第13話 農業チートと豊穣祭
辺境に来てからというもの、私は毎日のように思っていた。
この領地、伸びしろの塊では?
食事は改善の余地しかなかったし、館のバイオハザード状態も立て直せた。極楽の温泉も見つけた。人類を堕落させるこたつも導入した。隣国のやり手商人との取引の目処も立った。
そして今、次に私の熱い視線が向いているのは――当然、『農業』である。
「ルシアナ様、本日はこちらです」
朝のひんやりした空気の中、案内役の若い騎士がそう言って立ち止まった。
その先に広がっていたのは、領地の外れにある開墾地だった。
……いや、“開墾地”というより“不毛の荒野”に近い。
土は乾ききって白っぽく、あちこちに石が転がり、雑草すらまともに生えていない。畑として使っている区画もあるにはあるが、育っている作物はどれも貧相で、葉の色もくすんで息も絶え絶えだ。
私はしゃがみ込み、そっと土へ触れた。
「うわぁ……」
手触りだけでわかる。
これ、相当ひどい。栄養素ゼロの砂漠か。
「痩せてますね」
「お恥ずかしい話ですが……」
隣に立っていた年配の農夫が、困ったように頭を掻いた。
「この辺りは昔からこうでしてな。土が弱く、水持ちも悪い。肥料を混ぜたりはしておるんですが……一向に育たんのですよ」
なるほど。
前世の知識がなくてもわかる。この土地、相当“疲労困憊”している。
そして同時に、私には別のものもハッキリと見えていた。
土の中に、薄く黒く澱んだような気配。人を害するほど濃くはないが、長年染みついた『呪いの瘴気』の名残だ。魔の森が近く、呪い持ちのクライヴ様が長く戦い続けてきた土地なのだ。影響が出ていても不思議ではない。
(つまり――)
私は立ち上がり、ぎゅっと拳を握った。
(いける!!)
この土、私のお掃除チート【浄化】で一発で立て直せる。
いや、立て直す。推しの領地の胃袋事情を豊かにするためなら、私は労力を惜しまない!
「クライヴ様!」
私が振り返ると、少し離れた場所で領地の地形を確認していたクライヴ様が顔を上げた。
漆黒の軍服に外套を羽織った姿は今日も圧倒的に顔が良く、朝日を背負うだけでルーヴル美術館に飾れる一枚の絵画になる。最近はこたつで完全にダメな大型猫と化していたので、外でこうしてシャキッと立っているとギャップで心臓が危ない。
「なんだ」
「この畑、立て直せます!」
私の力強い宣言に、周囲がシンッ……と静まり返った。
農夫たちも騎士たちも、一斉にこちらを見る。「奥様がまた突飛なことを言い出したぞ」という顔だ。
「本当か」
「はい! 土を浄化して、水路を整えて、育ちやすい品種を選べば、絶対に劇的に変わります!」
「……また規格外なことを、今日の献立を決めるようなテンションでさらっと言うな」
「でもできます!」
私はドヤ顔で胸を張った。
「やらせてください!」
クライヴ様はしばらく私を見つめていたが、やがて静かに、全幅の信頼を込めて頷いた。
「好きにしろ」
「はいっ!」
その許可が出た瞬間、私の中の開拓魂(オタク魂)に火がついた。
まずは区画を絞る。一番状態の悪い一角を選び、私はその中央へ立った。
「皆さん、少し離れていてくださいね」
農夫たちが慌てて下がる。
クライヴ様は私から数歩の距離に立ったままだったが、まあこの人はいい。むしろ近くで見ていてほしい。
私は深く息を吸う。
土の中へ意識を沈めるようにして、澱んだ気配を捉える。
絡みつくような薄い瘴気。長年積もった疲労。乾いて硬くなった土地。
――それを、デコピン感覚で解き放つ。
(いっけぇぇぇぇ! 【浄化】!!)
