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第12話 隣国の商人来訪と、爆発する独占欲

 こたつという禁断の発明により、辺境伯邸は着実に“人間をだめにする館”への道を歩み始めていた。

 主に、帝国最強の怪物であるクライヴ様が。


「……閣下、そろそろ午前の執務のお時間です」


 朝の居間。

 レオンハルト団長の、すべてを諦めきったような抑揚のない声が響く。


 しかし、その先にいるクライヴ様は微動だにしなかった。

 私が作った濃い灰青色のどてらを羽織り、こたつへ半身を沈め、片手で湯気の立つお茶を持ったまま、完全に『冬の駄目人間スタイル』が極まっている。


「……後でいい」

「後では困ります」

「急ぎか」

「全部急ぎです(怒)」


 ですよね。

 私は向かい側で朝の焼き菓子をつまみながら、なんとも言えない気持ちでその攻防を見守っていた。

 こたつ、恐ろしい子。あの鉄血の辺境伯をただのコタツムリに変えてしまうなんて。


 だが、そんな穏やかで駄目な朝も、一本の来訪報告によって揺らぐことになる。


「閣下」


 新たに入ってきた侍従が、一礼して告げた。


「隣国より、商人ギルドに所属する高位商人が到着しております。ぜひ辺境伯閣下と、奥様へご挨拶したいと」


 私はきょとんとした。


「私にもですか?」

「はい。特に奥様が考案された“ぷりん”なる菓子と、“おむらいす”の件でぜひお話があると」


 あっ。

 なるほど。ついに来たか、商人。

 そりゃ来る。来ない方がおかしい。


 オムライスにプリン、全自動で掃除される館に、極楽の温泉。ここ最近の辺境は変化の速度がバグっている。しかも美味しい食べ物の噂は広がるのが早い。絶対どこかの商人が食いつくと思っていた。


「商談、でしょうか」


 私が首を傾げると、レオンハルトが静かに頷いた。


「おそらくは。隣国との交易路は一応ありますが、これほどの大商人が自ら辺境まで足を運ぶのは極めて異例です」


 一方で、こたつの中のクライヴ様は、ものすごくゆっくりと湯呑みを置いた。


「……俺の妻に挨拶、だと?」


 地を這うような低い声だった。

 えっ、今そこ(奥様)に引っかかった?


「クライヴ様?」

「商人なら、領主の俺に用があれば十分だろう」

「でも開発者は私ですし……」

「ルシアナへの挨拶は不要だ。追い返せ」

「いやそれはさすがに横暴すぎます!」


 理不尽の極みである。

 だがレオンハルトはまるで慣れきったように、胃のあたりを押さえながら言った。


「閣下、交易は今後の領地運営に関わります。ここで追い返すのは得策ではありません」

「気に入らん」

「でしょうが、会ってください」


 辺境騎士団長、本当に強い。


 クライヴ様はしばし不機嫌そうに沈黙した後、こたつ布団の端を少しだけ引き寄せ、いかにも不本意そうに言った。


「……わかった」

「よかったです」

「だが、ルシアナは俺の隣から一歩も動くな」

「え?」

「最初から最後まで、俺の腕の届く範囲から離れるな」


 私はパチパチと瞬きをした。

 商談だよね? 戦場に行くわけじゃないよね?


 でも最近のクライヴ様は、ちょっとでも“他人が私に興味を示す”と警戒値が異常に跳ね上がる。

 呪いが解けてからの距離感バグだけではなく、明確な『独占欲』みたいなものまで表に出始めている気がするのだが……気のせいだろうか。いや気のせいじゃないな。たぶん。


 ◇ ◇ ◇


 そして昼前。

 応接間に通された商人を見て、私は思わず「うわっ」と心の中で呟いた。


 美形だ。それも超がつくほどの。


 年の頃は二十代後半くらい。さらりと流した栗色の髪に、笑うと細くなる切れ長の緑の瞳。服装は上等な仕立てだが嫌味がなく、気配はふんわりと柔らかい。

 いかにも“人当たりがよくて頭も切れる、女たらしの商人です”という完成度の高い外見をしていた。


(うわぁ……乙女ゲームなら絶対、胡散臭い攻略対象キャラにいるタイプだ)


 顔がいいとか以前に、対人スキルが高そうで警戒してしまう。私は前世の社畜OL時代の営業スマイルをフル稼働させた。


 商人は私たちを見るなり、優雅に、一分の隙もないお辞儀をした。


「お初にお目にかかります、辺境伯閣下。そして奥様。私は隣国ヴァルディア商会の特使、エドガー・ベルナールと申します」

「クライヴ・ヴァルツェインだ」

「ルシアナ・フォン・ヴァルツェインです。本日はようこそ」


 私が名乗ると、エドガーはパッと花が咲くような笑みを浮かべた。


「お噂はかねがね。辺境に奇跡をもたらした、とびきり麗しき奥様だと」

「いえ、そんな大げさな……」

「ご謙遜を。王都にまで届いておりますよ。“呪われた不毛の地に、美しき女神が降り立った”と」


 女神は盛りすぎでは?

