第11話 こたつの開発とダメ人間化
辺境の朝は、寒い。
いや、寒いなんてものではなかった。
「さむっッ!?」
朝、温かいベッドから廊下へ一歩踏み出した瞬間、私は思わず自分の肩を抱きしめた。
空気が冷たい。痛い。刺さる。もはや“冷気”というより物理的な“攻撃魔法”である。
窓の外を見れば、庭木の枝先には真っ白な霜が降り、吐く息はもくもくと白い。
館の中は私のお掃除チート(【浄化】)で清潔にはなったものの、石造りの建物ゆえの底冷えはどうにもならない。
(これはまずい……)
私は真剣な顔で考えた。
推しの健康管理という観点から見ても、寒さは万病の元だ。長年理不尽な呪いに苦しめられ、昨日ようやく温泉で癒やされたばかりのクライヴ様の身体を、こんな極寒環境へ放置するなど限界オタクの風上にも置けない。
各部屋に暖炉はある。厚手の毛布もある。
だが、決定的に足りないものが一つある。
(そう、『こたつ』よ!!)
前世の日本の冬を支えた、人類の英知。
脚を入れた瞬間にすべてのやる気を吸い取り、人間をダメにする悪魔的快適家具。
それが、こたつ。
私は力強く拳を握った。
「作ろう」
その決意は一秒で固まった。
◇ ◇ ◇
朝食の席で、私はさっそく高らかに宣言した。
「クライヴ様、こたつを作りましょう!」
「……朝からまた、聞き慣れない単語が出てきたな」
クライヴ様は湯気の立つスープ皿の向こうから、静かにこちらを見た。
今日も今日とて圧倒的に顔がいい。だが寒さのせいか、いつもより少しだけ肩が強張って見える。やはり防寒対策は急務だ。
「こたつとは、机の下に熱源を仕込んで、上から分厚い布を掛けて、その中へ潜り込んでぬくぬくする『人類最強の冬用魔導具』です!」
「説明だけ聞くと、だいぶ駄目そうだな」
「最高なんです!!」
私はビシッと指を立てて熱弁を振るう。
「暖炉は部屋全体を暖めるには便利ですが、足元まで完璧とは言えません。ですが、こたつなら下半身を直接ぬくぬくの神領域に誘えます! しかも家族団欒にも向いています! あと、一度入ると一生出たくなくなります!」
「最後のは明確な欠点では?」
「最大の魅力です!!」
勢いだけで押し切る私を見て、背後のレオンハルト団長が無表情のまま力強くパンをちぎっていた。
最近この人、「奥様がまた突飛なことを言い出した」と受け入れる速度が異常に上がっている。順応力が高すぎる。
クライヴ様はスプーンを置き、わずかに目を細めた。
「……それで、どう作る」
「木の低い机に、熱を出す魔石を仕込んで、そこへ分厚い布団を掛けます。床にはふかふかの敷物も敷きます」
「……なるほど」
「あと、“どてら”も作ります!」
「どてら?」
「ふわふわあったかい、最高の部屋着です!」
またしても謎単語である。
しかしクライヴ様は「またか」という顔をするだけで、止めようとはしない。この短期間で、私が持ち込む“よくわからないけど絶対に役に立つもの”にすっかり慣れてしまったらしい。大変良い傾向である。
「好きにしろ」
「やった!」
「ただし、無理はするな」
「はいっ!」
「寒いだろう。手を貸せ」
「……はい?」
食後、私が立ち上がろうとした、その瞬間だった。
クライヴ様がごく自然な動作で私の手を取り、そのままスッ……と自分の分厚い外套の中へ引き込んだのである。
えっ。
「つ、冷たっ……!」
「お前の手だ」
「そうですけど!?」
外套の内側は、思ったよりずっと暖かかった。クライヴ様の体温が近い。近すぎる。
「最近、朝の廊下でよく震えているだろう。見ていて気になっていた」
「……見られてたんですか!?」
「妻の様子を見るのは普通だ」
「普通……ッ」
この人の普通、たまにラブコメの火力がエグすぎる。
私はほんのり頬を赤くしながらも、外套の内側で温められた大きな手をそっと握り返した。
「でしたら、なおさら急いで作らないといけませんね」
「何をだ」
「こたつです」
「そうだな」
◇ ◇ ◇
というわけで、その日の午前中から館の大工と魔道具係を巻き込んだ『大こたつ開発プロジェクト』が幕を開けた。
幸い、辺境伯邸には頑丈な木材が豊富にある。低めの机を作るのは難しくない。問題は熱源の調整だった。
「魔石で一定温度を維持できるものが必要ですね……火力が強すぎると低温火傷するし、弱すぎても意味がない……」