次の瞬間、特大の白金の光がドバァァァッ! と足元から放射状に広がった。
それは強烈な光の波となって痩せた地面を包み込み、土の奥深くへ一気に染み込んでいく。
ざらついていた土が、みるみるうちに色を変える。
白っぽく乾いていた表面が、しっとりと水分を含んだふかふかの深い茶色へ。ひび割れていた箇所がほぐれ、地中から極上の生命力を感じさせる微かな湯気みたいなものが立ち上る。
「おおおおっ……!?」
「土の色が……!」
「なんだこれは……土が、生き返っていく……!?」
農夫たちの悲鳴に近いざわめきが聞こえる。
私はさらに光を広げた。土の中に残っていた悪いものが完全に消滅し、空気が澄み渡る。張り詰めた荒れ地特有の重さが消え、代わりに“極上の腐葉土”のような、雨上がりの畑の懐かしくて温かな匂いが立ち上った。
私は光を収め、そっとしゃがみ込んで土を掬った。
ふわり、と指の間で理想的な柔らかさでほぐれる。
「……うん、完璧」
これなら何でも育つ。チート万歳。
「どうだ」
クライヴ様が近づいてくる。
私は顔を上げ、満面の笑みで答えた。
「大成功です!」
そう言ってふかふかの土を差し出すと、クライヴ様もそれを指先で確かめた。普段なら剣か書類しか持たなそうな綺麗な手が、畑の土に触れているの、なんだかすごく尊い。
「確かに、まったく違うな。土の匂いがする」
「でしょう!」
「……お前は本当に、何でもできるんだな」
「何でもではありませんよ」
私はえへんと胸を張る。
「でも、推し――いえ、夫の領地を豊かにして胃袋を満たすことに関しては、本気ですから!」
危なかった。危うく農地のど真ん中で限界オタクの本音が漏れかけた。
けれどクライヴ様はもう私の言い間違いに慣れたのか、ほんの少しだけ目を細め、低い声で言った。
「そうか。……頼もしい妻を持った」
声が、甘い。ズルい。不意打ちの褒め言葉はやめてほしい。
◇ ◇ ◇
その日から、辺境の超絶農地改革が始まった。
私は【浄化】で広範囲の土壌を整え、水路の位置を見直し、前世の知識を総動員して『輪作』や『コンパニオンプランツ(共栄作物)』の概念を伝えていく。
最初は半信半疑だった農夫たちも、土の劇的な変化を見てからは一気に前のめりになった。
「奥様! こっちの区画もお願いできますか!」
「この土、昨日までカチカチの石みたいだったのに!」
「奥様、神の使いか何かなのでは!?」
そんな声が飛び交い、私は忙しく畑を駆け回った。
一方、クライヴ様はというと。
最初こそ少し離れて監視(護衛)していただけだったが、気づけば当然のように私の作業のすぐ隣に密着し、完全サポート体制に入っていた。
「クライヴ様、水路の邪魔になってるあの巨大な岩、少しだけずらせますか?」
「これか」
「はい、もう少し左……って、片手で持ち上げてる!?」
「こうか」
「完璧です!!」
数百キロありそうな岩を軽々と放り投げ、農具の運搬まで無表情で手伝う帝国最強の辺境伯。
農夫たちは最初こそ恐縮して震えていたが、今では「閣下が重機代わりになると作業が百倍早い」と実利で受け入れていた。人間、慣れれば図太くなるものだ。
そして数週間後。
かつて痩せた荒地だった一帯は、見違えるほどに変貌していた。
芽吹いた麦は信じられない速度で青々と伸び、土はふかふかと柔らかい。
さらに時が進み、季節が巡ると――。
畑は、見渡す限りの『黄金色』に染まった。
「わぁぁ……っ」
私は思わず息を呑んだ。
一面の大麦畑が、風に揺れている。サラサラと穂が波打ち、陽光を受けてキラキラ光る様子は、まるで金色の海みたいだった。
農夫たちは、文字通り号泣していた。
「こんなに……こんなに実るなんて……っ」
「長くこの不毛の土地で生きてきたが、こんな奇跡は初めてだ……!」
「奥様、ばんざい!!」
「女神様だ! 我らが辺境の女神様だ!!」
待って。
後半、ちょっと聞き捨てならないヤバい単語が混ざってませんでした?