 しかし、隣のソファに座るクライヴ様から、妙に冷たい、チクチクとした殺気が漂っているのを感じて、私は背筋をピンと伸ばした。


 やばい。

 この人、“とびきり麗しき奥様”の時点でもうだいぶ不機嫌になってない?


 エドガーはそれに気づいていないのか、あるいは気づいていてわざと流しているのか、実に滑らかに話を続ける。


「本日はぜひ、奥様が考案されたお料理と菓子について、正式なお取引のご相談をと思いまして」

「お取引、ですか」

「ええ。特に“ぷりん”は革命的です」


 革命的。プリンに対する評価が高すぎる。

 エドガーは懐から手帳を取り出し、パラパラとページをめくる。


「口当たりはなめらかで冷たく、甘さは上品。しかも卵と乳を使うため再現性が高く、貴族層から庶民層まで幅広く応用可能。さらに見た目も宝石のように美しい。保存と輸送の魔導具さえ確立できれば、隣国でも莫大な商機になります」


「うわぁ……めちゃくちゃガチで分析されてる」


 思わず素の感想が漏れた。

 さすが商人。プリンを食べて「おいしい!」ではなく、そこから販路と市場規模まで秒で計算している。仕事ができる匂いしかしない。


 エドガーはニッコリと笑う。


「商売人ですので」

「ですよね」

「もちろん、正当な対価はお支払いします。製法の独占購入でも、共同事業でも構いません。できれば奥様ご本人のご意見を伺いたい」


 そう言って、彼はスッ……とこちらへ身体を向けた。

 その動きがあまりに自然でスマートだったので、一瞬だけ私も話に引き込まれそうになる。


「共同事業、ですか……」

「はい。たとえば、辺境発の高級菓子ブランドとして売り出す方法があります。ルシアナ様のお美しい名を前面に出せば、話題性は抜群でしょう。私どもが流通を担い、製造は――」

「必要ない」


 絶対零度の低い声が、ピシャリと会話を断ち切った。

 応接間の空気が一瞬でシベリアになった。


 エドガーが言葉を止め、ゆるく首を傾げた。


「……閣下?」

「ルシアナの名を、勝手に商売へ乗せるな」


 クライヴ様の黄金の瞳は、一ミリも笑っていなかった。

 いや、この人もともとあまり笑わないけど、今は明確にブチギレる五秒前だ。


 私は横でひっそりと思った。

(あ、独占欲のスイッチが完全にオンになった)


 でも、エドガーも相当なやり手だった。この覇気を浴びて動じない。すごい。


「もちろん、ご本人の意思が第一です」


 そう言って、彼は今度こそ真っ直ぐ私を見た。


「奥様。私は商人として申し上げます。貴女には、金貨の山より価値がある」

「いやそれはさすがに言い過ぎでは」

「いいえ。本気です」


 ド真顔で言われてしまった。

 この人、口説き文句みたいな言葉を息をするように吐くタイプか。怖い。たぶん天然ではなく計算でやっている。なおさら怖い。


 だが、その次の瞬間だった。

 エドガーが「ご挨拶が遅れました」と立ち上がり、スッと私の前へ回り込んできたのだ。


「ルシアナ様」


 ニッコリ、と完璧な営業スマイル。

 そして、ごく自然に、私の手を取って甲にキスをしようと指先を伸ばしてきた。


 あ、西洋風の挨拶かな。

 そう思った。思ったのだが。


 次の瞬間、応接間の空気が物理的に『凍りついた』。


「…………え?」


 私は限界まで目を見開いた。


 エドガーの背後。

 そこに、無数の『氷の槍』が展開していたのだ。


 一つや二つではない。十本でもない。

 ざっと見ただけで、数十――いや、百本近い。


 透明に透き通った鋭利な氷槍が、空中にズラリと並び、商人の背中へピタリと照準を合わせている。

 殺意が高すぎる。美しさより恐怖が勝つタイプの絶望的トラップだ。


 エドガーの完璧な笑顔が、ヒクッと引きつった。


「……辺境伯、閣下?」

「俺の妻に、触れるな」


 クライヴ様の声は、地鳴りのように低く、ぞっとするほど冷たかった。

 ソファから立ち上がった彼は、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。一歩ごとに冷気が強まり、床の高級絨毯に白い霜が這う。


