羅輝の祈り
羅輝はいつもより早く起きて街に出た。空には、祈りを捧げる少年とそれを見守る青い鳳凰が描かれた幟が、穏やかな風にはためいて街の中心街へ向かって幾重にも連なっていた。
人々は露天の準備に忙しい。店を花で飾り、料理を仕込む匂いがあたりに漂っている。
その中を歩いているとだんだん足取りが軽くなってきた。つい心が逸ってしまう。
宵の市が始まるのだ。
人集りが見えた瞬間、羅輝は思わず駆け出した。
「晶刃の儀絵綴、事前販売の列はこちらでーす!」
呼び込みの声が期待をさらに引き立たせる。羅輝は列の最語尾に並んだ。羅輝は毎年、晶刃の儀絵綴を朝一番に買いに行く。
表紙にはその年のために新しく描かれた鳳凰画。中には演目紹介、神話の説明、王子の紹介、そして儀式の流れが絵と共に記されている。
───今年はどんな鳳凰だろう。
空を見上げ、朝の澄んだ青を瞳に映した、そのとき。トン、とぶつかる感覚で我に返った。視線を落とすとよろけた子供と目が合った。退屈そうに母親にへばりついている。
ほどなくして子供を宥める優しい声が聞こえた。
「ほら、万泉守のお話をしてあげる。昔むかし、万象森という大きな森の奥に、小さな泉がありました。まだ名もない普通の泉でしたが、いつも豊かな水で満ちておりました」
羅輝は親子のやりとりを聞きながら、やはり俺の母さんの語りは独特だったな、と幼い頃を思い出していた。いつも寝る前に語ってくれた建国神話。輝泉国に伝わる霊泉の物語───
「昔むかし、万象森という大きな森の奥に、こーっんなに小さな泉がありました。まだ名前もない、どこにでもあるような泉でしたが、毎日元気に、こん!こん!と水が湧いていました。
その泉の水はとてもきれいだったので、だんだん人が集まるようになりました。
泉はみんなが来てくれるのが嬉しくて、ますます元気にこん!こん!と水を湧かせました。
やがて人々は、泉に祈りを捧げるようになり、泉のまわりには村ができました。踊ったり歌ったり、毎日楽しく暮らしていました。ほら、羅輝も踊ってごらん」
「こんなふう?」
「そうそう、上手ね。ちょうどそのころ、万象森の近くでは宝石の原石がたくさん採れるようになりました。
村の人たちはその原石を掘って暮らすようになり、村はだんだん豊かになっていきました。
けれど原石の話は遠くまで広まり、他の村や国の人まで掘りに来るようになりました。
やがて人々は原石を取り合い、ついには国同士で争いを始めてしまいました。
泉は、みんなが仲良く集まってくれるのが好きでした。
だから、人々が争うようになって、とても悲しくなりました。えーん、えーん。
祈りを捧げる人もだんだん減り、人々は泉のことを忘れて、宝石のことばかり考えるようになりました。
とうとう泉は怒ってしまいます。
「どうして泉は怒ったの?」
「そうね。万泉守は拗ねちゃったのよ。羅輝がせっかく絵を描いたのに、みんながケンカに夢中で見てくれなかったらイヤでしょ」
「うん、悲しいし怒っちゃう」
「でしょう?だから雨は降らなくなり、あれほどこんこんと湧いていた泉の水も、ついには底をついてしまいました。土地は乾き、人々は苦しみました。
それでも、争いのせいで国の原石はすべて他の国に奪われ、もう価値のあるものは何も残っていませんでした。
そんなとき、一人の少年があらわれました。
少年は泉と同じように、人々のことを悲しく思っていました。
少年は枯れた泉の底に降り、そこらに落ちていた石を積み上げて、小さな祠を作りました。
そして、毎日泉に祈りました。
「楽しかった日々を忘れてごめんなさい。これからは、価値あるものは人のために使います。どうか雨を降らせて、泉を元に戻してください」
少年は、毎日毎日祈り続けました。
するとある日、ぽつりと雨が降りました。
次の日には、泉は再び水で満たされました。
少年はその泉を守りながら、荒れ果てた国を、もう一度よみがえらせようと決心したのでした」
羅輝は買ったばかりの絵綴の表紙をまじまじと眺めた。
「これが、今年の鳳凰」
駆け出したい気持ちを抑えて朝市へ向かった。
「ねえ母さん!鳳凰描いて!」
「母さんより羅輝の方が上手よ」
「描いて!」
「仕方ないわね……万泉守はね、鳳凰の姿で伝わってるの。霊泉の前で祈る少年と、それを見守る鳳凰の絵が宮廷にあるのよ。それが一番古い鳳凰画なの……できたわ」
「わ!すずめと串団子!」
「鳳凰と少年です!」
羅輝は朝市で母の好きだった白羽花を買った。春になると花屋に並ぶ、白い羽のような小さな花だ。
「ただいま」
誰もいない部屋の、鳳凰画の前に花を飾った。
「羅輝がいつも元気でありますように。父さんが怪我なくお仕事できますように」
「どうして母さんは自分のことを祈らないの?万泉守よ、母さんの病気が早く良くなりますように」
母は笑った。
「羅輝、たくさん笑ってね」
「万泉守、いないじゃん」
母の訃報を聞きつけ鉱山から帰ってきた父の胸に、羅輝は叫んだ。
羅輝は食が細くなり笑顔も消えた。好きだった絵も描かなくなった。父は仕事を辞めて家に戻った。貯金もすぐ底をつき、父は人に頭を下げてお金を借りながら生活した。
そんな時、偶然にも晶刃の儀の観覧券を当てることができた。人形のように動きのない顔をした羅輝の手を引いて宮廷へ向かい、座席の案内を受けた。舞台に手が届きそうな距離だ。
空は薄青く澄んでいた。その色と同じ、風になびく薄衣を纏った少年が鈴の音と共に舞台に躍り出た。わぁっと観客が沸き立ち拍手が起こる。枝の先に付いた鈴をシャラシャラと震わせて舞台を旋回する。
───鳳凰だ。鳳凰がいる
自分とそう変わらない歳の少年が鳳凰を舞っている。羅輝の目は釘付けになっていた。風を味方につけ翻る衣は鳳凰の翼そのものだった。
放心していた。舞が終わったことも気付かず、ただ手を引かれるがまま家に帰った。
知らせなきゃ。母さん、鳳凰いたよ、と。
母が居なくなってから初めて筆を取った。久しぶりで、描き方はもう忘れてしまったけれど、今日再び目の前に鳳凰が現れた。それを描いてみよう。
「へたくそ……」
母があの日描いていたすずめと串団子を思い出して、羅輝は泣きながら笑ってしまった。
そして羅輝は祈る。
「父さんが怪我なく仕事ができますように」
「今日も良いことありますように」
宵の市で出す大作もいよいよ仕上げに入る。追加で採ってきた藍泉晶の質も良い感じだ。
視界の隅で白羽花が揺れたような気がした。




