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六、時々七兄弟  作者: 香子茶小連
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8/8

風と落ちる

「何度も言うけど初泉の舞の李汀様と虎蓮様の可愛さといったら!無垢な泉にぴったりで!!本物の精霊って感じで!!高い雨代(うだい)だったけど思い切って良かった!!」

「うーん、もうわかったって。私も隣で観てたから」


待ちに待った晶刃の儀が始まった。どこもかしこも舞台の話で持ち切りだ。

普段は人もまばらな小料理屋も今日は満席で、羅輝はせわしなく料理を運んで回っていた。額に汗が滲むほどの忙しさだ。


「はい、お待ちどうさま。輝泉名物、餅魚(もちうお)糖鮮(とうせん)揚げ」


串に刺さった魚は、まるで透き通る結晶の中で眠っているようだった。

光を受けるたびに、表面の飴が細かく反射してきらめく。揚げたての熱が、じんわりと指先に伝わる。


「わぁー!なにこれやばい!!本当に魚!?食べていい!?」

「お願いだから落ち着いて!」


(ぱきっ)


「外側はパリパリしてて、中の魚はもっちりしてて……」

「程良い甘辛さがある。深泉(しんせん)から来た甲斐があるわね。……お土産用に包んで貰えるのかしら」


「羅輝ちゃーん!七彩煮(しちさいに)二皿!!出来たよー」

「はーい」


声に押されるように、羅輝は盆を持ち直してまた料理を運ぶ。


「いやぁもう王子様皆立派に成長されてね、おれは涙が出そうになっちまったよ」

「いいえ、あなた。結構序盤から泣いていらしてましたわ」

「……」

「特に翠玉様と雷焔様、まるで双子のようでしたわね。烈血舞の呼吸がぴったりで見惚れてしまいましたわ」


「お待ちどうさま!七彩煮ふたつ、熱いので気をつけて」


湯気の中で、色とりどりの具材がやわらかく揺れていた。


「羅輝ちゃーん!次ー!」

「はーい」


「やっぱ時風さん、やってくれたわ。あの鳳凰舞は反則でしょ。昼であの神々しさなら夜はどうなるの?本当に、夜の部取れなかったのが悔やまれる」

「まあまあ、昼の部観れただけでも」

「だってあの鳳凰の衣装がさ!昼は風に舞い上がって、聞いた話だと夜は───」


「お待ちどうさま。輝泉(ほう)茶と泉潤(せんじゅん)豆腐、黒蜜はお好みでどうぞ」


羅輝は早口で言い終えるや否や、その卓を離れた。


なるべくネタばらしには遭いたくないものである。

客足が途切れたところで、羅輝は仕事を上がった。朝のうちに手に入れた立ち見券が、懐で確かな重みを持っている。


浮かれた足取りで家に戻るやいなや、隣の彫刻屋の叔母に呼び止められた。


「羅輝、あんたの大作、売れたよ」

「本当!?」



───数刻前、同じ街の別の場所で。


珠臣は豊珠に言われた通り、藍泉晶の風景画を買い付けに街に下りていた。

隣国、深泉国からの観光客の足も増え、街の人口は倍になったと思われる。人混みをかき分けて彫刻の屋台の前まで来ると、両手を広げても足りないほどの風景画の前で、人々は足を止めていた。