私が机の設計図もどきを描きながらブツブツ呟いていると、魔道具係の老職人が、丸い赤色の魔石をいくつか並べてみせた。
「奥様、こちらの保温用魔石でしたら、温度の安定性は抜群ですぞ」
「おおっ!」
「ただし、単体だと熱量が少し足りませんな」
「なら二個使いましょう!」
「二個?」
「ええ、左右対称に配置して、中央は空気が循環するように魔力回路を組めば……!」
私は勢いよく設計図へ書き込む。
前世の社畜知識と、この世界の魔石技術が奇跡の融合を果たす瞬間。こういう時、異世界転生って便利だなとしみじみ思う。
一方その頃、クライヴ様は何をしているのかというと――当然のように、私のすぐ後ろ(背後霊ポジション)に立っていた。
「クライヴ様、執務は」
「午前の分は終わらせた」
「早すぎる」
「お前が何を作るのか気になる」
「子どもみたいな理由で見に来ましたね?」
でもちょっと嬉しい。
クライヴ様は私の肩越しに設計図を覗き込み、低く問う。
「この布は」
「こたつ布団です。厚みと保温性が命です」
「この下の敷物は」
「下からの冷気を防ぎます。ふかふかだとさらに最高です」
「……本当に、人間が駄目になりそうな代物だな」
「だから最高なんですってば!」
◇ ◇ ◇
そうして昼前には、試作一号機が居間に完成した。
四角い白木の低机。その下には保温用魔石を組み込んだ小型の熱源箱。上からは分厚い特注の布団をどさりとかけ、床には極上の羊毛の敷物を敷く。
見た目は完全に『実家にあるアレ』だ。
「できました……!」
私は感動で胸を震わせた。異世界初、こたつの誕生である。
しかし、周囲の反応はすこぶる微妙だった。
「机に布を掛けただけでは……?」
「本当に暖かいのですか?」
「むしろ布が邪魔なのでは……?」
大工や使用人たちが半信半疑の顔で見ている。
ふふふ。わかる。見た目だけだとただの布掛け机だもんね。
「では、圧倒的パワーをお見せしましょう」
私はドヤ顔で胸を張り、そっとこたつ布団を持ち上げて脚を入れた。
次の瞬間。
「はぁぁぁぁぁ……」
魂の底からだらしない声が漏れた。
あったかい。やわらかな熱が足元からじんわりと広がり、布団の中にたまった空気が極上のぬくもりで下半身を包み込む。
(勝った)
これは私の勝ちだ。完全勝利だ。
「ルシアナ?」
クライヴ様が怪訝そうに覗き込んでくる。
私は恍惚としたアホ面で答えた。
「最高です……私、天才かもしれません……」
「お前が作ったのだから、お前が天才なのだろう」
「えっ」
さらっと言われて、危うくこたつへ頭からダイブしそうになった。
最近この人、褒める時の火加減が壊れている。
「クライヴ様もどうぞ!」
私は慌てて布団をめくった。
「さあ、ここへ脚を入れてください!」
「……わかった」
クライヴ様が半信半疑で羊毛の敷物に腰を下ろし、長い脚をこたつの中へ差し入れる。
その瞬間だった。
ピタリ、と彼の動きが完全に停止した。
「…………」
「どうですか?」
「…………暖かいな」
地を這うような低い声が、わずかに遅れて返ってくる。
「でしょう!?」
「……妙だ」
「妙?」
「脚だけが暖かいはずなのに、全身の力が抜けていく……」
「それが『こたつ』です!!」
私は誇らしげに言い放った。
「人類のやる気を削ぎ落とし、堕落させる冬の魔導具です!」
「堕落させるのか」
「します!」
言い切ったところで、クライヴ様がスッ……と目を細めた。
そのまま、もう少しだけ深く脚を入れる。布団がふわりと持ち上がり、熱が逃げないよう自然に押さえる動作まで、初見なのに完璧だ。
「……悪くない」
「悪くない、いただきました!」
「いや、かなりいい」
「さらに上方修正された!!」
周囲の使用人たちがざわつく。
「あの常に隙のない閣下が……」
「なんだかもう、一生そこから出たくなさそうなお顔を……」
「本当にそんなに良いのか……?」
すると、背後で控えていたレオンハルト団長が、なぜか死地に赴くような覚悟を決めた顔で前へ出た。
「……私も、確認してもよろしいでしょうか」
「もちろんです!」
鉄血の騎士団長がこたつ初体験。歴史的瞬間である。
レオンハルトはおそるおそる脚を入れ――そして、完璧に石化した。
「…………」
「団長、どうですか?」
「…………これは」
「はい」
「危険です」
「ですよね!!」
やっぱりそうなるよね!