「俺の天使を、その汚い手で汚すな」


 その声音に、冗談の響きは一ミリもない。

 エドガーはさすがに真っ青になったが、それでも商人としての矜持か、なんとか笑顔を保とうとしていた。


「い、いえ、私はただ西方の礼儀としてご挨拶を――」

「必要ない」

「しかし商談の場での礼儀として」

「要らん」


 ピシャリ。

 強い。会話の余地を一切与えない、絶対者の強さである。


 私は慌てて二人の間へ入ろうとした。


「ク、クライヴ様! 落ち着いてください! たぶんただの挨拶です! 挨拶!」

「“たぶん”で許すつもりはない。俺以外の男が、お前の肌に触れるなど万死に値する」

「ええぇ……思考が過激派すぎる……っ」


 温度差で私だけが忙しい。

 だが、クライヴ様の不機嫌(独占欲)はそこで終わらなかった。


 彼は私のすぐ横まで来ると、そのままグイッ! と強引に私の腰を抱き寄せた。


「ひゃっ」


 一瞬で、背中がクライヴ様の分厚い胸へピタリと密着する。逃げ場、ゼロ。

 エドガーの目の前である。レオンハルトも使用人たちもいる。完全に人前である。


「ク、クライヴ様!?」

「見せてやる」

「何をですか!?」

「こいつに、お前が誰のものか」

「ものって言いました!? 私、所有物扱いですか!?」


 抗議した。したのだが。

 その次の瞬間には、もう遅かった。


 クライヴ様が私の顎へ長い指をかけ、クイッ、と強引に上を向かせる。

 熱を帯びた黄金の瞳が、至近距離でこちらを射抜いた。


「目を閉じろ」

「えっ――」


 えっ、と口を開きかけた瞬間には、もう唇が塞がれていた。


「――んッ!?」


 深い。

 待って、深い。ちょっと、待っ。


 軽く触れるだけのバードキスとかではない。明確に“他の男に見せつけるため”の、独占欲の塊のような、しっかりとした深く甘い口づけだった。


 頭が真っ白になる。

 クライヴ様の腕は私の腰をガッチリとホールドして逃がさないし、唇は火傷しそうなほど熱いし、何より周囲の気配が全部吹き飛ぶ。

 人前だとか、商談中だとか、そういう理性が全部一瞬で宇宙の彼方へ消し飛んだ。


(む、無理……ッ!!)