描かれていたのは、藍泉晶の青で描かれた、眼下に広がる街並みである。日が沈んで光虫が飛翔する頃、空と街が同じ温度の熱で灯されている。

風景画の傍らには小さな立て看板が置かれていて、作者による絵の説明が書かれていた。


───抱嵐崖の頂は、石脈争乱(せきみゃくそうらん)後、万泉守が身を休めた地と伝えられる。

ここから望む輝泉は静かで、風の中に時の流れを宿している。

本作は、その風景を写したものである。羅輝


珠臣の中で、抱嵐崖で指を深い青に染めていた少年が思い浮かんだ。

屋台の店主に尋ねる。


「この風景画の作者はどこに?」

「あらごめんね、小料理屋の手伝いに行っちゃってるのよ。もう少ししたら帰ってくると思うけど」

「そうですか、なら大丈夫です。ではこの絵をください。お代はここに」


珠臣は面食らった店主に見送られ、屋台を後にした。

布に包まれた大きな風景画を持ち上げては下ろし、持ち上げては下ろして、なんとか荷運びまで辿り付いた。

受付の印が押された伝票を受け取り、珠臣はそれを懐にしまった。



───翌日


珠臣の邸に風景画が届けられた。外で見た時よりもやけに大きく感じ、ひとまず玄関に置くことにした。

晶刃の儀、昼の部まではまだ時間があるからと、珠臣は豊珠の楽屋まで走った。珠臣の邸から仮設舞台の裏側まではすぐだった。

豊珠はどんな顔をするだろう。


二人は息を切らして玄関に飛び込んだ。

目の前に広がる青。

豊珠の横顔をちらりと見た。瞬きするのも忘れている。


「……本当にすごい。もしも私が飛べたら、こんなに美しい街の景色が見られるんだろうか。これは鳳凰が、万泉守が見た景色なんだ。守りたい景色」


豊珠は珠臣に向き直り


「珠臣、本当にありがとう。この絵を見ることができて、私は幸せだ。この絵と、藍泉晶の首飾りと、なんてお礼を言えば良いんだろう……」

「それだけ喜んでもらえたならお礼なんていりませんよ。作者も喜んでいるでしょう」


豊珠は清々しい気持ちで楽屋へ戻った。昼の舞台用の衣装に着替え、化粧を施す。

藍泉晶の首飾りは祈りを込めて宝石箱へ。


楽屋の外は、すでに人の気配で満ちていた。

布越しに聞こえるざわめきは、波のように寄せては返す。

豊珠は鏡の前に座り、最後にひとつ、呼吸を整える。

静かだ。不思議なほどに。胸の奥が、すう、と澄んでいく。



蛇のようにうねる入場列に羅輝の姿があった。列に並んでいる間にも、羅輝は小躍りしたい気持ちでいっぱいだった。

立ち見券も取れて、大作も売れる。こんなに嬉しいことが重なって良いのだろうか。


昨晩は胸の高鳴りが邪魔をして、なかなか寝付けなかった。

あの大作を買ってくれたのはどんな人なんだろう。どんなところを気に入ってくれたのだろう。

あんなに大きな絵を描くのも初めてだった。まさか本当に売れるなんて───


「入場をお待ちの間に、お手元に雨代をご用意くださーい」


観覧料は雨代と呼ばれている。集めた雨代は街や民のために使われる。一旦は手元から離れるが、やがて雨のように戻ってくることからそう呼ばれるようになった。

羅輝は絵が売れた臨時収入で雨代を奮発した。


正門を潜ると一気に胸が高鳴った。

舞台を半円状に囲むように、木造の段が幾重にも重なっている。

緩やかにせり上がる客席は、上へ行くほど空に近く、どの場所からでも舞台を見下ろせる造りだ。

羅輝はその中段の、手すりのある立ち見席へと案内された。


やがて重々しい太鼓の音が響き渡り、晶刃の儀の幕開けを告げる。

わぁっと静かな歓声と拍手の中、初泉の舞が始まった。


(見えるけど、見えない……!)


羅輝は思わず手すりに力を込めるけれど、王子の表情までは確認できない。


だが、見えない分だけ、他のものが鮮明だった。

鈴の音。

足が地を打つ乾いた音。

衣が空気を裂く、かすかな気配。

それらが重なって、舞の形を想像させる。


(……すごい)


胸の奥が、じんわりと熱くなる。

見えなくても分かる。そこに、確かに何かがある。


そのとき。

ふ、と。頬に、かすかな風が触れた。

思わず顔を上げる。

上段の布が、僅かに揺れている。


(風……?)


屋外の舞台だ。風が吹くこと自体は珍しくない。

ざわ、と客席のどこかが揺れる。


「今の、演出……?」


誰かの声が、半信半疑にこぼれた。

舞台の上では、なおも舞が続いている。だが、その動きに呼応するように、風が、ひとつ、集まり始めていた。



舞台の裏では翠玉と雷焔が剣を取り、互いの肩を叩いて舞台中央に走り出た。豊珠はその様子を袖から見守る。


(風が強いな……)


衣の裾が、想定よりも大きく持ち上がる。

踏み込む足に対して、僅かに遅れて空気が絡みつく。

翠玉の剣が振り下ろされる。

それに呼応するはずの雷焔の動きが、ほんの僅かにずれる。

観客には気づかれないほどの、ほんの一拍。


ばさり、と、舞台の上手側の幕が大きくはためいた。


「豊珠様、そろそろ準備を」

「ああ」


彩衣手(さいて)が広げた鳳衣(ほうい)に豊珠が袖を通す。

淡い水色で、豊珠の身長の三倍はある薄衣だ。風を受けると鳳凰の尾羽のように裾が広がる。


豊珠は胸の内に、羅輝の風景画を想った。

あの絵を見た感動のまま、舞おうと思った。


戦火を表す激しい太鼓の音が、やがて一筋の笛の音に変わった時───


静かに豊珠が踏み出した。

淡い水色の鳳衣が、僅かな動きに応じてふわりと持ち上がる。

その裾は地を擦ることなく、まるで空気そのものに支えられているかのようだった。


しん、と静まり返った客席からさざ波のように拍手が広がった。


(……あれが)


羅輝は思わず息を呑む。


風に揺れる輪郭は、豊珠が舞の型を重ねる度に姿を変えた。風に溶けるように、豊珠はしなやかに腕を上げる。


───その時


咆哮のような風の唸りが舞台を包む。

客席のざわめきが一瞬で悲鳴に変わった。


つむじ風が、采配所――儀の進行を司る天幕と、救護所の天幕を巻き上げ───


(こっちに来る!)


「危ない!伏せて!」


誰かの叫びが飛ぶ。


巻き上げられた天幕が、空を切って翻る。


バキィッと木材が裂ける。


よろけた観客に肩を押され


(やばい……!)


足元が、ふっと軽くなる。

踏みしめていたはずの感覚が、消えた。


次の瞬間。

羅輝の身体は、風に引かれた。


「――っ!」


咄嗟に手を伸ばす。

だが、掴めるものは何もない。



背中の鈍い痛みと、埃っぽい空だけが、視界いっぱいに広がっていた。

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