堅物騎士団長でさえ、一瞬で『こたつの魔力』を理解してしまったらしい。
こうして試作一号機は見事に大成功を収め、その日のうちに追加で数台作られることが決定した。食堂用、居間用、執務室用。全方位にこたつ配備である。
◇ ◇ ◇
そして私は、こたつだけで満足しなかった。
「次はどてらです!」
午後には分厚い綿入りの上着の制作に取りかかり、侍女たちと一緒に光の速さで縫い進めた。異世界風に言うなら“防寒用室内着”だが、私の中ではどてらである。
できあがったそれをクライヴ様へ渡すと、彼は不思議そうな顔をしつつも袖を通した。
濃い灰青色の布地に、軽くて暖かい綿入り。
長身のクライヴ様が着ると、ただのちゃんちゃんこが高級ブランドの冬物コートに見えるから不思議だ。顔が良いって素晴らしい。
「どうですか?」
「軽いな。だが、ひどく暖かい」
「こたつと合わせれば、この世の最強です!」
クライヴ様は何も言わず、そのまま居間のこたつへ向かった。私も後を追う。
そして、居間の光景を見た瞬間、私は静かに天を仰いだ。
どてらを羽織ったクライヴ様が、こたつへ入っていた。
完全に、仕上がっていた。
長い脚をこたつへ入れ、背もたれへ少しだけ身体を預けたその姿は、いつもの冷徹な帝国最強の怪物ではない。
なんだろう。ものすごく、猫っぽい。
いや、正確には『大きくて警戒心の強い黒豹が、ようやく世界一あったかい場所を見つけて丸くなりかけている』感じだ。
「……クライヴ様」
「なんだ」
「なんだか、すごく……」
「すごく?」
「ダメ人間になってません?」
言った瞬間、周囲の使用人たちがヒッ! と息を呑んだ。
辺境伯様に向かって「ダメ人間」は不敬罪ギリギリである。でも、事実だから仕方ない。
クライヴ様はしばらく無言だった。
やがて、こたつ布団の端を指先で少し引き寄せながら、ボソリと呟く。
「……否定はできん」
「認めた!!」
「これはよくない。だが……」
「最高ですよね?」
「……否定はできん」
私はついに堪えきれず吹き出した。
あのクライヴ様が、こたつに完全敗北している。なんて平和で、なんて尊い光景なんだろう。
その時だった。
「ルシアナ」
「はい?」
「こっちへ来い」
「またですか?」
クライヴ様がポン、と軽く自分の膝を叩く。はい、私の指定席ですね。知ってました。
私は半ば諦めつつ、こたつの縁へ近づいた。
だが今日は、いつもと少し違った。
クライヴ様は私の腕を引き、膝の上へ乗せるのではなく、こたつの『横』に座らせたのだ。
そしてそのまま、ごく自然な動作で。
私の太ももへ、コロンと頭を預けてきた。
「……………………え?」
世界が止まった。
膝枕。
今、膝枕が発生しませんでした?