 心臓がもたない。魂が口から出る。前世の私が見たら確実に尊死して床を転げ回っている。


 どれくらいそうしていたのか、実際には数秒だったのだろう。

 でも私には永遠みたいに長く、甘く感じた。


 ようやく唇が離された時には、私は完全に息が上がり、膝の力が抜けていた。


「は、ぁ……っ」


 足元がふらつく。でもクライヴ様の腕がしっかり支えているから崩れ落ちない。そこまで込みで、あまりにも理性に悪い男だ。


 クライヴ様は、顔を真っ赤にして息を乱す私を抱き寄せたまま、氷のような目でエドガーを見た。


「……理解したか」


 ものすごく静かで、絶対的な声だった。


「次に俺の妻に気安く触れようとすれば、その氷の槍は外さん」


 背後の百本の氷槍が、ギラリと殺意を放って光る。


 エドガーは数秒ほど完全に固まっていたが、やがてフッ……と大きな息を吐いた。

 そして、両手を上げて降参のポーズをとる。


「……なるほど。これは失礼いたしました」


 意外にも、引き際は鮮やかだった。


「お二人の仲睦まじさは、私の想像を遥かに超えていたようだ」

「仲睦まじいというか、今のは完全な不可抗力の公開処刑ですけど!?」


 私が茹でダコのような顔で抗議すると、エドガーは肩をすくめた。


「奥様」

「は、はいっ」

「今後は絶対に半径二メートル以内に近づきませんので、どうかご安心を。私の命が惜しいので」

「そうしてください! 切実に!」


 するとクライヴ様が、私の腰を抱いたままボソリと凄む。


「最初からそうしろ」

「はいはい、肝に銘じますよ、閣下」


 そこで“はいはい”って言えるエドガー、メンタル強すぎないか。


 ◇ ◇ ◇


 結局、その後の商談はエドガーが物理的に距離を取ったことで、かなり穏当な形へ落ち着いた。


 製法を丸ごと売るのではなく、当面は辺境伯領限定での製造と販売を優先し、隣国への展開は今後の相談とする。

 プリンは冷やす環境と容器の工夫が必要だから、まずは領内で基盤を整える。その代わり、ヴァルディア商会には高級な食材や砂糖、上質な布や器の流通協力を依頼する。


 お互いに損のない、かなり現実的な落としどころだ。


 エドガーは去り際、扉の前で一度だけ振り返った。


「ルシアナ様」


 私はビクッとしたが、今度はちゃんと五メートルくらい距離があった。


「貴女は本当に、面白い価値をお持ちだ。我が隣国は今後、この辺境から目を離せなくなるでしょう」

「それは……良い意味で、ですか?」

「もちろん」


 エドガーはニッコリと商人の顔で笑う。


「少なくとも私は、また来たい」

「二度と来るな。来ても俺が追い返す」


 間髪入れず、クライヴ様が秒で返した。

 エドガーはとうとう声を上げて笑い、そのまま優雅に去っていった。


 応接間に静けさが戻る。

 だが、私は静かではいられなかった。


「ク、クライヴ様!!」

「なんだ」

「さっきのは、さすがに、その……やりすぎです!!」

「嫌だったか」


 低い声が落ちる。

 その真っ直ぐな問いに、私は言葉を詰まらせた。


 嫌、ではない。嫌なわけがない。

 むしろ心臓が爆発しそうなだけで、一ミリも嫌ではない。

 でも、そういう問題ではないのだ。


「そ、そうではなくてですね……! 人前で、しかもあんな、見せつけるみたいに……っ」

「見せつける必要があった」

「必要ありました!?」

「あった」


 クライヴ様は一歩、こちらへ近づいた。


「お前は男に対する隙が多すぎる」

「理不尽!」

「自覚がないなら、周囲の虫どもにわからせるしかない」

「だからって氷の槍百本とキスは過激派すぎます!」

「お前が俺の妻で、俺の腕の中以外に居場所はないということだ」


 あまりにも真っ直ぐに、甘く重い声で言われて、私は完全に口を噤んだ。


 ずるい。

 そんな顔で、そんな声で言われたら、限界オタクの私は何も言い返せなくなるではないか。


 クライヴ様は、まだ熱い私の頬へ、長い指先でそっと触れた。


「……他の男に、軽々しく微笑みかけるな。手も取らせるな」


 その声は、先ほどの商人へ向けた冷え切った怒気とは違う。

 低くて、不器用で、ひどく熱を孕んでいた。


 私はドクドクと鳴る心臓を持て余しながら、小さく頷く。


「……気をつけます」

「ああ」

「でも、クライヴ様も気をつけてくださいね」

「何をだ」

「最近、独占欲がだいぶバグって爆発してますから」


 言ってしまった。

 すると、クライヴ様はほんの一瞬だけ沈黙した後、なぜか否定しなかった。


「……そうかもしれん」

「あっさり認めるんですね」

「お前に関しては、もう一切の抑えが利かん」


 そのトドメの一言に、私の心臓は完全に白旗を上げた。


 もう駄目だ。

 最近のクライヴ様、呪いが解けてからの溺愛バグだけじゃなくて、発言の糖度と威力が確実におかしくなっている。


 私は両手で真っ赤な顔を覆いながら、内心でジタバタと身悶えるしかなかった。


(むりむりむり……! 最推しのガチの独占欲、破壊力が高すぎる……ッ!)


 ◇ ◇ ◇


 そしてその日の夕方。

 館の使用人たちの間では、当然のようにこの話が光の速さで広がっていた。


『商人が奥様の手を取ろうとした瞬間、閣下の背後に氷の槍が百本出たらしいぞ!』

『しかもそのまま、俺たちの目の前で見せつけるように熱烈な口づけを……キャーッ!』

『閣下、最近奥様への愛が重すぎて、どんどん行動が過激になっておられる……』


 私はしばらく、羞恥のあまり誰とも目を合わせられなかった。


 ただ一つわかったことがあるとすれば。

 隣国の商人よりも何よりも、いま私にとって一番危険で心臓に悪いのは、間違いなく“呪いが解けて独占欲まで完全解放された辺境伯様”だということだった。



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