しかし喜びに沸く領民たちの熱狂は止まらなかった。
その日のうちに街でも大騒ぎとなり、「女神様への感謝の収穫祭(豊穣祭)を開こう!」という話が一気にまとまったのである。
豊穣祭。名前からして絶対に美味しくて楽しいやつだ。
「いいですね、お祭り!」
私が目を輝かせると、クライヴ様が隣で小さく頷いた。
「領民の士気も上がる。やる価値は大いにあるな」
「でしたら、新麦を使った料理をたくさん出しましょう! 焼きたてパン、シチュー、魔猪肉の串焼き、それから甘いお菓子も……!」
「お前はすぐ食に行くな」
「食は祭りの命です!!」
◇ ◇ ◇
そうして数日後、辺境では建国以来の盛大な『豊穣祭』が開催された。
街の中央広場には屋台がズラリと並び、新麦を使ったフワフワの丸パンや焼き菓子、肉の煮込み料理の匂いが充満している。
子どもたちは麦の穂の冠をかぶって走り回り、大人たちは朝から酒樽を開けて大宴会だ。
あまりの熱気と賑わいに、私は目を丸くする。
「すごい……」
「皆、心の底から嬉しいのだろう」
隣のクライヴ様が、珍しく穏やかな顔で静かに言う。
「収穫が安定すれば、冬の飢えの恐怖が減る。食が満ちるというのは、それだけで領地を、国を強くする」
そうだ。
豊作って、単に食べ物が増えるだけじゃない。人の心に「明日も生きていける」という絶対の安心をくれるのだ。
そう思うと、胸がじんわりと温かくなる。
その時だった。
「ルシアナ女神様ァァァーーッ!!」
どこかからド派手な叫び声が上がり、私は反射的に振り向いた。
見ると、広場の向こうから屈強な石工の男たちが、何やら『巨大な布を被せた3メートル超えの物体』をわっしょいと運んできていた。
いやな予感しかしない。
「……あれは、何ですか?」
私が一歩引くと、先頭の石工の親方が満面の笑みでドヤ顔をした。
「女神――じゃなかった、奥様への圧倒的感謝を込めて、我々石工ギルドの総力を結集して作りました!!」
待って。今“女神”ってハッキリ言ったよね?
石工たちは広場のど真ん中でその巨大な物体を下ろし、バサァッ!! と布を取った。
そこに現れたものを見て、私は数秒、完全に思考が停止した。
石像だ。
しかも、私の。
胸元に手を当て、慈愛に満ちた(ちょっと美化度200%増しの)微笑みを浮かべ、背後にはなぜか神々しい後光っぽい意匠まで彫られた、やたら完成度が高すぎる『巨大ルシアナ像』が、ドォォォン!! と鎮座していた。
「いやああああああああっ!?!?」
広場中に私の悲鳴が響き渡った。
「な、なんですかこれ!? 悪夢!?」
「ルシアナ様像です!!」
「見ればわかります!! なんでこんな狂気の沙汰を作ったんですか!?」
「感謝を永遠の形にしようと!!」
「形が重すぎるしデカすぎます!!」
私の身長の二倍はある。やめて。羞恥心で死ぬ。
しかし領民たちは大真面目に拍手喝采だ。
「素晴らしい!」
「女神様にふさわしい神々しさだ!」
「これを広場の中央に置いて、毎日拝もう!!」
「待ってくださいやめてください!! 宗教を作らないで!!」
私は本気で止めに入った。
「そんなの置いたら、毎日通るたびに自分の巨大な顔面と対面するんですよ!? 精神的な拷問です!!」
「でも女神様――」
「女神じゃありません! 私はただの食い意地の張ったオタク……じゃなくて伯爵令嬢です!」
「では『豊穣の姫君』で!」
「名称を変えても絶対にダメです!!」
大混乱である。
領民たちは本気で善意100%だから困る。悪気ゼロの暴走ほど止めにくいものはない。
私は半泣きでクライヴ様を振り返った。
「クライヴ様! 助けてください!」
すると彼は、巨大なルシアナ像をじっと見上げた後、ポツリと真顔で呟いた。
「……似ていないな」
「そこですか!?」
「実物のお前の方が、一万倍綺麗だ」
「…………ッ!?」
不意打ちでそういうド直球の甘いことを言うの、本当にやめてほしい!! 心臓がもたない!!
