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六、時々七兄弟(休載:再開時期未定)  作者: 香子茶小連
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9/9

届かぬ声

音楽が止まった。

豊珠は騒然とした客席を前に立ち尽くしていた。


「来なさい」


時風に強く手を引かれ舞台裏へ戻る。


「皆さん、外の混乱が収まるまでここで待機してください。いいですね」


兄弟たちは顔を見合わせておずおずと椅子に腰掛けた。


「晶刃の儀、どうなっちゃうのかな」


李汀がぽつりと呟いた。

豊珠は鳳衣を脱いで、天幕の隙間から外を伺っている。


「救護幕は全壊だ。怪我人をこちらへ!珠臣、椅子を運べ。案内しなさい」


幕の外で珀暁が叫ぶ声がした。

怪我人が邸の中へ運び込まれていく。その中で見覚えのある少年が───


「羅輝?」


まさか、と思うより先に、胸の奥が冷えた。

次の瞬間には身体は跳ね上がり、天幕を潜り抜けていた。


「豊珠兄!?」

「お静かに。私が連れ戻します」


ざわつく兄弟たちを制して時風が後を追う。



「珠臣殿、この方が最後の怪我人です」

「大丈夫だから!大袈裟だから!下ろしてくれよー!」

「ちゃんと診てもらってくださいね。後はよろしくお願いします」

「ふぅ。やっと下ろしてもらえた……」


羅輝は衣服に着いた砂埃を払った。


羅輝を追って邸まで来たものの、豊珠は寸前で足を止めた。

そのまま飛び込むわけにはいかず、咄嗟に格子戸の外へ身を潜める。


(良かった……あの様子だと大きな怪我は無さそうだ)


そう思った途端、膝から力が抜けそうになった。

名を呼ぶことも、駆け寄ることもできない自分が、ひどくもどかしい。

壁に額を預けて呼吸を整える。

珠臣の声がする。


「中は既にいっぱいで。玄関で申し訳ないですが」


珠臣が早足で椅子を運んでくると、風景画の前で立ち尽くす少年の姿があった。

取り付かれたように動かない。

その姿には見覚えがあった。


「あなた、は……」


振り返った羅輝の瞳はきらきらと輝いていた。


「この絵は俺が描いたんだ。キミが買ったの?」


珠臣は言葉に詰まった。

本当は豊珠が買った。けれどそう言えば彼の身分を明かすことになる。

わからないと適当に流せば、作者の期待を前に失礼にあたるかもしれない。

違うと言わなければならない。

そう分かっているのに、その期待に満ちた瞳が珠臣の口を塞いだ。


「……そうです。私が買いました」


豊珠は思わず一歩、踏み出しかけた。

その絵の所有者は私だ、と。

けれども今の自分は紗尾ではない。豊珠として会うこともできない。

羅輝の、隠しきれない喜びの声がする。遠ざかってゆく。届かない。

冷たい水の底にゆっくり沈んでゆく感覚がした。


「……美しい」


時風は、物陰から豊珠の表情を眺めて呟いた。

豊珠様にあのような顔をさせるのは、一体どんな人物なのだろう。


「これは、良い舞台になりそうだ」


───


太陽が傾き、空が紫に包まれる頃。光虫の小さな光が漂い始めた。

会場のあちらこちらにある、源美石の巨大な彫刻が内側から光を滲ませ、じんわりと広がりながら鳳凰の形を照らし出した。

舞台の前にも、水面の波飛沫を模した彫刻が設置され、昼間の雰囲気とは幾分も違って見える。


昼間に起きたつむじ風の事故では、幸いにも大怪我を負った人はいなかった。

羅輝は、舞台の中央の最前列の席に座った。


手当てのために連れて行かれた先で、売れた大作と、抱嵐崖で出会った友人との再会。

それから


「これは、昼の公演でご迷惑とご不便をお掛けしたお詫びです。夜の部の観覧券。一番良い席をご用意しました」


そう言って観覧券を手渡して来たのは、いま都で最も時めく舞手───


「じじじ、時風さん!?」


西日を味方に付けた微笑み、観覧券から手を離す指のしなやかさ。

一瞬だけ、甘い香が肌をかすめた。


「時風さん、すごい人だ……」


溜め息を吐いて姿勢を正す。

こんなに舞台が近い席は、父と一緒に観に来て以来だ。

もうすぐ、幕が上がる。



豊珠は鏡の前で、化粧をした自分を見つめていた。

あの時、自分こそが真の持ち主であると言える道など、どこにもなかった。誰が悪いわけでもない。

ただ、羅輝の嬉しそうなあの声を、一番近くで聞きたかった。


考えを頭から振り払うように、衣装に袖を通す。


(集中しなければ)


