誇り高き――」
「静かにしていろ。舌の先まで凍らせるぞ」
レオンハルトの一言で、五十人全員がピタリと黙った。強い。
私はその光景を見ながら、なんとも言えない気持ちになった。
笑ってはいけない気がする。でもちょっと、いやかなり面白い。
というか、王都からの刺客五十名が、そのまま『氷漬けのクール便(着払い)』になって返送されるの、痛快すぎる。
やがて最後の一人まで荷車へ積み終えられ、騎士たちがきっちり太い縄で固定したところで、クライヴ様がこちらへ戻ってきた。
「大丈夫か」
第一声がそれだった。
私はパチパチと瞬きをする。
「え、あ、はい! 全然大丈夫です!」
「怖くなかったか」
「それは……ちょっとだけ」
ちょっとどころではなく緊張した。でも、隣にクライヴ様がいたから耐えられたのだ。
「ですが、クライヴ様がいらしたので、世界一安全でした」
私がそう言って笑うと、彼の険しい表情がほんの少しだけ和らいだ。
「……ならいい」
短い一言。
でもその声に、門前の張り詰めた空気がフワッとほどける。
背後では、氷柱満載の大型荷車が王都へ向けて出発しようとしていた。
ギシギシと車輪が鳴り、運搬担当の騎士たちが真顔で綱を確認している。完全に業者の“返品作業”である。
私はそれを横目に見ながら、ふっと息をついた。
ひとまず、祭りは守れた。
領民たちを怯えさせることもなかった。
王都の騎士団もクール便で返した。しかもキッチリと「辺境を舐めるな」というメッセージつきで。
これで、少しは懲りるだろうか。
……いや、懲りないな。たぶん。あのポンコツ王太子と腹黒義妹だ。
でも、今はそれでいい。
次が来たら、その時また全力でざまぁしてやればいい。
「戻るぞ」
クライヴ様がそう言って、私の肩をガッチリと抱き寄せた。
「祭りの続きを見に行く」
「はいっ」
その“続きを”という言い方が、なんだかすごく嬉しかった。
王都が何をしてこようと、辺境の時間は辺境のものだ。
奪わせない。乱させない。
この人は、きっと本気でそう思ってくれている。
城門を離れ、広場の灯りがまた近づいてくる。
遠くから、音楽と笑い声が聞こえた。豊穣祭は、まだ楽しげに続いている。
その途中、ふとクライヴ様が口を開いた。
「ルシアナ」
「はい?」
「……すまなかった」
「え?」
「お前に、あんな殺伐としたものを見せた」
私は少しだけ目を丸くして、それから力強く首を横に振った。
「いいえ。見てよかったです」
「よかった?」
「はい。クライヴ様が、私だけじゃなくて、この領地ごと守ってくださってるんだって、この目でよくわかりましたから」
私がそう言うと、クライヴ様は数秒、黙った。
やがて、ほんの少しだけ照れたように目を細める。
「……当然だ」
「ええ。ですから、ありがとうございます」
夜風の中、彼の指先が私の肩を抱く力をほんの少しだけ強めた。
ああ、本当に。
この人の隣は、最強で、最高に温かい。
そう思った、その時。
広場の灯りの向こうから、子どもたちの元気な声が聞こえた。
「閣下ー! おかえりなさい!」
「奥様もー!」
「お祭り、まだ終わってませんよー! パン焼けてます!」
私は思わず笑ってしまった。
「急がないとですね!」
「ああ」
クライヴ様も、今度はちゃんと優しく笑った。
そしてその夜、王都へ向かった『氷柱五十本入りのクール便(着払い)』の荷車が、王城の城門前へドォォン! と届けられた時の混乱は――それはもう、筆舌に尽くしがたいもの凄まじいものだったらしい。
どうやら次に王都へ届くのは、さらに面倒で、さらに重たい“絶望”という名の返事になりそうだった。