しかも周囲の領民たちが「確かに!」「閣下が言うなら間違いない! 彫り直しだ!」と一斉に頷き始めた。やめて。火に油を注がないで。
私は必死に話を逸らす。
「と、とにかく像は絶対に却下です! 感謝のお気持ちは涙が出るほど嬉しいですが、こういうのはもっと別の形にしましょう! ほら、祭りだし! 美味しいものを食べて飲んで笑ってくだされば、それで十分ですから!」
どうにかこうにか土下座の勢いで説得し、最終的には「像は広場中央ではなく一旦倉庫で厳重保管(封印)」「その代わり、祭りの記念旗に麦穂の意匠を入れる」という形で落ち着いた。
危なかった。
あと一歩で、辺境の広場に私の巨大な新興宗教シンボルが爆誕するところだった。断固阻止できて本当に良かった。
◇ ◇ ◇
祭りの夜。
広場の魔導ランプがきらめく中、私は屋台の片隅のベンチでようやく一息ついていた。
「……疲れた……像と戦うのが一番疲れた……」
「領民の善意の暴走と戦う者は、そういないだろうな」
隣に座ったクライヴ様が、少しだけ愉快そうに言う。
「笑い事じゃありませんよ」
「すまん」
「一ミリもすまなそうじゃないです」
でも、彼の声にはちゃんと柔らかさと温かさがあった。
私は小さく息を吐き、麦酒の代わりに甘い果実水をひと口飲む。ほんのり甘くて冷たくて、祭りの喧騒も相まって妙に美味しい。
ふと見れば、広場の向こうでは領民たちが心から笑い、踊り、焼きたてのパンを頬張っている。
「……いいお祭りですね」
私がそう呟くと、クライヴ様は静かに頷く。
「ああ。……お前がもたらしたものだ」
「私だけじゃありませんよ。皆さんが頑張った結果です」
「それでも、最初に奇跡を起こし、空気を変えたのはお前だ」
低い声が、夜のざわめきの中で不思議とはっきり聞こえた。
「ルシアナ」
「はい」
「ありがとう」
たったそれだけの真っ直ぐな言葉に、私は目を丸くする。
この人は、あまり“ありがとう”を軽く使わない。だからこそ、その言葉の質量が重い。胸の奥がじわりと熱くなった。
「……どういたしまして」
私が照れ隠しに笑って返すと。
クライヴ様が、何を思ったのか、私の頭へそっと大きな手を置いた。
そして、優しく、慈しむように髪を撫でた。
「よくやった」
ひどく自然な、その一言。
まるで頑張った子どもを褒めるみたいに不器用なのに、そこに込められた底知れぬ愛情が本物すぎて、私は一気に顔から火が出そうになった。
「そ、そういうの、急にやらないでください……っ」
「嫌か」
「嫌ではないですけど……心臓に悪いので……!」
困る。すごく困る。嬉しいのに、恥ずかしくて、でもやっぱり嬉しくて泣きそうだ。
クライヴ様はそんな私を見て、ほんの少しだけ、この上なく優しく笑った。
祭りの灯りがその横顔を照らし、黄金の瞳の奥に、私への愛しさが揺れている。
ああ、本当に。
この領地へ来られてよかった。
この人の隣にいられて、本当によかった。
そう思った、その時だった。
広場の外れから、血相を変えて駆け込んでくる伝令の騎士の姿が見えた。
「閣下!!」
その緊迫した声色に、私もクライヴ様も、即座に甘い空気を消して表情を引き締める。
騎士は息を切らせ、一礼もそこそこに告げた。
「王都より急報です! こちらへ向けて、ルシアナ様を強制連行するための『武装騎士団・五十名』が出立したとのこと!」
祭りの喧騒が、スッ……と遠のいた。
王都は、やはり諦めていない。それどころか、ついに武力行使に出てきた。
私は果実水の杯をそっと置き、クライヴ様を見上げる。
彼の黄金の瞳は、もう完全な『帝国最強の怪物』の冷たい戦いの色へ変わっていた。
どうやら次に来るのは、手紙(紙切れ)では済まないらしい。




