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六、時々七兄弟  作者: 香子茶小連
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5/8

青に集う

翌朝になってもほとぼりが冷めないのはあの風景画が心残りだからだろうか。


───それとも。


建国史の講義も剣舞の稽古もどこか上の空で、昨晩の街の明かりを思い出しては心の中に引っ掛かりを覚える。

欲しいものは欲しい。自分の中にこれほど子供じみた気持ちがあったことに豊珠は驚いた。まさかこのまま晶刃の儀を迎えるのだろうか。

晶刃の儀は輝泉国の神話と歴史、そして霊泉の加護を、剣舞と舞で民に伝える大切な儀式。

万泉守(ばんせんのもり)。それは豊珠が演じる霊泉の神。街の明かりに触れ、民を身近に感じた夜、それをそのまま胸に留めて帰れば最高の剣舞が舞えたであろう。

しかし思わぬところで後ろ髪引かれてしまった。


豊珠は半ば衝動に駆られて、水の中を泳ぐ金魚のように音もなく庭園を横切った。壊れた柵の柱を押すと、それはあっけなく傾いた。


見えない力に引かれるように羅輝の露店を探した。人々の歓声も屋台の匂いも今だけは遠い。あの風景画に会いたい。今はただそれだけ。

豊珠は掛紗をなびかせて漂った。


藍泉晶の夜、青く光る橙。あった。良かった。これが欲しくて。


「──紗尾、紗尾!立ち尽くしてどうしたんだよ!」


水を弾くようなこそばゆい声が飛んだ。ゆっくりと視線をやると羅輝が困ったように笑っていた。つられて豊珠も笑った。


「この風景画、譲ってくれ」

「いいぜ。よっぽど気に入ってくれたんだな」


豊珠は板に張り込まれた青い風景画を大事に抱えた。そのまま腰を据えて羅輝の話に耳を傾けた。


「その風景はここからそう遠くない静かな路地で───」

「───でさ、誰が一番早く源美石を灯せられるかってチビたちと競うのに巻き込まれて」


羅輝の口は泉のように滾々(こんこん)と言葉が湧く。豊珠はただ心地良く聞いている。とくとくと胸が脈打つ。


「紗尾は晶刃の儀、観に行くのか?」

「あ……えっと、うん」


喉の奥がひやりと冷えた。


「いいなー!俺、クジ外れちゃってさ」

「……そうか」

「でも、立ち見券も粘るつもり。その前にもっと絵を売って店の手伝いもして観覧代を稼がないとな。そう!そういえば」


羅輝は一呼吸置いて身を乗り出した。


「宵の市で、でっけえ風景画、出す予定なんだ。俺は店の手伝いで居ないから、隣の屋台に置いてもらうつもり。良かったら見に来て。紗尾に見てもらいたい。自信作だから」


───宵の市には、きっと出歩けない。


「ああ、わかった。きっと」



街の明かりを背に、風景画の重みを胸に帰路に着く。耳の中でこだまする声は転がる鈴のよう。


───紗尾


当然のように呼んでくれた名前。なぜだろう、思い出すたびに息が詰まりそうになる。

羅輝は宵の市で大作を出すのだと言っていた。どうにか見に行けないだろうか。ああ、また。欲望が次から次へと、止まるところを知らない。


壊れた柵の柱を押しやって身体ひとつ分と大事な青を静かに潜らせる。視界の中にチカッと光ったのは守衛の燈器の明かり。豊珠は咄嗟に木陰に隠れた。



珠臣は筆を持ったまま頭を悩ませていた。次の細工の図案が思い浮かばないのだ。何度も描いては消し、描いては手を止めた。

ぐうっと背筋を伸ばした時、格子の向こうで何か光ったような気がした。そして玄関の扉を叩く音。


扉の向こうには掛紗を被った豊珠がいて、胸には何か大きなものを抱えていた。


「珠臣、この絵をここに置かせてくれないか」


豊珠の息は僅かに上がっていて、頬は紅潮していた。指先は急いで絵を包んでいた布を解く。


「構いませんが、豊珠様。その格好、もしかして外へ?」


珠臣はそれ以上の追求はしなかった。答えは豊珠の瞳を見れば十分だった。


「この青は藍泉晶で描かれているんだ。けれど源美石の橙の光も感じる。珠臣は石に詳しいだろう、この絵をどう見る?」

「藍泉晶ですか。粘土質ゆえに焼き物の原料に使われるのが一般的ですが、こんな使い方があるのですね……」


珠臣は感心したように呟く。


「光に当たるときらきらして見えるのは、藍泉晶の結晶の部分を細かく砕いているのでしょうね。それを水墨画に流用するとは見事です」


豊珠はそれを聞いて自分のことのように誇らしくなった。


「路地の明かりも、地面に転がる源美石の欠片の発光も全て藍泉晶の青で描かれています。私には夜空の星が落ちているように見える。豊珠様が源美石の橙を感じるなら、それは豊珠様が街の明かりを愛していて、この絵を描いた絵師もまた、街を愛しているからだと思いますよ」


豊珠自身、口元が自然と綻んでいくのがわかって、コホン、と咳払いをした。



それから豊珠は晶刃の儀の稽古の合間には必ずこの風景画を見に工房に訪れた。豊珠があまりに熱心に見るものだから、そんな豊珠を珠臣も熱心に観察した。

豊珠が惹かれているのは藍泉晶の青か、街の風景か、それとも───

藍泉晶は粘土質と結晶質に分かれる。結晶も脆いため宝石細工ではあまり扱わない素材だ。ではあえて藍泉晶を磨いて首飾りにしてみてはどうだろう。珠臣の脳裏に新しい図案が浮かぶ。


藍泉晶といえば抱嵐崖(ほうらんがい)。輝泉国の青は、ほとんどこの岩山から生まれる。羅輝は宵の市で出す大作に用いる藍泉晶を探すべく岩肌に沿って歩みを進めていた。指先を青に染めて柔らかい地層を掘る。粘土質の中にざりざりと細かな結晶が混ざっている。これを()して、粘土質を溶き、結晶を砕く。毛筆で二つを混ぜ、画紙に乗せる。そうやって藍泉晶の青い風景が出来上がる。

だが今日の地層はやけに結晶質が多い。ごろっと大きな結晶が取れた時、近くに人の気配を感じた。

焼き物の原料を採るために訪れる人も少なくない抱嵐崖だが、見慣れない姿があった。長い髪を(かんざし)でひとまとめにした、羅輝より少し年上の少年が同じように指先を青に染め藍泉晶を掘っていた。その少年の指先は、自分よりも深い青に染まっていた。

横目で追っていると、その少年は粘土質の塊を打ち捨てて目もくれない。羅輝には打ち捨てられた塊が宝の山に見えた。羅輝の視線に少年が気付いた時、羅輝が口を開いた。


「キミ、その藍泉晶の塊、俺に譲ってくれないか?」

「ええ、構いません。あなたも藍泉晶を探しているのですね。この辺りで結晶を見かけませんでしたか?」

「結晶を探しているのか。じゃあこれなんかどうだ?まとまっててデカいぞ」


差し出された結晶を受け取ると少年は溜め息混じりに感嘆した。


「これほどの結晶は珍しい。有り難く頂戴する」

「気にすんな。俺はこれをもらうから」

「私が来た道は粘土質ばかりだったから、探しているならこの道を下るといい」

「そうか!ありがとな、助かるよ」


互いに目的の藍泉晶を手に入れ帰路に着いた。

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