楽屋を抜け舞台裏へと急ぐ。


(いつも通り、いつも通り)


心の中で拍を取りながら舞の足運びを復習する。


「豊珠様、間もなく出番ですので」


振り返ると、時風が鳳衣を持って立っていた。


「時風先生?」

「はい。たまには良いでしょう?」


促されるまま袖を通す。

太鼓の音はゆっくりになり、一筋の笛の音だけが残る。

出番だ。


「ちょっとした仕掛けを用意しました」


舞台袖で時風が妖しく笑った。すぐにその意味を理解した。


舞台裏で彫光師が放った光虫が、鳳衣に縫いつけられた源美石へ一斉に食いついた。


(重い……!)


肩が後ろへ引かれる。

裾が沈む。

一歩目が遅れる。


(落ち着け)


豊珠はそのまま舞台中央まで駆け抜け、構えの型で正面を射抜いた。

ドドン、と地を打つ太鼓。


袖を払う。

光虫が追う。

裾を返す。

また追う。


いつもの鳳衣なら、もっと軽い。

もっと鋭く、もっと高く、風を裂ける。

だが今夜の鳳衣は違った。

背に、腕に、足元に、遅れて重みが絡みつく。


(───ッ)


視界の端、最前列に見覚えのある顔が映った。


羅輝。


息が止まる。

次の一歩が、ほんのわずかに鈍る。

その隙を待っていたかのように、光虫の群れが裾へと殺到した。


(クソがッ)


強く踏み込む。

無理やり裾を引きはがす。


ひとつ、振りを飛ばした。


違う。

鳳凰はこんなんじゃない。


見ないで、羅輝───


裾を払った、その瞬間。

カン、と。

乾いた金属音が舞台の空気を裂いた。

舞台の端に、黒い影が立っている。

長い髪を夜のように揺らし、何ひとつ乱れぬ所作で舞台に立つその姿に、観客席の空気が一変した。

真明だ。


(───まだ兄上の出番ではないはず)


真明は構わず一歩、舞台へ踏み込む。

その足運びに迷いはなく、まるで最初からこの一拍が用意されていたかのようだった。

そのまま、切願の舞に入る。


(即興……!)


舞台袖からその様子を見ていた時風は、ぞくりと肩を震わせた。


「……すばらしい」


そのまま興奮した足取りで、調光師の織実のもとへ駆け寄る。


「織実殿、予備の光虫を放ってください」

「なっ!?これ以上は」

「いいから、早くして」


時風の声は静かなのに、有無を言わせぬ圧があった。

織実は息を呑み、それでも逆らいきれず、予備の光虫が入った壺の封を切ってしまった。



裾を蹴り上げる足も、力いっぱい床を打つたびに感覚が薄れていく。

そんな中、視界の隅に勢い良く向かってくる光虫の群れがあった。


(増えた。嘘だろ……)


あと二回、真明の回りを旋回すれば終わる。

やるしかない。


豊珠の舞は、例えば蛍のように、あるいは流星のような光の軌道を描いた。

光の大群を舞で捌きながら、羅輝を視界に捉えた。


───私を見て


私を見ないで


私を見て


───駄目だ。



舞台袖の暗幕へ飛び込む。目標を失った光虫たちは散り散りになり、そこらを漂っていた。


呼吸が乱れて激しく肩を揺らす。


豊珠の頬に、一筋の涙が伝っていた。


「豊珠兄さま……」


駆け寄ろうとする李汀を翠玉が無言で制した。

観客の拍手と声援が遠く聞こえた。


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