辺境伯様が。帝国最強の盾が。あのクライヴ様が。
私の膝に、頭を。
「ク、クライヴ様!?!?」
「騒ぐな」
「いや、騒ぎますけど!? 心拍数がエラいことになってますけど!?」
「こたつに入っていたら、眠くなった」
原因が明確すぎた。
「それで、ここがちょうどいい」
「ちょうどいい、で膝枕します!?」
「お前の体温と匂いが、一番落ち着く」
「私への精神安定剤扱いが加速してません!?」
でも、拒否できるはずがない。
だって、クライヴ様の頭が私の膝にある。重みは意外としっかりしていて、でも押しつけ方はどこか遠慮がちで優しい。
そして何より、顔が近い。見下ろせば、長い睫毛、芸術品のような鼻筋、少し緩んだ口元。
(無理無理無理無理……)
私の心臓が限界突破しそうになる一方で、クライヴ様はものすごく安らいだ顔をしていた。
いつもの険しさが完全に消え去り、リラックスしきっている。こたつと膝枕の合わせ技、破壊力が高すぎる。
「……あったかい」
ぽつり、とクライヴ様が呟く。
その声は眠たげで、低くて、ひどく甘かった。
「そ、そうですか」
「ああ」
「よかったです……」
「……ルシアナ」
「はい」
「もう少し、撫でろ」
「へっ」
思わず変な声が出た。
撫でる。つまり、この国宝級の漆黒の髪を? 私が?
触っていいんですか? 正気ですか? 私はもうとっくに正気じゃないですけど。
しかしクライヴ様は薄く目を開け、下から私を見上げた。
「嫌か」
「いえ全然! むしろ光栄の極みです!」
即答だった。
私は震える手で、そっと彼の髪へ触れる。
サラリ、と指の間を滑る黒髪は思ったよりずっと柔らかかった。湯上がりの時にも思ったけれど、本当に手触りがいい。何これ高級シルク?
恐る恐る撫でるたび、クライヴ様の目元がほんの少しずつトロリと緩んでいく。
やがて、彼は完全に目を閉じた。
「……ん」
満足そうな、小さな甘い吐息。
(かわいい)
その単語が脳内をよぎった瞬間、私は自分の限界オタクっぷりを呪った。
でも仕方ない。だって今のクライヴ様、どう見ても『甘えん坊の大型黒猫』なのだ。
周囲では、使用人たちが完全に息を潜めていた。
「寝た……?」
「閣下が……?」
「こたつで……どてら着て……奥様の膝枕で……?」
信じられない気持ちはよくわかる。私だってまだ夢だと思っている。
だが、しばらくして聞こえてきたのは、穏やかで規則的な寝息だった。
本当に寝た。
帝国最強の辺境伯様、こたつと膝枕で完全におやすみモードである。
私は膝の上の愛おしい重みを感じながら、そっと息を吐いた。
(……よかった)
呪いに苦しんでいた頃のクライヴ様は、こんなふうに無防備に眠れただろうか。きっと、激痛で難しかったはずだ。
だからこそ、今こうして安心しきった寝顔を見せてくれることが、たまらなく嬉しかった。
私は誰にも聞こえないくらい小さな声で呟く。
「おやすみなさい、クライヴ様」
そのまま、私は静かに彼の髪を撫で続けた。
こたつの中はぬくぬくで、居間の空気は穏やかで、外の極寒が嘘みたいに遠い。
辺境の冬は厳しい。けれど、この冬はきっと、これまでよりずっとあたたかい。
そう思った、その時。
入口の方で、レオンハルト団長がなんとも言えない絶望的な顔で立ち尽くしていた。
「……閣下」
小さく呼びかけても、当然返事はない。すやすやだ。
レオンハルトはしばらく沈黙した後、こめかみを強く押さえて、低く絞り出すように呟いた。
「駄目だ……」
「え?」
「完全に、ダメ人間にされている……」
思わず私は吹き出しそうになった。
ええ、本当にその通りです。
でも、こんなふうに幸せにダメになるなら、悪くないですよね――と、心の中でそっと思ったのだった。




