完璧な王子
宮廷の庭園に仮設舞台の建設が始まった。資材を運び込む声やカンカンと木材を叩く音が響いている。
その庭園の隅の稽古場で、舞の稽古もいよいよ大詰めだというのに、翠玉と雷焔が今日も言い争っていた。
「雷焔、そこ一拍遅い。剣がぶつかりそうになる」
「翠兄が早いんだろ。時風先生もここは三拍数えろって言われてる」
「だからそもそも、その数え方が遅いから」
「これで良いって言われてますぅ~」
虎蓮と李汀がおろおろと顔を見合わせる中、豊珠がピシャリと言った。
「翠玉、そこは半歩下がれ。雷焔は半拍遅い」
二人が同時に口を閉ざす。
「天晴れですね」
背後から声がした。
いつの間にそこにいたのか、扇をひらりと開いた男が立っている。
「見事な観察眼です、豊珠様」
細く笑った目の奥で、男は王子たちを順番に眺めた。
「時風先生!いつからそこにいたの?」
虎蓮が目を丸くした。
「今の烈血舞最初からやりましょう。それと、虎蓮様、李汀様は身体がまだ硬いです。柔軟をもう一度」
翠玉と雷焔が定位置につく。
「では、始め」
時風が扇をパシッと閉じた。
「遠慮はいりません」
二人の剣がぶつかり合い、稽古場に鋭い音が響いた。
「翠玉様、踏み込みが浅いです」
「雷焔様、刃が流れています」
扇を閉じたまま、時風は淡々と言葉を落とす。
やがて剣舞が止まる。静けさの中で、豊珠が一歩前に出た。
「……時風先生」
細い目がこちらを向く。
「私の舞はいかがでしょうか?」
ほんの一瞬、間があった。
「完璧です」
「でも」
「完璧です」
「……」
結局、稽古場を追い出される形になった。豊珠の足は自然と珠臣の邸へ向かう。
「豊珠様、今日の稽古の終わりはお早いですね」
「時風先生に追い出された」
「ああ……」
二人はとある人物に思いを馳せる。
真明も早々に稽古場を追い出されて、毎日のように万象森の中をさ迷っているらしい。
「そうだ、豊珠様。昨日の晩に完成したものです。本当はもっと早く完成させたかったのですが」
珠臣はそう言って手のひら大の小箱を取り出して蓋をそっと開いた。
親指の爪ほどの藍色の宝石が、銀細工の鳳凰の翼に守られるように抱かれている。
「これは……?」
「藍泉晶の首飾りです。藍泉晶の風景画をとても気に入っていた様子でしたので」
「珠臣が?すごい……」
豊珠は首飾りを手に取ると、午後の光の射す格子窓の方へ翳した。翼の隙間から青が細かく反射して豊珠の頬を伝う。
「この藍泉晶の結晶は元々、拳ほどの大きさがあるものでした。しかし藍泉晶は予想よりも脆く、手を加えるうちにすっかり小さくなってしまいました。もう失敗できない、最後の結晶がその首飾りになりました」
「それはどんな宝石よりも貴重なものだ。ありがとう、珠臣。
───それから、甘えついでに頼みたいことがあるんだ。私の代わりに宵の市に行き、ある風景画を購入してほしい」
「それも藍泉晶の風景画ですか?良いでしょう」
「本当にありがとう。私は、良い舞が舞えそうだ」
豊珠は庭に出て、藍泉晶の首飾りを胸に深呼吸をする。
───鳳凰舞。私の中の鳳凰。
窓越しに珠臣は舞を見ていた。
翼も尾羽もない、裸足の鳳凰。裾が翻った瞬間、脛から足の甲にかけて青あざが見えた。重い衣装を蹴り上げる稽古の跡だと、珠臣はすぐわかった。
やがて、晴れた空から細かな雨がぽつりと地面を濡らした。豊珠は構わず舞い続けている。
その時、扉が開く音がした。
振り向いた珠臣の視界に、びしょ濡れの真明が立っていた。
「……ただいま」
珠臣は慌てて手拭いを差し出す。
「まず拭け」
「ははは、万象森は土砂降りだったよ」
「大事な時期です。風邪を引かれたら皆が困る」
珠臣は真明の後ろに回り、長い髪に手拭いを巻いて絞った。
「いたたたた」
「しっかり拭かないと。それに着替えも」
珠臣は慌ただしく廊下を駆けていった。真明はふと外に人の気配を感じ、窓を覗き込んだ。
「なるほど……鳳凰のお出ましだ」
真明は居ても立ってもいられず、外へ駆け出た。豊珠は驚いた顔をしている。真明は笑った。それを合図に、切願舞の構えをする。
着替えを持ってきた珠臣は見た。晴れながら降る雨の中で、鳳凰と戯れる少年の姿を。
一方その頃、静まり返った稽古場に呼び出された一人の男がいた。男は青ざめている。
「時風殿、いくら時風殿の頼みでも今から衣装の源美石を増やすなんて……予算はとうに超えています。特級の源美石なんていくらすると思ってるんですか。それに光虫も増やせって絶対言いますよね、この流れなら」
「よくわかっているじゃないか、織実殿。でもそなたほどの実績の持ち主なら容易なことだろう?光虫研究者の第一人者、結縁殿の一番弟子。熟練調光師の織実殿なら」
時風は扇をパッと開いて笑った。
「流石ですね、競舞で毎年優勝を納めている国民的人気舞手の時風殿のお願いとなると規模が違います」
織実は無理矢理に口角を上げて笑った。二人分の嫌な笑いが稽古場に響く。
「真面目な話、私は鳳凰の卵を割りたい。硬くて脆い卵をね。豊珠様の舞は完璧だ。しかし完璧な神など存在するだろうか」
細い目の内が輝いた。
「殻を割って鳳凰が誕生する時、きっと素晴らしい舞台となるだろう。だから織実殿、手を貸しておくれ。初日に間に合わなくたっていいさ、その方が面白い」
「私は面白くないです」
「じゃ、頼んだよ」
その昔、舞台演出で時風の希望を満点で叶えてしまってからが運の尽きだ。すっかり時風に気に入られてしまい困惑している。本業は研究者なのに。
織実は溜め息と共に肩を落とした。




